
第三巻 富士の巻 第二十四帖(一〇四)
富士を目ざして攻め寄する、大船小船、天(あめ)の船、赤鬼青鬼黒鬼や、大蛇(おろち)、悪狐(あくこ)を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)い、海を埋(うず)めてたちまちに、天日(てんじつ)暗くなりにけり、折しもあれや日の国に、一つの光現われぬ、これこそ救いの大神と、救い求むる人々の、目に映れるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、火の雨何ぞたまるべき、まことの⦿はなきものか、これはたまらぬともかくも、生命(いのち)あっての物種(ものだね)と、兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には竜巻や、やがて火の雨地震(つちふる)い、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉(ことごと)く、この世の外(ほか)にと失(う)せにけり、風やみ雨も収まりて、山川鎮まり国土(くにつち)の、ところどころに白衣(しろぎぬ)の、⦿の息吹に甦る、御民(みたみ)の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ⦿を拝み、地に跪(ひざまず)き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり岩戸あけたり。八月の三十日、⦿の一二の⦿。
第四巻 天つ巻 第七帖 (一一四)
富士は晴れたり日本晴れ、二本のお足であんよせよ、二本のお手々で働けよ、日本の神の御(おん)仕組、いつも二本となりてるぞ、一本足の案山子(かかし)さん、今更(いまさら)どうにもなるまいが、一本の手の臣民よ、それでは生きては行けまいが、一本足では立てないと、いうこと最早(もはや)わかったら、⦿が与えた二本足、日本のお土に立ちて見よ、二本のお手々打ち打ちて、⦿拝(おろが)めよ天地(あめつち)に、響くまことの拍手(かしわで)に、日本の国は晴れるぞよ、富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり、岩戸開けたり。九月一日、ひつ九のか三。
第六巻 日月の巻 第二十八帖(二〇一)
岩戸あけたり日本晴れ、富士光るぞ。この巻役員読むものぞ。世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。くも出てクニとなったぞ。出雲とはこの地(くに)のことぞ。スサナルの神はこの世の大神ぞ。始めは@(ウヅ)であるなり、@(うご)いて月となり地となりたのざぞ。
アは@(ヒツキクニ)の神様なり、〇ワヤ(ヨ)は月の神様ぞ、クニの神様はスサナルの神様ぞ。このこと始めに心に入れれば掃除他愛(たあい)ないぞ、グレンとは上下(うえした)かえることと申してあろうがな、言うてならぬことぞ。言わねばならぬことぞ。アメの⦿つ九の⦿。
第九巻 キの巻 第十七帖 (二七四)
すり鉢に入れてコネ廻しているのざから、一人逃れようとて逃れること出来んのざぞ、逃れようとするのは我(わ)れ善(よ)しざぞ、今の仕事、五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、その御用済みたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが。身魂(みたま)相当の御用致しているのざぞ。
仕事しながら神示(ふで)肚に入れて行けば仕事段々変るのざぞ、神示声立てて読むのざと申してあること忘れるなよ、その上で人にこの道伝えてやれよ、無理するでないぞ。我(が)捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、⦿の息吹きにとけ入るのざぞ、御稜威(ごみいづ)にとけ入るのざぞ、愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、一二三とは息吹ぞ、ミミに知らすぞ、言わねばならぬから、一二三として、息吹きとして知らすぞ。神示よく読めばわかることぞ、神示読めよ、読むと神示出るぞ、この巻は「キの巻」と申せよ。富士は晴れたり〇+(せかい)晴れ、岩戸あけたり〇+晴れぞ。三月二十日、ひつ九のか三。
第十二巻 夜明けの巻 第十一帖 (三三一)
岩戸開きのはじめの幕開(あ)いたばかりぞ。今度は水逆さに戻るのざから、人民の力ばかりでは成就せんぞ。奥の神界では済みているが、中の神界では今最中ぞ。時待てと申してあろうが。人民 大変な取り違いしているぞ。次の世の型急ぐ急ぐ。八月六日、アメのひつ九のか三。
神示読まないで智や学でやろうとて、何も九分九厘で厘止(りんど)まりぞ。我(われ)が我(われ)が取れたらわかって来るぞ。慢心おそろしいぞ。
第十二巻 夜明けの巻 第十二巻 夜明けの巻 第十二帖(三三二)
あら楽(たぬ)し、あなさやけ、元津御神(もとつみかみ)の御光(みひかり)の、輝く御代(みよ)ぞ近づけり。岩戸開けたり野も山も、草の片葉(かきは)も言止(ことや)めて、大御光(おおみひかり)に寄り集う、誠の御代ぞ楽しけれ。今一(ひと)苦労二(ふた)苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度(めでた)けれ。申(さる)、酉(とり)すぎて戌(いぬ)の年、亥(い)の年、子(ね)の年目出度けれ。一二三(ひふみ)の裏の御用する身魂(みたま)も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋(あき)来たぞ。八月の七日、アメのひつくの⦿。
〇ー(オー)かムつ三(ミ)の〇ー(オー)⦿ 五
アマつひつキ⦿Θ@(スメラ)三九十(ミコト) 四
第十二巻 夜明け巻 第十四帖 (三三三)
あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜(よ)も晴れたり。あらたのし、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり。
この神示の臣民と言うても、人間界ばかりでないぞ。神界幽界のことも言うて知らしてあると申してあろが。(取違い慢心一等恐いと申してあろうが。)祭典(まつり)、国民服、もんぺでもよいぞ。天明まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も言うでないぞ。言うてよい時は知らすぞよ、わかりたか。
仕える者無き宮、産土様の横下にいくら祀ってもよいぞ。天明は祈れ祈れ。天に祈れ、地に祈れ、引潮の時引けよ。満潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らなならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかりたか。
今度は借銭(しゃくせん)無しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、借銭無しでないと、お地(つち)の上には住めんことに今度はなるぞ。イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。今にチリチリバラバラに一時(いちじ)はなるのであるから、その覚悟よいか。毎度知らしてあること忘れるなよ。
神示腹の腹底(はらぞこ)まで沁(し)むまで読んで下されよ。⦿頼むぞ。悟った方神示とけよ。説いて聞かせよ。役員皆説けよ。信ずる者皆に掃除知らしてやれよ。神示読んで嬉しかったら知らしてやれと申してあろうが。天明は神示書かす役ぞ。阿保(あほ)になれと申してあるが、まだまだぞ、役員気つけてくれよ。
神示の代りにミミに知らすと申してある時来たぞ。いよいよの時ぞ。神示で知らすことの始めは済みたぞ。ミミ掃除せよ。ミミに知らすぞ。ミミに聞かすぞ、聞かな聞くようにして知らすぞ。辛いなれど、我慢せよ。ゆめゆめ利功(りこう)出すでないぞ、わかりたか。百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描きにもなれ。何にでもなれるようにしてあるでないか。役員も同様ぞ。
まどいつくるでないぞ、金とるでないぞ。⦿に供えられたものはみな分けて、喜ばしてやれと申してあろうが。この方、喜ぶこと好きぞ、好きのこと栄えるぞ。弥栄(いやさか)えるぞ。信者つくるでないぞ。道は伝えなならんぞ。取違えせんように、慢心せんように、生れ赤児(あかご)の心で神示読めよ。神示戴けよ。日本の臣民皆勇むよう祈りてくれよ。世界の人民皆喜ぶ世が来るよう祈りてくれよ、てんし様祀れよ。ミコトにまつろえよ。このこと出来れば、他に何もわからんでも峠越せるぞ。御民生命(みたみいのち)捨てて生命(いのち)に生きよ。
鳥鳴く声す、夢さませ、見よ明け渡る東(ひむかし)を、空色晴れて、沖つ辺(へ)に、千船(ちふね)行きかう靄(もや)の裡(うち)。
いろはにほへと、ちりぬるを。わかよたれそ、つねならむ、うゐのおくやま、けふこえて、あさきゆめみし、ゑひもせすん。
アオウエイ、カコクケキ、サソスセシ、タトツテチ、ナノヌネニ、ハホフヘヒ、マモムメミ、ヤヨユエイ、ラロルレリ、ワヲウヱヰ。
アイウエオ、ヤイユエヨ、ワヰヱヲ、カキクケコ、サシスセソ、タチツテト、ナニヌネノ、ハヒフヘホ、マミムメモ、ヤイユエヨ、ラリルレロ、ワヰウヱヲ、五十九柱ぞ。
この巻「夜明けの巻」とせよ。この十二の巻よく肝(はら)に入れておけば何でもわかるぞ。無事に峠越せるぞ。わからんことは自分で伺えよ。それぞれに取れるぞ。天津日嗣皇尊(アマツヒツギスメラミコト)弥栄(やさか)弥栄(いやさか)。あら楽(たの)し、あら楽(たの)し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。
一二三四五六七八九十百千卍(ヒフミヨイツムナナヤココノタリモモチヨロズ)。
秋満つ日に、アメのひつ九か三。しるす。
第十四巻 風の巻 第四帖 (三五五)
岩戸開(あ)けたり野も山も、草のかき葉も言止(ことや)めて、大御光(おおみひかり)により集う、楽しき御代(みよ)ぞあけにけり、都(みやこ)も鄙(ひな)もおしなべて、枯れし草木に花咲きぬ、今日まで咲きし草や木は、一時(いちじ)にどっと枯れはてて、土(つち)に還(かえ)るよすがしさよ、ただ御光の輝きて、イキの生命(いのち)の尊さよ、やがては人の国土(くにつち)に、うつらん時の楽しさよ、岩戸開けたり御光の、富士に木の花どっと咲く、御代近づきぬ御民等(みたみら)よ、最後の苦労勇ましく、打ち越しくれよ共々に、手引き合いて進めかし。光の道を進めかし。天明、懇(ねんご)ろに神示とけよ。歌の集団(まどい)作れよ。めでたき夜明けぞ。旧一月一日、一二⦿。
第二十一巻 空の巻 第十四帖(四六九)
御光(みひかり)の輝く御代(みよ)となりにけり、嬉し嬉しの岩戸開けたり。あなさやけ、三千年の夜は明けて、人、⦿(かみ)、となる秋(とき)は来にけり。日月(ひつき)の大神、キリスト大神、釈迦大神、マホメット大神、黒住大神、天理大神、金光大神、大本大神、老子大神、孔子大神、すべて十柱(とはしら)の大神は、光の大神として斎(いつ)き祀り結構致しくれよ、富士晴れるぞ、岩戸開けるぞ。御神名書かすぞ、ひかり教会祝詞は、ひかりの大神、弥栄(やさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ、ひかりの大神守り給(たま)え、幸(さきは)え給えと申せよ。弥栄弥栄(やさかいやさか)。四月五日、ひつくの⦿。
第二十三巻 海の巻 第五帖(四九七)
今日(こんにち)までの御教(みおし)えは、悪を殺せば善ばかり、輝く御代(みよ)が来るという、これが悪魔の御教えぞ、この御教えに人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願いしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪はますます増えるのみ、悪殺すてふ(ちょう)そのことが、悪そのものと知らざるや、⦿(かみ)の心は弥栄ぞ、本来悪も善もなし、ただ御光(みひかり)の栄ゆのみ、八股大蛇(やまたおろち)も金毛(きんもう)も、邪鬼(じゃき)も皆それ生ける⦿、⦿の光の生みしもの、悪抱(いだ)きませ善も抱き、あななう所に御力(みちから)の、輝く時ぞ来たるなり、善いさかえば悪なるぞ、善悪不二(ふじ)と言いながら、悪と善とを区別して、導く教えぞ悪なるぞ、ただ御光のその中に、喜び迎え善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪は無し、世界一家の大業(たいぎょう)は、地の上(うえ)ばかりでなどかなる、三千世界大和(だいわ)して、ただ御光に生きよかし、生れ赤児(あかご)となりなりて、光の⦿の説き給う、(マコトの道を進めかし、)マコトの道に弥栄(やさか)ませ。八月十五日、⦿のひつ九の⦿しるす。
岩戸開けたる今日ぞ目出度(めでた)し、次の岩戸早(はよ)う開けてよ。
第二十三巻 海の巻 第十九帖(五一一)
ミミに一二三(ひふみ)聞かするぞ、いよいよミミに聞かす時ざぞ。それぞれ人に応じて時によって、口から耳に、肚から肚に知らしてくれよ、あなさやけ、あなすがすがし、岩戸開けたり、二十三巻でこの方の神示(ふで)の折々(おりおり)の終りざぞ、後(あと)の七の巻(まき)は宝としてあるのざぞ、今にわかりて来るぞ、合わせて三十の巻、それが一つの節ざぞ、天明 御身(みみ)に聞かすぞ、よきにはからえ、この行なかなかぞ。八月二十三日、ひつ九の⦿の神示これまで。
第二十四巻 黄金の巻 第四十四帖(五五五)
奉(たてまつ)る歌書かしておいたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたい呉(く)れと申してある時来ているぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆歌え唄え。各(おの)も各も心の歌つくって奉(まつ)れよ。歌結構ぞ。
ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。
かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。
御まへに、歌たてまつる、弥栄(やさか)み歌を。
世を救う、大みゐわざぞ、みことかしこし。
まさに今、神のみことを、このみみに聞く。
三千世界、救ふみわざぞ、言(こと)ただし行かな。
大神の、しきます島の、八十島(やそしま)やさか。
天(あま)かけり、地(くに)かける神も、みひかりに伏す。
堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。
したたみも、いわひもとほり、神に仕へむ。
大稜威(おおみいづ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。
かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。
国原は、大波うちて、みふみを拝す。
天もなく、地もなく今を、みことに生きん。
大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。
天地(あめつち)の、光となりて、みふで湧き出づ。
一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。
大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(おや)の血。
すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。
高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。
吾れあらじ、神々にして、祈らせ給う。
天地も、極まり泣かん、この時にして。
かつてなき、大みつげなり、たたで止(や)むべき。
天地も、極まりここに、御代(みよ)生れ来ん。
大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。
みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。
宮柱(みやばしら)、太(ふと)しき建てて、神のまにまに。
抱き参らせ、大御心に、今ぞこたえむ。
言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。
ただ涙、せきあへず吾(あ)は、御(おん)まえに伏す。
ささげたる、生命ぞ今を、神と生(あ)れます。
大まえに、伏すもかしこし、祈る術(すべ)なし。
今はただ、いのちの限り、太道(おみち)伝へむを。
祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。
いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。
ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。
言霊(ことたま)の、言(こと)高らかに、太陽(おおひ)にとけな。
天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。
あらしとなり、天駆(あまか)けりなば、この心癒えむか。
走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。
みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(おや)さか。
神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。
みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。
あな爽(さや)け、みたみ栄(はえ)あり、神ともに行く。
さあれ吾の、生命尊し、吾(あ)を拝(おろが)みぬ。
みづくとも、苔(こけ)むすとても、生きて仕えん。
いゆくべし、曲(まが)の曲こと、断(た)たで止むべき。
かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。
追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。
追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。
みことなれば、天(あめ)の壁立つ、極み行かなん。
と心の、雄(お)たけび天も、高く鳴るべし。
まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。
たな肱(ひぢ)に、水泡(みなわ)かきたり、御稲(みとし)そだてんを。
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。
狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。
神々の、血潮とならん、ことに生き行く。
言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。
にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。
大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。
道端の、花の白きに、祈る人あり。
拍手(かしわで)の、ひびきて中今(いま)の、大きよろこび。
悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(のりと)申すも。
祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。
のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。
御まへに、額(ぬか)づきあれば、波の音きこゆ。
悔ゆるなき、一日(ひとひ)ありけり、夕月に歩す。
曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。
奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。
ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。
かのととりの日。
五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第三帖
高天原(たかあまはら)に千木高(ちぎたか)しりて仕(つか)へまつらむ。岩戸の開けたその当座は、不合理に思えることばかり出てくるぞ、逆様(さかさま)の世界が、この世界に入り交じるからであるぞ、親よりも子の方が早く目覚めるぞ、子が親となるぞ、逆さまの世界と申しても悪の世界ではないぞ、霊の世界には想念のままにどんなことでも出来るのであるぞ、嬉しい、怖い世界が近づいて来ているのであるぞ。
五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第六帖
はらひため千城百国精治万歳。三年と半年、半年と三年であるぞ、その間は暗闇(くらやみ)時代、火を灯(とも)しても暗いのであるぞ、明るい人民には闇でも明るい、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年ぢゃ、五日と五日ぢゃ、このこと間違えるでないぞ。手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追いやられたのであるが、マコトはマコトぢゃ、時めぐりきて、我(が)がとれたので、光が射(さ)し初(そ)めたのぢゃ、岩戸が開けたのぢゃ。神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみぞ、この大峠を越してから大いなる試しがあるぞ、人の心の難しさ、計り知れんほどであるなれど、見て御座れ、見事なこと致して見せるぞ。
五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第八帖
平坂の岩戸ひらけむ音のきこゆる。神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取り違い致してはならん。太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。またすべてが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、もし怒りが出た時は、神の座から外れてしまうのであるぞ。救いの手は東(ひむかし)より差し延べられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよくわかりて下されよ。今の方向では東北(うしとら)から救いの手が差し延べられるのぢゃ、ウシトラとは東北であるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地の元の、天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終わりの終わりぞ、弥栄の弥栄ぞ、礎(いしずえ)ぞ。
五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第十二帖
進(たてまつ)る宇都の幣帛(みてくら)きこしめしたべ。神の御手に巻物があるぞ、その巻物の数は五十巻ぢゃ、この巻物を見たものは今までに一人もなかったのであるぞ、見てもわからんのぢゃ。巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となってしまうのであるぞ、人民にはわからんなり。説くことは出来んなり、この巻物は天の文字で書いてあるぞ、数字で書いてあるぞ、無が書いてあるぞ、無の中に有が記してあるぞ、心を無にすれば白紙の中に文字が現われるのであるぞ、時節参りて誰の目にも黙示とうつるようになった、有り難いことであるぞ、岩戸が開けていよいよの時となったのぞ、始めからの巻物よく読んで下されよ、よくより分けて下されよ、何もかも一切ありやかに刻まれているぞ、残る十二巻と一巻は人民ではわからんぞ、無の巻物ぞ、空に書いてあるぞ。
五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第十四帖
青海原青垣山の内に御子生る。神の御座(みくら)のまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現われるのであるぞ、大摩邇(まに)は百宝を以(もつ)て成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億の化仏(けぶつ)ぢゃと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ、今までは四の活物と知らせてありたが、岩戸が開けて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ。
五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第十五帖
百不足(ももたらず)八十隈手(やそくまで)いまひらかん時ぞ。天のことは今までは人民にはわからなかったのであるぞ、時めぐり来て、岩戸が開けて、わかるようになったのぞ、今までの人民であってはならん、地そのものが変っているのであるぞ、人民は我(ガ)が強いから一番遅れているのであるぞ、人民の中では宗教人が一等遅れているぞ、神人(かみひと)とならねば生きては行かれんのぢゃ、天地がアメツチとなってきているからぞ、天も近うなるぞ、地も近うなるぞと気つけてありたのに目覚めた人民少ないぞ、今に昇り降りで忙しくなり、衝突するものも出てくるぞ、他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民たちよ、もうその時は過ぎているのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地を踏みしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。
五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第二帖
気の合う者のみで和して御座るなれど、それでは和にならんと知らしてあろうがな、今度は合わんものと合せるのぢゃ、岩戸が開けたから、逆様のものが出て来ているのぢゃ、この行(ぎょう)なかなかであるなれど、これが出来ねば岩戸は開けんのぢゃ、マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、人民が騙(だま)されるのも無理ないようなれど、騙されていては今度の御用は成就せんぞ。自分自身に騙されている人民も多いのであるが、ついて御座れよ、少しは苦しき行もあるなれど見事なことを致して御目にかけるぞ、自分でもビックリぢゃ、初めからの神示よく読んで下されよ、霊かかりよろしくないぞ、やめて下されと申してあろう。
五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第七帖
始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものがわからなければ、それはただの理屈に過ぎんぞ、マコトでないぞ、根から出たものではない、枝葉に過ぎん、男から女は生れんぞ、奇数から偶数は生れんと申してあろうが、一つのものの表が男であるぞ、裏が女であるぞ、男から女をつくったと申すのは或る時期におけける教えぢゃ、岩戸が開けたのであるから教えではならん、道でなくてはならんと申してあるぞ、道は永遠ぢゃ、〇から出て〇に至るのぢゃ。
五十黙示録 第三巻 星座之巻 第十一帖
自由も共産も共倒れ、岩戸が開たのであるから元の元の元のキの道でなくては、魂(たま)の道でなくては立ちては行かん、動かん富士の仕組、ひらけて渦巻く鳴門(なると)ぢゃ。新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつところ、この岩戸開きて二度とない九十でひらく仕組。
五十黙示録 第三巻 星座之巻 第十五帖
十二人が一人欠けて十一人となるぞ、その守護神を加えて二十二柱、二十二が富士ぢゃ、真理ぢゃ、また三であるぞ、今までは四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのであるが、岩戸が開けたから親指が現れて五本十本となったのぢゃ、このことよくわきまえよ。
五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第十帖
国常立(クニトコタチ)神も素盞鳴(スサナル)命も大国主(オオクニヌシ)命も、総て地に縁(ゆかり)のある神々は皆、九と十の世界に居られて時の来るのをお待ちになっていたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運正にめぐり来て、千引の岩戸は開かれて、これら地に縁のある大神たちが現れなされたのであるぞ、これが岩戸開きの真相であり、誠(マコト)を知る鍵であるぞ。
五十黙示録 第七巻 五葉之巻 第四帖
お尻を出したらお尻をキレイに拭(ふ)いてやれよ、怒ってはならん、お尻を出されるには、出されるだけの何かの原因が己(おのれ)の中にあるのであるぞ。利子は後からでよいと申すが、先に払うこともあるぞ、先にお尻を拭いてやらねばならんこともあるぞ。世が迫って岩戸が開いたのであるから、先にお尻を拭くことも出てくるぞ、思わぬお尻持ち込まれることもあるなれど、怒ってはならん、気持よく拭いてやれよ、やがては神がそなたのお尻を拭いて下さるぞよ。
五十黙示録 第七巻 五葉之巻 第六帖
仕事はいくらでもあるではないか、七つの仕事があるぞ、七人の替(か)え身魂(みたま)あると知らせてあろうがな、高く昇らねば遠くは見えん、目の先ばかり見ているから行き詰まるのぢゃ、道には落し穴もあるぞ、心得て、仕事に仕えまつれよ。岩戸は開かれているのに何しているのぞ、光がさしているのに何故背を向けているのぞ、十の仕事して八しか報酬ないことあるぞ、この場合、二は神に預けてあると思えよ、神の帳面誤りなし、利子がついて返って来るぞ、マコトのおかげは遅いと申してあろうがな。
五十黙示録 第七巻 五葉之巻 第十帖
悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかっているなれど、もう悪の世は済んで岩戸が開けているのざから、何とやらのように前から外れてアフンぢゃ、七重(ななえ)の花が八重(やえ)に、八重が九重(ここのえ)、十重に(とえ)開くのであるぞ、七重はキリストぢゃ、八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、今までの教えは潰れると申してあろうがな。とやかく申さず掴(つか)めるところから神をつかんでついて御座れよ、水は流れるところへ流れているであろうがな、あの姿。
五十黙示録 補巻 紫金之巻 第一帖
高天原、おのころに神祇(かみ)つまります、すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて、千万(ちよろづ)の神祇(かみ)たちを神集(かむつど)へに集へ給ひ、神はかりにはかり給ひて、下津岩根(しもついわね)に宮柱二十敷建(みやはしらふとしきた)て高天原(たかあまはら)に千木高知(ちきたかし)りて、伊都(いづ)の神宝(みたから)の大御心(おおみこころ)のまにまに千座(ちくら)の置座(おきくら)におき足(た)らはして、天地祝詞(あめつちのりと)の二十祝詞言(ふとのりとごと)をのれ、かくのらば神祇はおのもおのもの岩戸を押しひらきて伊頭(いづ)の千別(ちわ)きに千別き給ひて聞(きこ)し召さむ、かく聞し召してば、天(あめ)の国顕(うつ)し国共に罪という罪はあらじと科戸(しなど)の風の吹き放つことの如く、朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹きはらふ如く、大(おほ)つ辺(べ)に居る大船(おおふね)を舳(へ)ときはなち艫(とも)とき放ちて大海原(おおうなばら)に押しはなつ事(こと)の如(ごと)く、のこる罪(つみ)も穢(けがれ)もあらじと祓(はら)へ給へ清め給ふことを、よしはらへ、あしはらへ給ひて弥栄の御代とこそ幸はへ給へ幸はへ給へ。
〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳。
五十黙示録 補巻 紫金之巻 第三帖
伊豆幣帛(いづぬさ)を都幣帛(とぬさ)に結び岩戸開きてし。ウヨウヨしている霊かかりに、まだ騙(だま)されて御座る人民多いのう、何と申したらわかるのであるか、奇跡を求めたり、我(わ)れ善(よ)しのおかげを求めたり、下級な動物の容(い)れ物となっているから、囚わているから、騙されるのぢゃ、霊媒の行いをよく見ればすぐわかるでないか。早う目覚めよ、因縁とは申しながら、可哀想なからくどう申して聞かせているのであるぞ、マコトの道にかえれよ、マコトとは〇一二三四五六七八九十と申してあろう、その裏は十九八七六五四三二一〇で、合せて二十二であるぞ、二二が真理と知らしてあろう、二二が富士と申してあろうが、まだわからんか。
五十黙示録 補巻 紫金之巻 第五帖
岩戸ひらき御祷(みほぎ)の神宝(たから)たてまつらまし。月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は血の色となるぞ、流れも血ぢゃ。人民四ツン這(ば)いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとて、神でも逃れることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。
五十黙示録 補巻 紫金之巻 第六帖
白玉や赤玉青玉ささげまつりし。今までは白馬と赤馬と黒馬とであったなれど、岩戸が開けたら、岩戸の中から黄の馬が飛び出してくるぞ、キが元ぞと申してあろうが、トドメの馬であるぞ、黄金の馬であるぞ、救いの馬であるぞ、このこと神界の秘密でありたなれど、時来たりて人民に伝えるのであるぞ、今までは白馬に股がって救世主が現れたのであるが、いよいよの救世主は黄金の馬、キの馬にのって現われますのであるぞ。
五十黙示録 補巻 紫金之巻 第七帖
太祝詞(ふとのりと)のりのり祈らば岩戸ひらけん。神は一時は仏とも現れたと申してありたが、仏ではもう治まらん、岩戸が開けたのであるから、蓮華(れんげ)ではならん。人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるぞ、神が沈めるのではない、人民が自分で沈むのであるぞ、人民の心によって明るい天国への道が暗く見え、暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ、珍らしきこと珍らしき人が現れてくるぞ、ビックリ、ひっくり返らんように気つけてくれよ、目の玉 飛び出すぞ、たとえでないぞ。
五十黙示録 補巻 紫金之巻 第八帖
千引岩(ちびきいわ)今ぞあけたり爽(すが)し富士はも。神は宇宙をつくり給わずと申して聞かせてあろうが、このことよく考えて、よく理解して下されよ、大切な分かれ道で御座るぞ。福祓いも併(あわ)せて行わねばならん道理。光は中からぢゃ、岩戸は中から開かれるのぢゃ、ウシトラが開かれてウシトラコンジンがお出ましぞ、もう邪(よこしま)のものの住む一寸の土地もなくなったのぞ。
五十黙示録 補巻 紫金之巻 第十帖
この巻、五葉(ごよう)の巻と申せよ、四つの花が五つに咲くのであるぞ、女松の五葉、男松の五葉、合わせて十葉と成り成り成りて笑(え)み栄(さか)ゆる仕組、十と一の実り、二二(ふじ)と輝くぞ、日本晴れ近づいたぞ、あな爽々(すがすが)し、岩戸あけたり。国土をつくり固める為に、根本大神が何故にヌホコのみを与えたまいしか? を知らねば、岩戸開きの秘密は解けんぞ。千引(ちびき)岩戸を開くことについて、神は今まで何も申さないでいたのであるなれど、時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのであるぞ、素盞鳴(スサナル)の命(ミコト)のまことの御姿がわからねば次の世のことはわからんぞ、神示(ふで)をいくら読んでも肝心要(かんじんかなめ)のことがわからねば何にもならんぞ。
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