ののの備忘録

『日月神示』の解読から始まる古の神々さまの封印解除と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。

日月神示用語集:この神・この⦿

グリモワール

 

第一巻 上つ巻 第四帖(四)

 

 急ぐなれど、臣民なかなかに言うこと聞かぬから、言うこと聞かねば、聞くようにして聞かす。神には何もかも出来ているが、臣民まだ眼覚めぬか、金のいらぬ楽の世になるぞ。早く⦿祀りてくれよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。⦿をダシにして、今の上の人がいるから、⦿の力出ないのぞ。お上(かみ)に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。この神を祀るのは、見晴らし台ぞ、富士見晴らし台ぞ、早く祀りてみ御告げを世に広めてくれよ。早く知らさねば日本がつぶれるようなことになるから、早う祀りて⦿の申すようにしてくれ。⦿急(せ)けるよ。

 上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃(そろ)うた善き世が神の世ぞ。卍(ドイツ)も一十(イタリア)もあてにならぬ、世界中一つになりて⦿の国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うているのか、わからねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと言うことまだわからぬか。神と人とがまつり合わしてこの世のことがさしてあるのぞ。人が聞かねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけているのに何しているのざ、いつどんなことあっても知らんぞ、神祀り第一、神祀り結構。二三の木ノ花咲耶姫(このはなさくやひめ)の神様を祀りてくれよ。コハナサクヤ姫様も祀りてくれよ。六月十三の日、ひつくのか三。 

 

※二三の木ノ花咲耶姫 二身の木ノ花咲耶姫  木ノ花咲耶姫とコハナサクヤ姫様

 

第一巻 上つ巻 第七帖(七)

 

 いくら金積んで神の御用さしてくれいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。御用する人は、どんなに苦しくても心は勇むぞ。この神は小さい病直しや按摩(あんま)の真似(まね)させんぞ、大き病を直すのぞ。神が開くから、人の考えで人を引張ってくれるなよ。六月の十七日、一二のか三。

 

第一巻 上つ巻 第二十五帖(二五)

 

  一日に十万、人死にだしたら⦿の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ。この⦿は世界中のみか天地のことを委されている⦿の一柱(ひとはしら)ざから、小さいこと言うのではないぞ、小さい事も何でもせなならんが、小さい事と臣民思うていると間違いが起るから、臣民はそれぞれ小さいこともせなならんお役もあるが、よく気をつけてくれよ。北から攻め寄せてきたらいよいよのことぞ、南、東、西、みな大切なれど、北を護ってくれよ。北から来るぞ。⦿は気(け)もない時から知らしておくから、よくこの神示、心にしめておれよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても⦿の許さん物一つも身には付かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。早う⦿心に還りてくれよ。この岩戸開くのは難儀のわからん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられている臣民の力はお手柄さして、永遠に名の残るようになるぞ。元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、そのつもりでおれよ。欲張っていろいろ買溜めしている人、気の毒が出来るぞ、⦿よく気をつけておくぞ。この道に縁ある人には、神からそれぞれの⦿を護りにつけるから、天地の元の天の大神、地(くに)の大神と共に、よく祀りてくれよ。六月の三十日、ひつくのか三。

 

第一巻 上つ巻 第二十七帖(二七)

 

 何もかも世の元から仕組みてあるから、⦿の申すところへ行けよ。元の仕組は富士ぞ、次の仕組は丑寅三十里より、次の仕組の山に行きて開いてくれよ、今はわかるまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて⦿祀りて開いてくれよ、細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして⦿から御礼申すぞ。行けば何もかも善くなるように、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。天地がうなるぞ、上下引っくり返るぞ。悪の仕組にみなの臣民だまされているが、もうすぐ目さめるぞ、目さめたら訪ねてござれ、この⦿のもとへ来て聞けば、何でもわかるように神示で知らしておくぞ。秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたら訪ねてござれ、我(が)を張っていると、いつまでもわからずに苦しむばかりぞ。この神示も身魂により、どんなにでも取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ、三柱と七柱揃うたら山に行けよ。七月一日、ひつくのか三。

 

第一巻 上つ巻 第二十九帖(二九)

 

 この世が元の神の世になるということは、どんな神にもわかっておれど、どうしたら元の世になるかということわからんぞ、神にもわからんこと人にはなほわからんのに、自分が何でもするように思うているが、サッパリ取り違いぞ。やって見よれ、あちへ外れ こちへ外れ、いよいよどうもならんことになるぞ、最後のことはこの⦿でないとわからんぞ。いよいよとなりて教えてくれと申しても間に合わんぞ。七月一日、ひつくのか三。

 

第二巻 下つ巻 第三帖(四五)

 

 この⦿のまことの姿見せてやるつもりでありたが、人に見せると、びっくりして気を失うもしれんから、石に彫らせて見せておいたのに、まだ気づかんから、木の型をやったであろうがな、それが⦿のある活動の時の姿であるぞ、⦿の見せ物にしてはならんぞ、お山の骨もその通りぞよ。これまで見せてもまだわからんか、何もかも⦿がさしてあるのぞ。心配いらんから欲出さずに、素直に御用きいて下されよ、今度のお山開き、まことに結構であるぞ。神が烈しくなると、⦿の話より出来んことになるぞ、⦿の話結構ぞ。七月の十三日、ひつ九のかみ。

 

第二巻 下つ巻 第七帖(四九)

 

 この神示読んで嬉しかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引っ張ってくれるなよ。この⦿は信者集めて喜ぶような⦿でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のようなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する⦿ざから、小さいこと思うていると見当とれんことになるぞ。

 一二三祝詞(ひふみのりと)する時は、⦿の息に合わして宣(の)れよ、⦿の息に合わすのは三五七・三五七に切って宣れよ。終(しま)いだけ節長くよめよ、それを三度よみて宣りあげよ。天津祝詞(あまつのりと)の神ともこの方申すぞ。七月十五日、一二⦿。

 

第二巻 下つ巻 第十二帖(五四)

 

 この⦿は日本人のみの⦿でないぞ。自分で岩戸開いておれば、どんな世になりても楽に行けるように神がしてあるのに、臣民というものは欲が深いから、自分で岩戸しめて、それでお蔭ないと申しているが困ったものぞ。早う気づかんと気の毒出来るぞ。初めの役員十柱(とはしら)集めるぞ。早うこの神示写して置いてくれよ、⦿急けるぞ。七月の十八日、ひつ九の⦿。

 

第二巻 下つ巻 第十四帖(五六)

 

 臣民ばかりでないぞ、神々ようにも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。一二三(ひふみ )の仕組とは、永遠(とわ )に動かぬ道のことぞ。三四五(みよいづ )の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは、⦿の御代になることぞ、この世を⦿の国にねり上げることぞ、⦿祀りたら三四五の御用にかかるから、そのつもりで用意しておいてくれよ。

 この⦿は、世界中の神と臣民と、獣(けだもの)も草木も構わねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。神様と臣民、同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂磨いてくれよ、磨けただけの神をつけて、天晴(あっぱ)れ後の世に残る手柄立てさすぞ。

 小さいことはそれぞれの神に聞いてくれよ。一人ひとり、何でも聞きたいことや、病治すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告げ受けてくれよ、この方の家来の神が知らせるから、何でもきけよ。病も治してやるぞ、この神頼りたなら、身魂磨けただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。とんだところにとんだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけておれば、先のこともよくわかるようになるぞ。元の⦿代に返すと申すのは喩(たと)えでないぞ。

 七から八から九から十から神烈(はげ)しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな。それは逆立しているからぞ。世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたように、もうかなわんと言うところまでになるから、神はこの世におらんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたように見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねばわからんようでは御用出来んぞ。七月の二十日、ひつくのか三。

 

第二巻 下つ巻 第十五帖(五七)

 

 この方祀りて神示書かすのは一所(ひとところ)なれど、いくらでも分(わ)け霊(みたま)するから、一人ひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。祀る時は、まず鎮守様、よくお願いしてから祀れよ。鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ。

 この神には鳥居(とりい)と注連(しめ)は要らんぞ。おいおいわかりて来るぞ、一二七七七七七忘れてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。身魂磨けば何事もわかりて来ると申してあろがな、黙っていてもわかるように、早うなって下されよ、⦿の国近づいたぞ。七月の二十一日、ひつ九のか三。

 

第二巻 下つ巻 第十七帖(五九)

 

 学や知恵では外国にかなうまいがな、神頼れば神の力出るぞ、善いこと言えば善くなるし、悪きこと思えば悪くなる道理わからんか。今の臣民口先ばかり、こんなことでは⦿の民とは申されんぞ。

 天明は神示(ふで)書かす役ぞ。神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、替え身魂使うぞ。因縁のある身魂は、この神示見れば心勇んで来るぞ。一人で七人づつ道伝えてくれよ、その御用が先づ初めの御用ぞ。この神示通り伝えてくれればよいのぞ、自分ごころで説くと間違うぞ。神示通りに知らしてくれよ。我を張ってはならぬぞ、我がなくてもならぬぞ、この道難しいなれど、縁ある人は勇んで出来るぞ。七月の二十一日、一二の⦿。

 

第二巻 下つ巻 第二十三帖(六五)

 

 世が引っ繰り返って元の神世に返るということは、⦿⦿(かみがみ)ようにはわかっておれど、世界ところどころにそのこと知らせ告げる神柱(かみはしら)あるなれど、最後のことはこの⦿でないとわからんぞ。この方は天地をキレイに掃除して、天の大神様にお目にかけねば済まん御役であるから、⦿の国の臣民⦿の申すようにして、天地を掃除して、てんし様に奉らなならん御役ぞ。

 江戸に⦿早う祀りてくれよ。仕組み通りにさすのであるから、臣民我を去りてくれよ。この方祀るのは天のひつくの家ぞ。祀りて秋立ちたら、⦿いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになって来たぞ、神急せけるぞ。七月の三十日、ひつくのか三

 

第二巻 下つ巻 第三十一帖(七三)

 

 この神に供えられたものは何によらん、私(わたくし)することならんぞ、参りた臣民にそれぞれ分けて喜ばしてくれよ、臣民喜べば⦿も喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこのことぞ。このような仕組でこの道ひろめてくれよ、それが政治ぞ、経済ぞ、まつりぞ、わかりたか。八月の三日、ひつ九のか三。

 

第五巻 地の巻 第三十六帖(一七三)

 

 富士は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士から世界中に稜威(みいづ)される時近づいたぞ。富士は日の山、日の元の山で、汚してならん御山ざから、臣民登れんようになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世のさま見て早う改心して、身魂洗濯致して⦿の御用つとめてくれよ。大き声せんでも静かに一言いえばわかる臣民、一言えば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示あてにならん 騙されていたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界浄(きよ)めてくれよ。わからんと申すのは神示読んでいないしるしぞ、身魂芯から光り出したら、人も⦿も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな。

 山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧(くもきり)払いてくれよ、御光出ぬようにしていてそれでよいのか、気つかんと痛い目に遭(あ)うのざぞ、誰れ彼れの別ないと申してあらうがな。いずれは天のひつくの神様、御憑(おんか)かりになるぞ、遅し早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂磨かねば御憑かり遅いのざぞ、よくとことん掃除せねば御憑かり難しいぞ、役員も気つけてくれよ、御役ご苦労ぞ、その代り御役済みたら富士晴れるぞ。十月十一日、一二か三。

 

第七巻 日の出の巻 第二十帖(二三三)

 

 この度は世に落ちておいでなされた⦿⦿(かみがみ)様をあげねばならぬのであるぞ、臣民もその通りざぞ、⦿の申す通りにすれば何事も思う通りにスラスラと進むと申してあろがな。これからは⦿に逆らうものは一つも埓(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。⦿の国はどうしても助けなならんから、⦿が一日(ひとひ)一日と延ばしていることわからんか。皆の者が⦿を軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真(まこと)の力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの⦿でないと間に合わんのざぞ。何処(どこ)の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしているのぞ、今の様(さま)は何ごとぞ。

 この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った⦿ざぞ、この世構う⦿でも我(が)出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すまいぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障(きざわ)りざぞ。改心チグハグざから物事後先(あとさき)になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、⦿の道広めると申して我(われ)を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今までは⦿が世に落ちて人が⦿になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。吾(われ)が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざ。

 十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、⦿は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、⦿、くどう気つけておくのざぞ。三四気つけてくれよ、⦿の国は⦿の力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取返しつかんぞ。見事なこと⦿がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。

 この神は⦿の国の救われること一番願っているのざぞ、外国人も⦿の子ではあるが性来(しょうらい)が違うのざぞ、⦿の国の臣民が真(まこと)の⦿の子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ、同じ⦿の子でありながら⦿の国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も⦿の国から⦿の民(たみ)からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外(はず)したら、いつになりても取返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ、やり損ない出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺(おぼ)れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、この⦿はめったに間違いないぞ。三千年地に潜(もぐ)りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、⦿の申すよう素直に致して下されよ。

 末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりていることざぞ。オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ、日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ、日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埓あくぞ。早う改心してくれよ。十二月二十六日、一二⦿。

 

第八巻 磐戸の巻 第七帖(二四三)

 

 臣民の戦(いくさ)や天災ばかりで今度の岩戸開くと思うていたら大きな間違いざぞ、戦や天災で埒開(らちあ)くようなチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いようになっておりてくれよ、肉体の怖さではないぞ、魂(たま)の怖さざぞ、魂の戦や禍(わざわい)は見当とれまいがな、マツリ第一と申すのぞ、⦿のミコトに聞けよ、理屈は悪魔と申してあろが、⦿のミコトに聞けよ、それにはどうしても身魂磨いて⦿憑かれるようにならねばならんのぞ。⦿憑かりと申しても、そこらに御座る天狗や狐や狸憑きではないぞ。まことの神憑かりであるぞ。

 右行く人、左行く人、咎(とが)むるでないぞ。世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道は真中(まなか)行く道とくどう申してあること忘れるなよ、今までのような宗教や教の集団(つどい)は潰れてしまうぞ、⦿が潰すのではないぞ、自分で潰れるのざぞ、早うこの神示、魂(たましい)にしてマコトの道に生きてくれよ、配給は配給と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。この神の申すこと、天の道ぞ、地の道ぞ、人の道ざぞ。今度の岩戸開きの大望(たいもう)済みたとて、すぐに善いことばかりではないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、素直に、⦿の申す通りにするのが何より結構なことざぞ。一月七日、⦿のひつ九か三。

 

第八巻 磐戸の巻 第八帖(二四四)

 

 ⦿の国の昔からの生神(いきがみ)の声は、世に出ている守護人の耳には入らんぞ、世に出ている守護人は九分九厘まで外国魂ざから、聞こえんのざぞ。外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出てまいれよ。この⦿の国には世の元からの生⦿(いきがみ)が水ももらさぬ仕組してあるから、いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ。敗(ま)けても悔しくないまでに攻めて御座れよ、堂々と出て御座れ、どの手でもかかりて御座れ。その上で敗けて、これはかなわんと言う時までかかりて御座れよ。学、勝ちたら従ってやるぞ、⦿の力にかなわんこと心からわかりたら、末代どんなことあっても従わして、⦿の⦿のマコトの世にして、改心さして、万劫末代口説(まんごうまつだいくぜつ)ない世に致すぞよ。ミエタ、ご苦労であったぞ。一月九日、⦿の一二のか三。

 

第八巻 磐戸の巻 第九帖(二四五)

 

 富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それまでに⦿の国の臣民改心しておらぬと気の毒出来るぞ。天狗や狐は誰にでも憑かりてモノ言うなれど、⦿は中々にチョコラサとは憑からんぞ、善き代になりたら⦿はモノ言わんぞ。人が⦿となるのざぞ、この⦿は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)には憑からんぞ、⦿が誰にでも憑かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神憑かりに凝(こ)るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。この道は中行く道と申してあろがな。

 戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下ろしもならず、人民の智や学や算盤(そろばん)では、どうとも出来んことになるのが目の前に見えているのざから、早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのざぞ。長引くほど、国はヂリヂリに無くなるぞ。米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。命あると申して油断するでないぞ。この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、辰(たつ)の年は善き年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ。一月十一日、⦿のひつ九⦿。

 

第八巻 磐戸の巻 第十一帖(二四七)

 

 心にメグリ積むと動物の容(い)れ物となるぞ、⦿の容れ物、動物などに自由にされていて、それでマコトの⦿の臣民と申されるか、わからんと申してあまりであるぞ。ゴモク吐き出せよ、そのままにしておくとだんだん大きくなりて、(始末にゆかんことになりて、)終(しま)いには灰にするより、手なくなるぞ、石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。改心して綺麗に掃除出来たら、千里先にいても、日月の⦿(かみ)と頼めばどんなことでもさしてやるぞ、この⦿は、世界中何処へでも届く鼻持っているのざぞ、この世造りたこの⦿ぞ、この世にわからんこと一つもないのざぞ、⦿の御用さえ務めて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、⦿には依怙(えこ)がないぞ。一月十三日、⦿の一二か三。

 

第八巻 磐戸の巻 第十七帖(二五三)

 

 この⦿は善き臣民には善く見え、悪き臣民には悪く見えるのざぞ、鬼門金神(きもんこんじん)とも見えるのざぞ、世はクルクルとまわるのざぞ、幸せ悪くとも悔やむでないぞ、それぞれの身魂の曇り取りているのざから、勇んで苦しいこともして下されよ、上が裸で下(しも)が袴(はかま)はくこと出て来るぞ。⦿が化(ば)かして使うているのざから、出来あがるまでは誰にもわからんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がビックリするのざぞ、ビックリ箱にも悪いビックリ箱と、嬉し嬉しのビックリ箱とあるのざぞ、何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑うは無理ないなれど、曇り取ればすぐうつる、元の種持っているのざから、(早うこの神示読んで洗濯してくれよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、)⦿の道は無理ない道ざと知らしてあろが。身魂の因縁恐ろしいぞ。上下(うえした)わき上がるが近うなりたぞ。一月十四日、⦿の一二か三。

 

第八巻 磐戸の巻 第十九帖(二五五)

 

 向うの国、いくら物ありても、人ありても、生⦿(いきがみ)が表に出て働くのざから、⦿なき国は、いずれは往生(おうじょう)ざぞ。この神の申すことよく肚に入れて、もうかなわんと申すところ堪(こら)えて、またかなわんと申すところ堪えて、愈々どうにもならんというところ堪えて、頑張りて下されよ、⦿には何もかもよくわかりて帳面に書き留めてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、そこまで見届けねば、この方の役目果たせんのぞ、可哀そうなれど⦿の臣民殿、堪(こら)え堪えてマコトどこまでも貫きてくれよ、マコトの生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、⦿の臣民に手柄立てさして、⦿から篤く御礼申して善き世に致すのであるぞ、腹帯(はらおび)しっかり締めてくれよ。重ねて⦿が臣民殿にたのむぞよ、守護神殿に頼むぞよ。一月十四日、⦿のひつ九のか三。

 

第九巻 キの巻 第五帖(二六二)

 

 この神示は心通りにうつるのぞ、思い違うといくら神示読んでも違うことになるのぞ、心違うと今度はどんなに偉い神でも人でも気の毒出来るぞ、この方は悔やむこと嫌いぞ。

 次の世となれば、これまでのように無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民、今は人の手に握っているものでも叩き落して取るようになりているのざから、⦿も往生(おうじょう)ざぞ、⦿は臣民、楽にしてやりたいのに、楽に狎(な)れて、自分でしたように思うて、⦿を無きものにしたから、今度の難儀になって来たのざぞ、そこにまだ気つかんか、キが元ぞと申してあろがな、早う気づかんと間に合わんぞ。
この⦿は、従う者にはおだやかざが、逆らう者には鬼となるのざぞ。三月十日、一二の⦿。

 

第十五巻 岩の巻 第七帖(三七二)

 

 この⦿のもとへ来て信心さえしていたらよいことあるように思うているが、大間違いざぞ。この方のもとへ参りて、まず借銭なしに借銭払いして下されよ。苦しいこと出来て来るのが御神徳(ごしんとく)ぞ。この方(ほう)のもとへ来て、悪くなったと言う人民遠慮いらん、帰りてくれよ。そんな軽い信心は信心ではないぞ。結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。しかと褌(ふんどし)締めてついて御座れよ。この方、悪⦿(あくがみ)とも見えると申してあろうがな。わかりてもわからん、出来んこと致さすぞ、⦿が使うのざから楽でもあるのざぞ。静かに神示よく肚(はら)に入れて御用して下されよ。⦿の道 光るぞ。旧一月十五日、一二⦿。

 

第二十三巻 海の巻 第十五帖(五〇七)

 

 学や智や金(きん)がチラチラ出るようでは、マコトが磨けてはおらんのぢゃ、今の法律でも、教育でも、兵隊でも、宗教でも、この世は立て直らんぞ、新しき光が生れて世を救うのぢゃ、新しき光とはこの神示ぢゃ、この⦿ぢゃ。七つの花が八つに咲くぞ、この神示八通りに読めるのぢゃ、七通りまでは今の人民さんでも何とかわかるなれど、八通り目はなかなかぞ。一厘が隠してあるのぢゃ、隠したものは現われるのぢゃ、現われているのぢゃ。何でもないことがなかなかのことぢゃ、わかりたか。八月二十三日、一二⦿。

 

第二十三巻 海の巻 第十六帖(五〇八)

 

 今離れた人民、ここが良くなったと言うて帰ることは恥ずかしいことになって、帰っても変なことになるぞ、今のうちに早う立ち返って御用結構ぞ。世界に、人民にわからん珍しきことを出すぞ、皆この⦿の仕組であるから、変ったこと、わからんことがいよいよとなったら、⦿代(かみよ)近づいたのであるぞ。役員には神示の肚(はら)に入った者がなるのざぞ、役員の御魂はたくさんあれど、神示読まねば役員にはなれないのざぞ、なればスコタンばかり、長らく世に落ちていた神人(かみひと)、⦿⦿(かみがみ)様を世にお上げせねば世は良くならんのざぞ、軽く見るから神示わからんのぢゃ、人も軽く見てはならんぞ。八月二十三日、一二⦿。

 

第二十九巻 春の巻 第十六帖(六七三)

 

 あなたまかせ、よい妻と申してあろうが。神まかせがよい人民であるぞ。この神とみとめたら理解して、まかせ切れよ。太元の神さまに惚(ほ)れ参らせよ。真の信仰の第一歩ぞ。雨降らば雨を、風ふけば風を、ひとまず甘受せよ。甘受した後、処理して行かなならん。受けいれずにハネ返すのは大怪我のもと。何回でも何回でも同じこと繰り返さねばならんことになるぞ。何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ。内にあるから外から迫るのぢゃ。自分で呼びよせているのぢゃ。苦しみの神、因果の神呼んでおいて、不足申している者多いのう。自分で呼びよせながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう。同じものでも表からと裏からとでは違うのぢゃ。同じ目で見ても、違ってうつるのぢゃ。心得よ。

 

第二十九巻 春の巻 第二十一帖(六七八)

 

 太一二〇十大神(オーヒツキクニオオカミ)としてのこの神は一柱(ひとはしら)であるが、働きはいくらでもあるぞ。その働きの名がもろもろの神様の名ぢゃ。無限であるぞ。この方(ほう)一柱であるが無限柱ぞ。すべてが神であるぞ。一神ぢゃ。多神ぢゃ。汎(はん)神ぢゃ。すべてが神ぢゃ。喜びぢゃ。始めから全体を掴もうとしても、それは無理と申すもの。手でも足でもよい、何処(どこ)でもよいから掴(つか)める所からつかんで御座れよ。だんだんわかってくるぞ。全体を掴むには全体と同じにならねばならん。その人民々々の掴めるところから掴んで参れよ。この方抱き参らせてやるぞ。マツリから出直せよ。天地見よ。大きマツリ致して居ろうがな。霊と肉のまつり第一。頭と肝のまつり結構。夫婦のマツリ、出船の港ぢゃ。奥から来るものは喜びぢゃ。念ぢゃ。力の元ぢゃ。生きの生命ぢゃ。神様には肝を向けなさい。

 

第二十九巻 春の巻 第二十二帖(六七九)

 

 宇宙のすべてはこの神の現われであり、一面であるから、その何処(どこ)つかんで拝んでもよいのである。その何処つかんで、すがってもよいのであるぞ。水の流れも宗教ぞと申してあろう。すべてに神の息、通うているぞ。一本の箸拝んでもよいのぢゃが、ちゃんと目当て、よい目当て、決めねばならん。内の自分に火つけよ。心暗くては何もわからん。世の中は暗う見えるであろう。真っ暗に見えたら自分の心に光ないのぢゃ。心せよ。自分光れば世の中明るいぞ。より上のものから流れてくるものにまつりて行くこと大切ぢゃ。それがまつりの元。それが宗教ぢゃ。宗教は生活ぢゃ。生活は宗教ぢゃ。裏と表ぢゃ。

 

補巻 月光の巻 第七帖(七九四)

 

 大奥山は神人交流の道の場である。道は口で説くものではない。行ずるものである。教えは説かねばならない。多数決が悪多数決となるわけが何故にわからんのぢゃ。投票で代表を出すとほとんどが悪人か狂人であるぞ。世界が狂い、悪となり、人民も同様となっているから、その人民の多くが選べば選ぶほど、ますます混乱してくるのであるぞ。

 それより他に人民の得心出来る道はないと申しているが、道はいくらでもあるぞ。人民の申しているのは平面の道、平面のみでは乱れるばかり、立体に綾(あや)なせば弥栄えて真実の道がわかるのぢゃ。ぢゃと申して独裁ではならん。結果から見れば神裁ぢゃ。神裁とは神人交流によることぞ。(十二月二十五日)

 神は嘘つきぢゃと人民申しても、悪い予言は嘘にしたいので日夜の苦労、堪(こら)られるだけ堪えているのである。もう、モノばかりでは治まらんこと、金(きん)では治まらんこと、平面のみでは駄目であること、よくわかっているのに兜(かぶと)脱げん神々様よ、気の毒が来ぬ前に改心結構。遠くからではわからんし、近づくと迷うし、理屈すてて神に惚(ほ)れ参らせよ。よくこの神を騙(だま)してくれたぞ、この神が騙されたればこそ、太神の目的成ってくるのぢゃ。細工はりゅうりゅう仕上げ見て下されよ。

 区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。天に向って石を投げるようなことは、早くやめねばならん。霊かかりもやめて下されよ。

 人民が絶対無と申しているところも、絶対無ではない。科学をさらに浄化弥栄させねばならん。

 空間、時間が霊界にないのではない。その標準が違うから無いと考えてよいのである。

 奥山は奥山と申してあろう。いろいろな団体をつくってもよいが、いずれも分かれ出た集団、一つにしてはならん。奥山は有りて無きもの、無くて有る存在である。

 奥山と他のものとまぜこぜまかりならん。大き一つではあるが別々ぞ。今までになかった奥山のあり方、わからんのも無理ないなれど、これがわからねば この度の大神業、わかりはせんぞ。

 

補巻 月光の巻 第五十五帖(八四二)

 

 そなたはよく腹を立てるが、腹が立つのは慢心からであるぞ。よく心得なされよ。下肚(したはら)からこみあげてくる怒りは大きな怒りであるから、怒ってよいのであるなれど、怒りの現わし方を出来るだけ小さく、出来るだけ清く、出来るだけ短かくして下されよ。怒りに清い怒りはないと、そなたは思案して御座るなれど、怒りにも清い怒り、澄んだ怒りあるぞ。三月三日。

 そなたはいつも自分の役に不足申すクセがあるぞ。そのクセ直して下されよ。長くかかってもよいから、根の根からの改心結構ぞ。手は手の役、足は足、頭は頭の役、それぞれに結構ぞ。上下貴賎(きせん)ないこと、そなたにはわかっているはずなのに、早う得心して下されよ。

 そなたはこの神と極めて深い縁があるのぢゃ。縁あればこそ引きよせて苦労さしているのぢゃ。今度の御用は苦(く)の花咲かすことぢゃ。真理に苦の花咲くのであるぞ。因縁のそなたぢゃ、一聞いたなら十がわかるのぢゃ。言われん先にわかってもらわねばならんぞ。知らしてからでは味ないぞ。十人並ぞ。今度の御用は千人力、十人並では間に合わんぞ。人間の目は一方しか見えん。表なら表、右なら右しか見えん。表には必ず裏があり、左があるから右があるのぢゃ。自分の目で見たのだから間違いないと、そなたは我(が)を張って居るなれど、それはただ一方的の真実であるぞ。独断は役に立たんぞと申してあろうが。見極めた上にも見極めねばならんぞ。霊の目も一方しか見えんぞ。霊人には何でもわかっていると思うと、大変な間違い起るぞ。一方と申しても霊界の一方と現界の一方とは、一方が違うぞ。

 そなたはなかなかに立派な理窟を申すが、理窟も必要ではあるが、沫(あわ)のごときもの、そなたの財産にはならんぞ。体験の財産は死んでからも役にたつ。

 懺悔(ざんげ)せよと申しても、人の前に懺悔してはならんぞ。人の前で出来る懺悔は割引(わりびき)した懺悔。割引した懺悔は神を騙(だま)し、己(おのれ)を騙すこととなるぞ。悔い改めて下され。深く省みて下され。深く恥じ畏(おそ)れよ。心して慎しんで下されよ。直ちに善き神界との霊線がつながるぞ。霊線つながれば、その日その時からよくなってくるぞ。気持が曲ったら霊線が切り替えられる。

 

補巻 月光の巻 第五十八帖(八四五)

 

 春が来れば草木に芽が出る。花が咲く。秋になれば葉が枯れるのぢゃ。時節よく気つけて取り違いせんよう致しくれよ。時節程結構なものないが、また恐いものもないのであるぞ。ちょうど呼吸のようなもので一定の順序あるのぞ。吸の極は呼となり、呼の極は吸となるぞ。これが神の用(はたらき)であるから、神の現われの一面であるから、神も自由にならん。この神も時節にはかなわんのであるのに、そなたは時々この時節を無視して自我で、あるいは時節を取り違いして押しまくるから失敗したり怪我したりするのぢゃぞ。素直にしておれば楽に行けるようになっているぞ。時待てば煎(い)り豆にも花咲くのであるぞ。水が逆に流れるのであるぞ。上下でんぐり返るのであるぞ。上の人が青くなり、下の人が赤くなるのであるぞ。取り違いないように理解して下されよ。

 

補巻 月光の巻 第五十九帖(八四六)

 

 一度申したこと何処(どこ)までもつらぬくそなた結構ぞ。なれども囚(とら)われているぞ。この神はちと大きな、今までにない大変を致すのであるから、あまり小さく囚われているとわからんことになってくるぞ。固まる時には一度に固まらねばならん。昨日は昨日、今日は今日ぞ。そなたは動機が善ならば失敗は薬と、我(われ)の都合のよいように、我(われ)と我(われ)を弁解して御座るなれど、弁解したのでは薬にならん。毒となることあるぞ。省みよ。そなたは何神様でも仏でも、何でもかんでも拝んでいるが、その順序と区別がよくわかっていないぞ。わからずにメクラメッポウに拝んではならん。心得なされよ。そなたは忙しい忙しい、神示(ふで)読む間もないと申しているが、忙しいのは神の恵みであるぞ。淀(よど)んだ水は腐るのぢゃ。忙しい中にこそ、神示読む時があるのぢゃ。逃げ道をつくってはならん。

 

五十黙示録 第三巻 星座之巻 第六帖

 

 人民と申すものは生命(いのち)が短いから、気が短いから、仕組少しでも遅れると、この神は駄目ぢゃと、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立て替えであるから少しくらいの遅し早しはあるぞ、それも皆人民一人でも多く助けたい神の心からぢゃ。遅れても文句申すが早くなってもまた文句を申すぞ、わからんと申すものは恐ろしいものであるぞ。

 

五十黙示録 第三巻 星座之巻 第七帖

 

 この世をつくった太神の神示ぞ、一分一厘違わんことばかり、後になって気がついても、その時では遅い遅い、この神は現在もなお、太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ、この道理わかりて下されよ、世界は進歩し、文明するのでないぞ、呼吸するのみぞ、脈搏するのみぞ、変化するのみぞ、ぐるぐる廻るのみぞ、歓喜弥栄とはこのことぞ。

 

参考図書

完訳 日月神示

岡本 天明 著 中矢 伸一 監修

ヒカルランド

 

https://m.media-amazon.com/images/I/810hduixizL._AC_UL320_.jpg

 

無料アクセスカウンター無料アクセスカウンター

ブログランキングに参加しています。記事を気に入ってくださいましたら、「ポチッ」とお願い致します。皆さまの応援が励みになります。

人気ブログランキングでフォロー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

Go to top