ののの備忘録

『日月神示』の解読から始まる古の神々さまの封印解除と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。

御穂神社の伝承と駿河国の開拓

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御穂神社

御穂神社の伝承

駿河国の開拓

白鬚神社と猿田彦

第二の大和

機内逆五芒星結界

天皇皇后の系譜

 

御穂神社の伝承について

先日の記事「弥都波能売命と和久産巣日神の正体」の冒頭で次のような仮説を立てました。

 

「大物主 (大己貴命) が多紀理毘売命 (木花咲耶姫マグダラのマリア) を后に迎え入れ、日向と出雲の大王 大国主に就任したときも、富士高天原に参内しているはずです。」

 

この仮説の裏付けとなる御穂神社の伝承が見つかりましたのでご紹介いたします。(注1)

 

御穂神社

御祭神(二柱神)

 大己貴命 (おおなむちのみこと)

 ※別名

  大国主命(おおくにぬしのみこと)

  三穂津彦命(みほつひこのみこと)

 三穂津姫命 (みほつひめのみこと)

 

 

由来

創建は遠く神代に在らんか、日本書記巻二に「高皇産霊尊の勅に日く、今吾女三穂津姫命を以て、汝に配(あわ)せて妻とせむ、宣しく八十萬神(やそよろずのかみ)等を卒(ひき)いて皇孫の為(た)めに護り奉れ、乃(すなは)ち遷(かえ)り降らしむ」云々とあり。

日本惣国風土記に「大己貴命天上(あめ)に登り順う可き条々を奏(もう)し、天乃日鷲大羽鷲羽車に乗り三保の御崎(みさき)に休み給う」云々とあり。

先代旧事本紀に「大己貴命天の羽車大鷲に乗り妻妾(つま)を覓(もと)む」云々とある。

大国主命須佐之男命(すさのおのみこと)の御子で、豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに※日本の国)を開きお治めになり、天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)が天降りなられた時に、自分の治めていた国土をこころよくお譲りになったので、天照大神大国主命が二心のないことを非常にお喜びになって、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の御子の中で一番みめ美しい三穂津姫命を大后(おおきさき)とお定めになりました。

そこで、大国主命は三穂津彦命と改名されて、二柱の神はそろって羽車に乗り新婚旅行に景勝の地、海陸要衝三保の浦に降臨されて、我が国土の隆昌と、皇室の弥栄とを守るため三保の神奈備(かむなび)天神の森(現御社殿200メートルほど離れた地)に鎮座されました。

 

この由来書きには、羽車に乗り新婚旅行に行ったと記されていますが、この解釈はちょっと違うのではないかと思います。

 

史上初めて新婚旅行をしたのは、坂本龍馬と云われています。そして、古史古伝の原文をつぶさに見ていくと、少し違う解釈が浮かび上がってきたのです。

 


日本書記巻二

高皇産霊尊の勅に日く、今吾女三穂津姫命を以て、汝に配(あわ)せて妻とせむ、宣しく八十萬神(やそよろずのかみ)等を卒(ひき)いて皇孫の為(た)めに護り奉れ、乃(すなは)ち遷(かえ〕り降らしむ」云々とあり。

 

解釈

高皇産霊尊は大物主 (大己貴命) に対して詔を下します。「我が皇女三穂津姫命を妻とせよ。一族の者達を引き連れて皇孫(瓊瓊杵尊)のため、木花咲耶姫を護りながら富士高天原に参上せよ。参内後には高天原に止まらずすぐに還ってきなさい」

 

三穂津姫命は、日向の卑弥呼の養女となった三穂津姫命 (木花咲耶姫多紀理毘売命・マグダラノマリア) になります。

 

高皇産霊尊 (たかみむすび) は、第72代目ウガヤフキアエズであり卑弥呼の元夫にあたります。素戔嗚尊に嫁ぐ前の夫です。記紀では、伊弉諾尊とも記されています。

 

大年神の后に伊怒比売 (いのひめ) がいます。伊怒比売は、神活須毘神 (かむいくすび) の娘とされています。神活須毘神は、神皇産霊尊 (かみむすび) になります。(注1)

 

高皇産霊尊神皇産霊尊は、アマカミと后の称号です。ですから、神皇産霊尊は日向の女王卑弥呼になります。つまり、三穂津姫命は神皇産霊尊の養女多紀理毘売命ということです。

 

皇孫 (瓊瓊杵尊) の名が出てくるのは、三穂津姫命は皇孫 (瓊瓊杵尊) の妃アシツヒメ (木花咲耶姫) の転生者であると解っていたためでしょう。

 

それは、卑弥呼が人の過去生を読むことが出来たためです。そして、三穂津姫命は日向では木花咲耶姫と呼ばれていたのです。

 

注1:大年神

 

 

日本惣国風土記

大己貴命天上(あめ)に登り順う可き条々を奏(もう)し、天之日鷲大羽鷲羽車に乗り三保の御崎(みさき)に休み給う云々」

 

解釈

大己貴命は、富士高天原に参内し、大王月夜見尊に対して従うべき条項を申し上げました。そののち、忌部氏と磯部氏の一族を従え、輿に乗り三保の御崎に上陸し休息を取りました。

 

富士高天原の大王は月王家の月夜見尊です。太陽王家の末裔であるウガヤフキアエズ王朝のアマカミは、代替わりの都度、富士高天原に参内することになっていました。

 

大己貴命は、出雲と日向の大王 大国主に就任したため、富士高天原に参内する事と成ったのでしょう。

 

美保へは船で移動したと考えられますが、陸上では大己貴命木花咲耶姫は、輿に乗り運ばれていたのかもしれません。

 

ここで、解釈上の問題となるのが「天之日鷲大羽鷲羽車」です。この言葉を次のように解釈しました。

 

天之日鷲

天之日鷲の一族 阿波の開拓を行っていた忌部氏と判断。忌部氏は、祭祀系の一族であり、イエスとともに回帰してきたレビ族であり秦氏一族。

 

大羽

三重県に大羽の地名が多いことから、伊勢の磯部氏と判断。磯部氏も秦氏一族になります。

 

羽車

神体・経典などを移すときに使う輿 (こし) 。天の羽車。御羽車 (おはぐるま) 。

 

忌部氏も磯部氏も、イエスとともに日本に回帰してきたツキヨミの末裔であり、秦氏の一族だと観ています。

 

 

旧事記

大己貴命天の羽車大鷲に乗り妻妾(つま)を覚(もと)む」

 

解釈

大己貴命は、磯部氏一族の輿に乗り妻を求めた。

大鷲を大羽と判断しました。

 

(注1)御穂神社

fuuinnkekkai.hatenablog.com

駿河国の開拓

大己貴命は、富士高天原の大王月夜見尊から、駿河の国の開拓を申し付かったのでしょう。三保に上陸した後、しばらくこの地に留まっているのです。

 

この地での拠点を賎機山の麓、いまの静岡浅間神社のある場所に設けていたのでしょう。しかし、他の地域に比べて、大国主饒速日の伝承が少なすぎるのです。意図的に消されているのかもしれません。

 

饒速日が東日本を統一したのですが、これほどの大事業を一人で行なえるはずもありません。駿河国と伊豆諸島の開拓の頃から、富士高天原大山祇命の一族が関わっていたのではないでしょうか。

 

静岡浅間神社の賎機山の山上には、麓山神社 (はやまじんじゃ) があります。祭神に大山祇命日本武尊が配祀されています。

 

そして、賎機山の麓には大己貴命を祀る神部神社 (かんべじんじゃ) と木花咲耶姫を祀る浅間神社 (あさまじんじゃ) 、そして神大市比売を祀る大歳御祖神社 (おおとしみおやじんじゃ)があります。

 

 大歳御祖神社は、かつて大歳御祖皇大神神社と称し、大年御祖皇大神 (饒速日) を祀っていたと云われています。

 

市内には、神大市比売 (かむおおいちひめ) を瀬織津姫として素戔嗚尊と共に祭る神社が6社あります。(注1)このことから、神大市比売駿河国の開拓に関係していたのではないかと思われるのです。

 

富士高天原大山祇命の一族はツキヨミの末裔です。そして、(仮)香久山王朝の瀬織津姫 (神大市比売:宇迦之御魂神) も同族になります。

 

大己貴命木花咲耶姫も、回帰系のツキヨミの一族になります。

 

神大市比売は、ツキヨミの后桜田媛の転生者であり、月王家の初代大王 月読尊です。そして、素戔嗚尊はツキヨミの転生者になります。

 

こうしたことも、富士高天原の人々は知っていたのではないでしょうか。それゆえ、ともに東海と関東の開拓に乗り出したのではないだろうか。

 

白鬚神社と猿田彦

第73世武内宿禰 竹内睦泰氏によれば、猿田彦 (さるたひこ) は、イエス・キリストなのだそうです。

 

猿田彦命 (さるたひこのみこと:猿田彦大神) を祀る神社に白鬚神社があります。総本社は滋賀県高島市鵜川の白鬚神社になります。(注2)

 

静岡市内には白鬚神社が58社あります。駿河区葵区の安倍川と清水区興津川沿いに下流域から上流域に至るまで、そこかしこに有るのです。

 

白鬚神社は、全国に300社ほどあるそうなのですが、静岡市内だけで58社もあるのは驚きです。

 

ご祭神は猿田彦から随分と替えられています。武内宿禰を祀る神社が多いです。しかし、瀬織津姫を祀る神社も2社あります。ここにも、武内宿禰が祀られています。(注3)

 

静岡市葵区七間町には別雷 (わけいかづち) 神社があります。ご祭神は、別雷神と玉依比売命です。別雷神は、饒速日であり玉依比売命瀬織津姫 (宇迦之御魂神) です。

 

社伝には、応神天皇4年の創建で古くは大歳御祖皇大神を祀り、後に別雷神社と改称したとあります。

 

別雷神社では年に一度、葵祭前夜祭として猿田彦巡行を行っています。別雷神は猿田彦だからです。(注4)

 

静岡市の白鬚神社を全て回ろうとした方がいらっしゃいます。ご紹介しておきます。(注5)

 

注1:神大市比売を祀る神社

 

注2:白鬚神社

 

注3:瀬織津姫を祀る白鬚神社

白鬚神社(松富上組) 

 ご祭神

 竹内宿禰

 品陀和気命

 須佐之男

 菅原道真

 瀬織津姫

 

白鬚神社(与一)

 ご祭神

 竹内宿禰

 瀬織津姫

 

注4:猿田彦巡行

ameblo.jp

 

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注5:参考ブログ

yoshikawahiko.hatenablog.com

 

第二の大和

出雲の国譲りののち、建御名方命 (たけみなかたのみこと) の信濃国の開拓と同様に、駿河国でも第二の大和といえる国造りが行われていたのではないだろうか。大和は、(仮)香久山王朝のことです。

 

二朝分裂時代が終わり、内陣としての(仮)香久山王朝はその役目を終えたわけですから、大和から富士高天原に近い駿河国へと移住していったのかもしれません。

 

大国主は、富士高天原王朝の協力の元、駿河国に最先端技術を投入した実験都市を築いたのではないでしょうか。この実験都市の成果を元にして、東海地方と関東地方の開拓を進めたのではないだろうか。

 

しかし後の時代に、この都市に流れる大地のエネルギーを阻害する封印結界が施されてしまうのです。それは、富士山のエネルギーを奈良京都に引き込むための仕組みの一環として行われたのです。

畿内には逆五芒星結界があります。富士山のエネルギーを取り込み、中心地である平城京に大地のエネルギーを集めるための巨大な複合三角陣結界によるエネルギー循環の仕組みです。

 

機内逆五芒星結界

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畿内逆五芒星結界

 

畿内にある逆五芒星結界は、大地の気のエネルギーを中心に当たる平城京に集める仕掛けになっています。

 

五つの神社で構成されていますが、この結界には三つの神社を結ぶ二等辺三角形の三角陣結界が五つあるのです。

 

二等辺三角形の底辺に位置する二つの神社からの大地の気のエネルギーが、外心から重心へ、そして三角形の頂点にあたる垂心へと流れる仕組みになっているのです。

 

この重心に当たる位置に平城京が置かれているのです。この形であれば、五つの二等辺三角形の重心がすべて一致しているのです。

 

また、逆五芒星の底辺に当たる二つの神社を結ぶ線の延長上には、富士山山頂と出雲大社があります。富士山からの大地のエネルギーを逆五芒星結界に引き入れる仕組みとなっているのです。

 

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今現在、静岡県にある複合神社三角陣封印結界の封印が解かれているため、富士山からの気のエネルギーは静岡市内へと集中する仕組みとなっています。

 

複合神社三角陣結界は、それだけ強力な仕掛けなのです。三四五の三角陣を組み合わせ、複合結界内を大地の気のエネルギーが循環する仕組みとなっているからです。

 

富士山の地下には、何かしらの巨大な装置が埋め込まれていると云われています。この装置が起動すると、人類意識の量子的飛躍が始まるのかもしれません。

 

この装置は、ツクヨミの巫女の装置と呼ぶのだそうです。月の一族が古代より守り抜いてきた装置なのだそうです。(注1)

 

注1:ツクヨミの巫女の装置

 

天皇皇后の系譜

新たに出来た統一王朝は、ヤマト王権磯城王朝の統一王朝葛城王朝だと推定しました。

 

葛城王

 磯城王朝:祭祀王系王朝

 ヤマト王権:統治王系王朝

 

磯城王朝は祭祀王が治める王朝であり、その世襲名を瀬織津姫として、王配の世襲名が饒速日だったと推測しています。

 

磯城王朝

 初代祭祀王 (瀬織津姫):大国御魂神

 王配 (饒速日):天日方奇日方命 (大香山戸臣神)

 

ヤマト王権の后には代々饒速日の末裔である磯城氏と関連士族の女性が就任しています。

 

初代神武天皇の后となられたのが、饒速日の末子御年神 (みとし) でした。二代目綏靖天皇の后になられたのが御年神の妹の五十鈴依姫命 (いすずよりひめのみこと) になります。

 

御年神の別名は姫踏韛五十鈴姫命 (ひめたたらいすずひめのみこと)です。

 

五十鈴依姫命は記紀大年神の系譜には出てきませんが、先代旧事本紀の地祇本紀に都味歯八重事代主神 (つみはやえことしろぬしのかみ)と活玉依姫 (いくたまよりひめ) の系譜に出てきます。

 

都味歯八重事代主神 (饒速日)

后:活玉依姫 (瀬織津姫・宇迦之御魂神 )

皇子:天日方奇日方命 (あめのひがたくしひがたのみこと、阿田都久志尼命)

    = 大香山戸臣神 (おほかぐやまとみ)

皇女:姫踏韛五十鈴姫命 (ひめたたらいすずひめのみこと)

    =御年神 (みとし)

   五十鈴依姫命 (いすずよりひめのみこと) 

 

整理しておきます。

 

神武天皇の皇后:姫踏韛五十鈴姫命 (御年神)

綏靖天皇の皇后:五十鈴依姫命

 

第3代天皇 安寧の皇后は、磯城王朝の祭祀王 大国御魂神 (おおくにみたまのかみ) と王配の大香山戸臣神 (おほかぐやまとみのかみ) の皇女渟中底姫命 (ぬなそこひめのみこと) になります。

 

天日方奇日方命 (大香山戸臣神:鴨王)

后:日向賀牟度美良姫 (ひむかのかむとみらひめ)

   = 大国御魂神 (おおくにみたまのかみ)

皇子:健飯勝命(たけいいかつのみこと)

   三輪氏・賀茂氏の祖

皇女:渟中底姫命 (ぬなそこひめのみこと)

   安寧天皇 (第3代天皇) の皇后

 

初代天皇から第九代開化天皇までの皇后は、おおむね饒速日の子孫だといえます。

 

第一代天皇

 神武天皇 (じんむてんのう)

 皇后:姫踏韛五十鈴姫命 (御年神)

 

第二代天皇

 綏靖天皇 (すいぜいてんのう)

 皇后:五十鈴依姫命

 

第三代天皇

 安寧天皇 (あんねいてんのう)

 皇后:渟中底姫命 (ぬなそこひめ)

 

第四代天皇

 懿徳天皇 (いとくてんのう)

 皇后:天豊津媛命 (あまとよつひめのみこと)

  息石耳命 (おきそみみのみこと) の娘

   第3代安寧天皇の第一皇子

 

第五代天皇

 孝昭天皇 (こうしょうてんのう)

 皇后:世襲足媛 (よそたらしひめ)

  尾張連の祖・瀛津世襲の妹である世襲足媛:『日本書紀

  磯城県主葉江の娘である渟名城津媛:『日本書紀』第1の一書

  倭國豊秋狭太媛の娘である大井媛:『日本書紀』第2の一書

 

第六代天皇

 孝安天皇 (こうあんてんのう)

 皇后:押媛 (おしひめ)

  天足彦国押人の娘かつ孝安天皇の姪

  磯城県主葉江の娘である長媛:『日本書紀』第1の一書

  十市県主五十坂彦の娘である五十坂媛:『日本書紀』第2の一書

 

第七代天皇

 孝霊天皇 (こうれいてんのう)

 皇后:細媛命

  磯城県主 (または十市県主) 大目の娘の

 妃:春日千乳

    早山香媛

    倭国香媛

    皇女:倭迹迹日百襲姫命

 

第八代天皇

 孝元天皇 (こうげんてんのう)

 皇后:欝色謎命 (うつしこめのみこと)

  父方の祖父:出石心大臣命(饒速日命の3世孫乃至4世孫)

 

第九代天皇

 開化天皇 (かいかてんのう)

 皇后:伊香色謎命 (いかがしこめのみこと)

  孝元天皇の妃

  父方の祖父:大矢口宿禰命(饒速日命の4世孫乃至5世孫) 

 

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