グリモワール
五度の岩戸閉め
第五巻 地つ巻 第十帖(一四七)
何事も方便と申して自分勝手なことばかり申しているが、方便と申すもの⦿の国には無いのざぞ。まことがことぞ、まのことぞ、言霊(ことだま)ぞ。これまでは方便と申して逃げられたが、もはや逃げること出来ないぞ、方便の人々、早う心洗いてくれよ、方便の世は済みたのざぞ、今でも仏の世と思うているとビックリがでるぞ、⦿の国、元の⦿がスッカリ現われて富士の高嶺(たかね)から天地(あめつち)へ祝詞するぞ、岩戸閉める御役になるなよ。九月の二十日、ひつ九のか三。
第七巻 日の出の巻 第一帖 (二一四)
春とならば萌(も)え出(い)づるのざぞ、草木ばかりでないぞ、何もかも もえ出(で)るのぞ、この方(ほう)の申すこと 譬(たとえ)でないと申してあろが、少しはわかりたか。石物言う時来たぞ、この道早く知らしてくれよ、岩戸は五回閉められているのざぞ、那岐(なぎ)、那美(なみ)の時、天照大神(あまてらすおおかみ)の時、神武天皇の時、仏(ほとけ)来た時と、大切なのは素戔嗚(すさなる)の神様に罪着せした時、その五度(たび)の岩戸閉めであるから、この度の岩戸開きはなかなかに大層ぞと申すのぞ。いよいよ厳しくなってきたが、これからが正念場ざぞ、否(いや)でも応でも裸にならなならんぞ、裸ほど結構なものないことだんだんわかりて来るぞ。十二月一日、一二⦿。
第八巻 磐戸の巻 第十八帖(二五四)
今度の御用は世に落ちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、⦿も長らく世に落ちて苦労に苦労かさねていたのざが、時節到来して、天晴(あっぱ)れ世に出て来たのざぞ、因縁の身魂、世に落ているぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第でその時から善き方にまわしてやるぞ。改心と申して、人間の前で懺悔(ざんげ)するのは(神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは)⦿傷つけることになると心得よ、⦿の御前(みまえ)にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、善き言霊(ことだま)のれよ、言(こと)高くあげよ、富士晴れるまでコト言高くあげてくれよ、そのコトに⦿うつりて、どんな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残るようにしてやるぞ。この仕組わかりたら上の臣民、逆立ちしてお詫びに来るなれど、その時ではもう間に合わんから、くどう気つけているのざぞ。臣民、可愛いから嫌がられても、この方申すのざ。
悪と思うことに善あり、善と思うことも悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になっているのざからマコトの⦿さえ悪に巻込まれて御座るほど、知らず知らずに悪になりているのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度(ごたび)の岩戸閉めざから見当とれん、臣民にわからんのは無理ないなれど、それわかりてもらわんと、結構な御用つとまらんのざぞ、時が来たら、吾(われ)が吾の口で吾が白状するようになりて来るぞ。⦿の臣民、恥ずかしないようにしてくれよ、臣民恥ずかしことは、⦿恥ずかしのざぞ。愈々善と悪の変わり目であるから、悪神(あくがみ)暴れるから巻込まれぬように褌(ふんどし)締めて、この神示読んで、⦿の心汲み取って御用大切になされよ。一月十四日、⦿の一二のか三。
第二十巻 梅の巻 第十一帖(四三八)
日本の上に立つ者に外国の教え伝えて外国魂に致したのは、今に始まったことではないぞ、外国の性根(しょうね)入れたのが岩戸閉めであるぞ、五度(ごたび)ざぞ、わかりたか。それを元に戻すのであるから今度の御用中々であるぞ、中つ枝(え)からの神々様にはわからんことざぞと申してあることもガッテン出来るであろがな。
この神示肚に入れておれば、どんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、ソレ出たとすぐわかるから、胴すわっているから何事も結構にお蔭頂くのぞ。死ぬ時は死んだがよく、遊ぶ時には遊べ遊べ、嬉し嬉しざぞ。十一月十六日、ひつ九のか三。
五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第五帖
八塩路(やしおじ)の塩(しお)の八百会母(やほあい)いますくに。天の声あるぞ、地の声あるぞ、和して十の日月地と現われるぞ、五十人の仁人が出て来るぞ、仁人とは神人(かみひと)のこと、この仁人が救世主であるぞ、救世主は一人でないぞ。各々の民族に現われて五十人であるなれど、五十という数に囚(とら)われるなよ、五十人で一人であるぞ、数に囚われると、わからんことになり、岩戸閉めとなるから気つけおくぞ。
五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十帖
岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐:イザナギ)ナミ(伊邪那美:イザナミ)の命(ミコト)の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国(よみのくに)に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのであるぞ。一(ひと)ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思えばだんだんにわかりてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのである道理、わかるであろうがな。その後、独(ひと)り神(がみ)となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申すまでもないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給うたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引(ちび)きの岩戸をひらかれて相抱(あいいだ)き給う時節来たのであるぞ、嬉(うれ)し嬉しの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現われて来るのざぞ、名は同じでも、働きは逆なのであるぞ、この二つが揃うて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を共に開かんと申してあろうがな。
次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、騙(だま)した岩戸からは騙した神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃(そろ)うてお出まし近うなって来たぞ。
次の岩戸閉めは素盞鳴命(スサナルノミコト)にすべての罪をきせて根(ね)の国に追いやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治(しろ)しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天ヶ下は重きものの積もりて固まりたものであるから罪と見えるのであって、よろづの天の神々が積(つ)もる(という)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ、命(ミコト)を荒ぶる神なりと申して伝えているなれど、荒ぶる神とは粗暴な神ではないぞ、暴れ廻り、壊し廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違いしていて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治(し)らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命(ミコト)にも二通りあるぞ、一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、間違えてはならんことぞ。
神武天皇の岩戸閉めは、御自(おんみずか)ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸に隠して神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレヒコノミコト)として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。
仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が射していたのであるなれど、仏教と共に仏魔渡り来て、完全に岩戸が閉められて、暗闇の世となったのであるぞ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。
五十黙示録 第五巻 極め之巻 第一帖
宇都志(うつし)水に天津(あまつ)水添え奉(たてまつ)らむを。夕陽(ゆうひ)より朝日照るまで太祝詞(うとのりと)せむ。火結神(ほむすび)の陰(みほと)焼かれて岩戸閉ざしき。世界を一つにするのであるから王は一人でよいぞ、動きは二つ三つとなるのぢゃ、キはキのうごき、ミはミのうごき、動いて和してキミと動くのぢゃ。三が道ぞと知らしてあろう、自他の境界つくるでないぞ、自(おの)ずから自他の別と和が生れてお互に折り重なって栄えるのぢゃ、世界一家への歩み方、やり方間違えるでないぞ。九分九厘まで進まねば後の一厘はわからん、今が九分九厘であるぞ、日本は日本、世界は世界、日本は世界のカタ国、自ずから相違あるぞ。
五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第八帖
ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、火の神を生み給いてナミの神は去りましたのであるぞ。物質偏重(へんちょう)の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給い、妻神を訪れ給い、相談されたのであるなれど、話が途中からコジレて遂に別々に住み給うこととなり、コトドを見立てられて千引(ちびき)の岩戸を閉め、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ。
騙した岩戸と騙した神
第二十巻 梅の巻 第十三帖(四四〇)
天(あめ)の岩戸ばかりでないぞ、地(くに)の岩戸臣民の手で開かなならんぞ、マコト一つで開くのぢゃぞ、マコトの手力男(たぢからお)の⦿(かみ)、マコトの宇受女(うずめ)命(みこと)殿、御用結構ぞ。騙(だま)した岩戸開きでは騙した⦿様お出ましざぞ、この道理わからんか、取違い禁物ぞ、生れ赤子の心になればわかるのぢゃぞ。今の臣民お日様明るいと思うているが、お日様、マコトの世のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれまいがな。見て御座れ、見事な世と致して御目にかけるぞ。
神示読みて聞かせてやれよ、嫌な顔する人民後わましぢゃ、飛び付く人民 縁あるのぢゃ、早う読み聞かす神示より分けておいて下されよ、間に合わんぞ、御無礼ないように致し下されよ。十一月十七日、一二のか三。
第八巻 磐戸の巻 第十五帖(二五一)
この方(ほう)の道、悪きと思うなら、出て御座れ、善きか悪きか、ハッキリと得心(とくしん)ゆくまで見せてやるぞ。何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、役員気つけてくれよ。皆和合してくれよ。悪き言葉、息吹がこの方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコトわからんぞ、欲は要らぬぞ、欲出したら曇るぞ。盲人になるぞ、お詫びすれば赦(ゆる)してやるぞ、天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。病治してやるぞ、⦿息吹つくりてやれよ、⦿息吹とは一二三書いた紙、神前に供えてから分けてやるもののことざぞ。腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、善も悪もわかからん世、闇の世と申すぞ。
天照皇太神宮(てんしょうこうたいじんぐう)様の岩戸開きは、騙(だま)した、間違いの岩戸開き(ぞ、無理にあけた岩戸開き)ざから、開いた⦿⦿(かみがみ)様に大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、⦿には分け隔(へだ)てないのざぞ、今度の岩戸開きはちっとも間違いない、混じり気のない、マコトの⦿の息吹で開くのざぞ。混じりありたら、濁り少しでもありたら、またやり直しせなならんから くどう気つけているのざぞ。いつまでも変わらんマコトで開くのざぞ。一月十四日、旧十一月三十日、⦿の一二⦿。
第二十二巻 青葉の巻 第十四帖(四八三)
今の世は頭と尻尾ばかり、肝腎(かんじん)の胴体ないから力出ないぞ。従う所へは従わなならんのざぞ、と申してあろ、時節に従って負けて勝つのざぞ、負けが勝ちぞ、わかりたか。お詑びすれば誰によらん、許してよき方にまわしてやるぞ、口先ばかりでなく心からのお詑び、結構致しくれよ。
騙(だま)した岩戸からは騙(だま)した神お出でましぞ、と申してくどう知らしてあろがな、騙(だま)して無理に引っ張り出して無理するのが無理ぞと申すのぞ、無理は闇となるのざぞ、それで嘘の世、闇の世となって、続いてこの世の苦しみとなって来たのざぞ、こうなることはこの世の始からわかっていての仕組、心配せずに、この方に任せおけ任せおけ。八月四日、一二⦿。
第二十三巻 海の巻 第十一帖(五〇三)
騙(だま)した岩戸からは騙(だま)した⦿が出て、嘘の世となったのぢゃ、この道理わかるであろう、偽⦿(にせがみ)やら、騙(だま)した⦿やら、次々に五度(ごたび)の岩戸閉めと申してあろが、丹波はタニワ、タニワとは日の本の国ぞ、(世界のことぞ、丹波とは丹波一とは、)世界の中心ということぞ、⦿の本ということぞ、キミの国ざぞ、扶桑の国ざぞ、地場ざぞ、わかりたか。地場を固めなならんぞ、五十鈴(いすず)の川は六(むつ)の川、和合の川ぞ。社殿(やしろ)は八方(はちほう)に開く時来たら八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、マコトの八尋殿。何もわからん無茶苦茶者が、偉そうな名の⦿憑(かみが)かりして、何も知らん人民をたぶらかしているが、今に尻尾を出して来るぞ、尻尾つかまらんうちに改心して⦿の道に従って来いよ。八月二十三日、一二⦿。
ブログランキングに参加しています。記事を気に入ってくださいましたら、「ポチッ」とお願い致します。皆さまの応援が励みになります。

