ののの備忘録

『日月神示』の解読から始まる古の神々さまの封印解除と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。

日月神示用語集:三千年

 グリモワール

 

第六巻 日月の巻 第二帖(一七五)

 

 三千年、三千世界乱れたる、罪や穢れを身において、この世の裏に隠れしまま、この世構いし大神の、ミコト畏(かしこ)みこの度の、岩戸開きの御用する、身魂(みたま)はいずれも生き変わり、死に変わりして練りに練り、鍛えに鍛えし⦿国(かみくに)の、まことの身魂 天駈(あまか)けり、地(くに)駈けります元の種、昔の元の御(おん)種ぞ、今落ちぶれているとても、やがては神の御民(みたみ)とし、天地(あめつち)駈けり⦿国の、救いの神と現われる、時近づきぬ御民等(みたみら)よ。今一苦労二苦労、とことん苦しきことあれど、堪え忍びてぞ次の世の、まこと⦿代(よ)の礎(いしずえ)と、磨きてくれよ⦿身魂、弥栄つぎに栄えなむ。身魂幸(さひ)はえましまさむ。旧九月二日、ひつ九のか三。

 

第七巻 日の出の巻 第二十帖(二三三)

 

 この度は世に落ちておいでなされた⦿⦿(かみがみ)様をあげねばならぬのであるぞ、臣民もその通りざぞ、⦿の申す通りにすれば何事も思う通りにスラスラと進むと申してあろがな。これからは⦿に逆らうものは一つも埓(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。⦿の国はどうしても助けなならんから、⦿が一日(ひとひ)一日と延ばしていることわからんか。皆の者が⦿を軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真(まこと)の力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの⦿でないと間に合わんのざぞ。何処(どこ)の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしているのぞ、今の様(さま)は何ごとぞ。

 この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った⦿ざぞ、この世構う⦿でも我(が)出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すまいぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取違いが一等気障(きざわ)りざぞ。改心チグハグざから物事後先(あとさき)になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、⦿の道広めると申して我(われ)を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今までは⦿が世に落ちて人が⦿になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。吾(われ)が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざ。

 十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、⦿は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、⦿、くどう気つけておくのざぞ。三四気つけてくれよ、⦿の国は⦿の力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取返しつかんぞ。見事なこと⦿がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。

 この神は⦿の国の救われること一番願っているのざぞ、外国人も⦿の子ではあるが性来(しょうらい)が違うのざぞ、⦿の国の臣民が真(まこと)の⦿の子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ、同じ⦿の子でありながら⦿の国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も⦿の国から⦿の民(たみ)からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外(はず)したら、いつになりても取返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ、やり損ない出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺(おぼ)れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、この⦿はめったに間違いないぞ。三千年地に潜(もぐ)りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、⦿の申すよう素直に致して下されよ。

 末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりていることざぞ。オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ、日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ、日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埓あくぞ。早う改心してくれよ。十二月二十六日、一二⦿。

 

第九巻 キの巻 第十帖 (二六七)

 

 山の谷まで曇りているぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、⦿なき所愈々だぞ。ひどいことあるぞ、⦿がするのでないぞ、臣民自分でするのざぞ。一日(ひとひ)一日延ばして改心さすように致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、⦿は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。

 家内和合出来んようでは、この道の取次(とりつぎ)とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ、昼も夜(よ)もないのざぞ、坊主 坊主臭くてはならんぞ。三月十三日、一二⦿。

 

第十一巻 松の巻 第一帖 (二九二)

 

 富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのざぞ。世の元の一粒種(ひとつぶだね)の世となったぞ。松の御代(みよ)となったぞ。世界中揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ。煎(い)り豆花咲くぞ。上下(うえした)ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組ぞ。六月十七日、アメのひつ九のか三。

 

第十三巻 雨の巻 第十帖(三四四)

 

 天(あめ)の岩戸開いて地(ち)の岩戸開きにかかりているのざぞ、我一力(われいちりき)では何事も成就せんぞ、手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。霊肉共に岩戸開くのであるから、実地の大峠のいよいよとなったらもう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ、人民には実地に目に物見せねば得心(とくしん)せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少ないし、⦿も閉口ぞ。酷(ひど)いところほど身魂に借銭(しゃくせん)あるのぢゃぞ、魂(たま)の悪きことしている国ほど厳しき戒め致すのであるぞ。

 五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るし、カス出さねば力出んし、それで⦿は掃除ばかりしているのざぞ、⦿の臣民それで神洲清潔(しんしゅうせいけつ)する民であるぞ、キが元と申してあるが、キが餓え死にすると肉体餓え死にするぞ、キ息吹(いぶ)けば肉息吹くぞ、⦿の子は⦿のキ頂いているのざから、食う物無くなっても死にはせんぞ、キ大きく持てよと申してあろうが、キはいくらでも大きく結構に自由になる結構な⦿のキざぞ。臣民利巧(りこう)なくなれば⦿のキ入るぞ、神の息通うぞ、凝りかたまるとコリになって動き取れんから苦しいのざぞ、馬鹿正直ならんと申してあろがな、三千年余りで身魂の改め致して因縁だけの事は否(いや)でも応でも致さすのであるから、今度の御用はこの神示読まいでは、三千世界のことであるから、どこ探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、どこ探してもわかりはせんのざぞ、人民の頭でいくら考えても智しぼっても学ありてもわからんのぢゃ。ちょこらわかるような仕組なら こんなに苦労致さんぞ、⦿⦿(かみがみ)様さえわからん仕組と知らしてあろうが、何より改心第一ぞと気つけてあろうが、神示肚に入れば先見え透(す)くのざぞ。この地(つち)も月と同じであるから、人民の心そのままにうつるのであるから、人民の心悪くなれば悪くなるのざぞ、善くなれば善くなるのぞ。

 理屈は悪と申してあろうが、悪の終りは共食いぢゃ、共食いして共倒れ、理屈が理屈と、悪が悪と共倒れになるのが神の仕組ぢゃ、とわかっていながらどうにもならんことに今に世界がなって来るのぞ、逆に逆にと出て来るのぢゃ、何故そうなって来るかわからんのか、神示読めよ。

 オロシヤの悪神(あくがみ)の仕組、人民には一人もわかっていないのざぞ。⦿にはようわかっての今度の仕組であるから仕上げ見て下されよ、この方に任せておきなされ、一切心配なくこの方の申すようにしておりて見なされ、大舟(おおぶね)に乗っていなされ、光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ、どこにいても助けてやるぞ。雨の神、風の神、地震の神、荒(あれ)の神、岩の神様、祈りなされよ、世の元からの生き通しの生神(いきがみ)様、拝(おろが)みなされよ。日月(ひつく)の民を練りに練り、大和魂の種にするのであるぞ、日月の民とは日本人ばかりでないぞ、大和魂とは⦿の魂ぞ、大和(だいわ)の魂ぞ、まつりの魂ぞ、取違いせんように気つけおくぞ。

 出かけの港はここぢゃぞ、皆に知らしてやりて下されよ、いくら道進んでいても後戻りぢゃ、この神示が出発点ぞ、出直して神示から出て下されよ、我(が)張りてやる気ならやりて見よれ、九分九分九厘で鼻ポキンぞ、泣き泣き恥ずかしい思いしてお出直しで御座るから気つけているのぢゃ、足あげて顔の色変える時近づいたぞ。世立て替えて広き光の世と致すのぢゃ、光の世とは光なき世であるぞ、この方の元へ引き寄せて、目の前に楽な道と辛(つら)い道と作ってあるのぢゃ、気つけていて下されよ、どちら行くつもりぢゃ。十一月二十七日、一二⦿。

 

第十四巻 風の巻 第八帖(三五九 )

 

 世界自在に分け獲(ど)りしていた⦿⦿様、早う改心第一ぞ。一つの王で治めるぞ。てんし様とは天地様のことざと申してあろうがな、この方シチニの⦿と現われるぞと申してあろうがな、てん二様のことざぞ。

 行(ぎょう)なしではマコトのことわからんぞ、出来はせんぞ、⦿の道無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。この方さえ三千年の行したぞ、人民には一日(ひとひ)も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ。 

 海にはどんな宝でも竜宮の乙姫殿持ちなされているのざぞ、この世の宝皆この方つくりたのざぞ、⦿の道無理ないと申して楽な道でないぞ、もうこれでよいということない道ざぞ。日本の人民も、渡りて来た人民も、世持ちあらした神々様も人民も、世界の人民 皆思い違うぞ、九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのざぞよ。

 世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思っていて、それでまだ眼覚めんのか、よく曇りなされたなあ、立て替えは今日の日の間にも出来るなれど、あとの立て直しの世直し中々ざから、人民に少しは用意出来んと、遅くなるばかりぢゃ、それでカタ出せ出せと申しているのぢゃぞ。あれこれとあまり穢(けが)れている腸(はらわた)ばかりぢゃから、一度に引出して、日に干(ほ)してからでないと、洗濯出来ん様になりて御座るぞ。日干しこばれん人民あるから、今のうちから気付けているのぢゃぞ。けんびき痛いぞ、あまりにも狂うて御座るぞ。元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、⦿⦿様にも見当取れんのぢゃ、元の生⦿でないと、今度の御用出来んぞ。二月十六日、ひつ九の⦿。

 

第十五巻 岩の巻 第二帖(三六七)

 

 三千年の昔に返すと申してあろうがな。よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてあるのぢゃ。他から見てはわからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り死に変り、鍛えに鍛えてあるのぢゃぞ。肉体の苦労も、霊(たま)の苦労も、どちらの苦労にも、負けん人民臣民でないと、目先のことで、グレングレンと引っくり返りて、あわてふためくようなことでは、どんなことあってもビクともせん身魂でないと、御用難しいぞ。

 こんどの苦の花は富士に咲くのみざぞ。不二に木(こ)の花開耶姫(はなさくやひめ)祀れと申してあろうが、木の花、おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ。木の花咲けば、この世に出来んことないぞ。まことの@(かみ)かかりぞ。

 この先もう立て替え出来んギリギリの今度の大立て替えぢゃ。いよいよの立て替えざから、元の⦿代(よ)よりも、も一つキの光り輝く世とするのぢゃから、なかなかに大層ざぞ。人民 苦しかろうが、先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ。

 二つずつある⦿様を一つにするのであるから、嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。少しでも嘘偽あったら、曇りありたら、⦿の国には住めんことになるのざぞ。

 途中から出来た道では今度という今度は間に合わんのざぞ。根本からの道でないと、今度は根本からの立て直しで末代続くのぢゃから、間に合わん道理わかるであろうがな。

 我(われ)の国どうしの戦(いくさ)始まるのぢゃ。この戦、神は目あけて見ておれんなれど、これも道筋ぢゃから、人民にも見ておれんのぢゃが、共喰いと申して知らしてあろうが。

 この方等(ほうら)が天地自由にするのぢゃ。元のキの道にして、新しき、キの光の道つくるのぢゃ。あら楽し世にするのぢゃと申してあることいよいよぞ、人民、臣民 勇んでやりて下され。⦿⦿様、守護神どの、勇め勇め。二月十六日、ひつ九⦿。

 

第十五巻 岩の巻 第三帖(三六八)

 

 天地(てんち)引っくるめて大立て替え致すのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。間違い出来んうちに、間違わんよう気つけて下されよ。出来てからは、いくら泣いても詫びしても後へは返せん。この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ。くどう気つけておくぞ。

 これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。インチキ⦿の前には通らんのざぞ、心せよと知らしてあらうがな。三千年で世一キリといたすのぢゃぞ。

 まことの集まりが神徳(しんとく)ぢゃ、神徳つむと、世界中見えすくのざぞ。⦿だけではこの世のことは成就せんと申してあろうがな。⦿がうつりて成就さすと申してあろうがな。こんなこと これまでにはなかりたぞ。二月十六日、一二⦿。

 

第十九巻 まつりの巻 第四帖(四〇八)

 

 世こしらえてから臣民の種植えて、臣民つくったのであるぞ。世、こしらえた神々様は「ながもの」の御(おん)姿ぞ、今に生き通しぞ。⦿(かみ)が見て、これならという身魂(みたま)に磨けたら、⦿から直々の⦿つけて、天晴(あっぱ)れにしてやるから、御用見事に仕上げさすぞ、臣民ばかりでは出来ん三千世界の大洗濯、誰一人落しとうもない⦿心、皆揃うてお蔭やりたや、喜ぶ顔見たや、遠い近いの区別なし、皆々我が子ぢゃ、可愛い子ぢゃ、早う親の心汲みとれよ。八月十日、一二⦿

 

第二十三巻 海の巻 第五帖(四九七)

 

 今日(こんにち)までの御教(みおし)えは、悪を殺せば善ばかり、輝く御代(みよ)が来るという、これが悪魔の御教えぞ、この御教えに人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願いしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪はますます増えるのみ、悪殺すてふ(ちょう)そのことが、悪そのものと知らざるや、⦿(かみ)の心は弥栄ぞ、本来悪も善もなし、ただ御光(みひかり)の栄ゆのみ、八股大蛇(やまたおろち)も金毛(きんもう)も、邪鬼(じゃき)も皆それ生ける⦿、⦿の光の生みしもの、悪抱(いだ)きませ善も抱き、あななう所に御力(みちから)の、輝く時ぞ来たるなり、善いさかえば悪なるぞ、善悪不二(ふじ)と言いながら、悪と善とを区別して、導く教えぞ悪なるぞ、ただ御光のその中に、喜び迎え善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪は無し、世界一家の大業(たいぎょう)は、地の上(うえ)ばかりでなどかなる、三千世界大和(だいわ)して、ただ御光に生きよかし、生れ赤児(あかご)となりなりて、光の⦿の説き給う、(マコトの道を進めかし、)マコトの道に弥栄(やさか)ませ。八月十五日、⦿のひつ九の⦿しるす。

 岩戸開けたる今日ぞ目出度(めでた)し、次の岩戸早(はよ)う開けてよ。

 

第二十四巻 黄金の巻 第四十四帖(五五五)

 

 奉(たてまつ)る歌書かしておいたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたい呉(く)れと申してある時来ているぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆歌え唄え。各(おの)も各も心の歌つくって奉(まつ)れよ。歌結構ぞ。

 ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。
 かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。
 御まへに、歌たてまつる、弥栄(やさか)み歌を。
 世を救う、大みゐわざぞ、みことかしこし。
 まさに今、神のみことを、このみみに聞く。
 三千世界、救ふみわざぞ、言(こと)ただし行かな。
 大神の、しきます島の、八十島(やそしま)やさか。
 天(あま)かけり、地(くに)かける神も、みひかりに伏す。
 堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。
 したたみも、いわひもとほり、神に仕へむ。
 大稜威(おおみいづ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。
 かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
 神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。
 国原は、大波うちて、みふみを拝す。
 天もなく、地もなく今を、みことに生きん。
 大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。
 天地(あめつち)の、光となりて、みふで湧き出づ。
 一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。
 大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(おや)の血。
 すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。
 高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。
 吾れあらじ、神々にして、祈らせ給う。
 天地も、極まり泣かん、この時にして。
 かつてなき、大みつげなり、たたで止(や)むべき。
 天地も、極まりここに、御代(みよ)生れ来ん。
 大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。
 みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。
 宮柱(みやばしら)、太(ふと)しき建てて、神のまにまに。
 抱き参らせ、大御心に、今ぞこたえむ。
 言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。
 ただ涙、せきあへず吾(あ)は、御(おん)まえに伏す。
 ささげたる、生命ぞ今を、神と生(あ)れます。
 大まえに、伏すもかしこし、祈る術(すべ)なし。
 今はただ、いのちの限り、太道(おみち)伝へむを。
 祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。
 いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。
 ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。
 言霊(ことたま)の、言(こと)高らかに、太陽(おおひ)にとけな。
 天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。
 あらしとなり、天駆(あまか)けりなば、この心癒えむか。
 走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。
 みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(おや)さか。
 神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。
 みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。
 あな爽(さや)け、みたみ栄(はえ)あり、神ともに行く。
 さあれ吾の、生命尊し、吾(あ)を拝(おろが)みぬ。
 みづくとも、苔(こけ)むすとても、生きて仕えん。
 いゆくべし、曲(まが)の曲こと、断(た)たで止むべき。
 かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。
 追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。
 追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。
 みことなれば、天(あめ)の壁立つ、極み行かなん。
 と心の、雄(お)たけび天も、高く鳴るべし。
 まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。
 たな肱(ひぢ)に、水泡(みなわ)かきたり、御稲(みとし)そだてんを。
 むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。
 狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。
 神々の、血潮とならん、ことに生き行く。
 言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。
 にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。
 大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。
 道端の、花の白きに、祈る人あり。
 拍手(かしわで)の、ひびきて中今(いま)の、大きよろこび。
 悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(のりと)申すも。
 祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。
 のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。
 御まへに、額(ぬか)づきあれば、波の音きこゆ。
 悔ゆるなき、一日(ひとひ)ありけり、夕月に歩す。
 曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。
 奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。
 ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。
 かのととりの日。

 

第二十九巻 秋の巻 第二十四帖(七六五)

 

 上から見ると皆人民ぢゃ。下から見ると皆神ぢゃ。わかりたと思うて御座るなれど、神の経綸が学や金銀積んで、チョットやソットでわかるはずないぞや。今までの、三千年のやり方違っていたと心つくなれば、心ついて神示読むなれば、一切のことありやかとなるのぢゃ。肝心ぢゃ。

 

補巻 月光の巻 第五十四帖(八四一)

 

 頭を下げて見なされ、流れて来るぞ。頭も下げず低くならんでいては流れては来ないぞ。神の恵みは淡々とした水のようなものぞ。そなたは頭が高いぞ。天狗ぞ。その鼻曲げて自分のにおいを嗅(か)いで見るがよい。そなたは左に傾いているぞ。左を見なければならんが、片寄って歩いてはならんぞ。そなたは右を歩きながら、それを中道と思って御座るぞ。そなたは平面上を行っているから、中道のつもりで、他に中行く道はないと信じているが、それでは足らんのう。立体の道を早う悟りなされよ。【正中の大道】あるのであるぞ。左でもなく右でもなく、嬉し嬉しの道あるぞ。左も右も上も下も相対の結果の世界ぢゃ。原因の世界に入らねばならん。平面より見れば相対あるなれど、立体に入りさらに複立体、複々立体、立立体の世界を知らねばならんぞ。相対では争ひぢゃ。戦(いくさ)ぢゃ。真の世界平和は今のやり方考え方では成就せんぞ。三千世界和平から出発せねばならんぞ。そなたは神示をよく読んでいるが、それだけでは足らん。神示を肚(はら)に入れねばならん。つけ焼刃(やきば)ではならん。神示を血とし生活とすれば、何事も思う通りスラリスラリと面白いほど栄えて来るぞ。思うように運ばなかったら省みよ。己(おのれ)が己に騙されて、己のためのみに為していることに気づかんのか。それが善であっても、己のためのみならば死し、善のための善ならば弥栄えるぞ。善にも外道の善あるぞ。心せよ。神示見て居らぬとビックリが出てくるぞ。この世始まってないことが出てくるのぢゃ、世界の片端浜辺(かたはしはまべ)からぞ。わかりたか。そなたは神体を偶像と申して御座るが、それはそなた自身が偶像なるが故であるぞ。礼拝を忘れ、祈りを忘れることは神を忘れることぢゃ。そなたの住む段階では、祈り畏(かしこ)み謹(つつし)んで実践しなければならんぞ。拝まんでも拝んでいる境地はなかなかぢゃなあ。そなたは我(われ)が助かろうとするから助からんのぢゃ。世界はこの世ばかりではないことを、よく得心して下されよ。我(が)をすてて素直になされよ。三千年の秋(とき)が来ているのであるぞ。

 

参考図書

完訳 日月神示

岡本 天明 著 中矢 伸一 監修

ヒカルランド

 

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