グリモワール
子の年
日月神示には「子の年」について記されている神示が三つあります。
1:「一二三、三四五、五六七ぞ、五の年は子の年ざぞよ。」
2:「子の年真中にして前後十年が正念場」
3:「申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ。」
第七巻 日の出の巻 第二帖(二一五)
今年は神界元の年ぞ、⦿始めの年と申せよ。一二三(ヒフミ)、三四五(ミヨイヅ)、五六七(ミロク)ぞ、五の年は子(ね)の年ざぞよ。取り違いせんように、月⦿の巻十人と、十人の役員に見せてやりてくれよ、時節到来したのであるぞ。桜咲き⦿の御国(みくに)は明け初(そ)めにけり、十二月二日、ひつ九のか三しらす。
第八巻 磐戸の巻 第十六帖(二五二)
世の元からの生⦿(いきがみ)が揃(そろ)うて現われたら、皆腰抜かして、目パチクリさして、物言えんようになるのざぞ。神徳貰(もろ)うた臣民でないとなかなか越せん峠ざぞ、神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、大き器(うつわ)持ちて御座れよ、掃除した大き要れ物いくらでも持って御座れよ、神界にはビクともしぬ仕組出来ているのざから、安心して御用勤めてくれよ。今度はマコトの⦿の力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、⦿(ニホン)の国は小さいが、天と地との神力強い、⦿のマコトの元の国であるぞ。
洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、智恵や学に頼らずに、⦿の申すこと一つも疑わず、生れ赤子の心の初心(うぶこころ)になりて、⦿の教え守ることぞ。身魂磨きと申すのは、神から授かっている身魂の命令に従うて、肉体心捨ててしもうて、⦿の申すとおり背(そむ)かんようににすることぞ。学や智を力と頼むうちは身魂は磨けんのぞ。学越えた学、智越えた智は、⦿の学、⦿の智ざということわからんか。今度の岩戸開きは身魂から、根本から変えてゆくのざから、なかなかであるぞ、天災や戦ばかりでは中々埒あかんぞ、根本の改めざぞ。小さいこと思うているとわからんことになると申してあろがな、この道理よく肚に入れて下されよ、今度は上中下三段に分けてある身魂の因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本から造り変えるよりは何れだけ難しいか、大層な骨折りざぞよ。
叱るばかりでは改心出来んから、喜ばして改心さすことも守護神にありてはあるのざぞ、聞き分けよい守護神殿少ないぞ、聞き分けよい悪の神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。この道の役員は昔からの因縁によって御魂(みたま)調べて、引寄せて、御用さしてあるのぞ、滅多に見当狂わんぞ、⦿が綱かけたら中々離さんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくるわまってまた始めからお出直しで御用せなならんようになって来るぞ。身魂磨け出したら病神(やまいがみ)などドンドン逃げ出すぞ。出雲の神様大切申せと知らしてあること忘れるなよ。子(ね)の年真中にして前後十年が正念場、世の立替えは水と火とざぞ。未(ひつじ)の三月三日、五月五日は結構な日ぞ。一月十四日、⦿の一二のか三。
第十二巻 夜明けの巻 第十二帖 (三三二)
あら楽(たぬ)し、あなさやけ、元津御神(もとつみかみ)の御光(みひかり)の、輝く御代(みよ)ぞ近づけり。岩戸開けたり野も山も、草の片葉(かきは)も言止(ことや)めて、大御光(おおみひかり)に寄り集う、誠の御代ぞ楽しけれ。今一(ひと)苦労二(ふた)苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度(めでた)けれ。申(さる)、酉(とり)すぎて戌(いぬ)の年、亥(い)の年、子(ね)の年目出度けれ。一二三(ひふみ)の裏の御用する身魂(みたま)も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋(あき)来たぞ。八月の七日、アメのひつくの⦿。
〇ー(オー)かムつ三(ミ)の〇ー(オー)⦿ 五
アマつひつキ⦿Θ@(スメラ)三九十(ミコト) 四
辛酉(かのととり)
日月神示の神示に辛酉(かのととり)という言葉が五か所出てきます。
1:「辛酉(かのととりはよき日、よき年ぞ」
2:「辛酉(かのととり)はよき日と知らしてあろがな」
3:「辛酉(かのととり)は結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ」
4:「辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな」
5:「辛酉(かのととり)の日に祀りてくれよ」
第二巻 下つ巻 第三十帖(七二)
八のつく日に気つけてくれよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。冬に桜咲いたら気つけてくれよ。八月二日、ひつくの⦿。
第三巻 富士の巻 第十八帖(九八)
神々様みなお揃(おそ)いなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒(アレ)の神、五柱七(いつはしらなな)柱、八(はち)柱、十(と)柱の神々様がチャンとお心合わしなされて、今度の仕組の御(おん)役きまりてそれぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。辛酉(かのととり)はよき日と知らしてあろがな。
これから一日一日烈(はげ)しくなるぞ、臣民心得ておいてくれよ、物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいということになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが、保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、臣民の食い物、足りるように作らしてあるに、足らぬと申しているが、足らぬことないぞ、足らぬのはやり方悪いいのざぞ、食いて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。それぞれの神様にまつわれば、それぞれのこと、何もかなうのぞ、⦿にまつわらずに、臣民の学や知恵が何になるのか、底知れているのでないか。
戦(いくさ)には戦の神あるぞ、お水に泣くことあるぞ、保持の⦿様御怒りなされているから、早よう心入れ変えてよ、この⦿様お怒りになれば、臣民日干(ひぼ)しになるぞ。八月の辛酉の日、ひつくのか三さとすぞ。
第四巻 天つ巻 第八帖(一一五)
嵐の中の捨小船(すておぶね)と申してあるが、今その通りとなりておろうがな、どうすることも出来まいがな、船頭どの、苦しい時の⦿頼みでもよいぞ、⦿祀りてくれよ、⦿にまつわりてくれよ、⦿はそれを待っているのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、そこに光現れるぞ。光現われると、道はハッキリとわかりて来るのぞ、この方にだまされたと思うて、言う通りにして見なされ、自分でもビックリするように結構が出来てるのにビックリするぞ。
富士の御(おん)山に腰かけて、この方世界中護(まも)るぞ。辛酉(かのととり)、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降(くだ)りで忙しくなるぞ。てんし様御遷(おうつ)り願ふ時近づいて来たぞよ。奥山に紅葉(もみじ)ある内にと思えども、いつまで紅葉ないぞ。九月の二日、ひつ九⦿。
第六巻 日月の巻 第十帖(一八三)
ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコト、ナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ(次、天之常立命、次、国之常立命、次、豊雲野命、なり成りて、現われ出で給い、命澄みきり給いき)。
辛酉(かのととり)の日と年は怖い日で、良き日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、怖い日ざと申して知らしてありたこと、少しはわかりたか。何事も神示通りになりて、先繰りに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済むように申しているが、戦はこれからぞ。旧十月八日、十八日はいくらでもあるのざぞ。三月三日、五月五日は良き日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今は型であるぞ。早う改心すれは型小さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気つけよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出て御(おん)働きなされていること、今度はよくわかりたであろがな。⦿と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。⦿がいよいよとなりて、ビックリ箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んのざぞ。譬(たと)えではないのざぞ。くどう気つけておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌(ふんどし)締めてくれよ。十月二十五日、ひつ九のか三。
第七巻 日の出の巻 第十五帖(二二八)
十柱の⦿⦿(かみがみ)様、奥山に祀りてくれよ、九柱でよいぞ、いずれの⦿⦿様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合わして十柱となるのざぞ。御神体の石集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祀りしてくれよ。
病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかでわかると申してあろがな。届くとは注ぐことぞ、手首と息と腹の息と首の息とホの息と頭の息と足の息と胸と臍(へそ)の息と脊首の息と手の息と、八所十所(やところとところ)の息合っていれば病無いのざぞ、災難見ないのざから、毎朝神拝(おろが)みてからよく合わしてみよ、合っていたらその日には災難無いのざぞ、ことに臍の息一番大切ざぞ、もしも息合っていない時には一二三唱えよ、唱え唱えて息合うまで祈れよ、どんな難儀も災難も無くしてやるぞ、この方、意富加牟豆美(おおかむつみ)の神であるぞ。神の息と合わされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命(いのち)助けてやるぞ、このことはこの方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、このこと早う皆に知らしてどしどしと安心して働くようにしてやれよ。飛行機の災難も、地震、罪穢(つみけがれ)の禍(わざわい)も、大きい災難ある時には息乱れるのぞ、一二三祝詞と祓い祝詞と⦿の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりてくれよ。十二月十八日、ひつ九か三。
その他
「子の年」と「辛酉」に関係する重要な4つの神示になります。
1:「十年先は、五六七(みろく)の世」
2:「十二年遅れている」
3:「建て替えが十年延びた」
4:「三年と半年、半年と三年 ... 五年と五年」
第七巻 日の出の巻 第二十帖(二三三)
この度は世に落ちておいでなされた⦿⦿(かみがみ)様をあげねばならぬのであるぞ、臣民もその通りざぞ、⦿の申す通りにすれば何事も思う通りにスラスラと進むと申してあろがな。これからは⦿に逆らうものは一つも埓(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。⦿の国はどうしても助けなならんから、⦿が一日(いとい)一日と延ばしていることわからんか。皆の者が⦿を軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真(まこと)の力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの⦿でないと間に合わんのざぞ。
何処(どこ)の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしているのぞ、今の様(さま)は何ごとぞ。この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った⦿ざぞ、この世構う⦿でも我(が)出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すまいぞ、この方がよい見せしめぞ 。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取違いが一等気障(きざわ)りざぞ。改心チグハグざから物事後先(あとさき)になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、⦿の道広めると申して我(われ)を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今までは⦿が世に落ちて人が⦿になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。
吾(われ)が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざ。十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、⦿は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民火がついてもまだ気付かずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、⦿、くどう気つけておくのざぞ。三四気つけてくれよ、⦿の国は⦿の力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気つかぬと今度という今度は取返しつかんぞ。見事なこと⦿がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置く事あるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。
この神は⦿の国の救われること一番願っているのざぞ、外国人も⦿の子ではあるが性来(しょうらい)が違うのざぞ、⦿の国の臣民が真(まこと)の⦿の子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ、同じ⦿の子でありながら⦿の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も⦿の国から⦿の民(たみ)からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外(はず)したら、いつになりても取返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ、やり損ない出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺(おぼ)れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は流々 (りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、この⦿はめったに間違いないぞ。三千年地に潜(もぐ)りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、⦿の申すよう素直に致して下されよ。
末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりていることざぞ。オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ、日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ、日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埓あくぞ。早う改心してくれよ。十二月二十六日、一二⦿。
第二十七巻 春の巻 第五十五帖(七一二)
十二年遅れているのを取り戻すのであるから、これからは目の廻るほど忙しくなってくるぞ。神示読む暇もなくなると申してある時来たぞ。いずれは人民減るなれど、何も約束ごと、真理とは替えらられん。まこと求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用与える仕組。
第十九巻 祭りの巻 第二十一帖(四二五)
立て替えが十年延びたと知らしてあろうが、立て替え遅くなりて、それから立て直しにかかりたのでは人民丸潰(まるつぶ)れとなるから、立て直し早う早うかかるからと聞かしてあろが、人民にはなかなかわからんなれど、世界の動きよく見て御用(ごよう)結構ぞ。世の立て替えは水の守護、火の守護と知らしてあること忘れずに神示(ふで)読めよ、所々の氏神(うじがみ)様は日本の内(うち)で御用なさるのぢゃ。どんな集団(まどい)も神示元(もと)ぢゃ、神示で開かなならんぞ、智や学も要るなれど、智や学では開けんぞ、マコトで開いて下されよ。八月三十日、一二⦿。
五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第六帖
はらひため千城百国精治万歳。三年と半年、半年と三年であるぞ、その間は暗闇(くらやみ)時代、火を灯(とも)しても暗いのであるぞ、明るい人民には闇でも明るい、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年ぢゃ、五日と五日ぢゃ、このこと間違えるでないぞ。手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追いやられたのであるが、マコトはマコトぢゃ、時めぐりきて、我(が)がとれたので、光が射(さ)し初(そ)めたのぢゃ、岩戸が開けたのぢゃ。神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみぞ、この大峠を越してから大いなる試しがあるぞ、人の心の難しさ、計り知れんほどであるなれど、見て御座れ、見事なこと致して見せるぞ。
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