解読 日月神示 旧歴九月八日
松の巻 第三帖(二九四)
神烈(はげ)しく、人民静かにせよ。
言うたこと必ず行わねばならんぞ。
天から声あるぞ、地から声あるぞ。
身魂(みたま)磨けばよくわかるのざぞ。
旧九月八日までに
きれいに掃除しておけよ。
残る心ケダモノぞ。
神となれば、食うことも着ることも
住む家も心配なくなるぞ。
日本晴れとはそのことざぞ。
六月十九日、あメのひつ九のか三。
解読
神烈(はげ)しく、人民静かにせよ。
いよいよ、神示ブログ(世界は変わるブログ)のコメント欄での情報戦が激しくなるようです。いつもメンバーは、戦に巻き込まれぬように静観するとよいでしょう。
神示ブログは、日本の雛形ですから、いろいろな意見を持った方が集ってきます。この時に冷静に議論が行えないようではいけません。
欧米人は子供の頃からディベートに慣れていますから他社の意見を意見として受け止め、議論をするのが上手です。
欧米人に比較すると、日本人は議論を戦わせる事に不慣れなようです。意見を即中傷と受け止め、己が害されたと思い込んでしまう人が少なくありません。
感情的になり、逆上し、排他的な態度を取る姿を神示ブログのコメント欄でもよく見かけます。これは、一見ブログの管理人さんを擁護しているように見えますが、事実は真逆の事をしているのです。
本当の敵とは、肯定的であり内包的であり、一見理解者風であることが多いのです。したがって、感情をむき出しにして、攻撃的になる擁護者は、擁護される者にとっての最大の敵なのです。
相手の意見に対抗し、反対意見を述べるためには知識が必要です。知識は多ければいい、というものでは無いのですが、それを使いこなすだけの勇気と努力と根気と、それを取り入れる時の直感力が必要です。
幼き魂を持つ怠け者は、知識を取り入れる努力さえも怠ります。それゆえ、相手の意見の背景にある情報を吟味もせずに、いきなり感情的になり排他的となるのです。
神示ブログが日本の雛形であるとすれば、こうした方々は日本の将来にとって百害あって一理無しなのです。コメント欄が、冷静な態度で意見を交わすことのできる場になる事を期待いたします。
言うたこと必ず行わねばならんぞ。
神示ブログに投下される記事の背景には、複数の神さまたちがいらっしゃいます。管理人さまご本人がそのように書いてもいます。ゆえに、記事の内容は矛盾した意見が混在することになるのです。
中には、地上を再び泥の海にしようとする存在からの意見も降ろされてくるのです。こうした意見に対しては、反対意見を述べなければいけません。看過してはならないのです。
国が、国民にとって不都合な法案を通そうとするのであれば、見過ごしてはいけないのと同じ事です。そして、危険な内容を孕む記事に対して同調してはならないのです。
なぜならば、神示ブログは日本の雛形なのですから。危険な意見に同調する、もしくは黙っているとすれば、それはその意見が認知されたと受け止められても致し方の無いことなのです。
ですから、このような意見を降ろす霊人に対しては、徹底抗戦の構えを見せることが重要なのです。それゆえ、人類に対して宣戦布告をしてきた神さまに対しては、徹底的に抗うと宣言しているのです。
そのように言っていますから、言ったことは必ず行うのです。
アリオンは、この戦いについて次のように述べています。
さて、時は熟してきた。破壊を恐るな、真の破壊には創造が必ずセットされているからだ」
「不合理な攻撃を受け、自らの(時には他社の)可能性を守らねばならない状況に陥ったなら、戦いなさい。
ここで忘れてはならないことは、戦うと決めた時から、戦いは勝つためのものになるのであって、錦の御旗(自己正当性のための美しい理由)のためでは無くなるということだ。
戦う以上は、勝つまで戦いなさい。たとえ、命を落としても逃げないで戦い続けること。戦いで命を落とすのは負けることでは無い。
その覚悟が無い者は、戦いについて遠巻きにして語るべきではない。戦いたいなら、勝ちたいなら、先ず自らとの戦いに臨(のぞ)みなさい。」
天から声あるぞ、地から声あるぞ
神々さまや、いままで神示ブログ(世界は変わるブログ)のコメント欄に登場しなかった読者さんたちまで、コメントし始めるようです。いろいろな意見を持った方々が議論の場に登場してくることでしょう。
意見の異なる者を、感情的になって排除しようとする傾向のある方々は、少し冷静に成る必要がありるかと思います。大上段に独りよがりの正義を振りかざし他者を断じ、排斥することは控えておいたほうが良さそうです。
神示ブログは特殊な使命を持ったブログです。それゆえ、言葉使いに気をつけ、他者に対する暴言や誹謗中傷の言葉を述べなければ、コメントは消されることはありません。消すことを許されていないのです。
神示ブログは日本の雛形ゆえ、建設的な意見を出し合い、大いに議論を交わすことが日本の明るい未来につながってゆくものと考えられます。みなさま、大いに議論を戦わせましょう。
身魂(みたま)磨けばよくわかるのざぞ。
神示ブログ(世界は変わるブログ)で、いったい何が起こっているのか?身魂磨けば、よくわかるようになりと言っています。
身魂磨きとは、生まれてからこれまでに社会から条件付けされ、心に植えつけられた常識という名の呪縛を解き放つことです。
条件付けを外すことにより、物事を多面的な見地から見ることが出来るようになるのです。条件付けを外すためには、自らが常識として認識してきた古い知識を手放すことから始める必要があるのです。
古い知識を手放すことについて、アリオンは次のように云います。
自らの心に積もった、澱(おり)のような知識の断片をいつまでも手放さないでいると、真新しい智慧は、育たない。
日月神示系の預言書が伝える「道」は、『智慧の道』です。知恵を磨くことにより、神(天照大神)さまと一体になる道を伝えているのです。
神さまとつながる
神さまと一体となり、神さまと共に歩む人を、「日月神示」ではと呼んでいます。注:には神さまの意味もあります。
実際のところ、人は神(天照大神)さまとは直接つながることはできません。そのために、神さまと人との間をとりもつ女神さまたちがいらっしゃるのです。八柱の女神さまたちのことです。
「日月地神示」と「大日月地神示」を降ろされた神人(かみひと)氏は、を神人(かみひと)として定義しています。神さまとつながり、神さまの御用をする人のことを指しています。
は、古神道でいうところの「ひつぎの道」と「とつぎの道」にあたります。「ひつぎの道」は神さまとつながり始めた初期の段階です。まだ、神さまに試されている段階なのです。その後、実績が認められると「とつぎの道」へと移行してゆくのです。
神さまと一体となるとは、心の奥底で神さまとつながる事を意味します。神さまとつながると物事がスムースに運ぶようになります。常にインスピレーションが降りてくる状態であると捉えていただいて良いかと思います。
神さまとつながった人
神さまとつながった人の参考事例として、リンク先の「俵屋工房 高橋亮馬氏 FB」をご覧になられると良いかと思います。リンク先のフェイスブックは、高橋氏が自らの日常を綴る日記となっています。ご本人の許可をいただいて紹介しています。
高橋氏の日記は、日々神さまの御用で奔走する絵師の日常を綴っています。ただし、お友達限定の情報ですから、興味のある方は、お友達申請をしてつながってくださいませ。
高橋氏は、古典絵画の専門家なのですが、2018年の6月あたりから神さまと緩やかにつながるようになりました。画業をやめようと決断を迫られていた時期のことでした。現在は、画業に専念できる状態となっています。
智慧の道
宇宙神霊(うつのかむひ)アリオンは、日月神示系の神示(ふで)を降ろした霊団と同じ霊団に所属する神霊です。ですから、アリオンの指し示す道しるべも『智慧の道』なのです。
『理解の理の枠組みを外れたところにあるもの。人はそれを掴むことはできないが、垣間見たり勘じたりすることが出来る。
理の枠を外れた広大なる「智の原野」には、果てしない「夢」と、尽きない「愛」と、止めどない「命」が作り出す恵みの光が満ちている。
生も死も、そして生でなく死でなく、更に生であり死であるもの。それら生命活動の繰り為す全ての原因と結果と過程を一望の下に観ることのできる「智慧」こそ、あなた方の求めて止まないものである。
この智慧に至る道をあなた方は個々の適性や嗜好(しこう)性などによって探し続ける。
道を探すには自らの足で立たねばならず、道を歩むには自らの足で歩かねばならない。
この基本的なことすらも盡(まま)ならない者に智慧への道は存在しえない。
また、この基本的なことへの努力を怠る者は自らの生命を軽んじていることに気付かねばならない』
自己観照
条件付けを外すためには、自らを深く観察することが必要です。これを自己観照と言います。しかしながら、自分をよく観ることは実にむつかしいことなのです。
しかし、神さまと共に歩み始めるようになると、否応なく自己を見つめざるを得なくなってきます。神さまによってそのように働きかけられるのです。いわば、強制的な身魂磨きが始まってしまうのです。
強制的な御霊磨きとはなにを意味するのか?それは、貴方さまのエゴをゴリゴリと削り取るような事象が、貴方さまのまわりで日々巻き起こってくることを意味するのです。否応なくカルマの解消を迫られてくるのです。
自分を観ることは、アリオンも推奨しています。自分を観るためには、先ず自分の言葉で自分のことを語ること、そして他者にそれを伝えることから始まるとアリオンは云います。
他者の反応は自らのものとは異なる筈(はず)ですから、どこがどう異なるのか?異なる点について自分は、どう感じるのか?それについて深く考察することから始めなさいとアリオンは云います。
そして、そうした事柄について深く考えをめぐらし、誠実に会話する努力無しで、一般論を持ち出していては、自分を観ることから遠ざかることになると云っているのです。
他者の意見に対して、条件反射のように食ってかかるようではいけないと云っているのです。これは、相手に対して極めて不誠実な態度でありますし、ご自分にとってみても、せっかくの成長の機会をみすみす逃すことにもつながるのです。
旧九月八日までに
きれいに掃除しておけよ。
「旧九月八日」とは、日月神示によく登場する、旧暦の九月八日のことです。旧暦の日付は、毎年変わります。今年は、2019年10月6日にあたります。この日が「ミロクの世」への移行日であると考えられているのです。
「旧九月八日までに、きれいに掃除しておけよ」とは、身魂をよく磨いておきなさいよ。という意味なのです。特に、心の奥底に折のようにこびりついた古い闇を祓っておく必要があると言っているのです。
千と千尋の暗号
アニメ『千と千尋の神隠し』には、暗号として「ミロクの世」への移行日が隠されています。暗号は、車のナンバーと、異界の入口の建物に書かれた文字、そして最後のシーンに隠されています。
これは、神示ブログのコメント欄に登場する「かつ@美濃のトルネコ 」さんが自らのブログで指摘されています。
車のナンバー「多マ 34 へ 19-01」
(マは劇中では、广 (まだれ)にマと書かれています)
「多マ」:魔が多くなるぞ。
「34」:見よ。
「へ」:有り得ないことが起きるぞ。(へ:車のナンバーには無い)
「19-01」:2019年1月
最後のシーン:朝 → 文字を分解して再構成すると「十月十日 」となります。
建物の入口の文字:正月
この3つの暗号から、2019年正月から十月十日、すなわち2019年10月10日
と解読できるのです。
また、「十月十日 」には「産みの苦しみを知りなさい」という暗号も込められているのです。
サイトの「千と千尋の神隠しの謎」に関する記事を一読して頂ければわかるかと思われますが、このアニメのシナリオを書かれた方、日月神示や聖書を始めとする広範な知識を持っているようです。
アニメに隠された暗号を解読するにつれ、このアニメのシナリオを書かれた方は、日本の中枢に関わりを持つ皇統奉仕衆か八咫烏(やたがらす)と呼ばれる秘密組織に属する者ではないかと推測致してます。
残る心ケダモノぞ
ケダモノの心とは、考え方の違う相手からの意見を深く考えることもせずに、自らに対する攻撃であると解釈して感情的に反応する心のことです。
ケダモノの心は、本人に対する意見のみならず自らが信じる存在に対する意見であっても同様に反応します。これは、自らの信じる信念体系に対する攻撃であると解釈するからです。
ケダモノの心とは、自ら考えることを放棄し、自らが信じる他者に判断を委ねてしまう弱い心のことです。特定の宗教に嵌る狂信者と同じ心理なのです。ゆえに、危険極まりないのです。
自らの社会的条件づけを落とし、自ら考え行動する道を選び、既存の信念体系や他者に追随することなく、自立して行動すること、これがケダモノの心を解き放つ道なのです。
アリオンは、自立について次のように伝えています。
『自立しなさい。自立とは、分からないことの連続だ。
一瞬一瞬の行為を自らの決断で選びとり、その結果起きるであろう全てのことに責任を持ちなさい。
だからといって、排他的になる必要は無い。誰の意見であれ、自らの意志で選んでいるんだという自覚がなければ、自らの能力を試す結果である責任も自分の手には入らない。
自立とは、そういうことだ。
自立を目指さない者に、私は今後、話し掛けることを善しとしないだろう』
神となれば、食うことも着ることも
住む家も心配なくなるぞ。
日月神示の伝える「ミロクの世」では、神と獣に分かれると云います。神となれば、衣食住の心配はなくなるという事なのでしょう。これについては神示ブログでも伝えられています。
「世界は変わるブログ」2018年03月13日
その世界では
心の澄んだ天使的な人間は
霊能力というか物質を生成する
能力を使う事が可能になります
その心の浄化具合によりますが
神様的な人は思った物は
そのレベルに応じて
出せる様になります
レベルが低くても
衣服や食事程度は簡単に出せます
味等は その人次第でしょうか?(^^;;
日本晴れとはそのことざぞ。
「日月神示」で云う神、「世界は変わるブログ」の「心の澄んだ天使的な人間」は、衣食住の心配がなくなるということです。
これを、日本晴れというのです。
つまり、「日月神示」の「ミロクの世」と、「世界は変わるブログ」の次元融合後の世界は同じ世界のことであると解釈できるのです。
↓↓↓ 宜しければ「ポチッ」とお願い致します。