ののの備忘録

『日月神示』の解読から始まる古の神々さまの封印解除と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。

日月神示用語集:意富加牟豆美神(おおかむつみのかみ)

 グリモワール

オホカムツミノ神(オオカムヅミ)

 

日本神話に登場する桃であり神。

古事記』では黄泉の国の条に登場する。伊邪那岐命が、亡き妻の伊邪那美命を連れ戻そうと、死者の国である黄泉の国に赴くが、失敗して予母都色許売(よもつしこめ)や八柱の雷神、黄泉軍(よもついくさ)に追われる。地上との境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓まで逃げてきた時に、そこに生えていた桃の実を三個取って投げつけると、その霊力で雷神と黄泉軍は退散していった。

 

この功績により桃の実は、伊邪那岐命から「意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)」の神名を授けられ、「汝、我を助けしが如く、葦原中津国に有らゆるうつくしき青人草の、苦しき瀬に落ちて、患(うれ)え悩むとき、これを助くべし(お前が私を助けてくれたように、葦原の中津国(地上世界)のあらゆる生ある人々が、苦しみの激流に落ち、悩み悲しみ苦しむことがあったときには、これを助けてやってくれ。)」と命じられた。(ウィキペディアより)

 

第四巻 天つ巻 二十六帖(一三三)

 

 天(あめ)の日津久(ひつく)の神と申しても一柱(ひとはしら)ではないのざぞ、臣民のお役所のようなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。

 この方はオオカムツミノ神とも顕(あらわ)れるのざぞ、時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りてくれよ、青人草(あおひとくさ)の苦瀬(うきせ)、治してやるぞ。天明は神示(ふで)書かす御役であるぞ。九月十一日、ひつ九⦿。

 

第四巻 天つ巻 二十九帖(一三六)

 

 この方オホカムツミノ⦿(かみ)として書きしらすぞ。病あるか無きかは手まわして見ればすぐわかるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところすぐわかるであろうが。臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得ておけよ、国の病も同様ぞ。

 頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くようになりていると申してあろが、今の国々の御姿(みすがた)見よ、御手(みて)届いているまいがな、手なし足なしぞ。手は手の思うように、足は足ぞ、これでは病治らんぞ、臣民と病は、足、地についておらぬからぞ。足、地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけておろうがな。

 三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心で生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけて飛ぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足汚れていると病になるぞ、足からお土の息がはいるのざぞ、臍(へそ)の緒のようなものざぞよ。

 一人前になりたら臍の緒切りて、社(やしろ)に座りておりて三尺上で神に仕えてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上固めているが、今にみな除きてしまうぞ、一度はいやでも応でも裸足でお土踏まなならんことになるのぞ、⦿の深い仕組ざから、有り難い仕組ざから、喜んでお土拝めよ、土にまつろえと申してあろうがな。

 何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足の裏、殊(こと)に綺麗にせなならんぞ。⦿の申すよう素直に致されよ。この方 、病治してやるぞ、この神示読めば病治るようになっているのざぞ、読んで⦿の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も、病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。戦も病の一つであるぞ、国の足の裏、掃除すれば国の病治るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除してくれよ。 

 上(うえ)の守護神どの、下(しも)の守護神どの、皆の守護神どの、改心してくれよ。いよいよとなりては苦しくて間に合わんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸(てんちうな)るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どに揺するのざぞ。⦿は脅すのではないぞ、迫りておるぞ。九月十三日、一二⦿。

 

第七巻 日の出の巻 第十五帖(二二八)

 

 十柱の⦿⦿(かみがみ)様、奥山に祀りてくれよ、九柱でよいぞ、いずれの⦿⦿様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合わして十柱となるのざぞ。御神体の石集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祀りしてくれよ。

 病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかでわかると申してあろがな。届くとは注ぐことぞ、手首と息と腹の息と首の息とホの息と頭の息と足の息と胸と臍(へそ)の息と脊首の息と手の息と、八所十所(やところとところ)の息合っていれば病無いのざぞ、災難見ないのざから、毎朝神拝(おろが)みてからよく合わしてみよ、合っていたらその日には災難無いのざぞ、ことに臍の息一番大切ざぞ、もしも息合っていない時には一二三唱えよ、唱え唱えて息合うまで祈れよ、どんな難儀も災難も無くしてやるぞ、この方、意富加牟豆美(おおかむつみ)の神であるぞ。神の息と合わされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命(いのち)助けてやるぞ、このことはこの方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、このこと早う皆に知らしてどしどしと安心して働くようにしてやれよ。飛行機の災難も、地震、罪穢(つみけがれ)の禍(わざわい)も、大きい災難ある時には息乱れるのぞ、一二三祝詞と祓い祝詞と⦿の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりてくれよ。十二月十八日、ひつ九か三。

 

第十一巻 松の巻 第二十八帖 (三一九)

 

 ウケ(保食:うけもち?)の神祀らずに、いくら野山拓(ひら)いたとて、物作ることは出来ないぞ。煎(い)り豆花咲く目出度(めでた)い時となっているのに何して御座るのぞ。いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても食物三分難しいぞ。神々祀れと申してあろが、野拓く時は野の神まつれ。(物作る時は保食の神まつれ。)産土(うぶすな)の神様にもお願いしてお取次願わな何事も成就せんぞ。

 人民の学や智ばかりで何が出来たか。早う改心第一ぞ。山も川も野も人民も、草も木も動物虫けらも、何もかもこの方の徳であるぞ。それぞれの御役(おんやく)あるのざぞ。学や智捨てて天に向かえ、地に向かえ、草に向かえ、生物に向かえ、木に向かえ、石もの言うぞ。草もの言うぞ。七月十八日、アメのひつ九のか三。
 
 アメのひつ九(ク)⦿(天之日月神)  三十二

 1日ト@九ん日ん(艮金神)     八

 り九お十一Θ⦿(龍宮の乙姫神)   八

 〇ーか六つ三の⦿(意富加牟豆美神) 

 

補巻 月光の巻 第十九帖(八〇六)

 

 釈迦、キリスト、マホメット、その他世界の生命ある教祖及びその指導神を、御光(みひかり)の大神様と讃えまつれと申してあろが。〇ー⦿⦿ー〇+大神様の一つの現われぞと申してあろうが。何故に御光の大神様として斎(いつ)き祀らんのぢゃ。宗教せぬのぢゃ。そこにひかり教会としての力が出ないのぢゃ。人民の浮瀬に悩むを救うのはオホカムツミの神であるぞ。この能(はたらき)の神名わすれてはならん。この方(ほう)はオホカムツミの神とも現われるぞと知らしてあること忘れたのか。

 

参考図書

完訳 日月神示

岡本 天明 著 中矢 伸一 監修

ヒカルランド

 

https://m.media-amazon.com/images/I/810hduixizL._AC_UL320_.jpg

 

無料アクセスカウンター無料アクセスカウンター

ブログランキングに参加しています。記事を気に入ってくださいましたら、「ポチッ」とお願い致します。皆さまの応援が励みになります。

人気ブログランキングでフォロー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

Go to top