ののの備忘録

『日月神示』の解読から始まる古の神々さまの封印解除と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。

日月神示用語集:岩戸5:岩戸開きの御用

 グリモワール

 

第一巻 上つ巻 第二帖 (二)

 

 親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるに、苦に負けてよくもここまでおちぶれてしもうたな。鼠(ねずみ)でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さえわからぬほどに、よくも曇りなされたな、それでも⦿の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うておれ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんように、人のため国のため働けよ、それがまことの⦿の臣民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民沢山ある。早く⦿の神の申す通りにせねば、世界を泥で海にせねばならぬから、早う⦿神心になりてくれよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて、何処へ行くつもりやら、気のついた人から、まことの神の要れものになりてくれよ。悪の楽しみは先に行くほど苦しくなるから、初めは辛いなれど、先を楽しみに辛抱してくれよ。配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は⦿の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は⦿の心ぞ。いざ人の知恵で一つでも善きことしたか、何もかも出来損ないばかり、にっちもさっちもならんことにしていても、まだ気がつかん、盲には困る困る。救わねばならず、助かる臣民はなく、泥の海にするは易(やす)いなれど、それでは⦿の神様に済まず、これだけにことわかけて知らしてあるに、聞かねばまだまだ痛い目を見せねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。⦿の国を八つに切って殺す悪の計画、⦿の国にも外国の臣(しん)がおり、外国にも⦿の子がいる。岩戸が開けたら人にわかる。六月の十日、書は、いつくのか三。てんめ御苦労ぞ。

 

第一巻 上つ巻 第二十帖(二〇)

 

 ⦿がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬはずぞと申す者沢山あるが、筈には人の言う善も悪もないものぞ。よく心に考えて見よ、何もかもわかりて来るぞ。表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろうが、一枚の紙にも裏表、ちと誤まればわからんことになるぞ、⦿心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ、そこの道理わからずに理屈ばかり申しているが、理屈のない世に、⦿の世にして見せるぞ。言挙(ことあ)げせぬ国とはそのことぞ、理屈は外国のやり方、⦿の臣民言挙げずに、理屈なくして何もかもわかるぞ、それが⦿の真の民ぞ。足許(あしもと)から鳥が立つぞ、鳥立ちてあわてても何にもならんぞ、用意なされよ、上下にグレンと引っくり返るぞ。上の者下に、落ちぶれた民 上になるぞ、岩戸開けるぞ、夜明け近づいたから、早う身魂の洗濯してくれよ、⦿の申すこと千に一つも違わんぞ。六月二十七日、ひつくのか三。

 

第一巻 上つ巻 第三十二帖(三二)

 

 世の元からヒツグとミツグとあるぞ、ヒツグは⦿の系統ぞ、ミツグは〇の系統ぞ。ヒツグはマコトの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。⦿と〇と結びて一二三(ひふみ)となるのざから、外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあろうがな。一二三唱えて岩戸開くぞ。神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベであるから、間違わんようにしてくれよ。ひみつの仕組とは一二三の仕組ざ、早う一二三唱えてくれよ、一二三唱えると岩戸開くぞ。七月の二の日、ひつくのか三。

 

第二巻 下つ巻 第十三帖(五五)

 

 逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で、手で歩くのは苦しかろうがな、上にいては足も苦しかろうがな、上下逆様(さかさま)と申してあるが、これでよくわかるであろう、足はやはり下の方が気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理わかりたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。

 三(ミチ)の役員は別として、あとの役員の御役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。人の姿見て、役員よく神の心悟れよ、もの動かすのは人のような組織でないと出来ぬぞ。この道の役員は、己が自分で自(おの)ずからなるのぞ、それが神の心ぞ。人の心と行いと⦿の心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ、この道理わかりたか。

 この道は神の道ざから、神心になるとすぐわかるぞ、金銀要らぬ世となるぞ。御用嬉しくなりたら神の心に近づいたぞ、手は手の役、嬉しかろうがな、足は足の役、嬉しかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ、逆立していたからよくわかりたであろうがな。

 いよいよ世の終りが来たから役員気つけてくれよ。神代近づいて嬉しいぞよ。日本は別として、世界七つに分けるぞ、今にわかりて来るから、静かに神の申すこと聞いておりて下されよ。この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、わかりた臣民から御用つくりてくれよ、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめてくれよ。七月の十八日の夜、ひつくのか三。

 

第二巻 下つ巻 第十四帖(五六)

 

 臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。一二三(ひふみ )の仕組とは、永遠(とわ )に動かぬ道のことぞ。三四五(みよいづ )の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは、⦿の御代になることぞ、この世を⦿の国にねり上げることぞ、⦿祀りたら三四五の御用にかかるから、そのつもりで用意しておいてくれよ。
 この⦿は、世界中の神と臣民と、獣(けだもの)も草木も構わねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。神様と臣民、同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂磨いてくれよ、磨けただけの神をつけて、天晴(あっぱ)れ後の世に残る手柄立てさすぞ。

 小さいことはそれぞれの神に聞いてくれよ。一人ひとり、何でも聞きたいことや、病治すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告げ受けてくれよ、この方の家来の神が知らせるから、何でもきけよ。病も治してやるぞ、この神頼りたなら、身魂磨けただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。とんだところにとんだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけておれば、先のこともよくわかるようになるぞ。元の⦿代に返すと申すのは喩(たと)えでないぞ。

 七から八から九から十から神烈(はげ)しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな。それは逆立しているからぞ。世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたように、もうかなわんと言うところまでになるから、神はこの世におらんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたように見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねばわからんようでは御用出来んぞ。七月の二十日、ひつくのか三。

 

第二巻 下つ巻 第二十六帖(六七)

 

 今度の戦(いくさ)で何もかも埒(らち)ついてしまうように思うているが、それが大きな取違いぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つくくらいなら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも進むことも、どうすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものと言うようになるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣(けもの)とをハッキリするのはそれからぞ。

 戦出来る間はまだ⦿の申すこときかんぞ、戦出来ぬようになりて、始めてわかるのぞ、神の申すこと、ちっとも違わんぞ、間違いのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。⦿は気(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかということも、この神示(ふで)よく読めば分かるようにしてあるのぞ、改心が第一ぞ。七月の三十日、ひつくのか三のふで。

 

第九巻 キの巻 第十一帖(二六八)

 

 一二三(ひふみ)とは限りなき⦿の弥栄であるぞ、一(ひ)は始めなき始であるぞ、ケは終りなき終りであるぞ、⦿の能(はたらき)が一二三であるぞ、始なく終なく弥栄の中今(なかいま)ぞ。一二三は⦿の息吹であるぞ、一二三唱えよ、⦿人共に一二三唱えて岩戸開(ひら)けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食(お)せよ、始め一二三あり、一二三は⦿ぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓い清めぞ、祓い清めとは弥栄ぞ、⦿の息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。一(ひ)であるぞ、二(ふ)であるぞ、三(み)であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、@であるぞ、@であるぞ。皆の者に一二三唱えさせよ、五柱御働きぞ、八柱 十柱(はちはしらとはしら)御働きぞ、五十連(いつら)ぞ、イロハぞ、わかりたか。三月十四日、ひつ九ノか三。

 

第十巻 水の巻 第九帖 (二八三)

 

 富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開(ひら)けるぞ。お山開きまこと結構。松の国、松の御代(みよ)となるぞ。旧九月八日から大祓祝詞(おおはらいのりと)に天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞(ふとのりと)「一二三祝詞(ひふみのりと)コト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよ⦿(かみ)は⦿、獣(けもの)は獣となるぞ。江戸道場やめるでないぞ、お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。またつとめてよいぞ。メグリあるから心配あるのぞ。メグリ無くなれば心配無くなるぞ。心配無いのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ。日月の御民(みたみ)、いずれも富士晴れ心でおりて下されよ。肉体ちっとの間(ま)であるが、魂(たま)は限りなく栄えるのざぞ。金(きん)に難渋(なんじゅう)して負けぬようにして下されよ。金馬鹿にしてはならんぞ。焦るでないぞ。焦ると心配事出来るぞ。神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。細工(さいく)は流々(りゅうりゅう)、めったに間違いないのざぞ。見物して御座れ、見事して見せるぞ。不和(ふわ)の家、不和の国の捧げもの、神は要らんぞ。喜びの捧げもの、米一粒でもよいぞ。⦿は嬉しいぞ。旧九月八日、とどめぞ。六月二日、三の一二の⦿。

 

第十三巻 雨の巻 第四帖(三三八)

 

 世界の臣民、皆手引き合って行く時来たくらい、申さいでもわかっているであろうが、それでもまだまだ一(ひと)苦労二(ふた)苦労あるぞ、頭でわかっても肚(はら)でわからねば、本根(ほっこん)の改心出来ねばまだまだ辛(つら)い目に遭(あ)うのざぞ、人民 自分で首くくるようなことになるのざぞ、わかりたであろ。天の御三体(ごさんたい)の大神様と地(ち)の御土(おつち)の先祖様でないと、今度の根本の大立て替え出来んのざぞ、わかりてもなかなかわからんであろがな。洗濯足らんのであるぞ。今度はめんめにめんめの心改めて下されよ、⦿は改めてあるが、⦿から改めさすのでは人民可哀想なから、めんめめんめで改めて下されよ、改まっただけ お蔭(かげ)あるのざぞ。

 今度の岩戸開いたら末代(まつだい)のことざぞ、天地の違いに何事も違うのざぞ。信者引っ張りに行ってくれるなよ、皆⦿が引き寄せるから、役員の所へも引き寄せるから、訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばして帰してやれと申してあろうが、人民喜べば⦿嬉しきぞと申してあろうが、草木も喜ばしてやれよ、神示よく読めば、どうしたら草木動物喜ぶかということも知らしてあるのざぞ、今までの心大河(おおかわ)に流してしまえば何もかもよくわかって嬉し嬉しとなるのざぞ、まだまだ世界は日に日にせわしくなって、言うに言われんことになって来るのざから、表面(うわつら)ばかり見ているとわからんから、心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ.

 元のキの⦿の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子と、三つ揃ってしまはねばならんのぞ、アとヤとワと申してあろうが、だんだんにわかりて来るのざぞ。実地のことは実地の誠の生神(いきがみ)でないと出来はせんぞ、臣民はお手伝いぞ、雨風さえどうにもならんであろうが、生物何んで息しているか、それさえわからいでいて何でもわかっていると思っているが、鼻高(はなだか)ざと申すのぞ、今のうちに改心すれば、名は現わさずに許して善き方に廻してやるぞ、早う心改めよ。十月十六日、ひつ九のか三。

 

第十三巻 雨の巻 第十六帖(三五〇)

 

 この世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、⦿の世界も引っくるめて申しているのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇むところこの方力添え致すぞ。心配顔この方嫌いぞ、歌唄い下されよ、笑いて下されよ、笑えば岩戸開けるぞ。今の人民キリキリ舞いしながら まだキリキリ舞いするようもがいて御座るぞ。土に返ると申してあろうがな、早う気付いた臣民人民楽になるぞ。

 ⦿の守護と申すものは人民からはちっともわからんのであるぞ、わかるような守護は低い⦿の守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪⦿の守護でも大将の守護ともなれば人民にはわからんのざぞ、心せよ、どんなことあっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆人民の心からぞとくどう申してあろうがな、人民、キから起って来たのざぞ、我(われ)の難儀、我が作るのざぞ、我恨むよりほかないぞ、人民の心さえ定まったら、この方自(おの)ずから出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。

 この世の物一切⦿の物ということまだわからんのか、一切取り上げられてから成程(なるほど)なァとわかったのでは遅いから、嫌がられても、くどう同じようなこと申しているのざぞ、人民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理わかりたか、この方人民の中にいるのざぞ、言(こと)分けて申しているのざぞ。

 まだまだ大き戦烈(はげ)しきぞ、これで世良くなると思っていると大間違いとなるのざぞ、これからが褌(ふんどし)ざぞ、善き世となれば褌要らんのぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しいなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろうがな、何も彼も嬉し真(しん)から楽しき世ざぞよ。誠が⦿であるぞ、コトが⦿であるぞ、元であるぞ、道であるぞ、一であるぞ二であるぞ。始めコトありと申してあろうがな、キであるぞ、まつりであるぞ。十二月十九日、一二⦿。

 

第十四巻 風の巻 第十三帖(三六四)

 

 楽してよい御用しようと思うているのは悪の守護神に使われているのざぞ。人の殺し合いでこの世の立て替え出来ると思うているのも悪の守護神ぞ。肉体いくら滅ぼしても、善き世にならんぞ。魂(たま)は鉄砲では殺せんのざぞ。魂は他(ほか)の肉体に移りて目的立てるのざぞ、いくら外国人殺しても、日本人殺しても、善き世は来ないぞ。今までのやり方、スクリ変えて、⦿の申すようにするより他に道ないのぞ。このたびの岩戸開きはなかなかぞと申してあろうが、見て御座れ、善一筋の与える政治で、見事立て替えてみせるぞ。

 和合せんとマコトのお蔭やれんぞ、一家揃うたらどんなお蔭でもやるぞ。一国そろたらどんな神徳(しんとく)でもやるぞ、自(おの)ずから頂けるのざぞ。⦿要らん世に致してくれよ。二月の十六日、ひつ九か三。

 

第十五巻 岩の巻 第五帖(三七〇)

 

 人民、目の先見えんから、疑りも無理ないなれど、身魂磨けばよくわかるのぢゃ、ついて御座れ、手引っ張ってやるぞ。誠の道行くだけではまだ足らんぞ。心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんと⦿の仕組遅れると申してあろうがな、早くなったところもあるなれど、遅れがちぢゃぞ。

 苦労、苦労と申しても、悪い苦労気の毒ざぞ、善き苦労花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民苦しみさえすればよいように早合点しているなれど、それは大間違いざぞ。⦿の道 無理ないと、くどう申してあろうがな。この道理よく噛み分けて下されよ。

 ⦿の国は元のキの国、外国とは、幽界(がいこく)とは生れが違うのぢゃ。⦿の国であるのに人民 近慾(ちかよく)なから、渡りて来られんものが渡り来て、ワヤに致してしもうているのに、まだ近慾ざから、近慾ばかり申しているから、あまりわからねばわかるように致すぞ。目の玉飛び出すぞ。

 近くは仏(ぶつ)渡り来て、わからんことにされているであろうがな。五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあろうが、生れ赤児(あかご)の心で神示(ふで)読めと申してあろうがな。二月十六日、ひつ九か三。

 

第十八巻 光りの巻 第六帖(四〇二)

 

 今に世界の臣民人民 誰にもわからんようになりて、上(あ)げ下(お)ろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやっているのでないのざということハッキリして来るのざぞ。何処(どこ)の国、どんな人民も成程(なるほど)ナアと得心(とくしん)のゆくまで揺すぶるのであるぞ。

 今度は根本の天の御先祖様の御霊統(ごれいとう)と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ⦿国とユダヤ⦿国と一つになりなされて、末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代(みよ)ぞ楽しけれ、楽しけれ。

 悪い者殺してしもうて善い者ばかりにすれば、善き世が来るとでも思うているのか、肉体いくら殺しても魂、霊(れい)までは、人民の力ではどうにもならんであろうがな。元の霊まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ、元の霊に改心させず、肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ、それくらい わかっておろうが、わかりていながら、ほかに道ないと、仕方ないと手つけずにいるが、悪に魅入(みい)られているのぢゃぞ。

 悪は改心早いぞ、悪⦿(あくがみ)も助けなならんぞ、霊から改心させなならんぞ、善も悪も一つぢゃ、魂(たま)も身も一つぢゃ、天地(あめつち)ぢゃとくどう知らしてあろうが。どんなよいこと喜ばして読ましても、聞かせても、今の臣民人民 なかなか言うこときかんものぢゃぞ。この道に縁(ゆかり)ある者だけで型出せよ、カタでよいのぢゃぞ。天明は神示(ふで)書かす御役ぢゃぞ。六月三十日、一二の⦿。

 

第十八巻 光りの巻 第八帖(四〇四)

 

 何によらず不足ありたら、⦿の前に来て不足申して、心カラリと晴らされよ、どんなことでも聞くだけは聞いてやるぞ、不足あると曇り出るぞ、曇り出ると身魂曇るから、身魂苦しくなりて天地曇るから、遠慮いらん、この方(ほう)に不足申せよ、この方親であるから、不足一応は聞いてやるぞ。気晴らしてカラリとなって天地に働けよ、心の富士晴れるぞ、はじめの岩戸開けるぞ。

 早呑(の)み込み大怪我の元、じっくりと繰り返し繰り返し神示(ふで)読めよ、神示肚(はら)の肚に入れよ、神示が元ざぞ、今度は昔からの苦労のかたまり、生き魂(たま)でないと御用難しいぞ。世のたとえ出て来るぞ。⦿が人の口使うて言わせてあるのぢゃぞ。⦿国(かみくに)は神力(しんりき)受けねば立ちては行けんぞ、⦿なくして神力ないぞ、⦿なくなれば丸潰(まるつぶ)れざぞ。

 まわりに動く集団(まどい)早うつくれよ。数で決めようとするから数に引かれて悪となるのざ、数に引かれ困らんよう 気つけよ。この神示解くのはタマでないと、少しでも曇りあったら解けんぞ。悪に見せて善行わなならんことあるぞ。この行(ぎょう)なかなかざぞ。

 この世の鬼平らげるぞよ。鬼なき世となりけるのざぞ。わかりたか。キリスト教の取次(とりつぎ)さん、仏(ぶつ)の取次さん、今の内に改心結構ぞ、丸潰れ近づいて御座(ござ)るに気つかんのか。

 同じ名の⦿二つあるぞ。人民三つ四つにも拝んで御座るぞ、文(ふみ)出すもよいなれど、神示読むのが先ざぞ。⦿第一ざぞと申してあろうが。暫(しば)し待て。世界の文(ふみ)出す時来るぞ。アワのような今の文(ふみ)何にもならんぞ、時待てと申してあろうがな、この巻から謄写もならんぞ、時来るまで 写して皆に分け取らせよ。七月二十七日、ひつ九のか三。三年の立て替えぞ。

 

第十九巻 まつりの巻 第二十帖(四二四)

 

 ⦿⦿(かみがみ)様の大前に申し上げます。この度の岩戸開きの御神業に、なお一層の御活動願い上げます。大神様の大御心(おおみこころ)と御心(みこころ)併せなされ、いと高き神の能(はたらき)願い上げます。世界の民等(たみら)が日々(にちにち)犯しました罪、穢、過(あやまち)は、何卒神直日大直日(かむなおひおおなむひ)に見直し聞き直し下さいまして、この上ながらの御守護願い上げます。これは神々様への誓であるぞ。八月二十九日、一二の⦿。

 

第二十巻 梅の巻 第十八帖(四四五)

 

 自分で自分のしていることわかるまいがな、⦿がさしているのざから、人間の頭ではわからん、仕組通りに使われて身魂の掃除の程度に使われて、使い分けられているのぢゃぞ、早う人間心捨ててしもうて⦿の申す通りに従いて下されよ、それがお主の得と申すものぢゃぞ、一家の為(ため)ぞ、国のためぞ、世界の民の為ざぞ、天地の御(おん)為ざぞ。今までになかったこと今度はするのぢゃから合点(がってん)出来んも道理ぢゃ道理ぢゃ、始めは戦いで、戦(いくさ)で世の立て替えするつもりであったが、あまりに曇りひどいから、戦ばかりでは、隅々(すみずみ)までは掃除出来んから、世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、その掃除中々ぢゃから、戦ばかりでないぞ、家の中キチンと食べ物大切がカイの御用と申してあろうがな、今度の岩戸は、あけっぱなしぢゃ、褌(ふんどし)いらんと申してあろう。十二月四日、一二⦿。

 

第二十巻 梅の巻 第二十四帖(四五一)

 

 待てるだけ待っているが、世潰すわけには行かん、人民も磨けば⦿に御意見される程に身魂によってはなれるのざぞ、地(くに)の日月の⦿と栄えるのざぞ、何より身魂磨き結構。人気(にんき)悪いところほどメグリあるのざぞ、日本のやり方違うていたということ、五度(ごたび)違ったということわかって来ねば、日本の光出ないぞ。表面(うわべ)飾るな。コメも噛めば噛むほど味出て来るのが磨けた身魂。中味よくなって来ると表面飾らいでも光出て来るぞ。

 これまでの日本のやり方悪いから、⦿が時々⦿憑かりて知らしてやったであろうが、気つけてやったが気のつく臣民ほとんどないから、今度五度の岩戸一度に開いてびっくり箱開いて、天晴(あっぱ)れ⦿⦿(かみがみ)様に御(おん)目にかけ申すぞ、御喜び頂くのぢゃ。神示通り出て来ても、まだわからんか。神示は⦿の息吹きぢゃ。心ぢゃ。口上手、身振り上手でマコトない者この方嫌いぢゃぞ。とどめ⦿なり。先見えるぞ、先見んのは途中からの⦿ぢゃ。十二月十四日、ひつ九のか三しるす。

 

第二十三巻 海の巻 第四帖(四九六)

 

 出てきてからまた同じようなこと繰り返すぞ、今度は魂(たま)抜けているからグニャグニャぞ、グニャグニャ細工しか出来んぞ、それに迷うでないぞ。神示(ふで)が肚(はら)に入って血になると、何が起って来ても結構であるが、始のうちは、ちょっとのことで迷いの雲が出て、悪の虜(とりこ)となって苦しむぞ。悪は無いのであるが、無い悪を人民の心から生むのざぞ、悪の虜となって苦しむが見えているから、苦も結構なれど、いらん苦はいらんぞ、神示よく読んで苦を楽とせよ、楽は喜びぞ、苦の動くが楽ぞ、楽は喜びぞ、光ぞ、⦿人共のまつりぞ、楽で岩戸開けるぞ、苦しんで開く岩戸はマコトの岩戸でないぞ。八月十四日、ひつくのか三。

 

第二十四巻 黄金の巻 第十五帖(五二六)

 

 人から見てあれならばと言うようになれば、この方(ほう)の光出るぢゃ。行(ぎょう)出来ねばお出直し、お出直し多いなあ。独断役には立たんぞ。イワトびらきの九分九厘でひっくり返り、また九分九厘でひっくり返る。天明五十六才七ヵ月、ひらく。かのととり。一二十

 

第二十四巻 黄金の巻 第二十五帖(五三六)

 

 こんなになったのも この方等(ほうら)が我(が)が強過(つよす)ぎたからであるぞ。我出すなと申してあろう。この度のイワト開きに使う身魂(みたま)は、我の強い者ばかりが、めぐりだけのこと償(つぐな)って、償うことぞ。天地かまう神でも我出せんことであるぞ。神々様も懺悔(ざんげ)して御座るぞ。まして人民。てんΘかいしんまだまだのまだであるぞ。かのととりの日。一二十

 

五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第九帖

 

 九分行ったら一休みせよ、始めから終りまで休まずに行くと、今の人民では息切れ致すぞ、一休みして自分の来た道をふり返れよ。この世の世話をさすために、人民には肉体を与えてあるのぞ、活神(いきがみ)がしたのでは堪(こば)れんものが沢山に出て来るからぢゃ、立て替え、立て直し、一時に来ているから、我れ善しの人民にはわからんことになるぞ、この世の動きがわからんのは我れ善しざからぞ、今度の岩戸開きは五度の岩戸閉めを一度に開くのであるから、人民にはなかなかに理解出来んことに折り重なってくるから、何事も神の申す通りハイハイと素直にきくのが一等であるぞ。

 

五十黙示録 第三巻 星座之巻 第四帖

 

 人民もの言えんことになると申してありたこと近うなったぞ、手も足も出んこと近づいたぞ、神が致すのでない、人民自身で致すことわかりてくるぞ。人民の学や智では何とも判断出来んことになるぞ。右往左往(うおうさおう)しても、世界中かけ廻っても何もならんぞ、わからんでもわかりた顔せねばならん時が来たぞ、嘘の上ぬり御苦労ぞ、人民がいよいよお手上げということに、世界が行き詰りて神のハタラキが現れるのであるぞ、日本人びっくりぢゃ、日本人はいくらでも生み出されるが日本の国は出来まいがな、身体中、黄金(こがね)に光っているのが国常立大神(クニトコタチノオオカミ)の、ある活動の時の御姿ぞ、白金(しろがね)は豊雲野大神(トヨクモノオオカミ)であるぞ、今の科学ではわからん。一万年や三万年の人間の地上的学ではわからんこと、国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島であるぞ、わからんことがいよいよわからんことになったであろうが、元の元の元の神の申すことよく聞きわけなされよ、神の学でなければ今度の岩戸はひらけんぞ。

 

五十黙示録 第三巻 星座之巻 第二十三帖

 

 二二の二の五つの今あけて、よろづ因縁出づる時来ぬ。天の理が地に現われる時が岩戸あけぞ、日本の国が甘露台(かんろだい)ぢゃ。

 

五十黙示録 第四巻 龍音之巻 第一帖

 

 この巻「龍音の巻」、つづく巻五は「極(きわみ)の巻」、巻六は「至恩の巻」、巻七は「五葉の巻」ぞ。この五十(イセ)黙示の七巻は神、人共に与えたもの、一巻から続いたものぞ。同じ意を持つものが天国にもあるのであるぞ。合せて三十巻、これで岩戸までの神示の終りぞ、前に出した「黄金の巻」からの七巻は、人民に与えたものであるぞ。

 言(こと)やめて草の片葉(かきは)も陽にのび行かな。八十隈手(やそくまで)ゆ行きにし神は今かへります。素盞鳴(スサナル)の命(ミコト)しらせる海原(うなばら)ぞやよ。天ヶ下おつるくまなく照らす大神。高低(たかひき)の伊百理(いほり)かきわけきこし召(め)すらむ。罪という罪はあらじな神の子なれば。ひふみ百千万(ももちよろず)と咲(ゑ)ます元津(もとつ)太神。八十伴男百足(やそとものをももた)り足りて仕へまつらむ。行く水に清めて仕ふ極みの宮殿(みあらか)。言霊(ことたま)の栄(さか)ゆる御歌にはらひてましを。みそぎして祝ふ生命(いのち)ぞ弥栄ましませ。安国(やすくに)の瑞穂(みづほ)の国と御(しら)し給いぬ。八重雲(やえぐも)の十重(とえ)雲千別(ちわ)き天降(あも)りぬ。千木高知(ちぎたかし)り美頭(みづ)の御殿咲(みあらかゑ)み仕えなむ。許々太久(ここたく)の罪はあらじな大岩戸あく。四方(よも)の国咲(ゑ)み集(つど)うらし真中の国に。よきあしき皆はらいませ科戸(しなど)の風に。

 

五十黙示録 第五巻 極め之巻 第五帖

 

 つまらぬことに心を残すのは、つまらぬ霊界との縁(えにし)が残っていることぞ。早う岩戸を開いて富み栄えて下されよ、人民富み栄えることは、神が富み栄えることぞ。何事も祓い清めて下されよ、清めるとは和すことぞ、違うもの同士和すのがマコトの和であるぞ。8までと9、10とは性が違うのぞ。

 

五十黙示録 第五巻 極め之巻 第七帖

 

 今まで世に落ちていた神も、世に出ていた神も皆一つ目ぢゃ、一方しか見えんから、世界のことは、逆の世界のことはわからんから、今度の岩戸ひらきの御用はなかなかぢゃ、早う改心してこの神について御座るのが一等であるぞ。外国の方が早う改心するぞ、外(幽)国人とは逆の世界の人民のことであるぞ。神の目からは世界の人民、皆わが子であるぞ。世界中皆この神の肉体ぞ、この神には何一つわからん、出来んと申すことないのぢゃ。どんなことでも致して見せるぞ。

 

五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第十四帖

 

 八方的地上から十方的地上となるのであるから、すべての位置が転ずるのであるから、物質も念もすべてが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今までは時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸開きの為であるぞ。今までの岩戸開きと同様でない、末代に一度の大岩戸開きぢゃ。

 

五十黙示録 第七巻 五葉之巻 第十六帖

 

 マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のないところが沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何ものにも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸開きとはこのことであるぞ、少しくらいは人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組。

 

参考図書

完訳 日月神示

岡本 天明 著 中矢 伸一 監修

ヒカルランド

 

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