ののの備忘録

『日月神示』の解読から始まる古の神々さまの封印解除と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。

日月神示用語集:立て替え・立て直し

 

グリモワール

 

第四巻 天つ巻 第四帖(一一一)

 

 この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、あちこちに人身(じんしん)の肉体かりて予言する⦿が沢山出ているなれど、九分九厘は分りておれども、とどめの最後はわからんから、この方に従いて御用せよと申しているのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。

 百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイことではないのざぞ。ぶち壊し出来ても立て直しわかるまいがな。火と水で岩戸開くぞ、知恵や学でやると、グレンとひっくり返ると申しておいたが、そう言えば智慧や学は要らんと臣民早合点するが、智慧や学も要るのざぞ。悪も御役であるぞ、この道理よく肝(はら)に入れて下されよ。 

 天の⦿様、地に御降(おんお)りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、国々の⦿⦿(かみがみ)様、産土(うぶすな)様、力ある⦿⦿様にも御苦労になっているのざぞ。天照皇太神宮(てんしょうこうたいじんぐう)様初め神々様、篤(あつ)く祀りてくれと申してきかしてあろがな、⦿も仏(ほとけ)もキリストも元は一つぞよ。八月三十一日、ひつ九の⦿。

 

第五巻 地つ巻 第三十帖(一六七)

 

 一度に立て替えすると世界が大変が起るから、延ばし延ばしているのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言うこと出来ず、同じ⦿の子でありながらあまりにもひどいやり方、ケダモノよりもむごいことになるのが、よくわかりているから、⦿が表に出て世界中救うのであるぞ、この神示肝に入れると⦿力(しんりき)出るのざぞ、疑う臣民沢山あるが気の毒ざぞ。一通りは嫌がる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むように、上(うえ)の人、してやりて下されよ。

 生命(いのち)あるうちに⦿の国のこと知らずに、死んでから⦿の国に行くことは出来んぞ、⦿の力でないと、もう世の中はどうにも動かんようになっていること、上の番頭殿わかりておろうがな、どうにもならんと知りつつ、まだ智や学に縋(すが)りておるようでは上の人とは申されんぞ、智や学越えて⦿の力にまつわれよ、飛行機でも飛行機にまつわれば命(いのち)通うのざぞ、お土拝みて米作る百姓さんが⦿のまことの民ぞ、カミ拝(おろが)みて神示取れよ、神のない世とだんだんなりておろがな。まつることは生かすことぞ。生かすことは能(はたら)かすことぞ。⦿の国には何でもないものないのざぞ、⦿の御用なら何でも出て来る結構な国ざぞ、何もなくなるのはやり方悪いのぞ、⦿の心に副(そ)はんのぞ。十月七日、一二⦿。

 

第七巻 日の出の巻 第二十帖(二三三)

 

 この度は世に落ちておいでなされた⦿⦿(かみがみ)様をあげねばならぬのであるぞ、臣民もその通りざぞ、⦿の申す通りにすれば何事も思う通りにスラスラと進むと申してあろがな。これからは⦿に逆らうものは一つも埓(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。⦿の国はどうしても助けなならんから、⦿が一日(ひとひ)一日と延ばしていることわからんか。皆の者が⦿を軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真(まこと)の力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの⦿でないと間に合わんのざぞ。何処(どこ)の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしているのぞ、今の様(さま)は何ごとぞ。

 この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った⦿ざぞ、この世構う⦿でも我(が)出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すまいぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取違いが一等気障(きざわ)りざぞ。改心チグハグざから物事後先(あとさき)になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、⦿の道広めると申して我(われ)を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今までは⦿が世に落ちて人が⦿になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。吾(われ)が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざ。

 十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、⦿は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、⦿、くどう気つけておくのざぞ。三四気つけてくれよ、⦿の国は⦿の力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取返しつかんぞ。見事なこと⦿がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。

 この神は⦿の国の救われること一番願っているのざぞ、外国人も⦿の子ではあるが性来(しょうらい)が違うのざぞ、⦿の国の臣民が真(まこと)の⦿の子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ、同じ⦿の子でありながら⦿の国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も⦿の国から⦿の民(たみ)からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外(はず)したら、いつになりても取返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ、やり損ない出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺(おぼ)れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、この⦿はめったに間違いないぞ。三千年地に潜(もぐ)りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、⦿の申すよう素直に致して下されよ。

 末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりていることざぞ。オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ、日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ、日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埓あくぞ。早う改心してくれよ。十二月二十六日、一二⦿。

 

第八巻 磐戸の巻 第十六帖(二五二)

 

 世の元からの生⦿(いきがみ)が揃(そろ)うて現われたら、皆腰抜かして、目パチクリさして、物言えんようになるのざぞ。神徳貰(もろ)うた臣民でないとなかなか越せん峠ざぞ、神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、大き器(うつわ)持ちて御座れよ、掃除した大き要れ物いくらでも持って御座れよ、神界にはビクともしぬ仕組出来ているのざから、安心して御用勤めてくれよ。今度はマコトの⦿の力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、⦿(ニホン)の国は小さいが、天と地との神力強い、⦿のマコトの元の国であるぞ。

 洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、智恵や学に頼らずに、⦿の申すこと一つも疑わず、生れ赤子の心の初心(うぶこころ)になりて、⦿の教え守ることぞ。身魂磨きと申すのは、神から授かっている身魂の命令に従うて、肉体心捨ててしもうて、⦿の申すとおり背(そむ)かんようににすることぞ。学や智を力と頼むうちは身魂は磨けんのぞ。学越えた学、智越えた智は、⦿の学、⦿の智ざということわからんか。今度の岩戸開きは身魂から、根本から変えてゆくのざから、なかなかであるぞ、天災や戦ばかりでは中々埒あかんぞ、根本の改めざぞ。小さいこと思うているとわからんことになると申してあろがな、この道理よく肚に入れて下されよ、今度は上中下三段に分けてある身魂の因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本から造り変えるよりはどれだけ難しいか、大層な骨折りざぞよ。

 叱るばかりでは改心出来んから、喜ばして改心さすことも守護神にありてはあるのざぞ、聞き分けよい守護神殿少ないぞ、聞き分けよい悪の神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。この道の役員は昔からの因縁によって御魂(みたま)調べて、引寄せて、御用さしてあるのぞ、滅多に見当狂わんぞ、⦿が綱かけたら中々離さんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくるわまってまた始めからお出直しで御用せなならんようになって来るぞ。身魂磨け出したら病神(やまいがみ)などドンドン逃げ出すぞ。出雲の神様大切申せと知らしてあること忘れるなよ。子(ね)の年真中にして前後十年が正念場、世の立て替えは水と火とざぞ。未(ひつじ)の三月三日、五月五日は結構な日ぞ。一月十四日、⦿の一二のか三。

 

第九巻 キの巻 第八帖 (二六五)

 

 今までして来たことが、なるほど天地の⦿の心に背(そむ)いているということ心からわかりて、心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、借銭負うている身魂は、この世にはおいてもらえんことに規則定まったのざぞ、早う皆に知らしてやれよ。

 タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、立て直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。立て直し急ぐぞ、立て直しとは元の世に、⦿の世に返すことざぞ、元の世と申しても泥(どろ)の海ではないのざぞ、中々に大層なことであるのざぞ。上下(うえした)グレンと申してあることよく肚に入れてくれよ。三月十一日、ひつぐの⦿。

 

第九巻 キの巻 第九帖 (二六六)

 

 悪いこと待つは悪魔ぞ、いつ立て替え、大峠が来るかと待つ心は、悪魔に使われているのざぞ。この神示世界中に知らすのざ、今までは大目に見ていたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、⦿の規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平(いったいら)に泥の海であったのを、修理個成(つくりかため)たのは国常立尊(くにとこたちのみこと)であるぞ、親様を泥の海にお住まい申さすはもったいないぞ、それで天にお昇りなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、この⦿⦿(かみがみ)様、御手伝いでこの世のかため致したのであるぞ。

 元からの龍体持たれた荒神(あらがみ)様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、何も知らずに上に登りて、⦿を見おろしているようで、何でこの世が治まるものぞ。

 天と地の御恩ということが⦿の国の守護神にわかりておらんから、難儀なことが、愈々(いよいよ)どうにもならんことになるのぞ、バタバタとなるのぞ。臣民生れ落ちたら、ウブの御(おん)水を火で暖めて産湯(うぶゆ)を浴びせてもろうであろが、その御水はお土から頂くのざぞ、焚(た)き火灯(びとも)しは皆日の大⦿様から頂くのぞ、御水と御火と御土で、この世のイキあるもの、生きているのざぞ、そんなことくらい誰でも知っていると申すであろが、その御恩ということ知るまいがな。(一厘のところわかるまいがな。)

 守護神も曇りているから⦿⦿様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、世間話に花咲かすようでは誠の役員とは言われんぞ、桜に花咲かせよ。せわしくさしているのざぞ、せわしいのは神の恵みざぞ、今の世にせわしくなかったら臣民腐ってしまうぞ、せわしく働けよ。三月十一日、ひつ九のか三。

 

第十巻 水の巻 第十二帖 (二八六)

 

 人間心には我(が)があるぞ。⦿心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理わかりたか。神に融(と)け入れよ。てんし様に融け入れよ。我なくせ、我出せよ。

 立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵(ちり)一つ残らぬように洗濯することざぞ。今度と言う今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。立て直しと申すのは、世の元の大神様の御心(みこころ)のままにすることぞ。御光(みひかり)の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいづ)輝く御代(みよ)とすることぞ。政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べる物も一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きいて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むすび、天地栄ゆ、はじめ和の道。

 世界の臣民、てんし様拝(おろが)む時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人(ますひと)となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。六月十二日、三のひつ九ノ⦿。

 

第十一巻 松の巻 第八帖(二九九)

 

 神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。渡れん者が渡りて穢(けが)してしもうているぞ。日本の人民、大和魂(やまとだましい)どこにあるのぞ、大和魂とは⦿と人と解け合った姿ぞ。戦(いくさ)いよいよ烈しくなると、日本の兵隊さんも、これはかなわんということになり、神はこの世にいまさんということになって来るぞ。それでどうにもこうにもならんことになるから、早よう神にすがれと申しているのぞ。誠もてすがれば、その日からよくなるぞ、神力現れるぞ。

 今度の立て替えは、この世初まってないことであるから、戦ばかりで立て替え出来んぞ。世界隅々(すみずみ)まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も、隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民沢山出来るぞ。ミタマの神がいくら我(が)張っても、人民にうつっても、今度は何も出来はせんぞ。世の元からの生神でないことには出来ないのであるぞ。それで素直に言うこと聞けとくどう申すのぞ、今度は神の道もさっぱり造り替えるのざぞ。臣民の道はもとより、獣(けもの)の道も造り替えぞ。

 戦の手伝いくらい誰でも出来るが、今度の御用はなかなかに難しいぞ。赤いものが赤い中見ると色無いと思うのぞ、気つけてくれよ。悪神の守護となれば自分で正しいと思うこと、悪となるのざぞ。悪も改心すれば助けてやるぞ。海の御守護は竜宮(りゅうぐう)の乙姫(おとひめ)様ぞ。海の兵隊さん、竜宮の乙姫殿祀りくれよ。竜宮の乙姫殿の御守護ないと、海の戦はケリつかんぞ。

 朝日照る、夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。宝いよいよ世に出るぞ。人民の改心第一ぞ。顔は今日でも変るぞ。民の改心なかなかぞ。六月二十三日、アメのひつ九のか三。

 

第十一巻 松の巻 第十二帖 (三〇三)

 

 前にも立て替えはあったのざが、三千世界の立て替えではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって、悪は走れば苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴(あっぱ)れ現われて、悪は影さえ残らぬよう、根本からの大洗濯するのぞ、神々様、守護神様、今度は悪は影も残さんぞ。早よう改心なされよ。立て替えのこと 学や智ではわからんぞ。六月二十八日、アメのひつ九のか三。

 

第十三巻 雨の巻 第四帖(三三八)

 

 世界の臣民、皆手引き合って行く時来たくらい、申さいでもわかっているであろが、それでもまだまだ一(ひと)苦労二(ふた)苦労あるぞ、頭でわかっても肚(はら)でわからねば、本根(ほっこん)の改心出来ねばまだまだ辛(つら)い目に遭(あ)うのざぞ、人民 自分で首くくるようなことになるのざぞ、わかりたであろ。天の御三体(ごさんたい)の大神様と地(ち)の御土(おつち)の先祖様でないと、今度の根本の大立て替え出来んのざぞ、わかりてもなかなかわからんであろがな。洗濯足らんのであるぞ。今度はめんめにめんめの心改めて下されよ、⦿は改めてあるが、⦿から改めさすのでは人民可哀想なから、めんめめんめで改めて下されよ、改まっただけ お蔭(かげ)あるのざぞ。

 今度の岩戸開いたら末代(まつだい)のことざぞ、天地の違いに何事も違うのざぞ。信者引っ張りに行ってくれるなよ、皆⦿が引き寄せるから、役員の所へも引き寄せるから、訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばして帰してやれと申してあろうが、人民喜べば⦿嬉しきぞと申してあろうが、草木も喜ばしてやれよ、神示よく読めば、どうしたら草木動物喜ぶかということも知らしてあるのざぞ、今までの心大河(おおかわ)に流してしまえば何もかもよくわかって嬉し嬉しとなるのざぞ、まだまだ世界は日に日にせわしくなって、言うに言われんことになって来るのざから、表面(うわつら)ばかり見ているとわからんから、心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ.

 元のキの⦿の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子と、三つ揃ってしまはねばならんのぞ、アとヤとワと申してあろうが、だんだんにわかりて来るのざぞ。実地のことは実地の誠の生神(いきがみ)でないと出来はせんぞ、臣民はお手伝いぞ、雨風さえどうにもならんであろうが、生物何んで息しているか、それさえわからいでいて何でもわかっていると思っているが、鼻高(はなだか)ざと申すのぞ、今のうちに改心すれば、名は現わさずに許して善き方に廻してやるぞ、早う心改めよ。十月十六日、ひつ九のか三。

天の御三体の大神様と地の御土の先祖様

豊雲野大神

天照皇大神

天照大神

国常立大神

 

元のキの⦿の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子

天津日嗣皇尊大神(この方)

天照皇大神(ニギハヤヒ)

天照大御神(アマテル)

第十三巻 雨の巻 第七帖 (三四一)

 

 ⦿の心のわかりた臣民から助ける御用にかかりてくれよ、助ける御用とは清めの御用で御座るぞ、天地よく見て悟りてくれよ。三四五(みよいづ)の御用は出来上がりてしまわんと御用している臣民にはさっぱりわからんのであるぞ、(使われているからわからんのであるぞ、)出来上がりてから、これは何とした結構な事でありたかとビックリするのざぞ。

 アメのひつ九のか三とはアメの一二の⦿で御座るぞ、アメの月日の⦿で御座るぞ、元⦿で御座るぞ、ムの⦿ぞ、ウの⦿ぞ、元のままの肉体持ちて御座る御(おん)⦿様ぞ、つちのひつ九の御⦿様ぞ、つちの日月の御⦿様と今度は御一体となりなされて、今度の仕組見事成就なされるので御座るぞ、わかりたか、国土(くにつち)の神大切申せとくどう知らしてあろうがな、今までの臣民人民、地(くに)の御先祖の⦿おろそかにしているぞと申して知らしてあらう、神は地(ち)に還るぞ、国土つくることどんなに難儀なことか、人民にはわかるまいなれど、今度新(さら)つの世にするには、人民もその型の型の型くらいの難儀せなならんのざぞ。それでよう堪(こば)れん臣民も沢山にあるのざぞ、元の⦿の思いの何万分の一かの思いせんならんのざぞ。

 今度世変りたら、臣民この世の⦿となるのざぞ。国の洗濯はまだまだ楽であるが、身魂の洗濯なかなかに難しいぞ、人民可哀想なから延ばしに延ばして御座るのざぞ、いくら言い聞かしても後戻りばかりぢゃ、言い聞かして改心出来ねば改心するよう致すより、もう手ないようになっているのぞ。いちどんなことあっても、もう⦿は知らんぞ、上から下までも誰によらん、今までのようなわがままさせんぞ、

 役員馬鹿にならなならんぞ、大のつく阿呆になれよ、(大)のつく阿呆に誤ってくれるなよ、阿呆でないと今度の誠の御用なかなかざぞ。命捨てて命に生きる時と申してあろうがな、非常の利巧(りこう)な臣民人民アフンで御座るぞ、今にキリキリ舞するのが目に見へんのか。いつも変らぬ松心(まつごころ)でおれと申して御座ろがな、建て替え致したら世界はいったん寂しくなるぞ、⦿が物申しているうちに改心せなならんぞ、後悔間に合わんと申してあろがな。十一月二十三日、ひつ九のか三。

 

第十三巻 雨の巻 第九帖 (三四三)

 

 ⦿の智と学の智とは、始めは紙一重であるが先に行くほどンプ(?)出来て来て天地の差となるぞ、⦿の⦿の薬のやり方、悪の⦿の毒のやり方となるぞ、⦿の御用が人の御用ぞ、人の御用が⦿の御用であるなれど、今の臣民 ⦿の御用するのと人の御用するのと二つに分けているが、見苦しき者にはこれからは御用致させんことに決まりたから気つけておくぞ。

 何事も順正しくやりて下されよ、⦿は順であるぞ、順乱れたところに、⦿の能(はたらき)現われんぞ。何もせいで善きことばかり待ちていると物事後戻りになるぞ、⦿の道には後戻りないと申してあろがな、心得なされよ、一(はじめ)の火消えているでないか、まだわからんか、都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾(が)のような心では今度の御用出来はせんぞ、表面(うわつら)飾りて誠のない教えのところへは人集まるなれど、誠の道伝えるところへは臣民なかなか集まらんぞ、見て御座れよ、いくら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、縁ある者は一時(いちじ)に⦿が引き寄せると申してあろうがな、人間心で心配致してくれるなよ。

 目眩(めまい)する人も出来るぞ、(ふんのびる人も沢山に出来て来るぞ、)行けども行けども白骨ばかりと申してあろうがな、今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、上にあがりきらんうちにグレンぞ、せめて三日天下が取れたら見物(みもの)であるなれど、こうなることは世の元からわかっているのであるから、もう無茶なことは許さんぞ。軽い者ほど 上に上に上がって来るぞ、仕組通りなっているのざから、臣民心配するでないぞ。今度⦿の帳面から除かれたら永遠(とことわ)に世に出ること出来んのであるから、近慾(ちかよく)に目くれてせっかくのお恵みはずすでないぞ、⦿気つけておくぞ。人の苦しみ見て、それ見たことかと申すような守護神に使われていると気の毒出来るぞ。

 世立て替えて先のわかる世と致すのぢゃぞ、三S(さんエス)の神宝(かんだから)と、3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、毒と薬で裏腹であるぞ。五と五では力出んぞ、四と六、六と四、三と七、七と三でないと力生れんぞ、力生れるから、カラ(カス?)出来るのぞ、カラ掃除するのが⦿の大切な仕事ぞ、人民もカスの掃除すること大切な御役であるぞ、毒と薬と薬と毒で御座るぞ、搗(つ)きまぜてこねまぜて、天晴(あっぱ)れこの世の宝と致す仕組ざぞ、わかりたか。一方の3Sよりわからんから、人民 いつも悪に落ち込むのぢゃ、この道は中行く道と申して知らしてあろうがな、力余ってならず、力足らんでならず、しかと手握りてじっと待っていて下されよ、誠の教えばかりでは何もならんぞ、皆に誠の行(おこな)い出来んとこの道開けんぞ、理屈申すでないぞ、いくら理屈立派であっても行い出来ねば悪であるぞ、この世のことは人民の心次第ぞ。十一月二十七日、ひつ九のか三。

 

第十三巻 雨の巻 第十帖(三四四)

 

 天(あめ)の岩戸開いて地(ち)の岩戸開きにかかりているのざぞ、我一力(われいちりき)では何事も成就せんぞ、手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。霊肉共に岩戸開くのであるから、実地の大峠のいよいよとなったらもう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ、人民には実地に目に物見せねば得心(とくしん)せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少ないし、⦿も閉口ぞ。酷(ひど)いところほど身魂に借銭(しゃくせん)あるのぢゃぞ、魂(たま)の悪きことしている国ほど厳しき戒め致すのであるぞ。

 五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るし、カス出さねば力出んし、それで⦿は掃除ばかりしているのざぞ、⦿の臣民それで神洲清潔(しんしゅうせいけつ)する民であるぞ、キが元と申してあるが、キが餓え死にすると肉体餓え死にするぞ、キ息吹(いぶ)けば肉息吹くぞ、⦿の子は⦿のキ頂いているのざから、食う物無くなっても死にはせんぞ、キ大きく持てよと申してあろうが、キはいくらでも大きく結構に自由になる結構な⦿のキざぞ。臣民利巧(りこう)なくなれば⦿のキ入るぞ、神の息通うぞ、凝りかたまるとコリになって動き取れんから苦しいのざぞ、馬鹿正直ならんと申してあろがな、三千年余りで身魂の改め致して因縁だけの事は否(いや)でも応でも致さすのであるから、今度の御用はこの神示読まいでは、三千世界のことであるから、どこ探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、どこ探してもわかりはせんのざぞ、人民の頭でいくら考えても智しぼっても学ありてもわからんのぢゃ。ちょこらわかるような仕組なら こんなに苦労致さんぞ、⦿⦿(かみがみ)様さえわからん仕組と知らしてあろうが、何より改心第一ぞと気つけてあろうが、神示肚に入れば先見え透(す)くのざぞ。この地(つち)も月と同じであるから、人民の心そのままにうつるのであるから、人民の心悪くなれば悪くなるのざぞ、善くなれば善くなるのぞ。

 理屈は悪と申してあろうが、悪の終りは共食いぢゃ、共食いして共倒れ、理屈が理屈と、悪が悪と共倒れになるのが神の仕組ぢゃ、とわかっていながらどうにもならんことに今に世界がなって来るのぞ、逆に逆にと出て来るのぢゃ、何故そうなって来るかわからんのか、神示読めよ。

 オロシヤの悪神(あくがみ)の仕組、人民には一人もわかっていないのざぞ。⦿にはようわかっての今度の仕組であるから仕上げ見て下されよ、この方に任せておきなされ、一切心配なくこの方の申すようにしておりて見なされ、大舟(おおぶね)に乗っていなされ、光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ、どこにいても助けてやるぞ。雨の神、風の神、地震の神、荒(あれ)の神、岩の神様、祈りなされよ、世の元からの生き通しの生神(いきがみ)様、拝(おろが)みなされよ。日月(ひつく)の民を練りに練り、大和魂の種にするのであるぞ、日月の民とは日本人ばかりでないぞ、大和魂とは⦿の魂ぞ、大和(だいわ)の魂ぞ、まつりの魂ぞ、取違いせんように気つけおくぞ。

 出かけの港はここぢゃぞ、皆に知らしてやりて下されよ、いくら道進んでいても後戻りぢゃ、この神示が出発点ぞ、出直して神示から出て下されよ、我(が)張りてやる気ならやりて見よれ、九分九分九厘で鼻ポキンぞ、泣き泣き恥ずかしい思いしてお出直しで御座るから気つけているのぢゃ、足あげて顔の色変える時近づいたぞ。世立て替えて広き光の世と致すのぢゃ、光の世とは光なき世であるぞ、この方の元へ引き寄せて、目の前に楽な道と辛(つら)い道と作ってあるのぢゃ、気つけていて下されよ、どちら行くつもりぢゃ。十一月二十七日、一二⦿。

 

第十三巻 雨の巻 第十一帖 (三四五)

 

 日の出の⦿様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、キの出であるぞ、わかりたか。めんめめんめに心改めよと申してあろうがな、人民というものは人に言われては腹の立つことあるものぢゃ、腹立つと邪気起るから、めんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、智や学ではどうにもならんということよくわかりておりながら、まだ智や学でやるつもり、⦿の国のことするつもりでいるのか。わからんと申してあまでないか。

 何事もわかった臣民、口に出さずに肚に鎮めておけよ、言うてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのぞ、⦿が申さすから心配ないぞ、それまでは気(け)も出すなよ。二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、一所(ひとところ)だけ清い穢れんところ残しておかな足場なく、こうなってはならんぞ、カタ出さねばならんぞ、⦿の国、⦿の子は⦿の⦿の生神が護っているから、いよいよとなったら一寸の火水でうでくり返してやる仕組ざぞ、末代のとどめの立て替えであるから、よう腰抜かさんよう 見て御座れ、長うかかりては一もとらず二もとらさず、⦿国は潰れ、道は滅びてしもうから、早う早うと気もない時から気つけているのぢゃが、⦿の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。

 この道難しい道でないからそのままに説いて聞かしてやれよ、難かし説くとわからんようになるのぞ。平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しいことも臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。霊術も言霊(ことだま)もよいなれど、ほどほどに、三分くらいでよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、銭儲けて口さえすごして行けばよいように今の臣民まだ思っているが、それは四ツ足の四つの悪の守護であるくらいわかりておろがな。

 悪とは他を退けることであるぞ、まつりまつりとくどう申してあることまだわからんのか、今外国よいと申している臣民は外国へ行っても嫌われるぞ、外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、ガイコクとは我(わ)れ善(よ)しの国のことぞ、⦿国は大丈夫ざが、外国や日本の国大丈夫とは申されんぞ、と言分(ことわ)けて申してあろうがな。
 日月の集団(まどい)作り、教会作ってもならんが、「 ・ 」入れた集団作らなならんぞ、〇も作らず「 ・ 」も入らずに力出ないくらいわかりておろがな、馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、集団のつくり方知らしてあろうが、盲には困る困る。人の苦労あてにして我(われ)が進んで苦労せんような人民では⦿の気感(?)にかなわんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのぞ、苦の花咲くのざぞ、富士に 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の⦿祀りてくれと申してあろうがな、永遠(とわ)にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。十二月七日、ひつ九のか三。

 

第十三巻 雨の巻 第十五帖(三四九)

 

 四八音(ヨハネ)世に出るぞ、五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現われるぞ、用意なされよ。それまでにさっぱり変ええてしもうぞ、天も変るぞ地(つち)も変るぞ。この方等(ほうら)が世立て直すと申しても、この方等が世に出て威張(いば)るのでないぞ、世立て直して世は臣民に任せてこの方等は隠居ぢゃ、隠れ身ぢゃぞ。地から世持ちて嬉し嬉しと申すこと楽しみぞ、(子供よ、)苦しい親の心よく汲み取りてくれよ。この神示読まいでやれるならやりてみよれ、彼方(あちら)でコツン、此方(こちら)でくずれぢゃ、大事な仕組早う申せば邪魔入るし、申さいではわからんし、何にしても素直に致すが一番の近道ざぞ、素直になれんのは小才(こさい)があるからざぞ。鼻高ぢゃからざぞ。

 ⦿の国は神の⦿のやり方あると申してあろううがな、善きは取り入れ、悪きは捨てて、皆気つけ合って⦿の国は⦿の国ぢゃぞ、金は金ぢゃ、銀は銀ぢゃぞと申してあろがな、盲ならんぞ、カイの御用もオワリの仕組も、何もかも裏表あるのざぞ、裏と表の外(ほか)に裏表あるぞ、ウオヱであるぞ、アとヤとワざぞ、三つあるから道ざぞ。

 神前に向って大きく気を吸い、肚に入れて、下座(しもざ)に向って吐き出せよ、八度(やたび)繰り返せよ、⦿のキ頂くのざぞ、キとミとの合いの霊気頂くのざぞ。一二三(ヒフミ)がヨハネとなり五十連(イスラ)と成りなって十二の流れとなるのざぞ、ムがウになるぞ、ンになるぞ、ヤとワと掘り出して十二の流れ結構ざぞ。知らしてあろうがな、これまでの考え方やり方致すなら立て替えではないぞ、何も彼も上中下(うえなかしも)すっかりと立て替えるのざぞ、外国は龍宮の乙姫様、グレンと引っくり返しなさるのざぞ、龍宮の乙姫様、雨の神様の御(おん)活動烈(はげ)しきぞ。今度次の大層が出て来たらいよいよざぞ。最後のとどめざぞ、今度こそ猶予(ゆうよ)ならんのざぞ、キリキリであるから用意なされよ、三、四月気つけよ、キ切れるぞ。

 信心なき者ドシドシ取り替えるぞ、この中、誠一つに清め下されよ、天明まだまだざぞ、世の元の型まだまだざぞ、⦿の仕組成就せんぞ、⦿人共にと申してあろがな、⦿厳しきぞ、ぬらりくらりぬるくって厳しきぞと申してあろうがな。役員多くなくても心揃えて胴すえておりて下されよ、⦿がするのであるから、この世に足場作りておりて下されよ、⦿無理申さんぞと申してあろうがな、けれどもちっとも気許しならんのざぞ。身魂相当に皆させてあろうがな、掃除早うせよ、己の戦まだ済んでいないであろうが、洗濯掃除早う結構ぞ。

 この方の神示元とわかりながら他(た)の教えでこの道開かんとて開けはせんのざぞ、鏡曇っているから曲って写るのざぞ、一人の改心ではまだまだぞ、一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、外国人も日本人もないのざぞ、外国外国と隔(へだ)て心(ごころ)悪ぢゃぞ。十二月十九日、一二⦿。

 

第十四巻 風の巻 第三帖 (三五四)

 

 いよいよの大立て替えは国常立(くにとこたち)の大神様、豊雲野(とよくもぬ)の大神様、金(かね)の神様、竜宮の乙姫様、まず御活動ぞ。ギリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒(あれ)の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ。今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、中津代(なかつよ)からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、猿田彦(さるたひこ)殿、天鈿女命(あめのうずめのみこと)殿、元のやり方では世は持ちて行けんぞ。今一度悪栄えることあるぞ、心して取り違いないように致されよ。ミエダ、イシイ、ショウダ、イシモト、神示(ふで)とけよ。タケウチ、カワムラ、イソガミ、神示とけよ。口と心と行いとで神示とけよ、堂々説けよ。一月四日、一二のか三。

猿田彦:イエス・キリスト

天鈿女命:釈迦

第十四巻 風の巻 第八帖(三五九 )

 

 世界自在に分け獲(ど)りしていた⦿⦿様、早う改心第一ぞ。一つの王で治めるぞ。てんし様とは天地様のことざと申してあろうがな、この方シチニの⦿と現われるぞと申してあろうがな、てん二様のことざぞ。

 行(ぎょう)なしではマコトのことわからんぞ、出来はせんぞ、⦿の道無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。この方さえ三千年の行したぞ、人民には一日(ひとひ)も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ。 

 海にはどんな宝でも竜宮の乙姫殿持ちなされているのざぞ、この世の宝皆この方つくりたのざぞ、⦿の道無理ないと申して楽な道でないぞ、もうこれでよいということない道ざぞ。日本の人民も、渡りて来た人民も、世持ちあらした神々様も人民も、世界の人民 皆思い違うぞ、九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのざぞよ。

 世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思っていて、それでまだ眼覚めんのか、よく曇りなされたなあ、立て替えは今日の日の間にも出来るなれど、あとの立て直しの世直し中々ざから、人民に少しは用意出来んと、遅くなるばかりぢゃ、それでカタ出せ出せと申しているのぢゃぞ。あれこれとあまり穢(けが)れている腸(はらわた)ばかりぢゃから、一度に引出して、日に干(ほ)してからでないと、洗濯出来ん様になりて御座るぞ。日干しこばれん人民あるから、今のうちから気付けているのぢゃぞ。けんびき痛いぞ、あまりにも狂うて御座るぞ。元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、⦿⦿様にも見当取れんのぢゃ、元の生⦿でないと、今度の御用出来んぞ。二月十六日、ひつ九の⦿。

 

第十四巻 風の巻 第十三帖(三六四)

 

 楽してよい御用しようと思うているのは悪の守護神に使われているのざぞ。人の殺し合いでこの世の立て替え出来ると思うているのも悪の守護神ぞ。肉体いくら滅ぼしても、善き世にならんぞ。魂(たま)は鉄砲では殺せんのざぞ。魂は他(ほか)の肉体に移りて目的立てるのざぞ、いくら外国人殺しても、日本人殺しても、善き世は来ないぞ。今までのやり方、スクリ変えて、⦿の申すようにするより他に道ないのぞ。このたびの岩戸開きはなかなかぞと申してあろうが、見て御座れ、善一筋の与える政治で、見事立て替えてみせるぞ。

 和合せんとマコトのお蔭やれんぞ、一家揃うたらどんなお蔭でもやるぞ。一国そろたらどんな神徳(しんとく)でもやるぞ、自(おの)ずから頂けるのざぞ。⦿要らん世に致してくれよ。二月の十六日、ひつ九か三。

 

第十五巻 岩の巻 第二帖(三六七)

 

 三千年の昔に返すと申してあろうがな。よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてあるのぢゃ。他から見てはわからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り死に変り、鍛えに鍛えてあるのぢゃぞ。肉体の苦労も、霊(たま)の苦労も、どちらの苦労にも、負けん人民臣民でないと、目先のことで、グレングレンと引っくり返りて、あわてふためくようなことでは、どんなことあってもビクともせん身魂でないと、御用難しいぞ。

 こんどの苦の花は富士に咲くのみざぞ。不二に木(こ)の花開耶姫(はなさくやひめ)祀れと申してあろうが、木の花、おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ。木の花咲けば、この世に出来んことないぞ。まことの@(かみ)かかりぞ。

 この先もう立て替え出来んギリギリの今度の大立て替えぢゃ。いよいよの立て替えざから、元の⦿代(よ)よりも、も一つキの光り輝く世とするのぢゃから、なかなかに大層ざぞ。人民 苦しかろうが、先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ。

 二つずつある⦿様を一つにするのであるから、嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。少しでも嘘偽あったら、曇りありたら、⦿の国には住めんことになるのざぞ。

 途中から出来た道では今度という今度は間に合わんのざぞ。根本からの道でないと、今度は根本からの立て直しで末代続くのぢゃから、間に合わん道理わかるであろうがな。

 我(われ)の国どうしの戦(いくさ)始まるのぢゃ。この戦、神は目あけて見ておれんなれど、これも道筋ぢゃから、人民にも見ておれんのぢゃが、共喰いと申して知らしてあろうが。

 この方等(ほうら)が天地自由にするのぢゃ。元のキの道にして、新しき、キの光の道つくるのぢゃ。あら楽し世にするのぢゃと申してあることいよいよぞ、人民、臣民 勇んでやりて下され。⦿⦿様、守護神どの、勇め勇め。二月十六日、ひつ九⦿。

 

第十五巻 岩の巻 第三帖(三六八)

 

 天地(てんち)引っくるめて大立て替え致すのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。間違い出来んうちに、間違わんよう気つけて下されよ。出来てからは、いくら泣いても詫びしても後へは返せん。この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ。くどう気つけておくぞ。

 これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。インチキ⦿の前には通らんのざぞ、心せよと知らしてあらうがな。三千年で世一キリといたすのぢゃぞ。

 まことの集まりが神徳(しんとく)ぢゃ、神徳つむと、世界中見えすくのざぞ。⦿だけではこの世のことは成就せんと申してあろうがな。⦿がうつりて成就さすと申してあろうがな。こんなこと これまでにはなかりたぞ。二月十六日、一二⦿。

 

第十八巻 光の巻 第八帖(四〇四)

 

 何によらず不足ありたら、⦿の前に来て不足申して、心カラリと晴らされよ、どんなことでも聞くだけは聞いてやるぞ、不足あると曇り出るぞ、曇り出ると身魂曇るから、身魂苦しくなりて天地曇るから、遠慮いらん、この方(ほう)に不足申せよ、この方親であるから、不足一応は聞いてやるぞ。気晴らしてカラリとなって天地に働けよ、心の富士晴れるぞ、はじめの岩戸開けるぞ。

 早呑(の)み込み大怪我の元、じっくりと繰り返し繰り返し神示(ふで)読めよ、神示肚(はら)の肚に入れよ、神示が元ざぞ、今度は昔からの苦労のかたまり、生き魂(たま)でないと御用難しいぞ。世のたとえ出て来るぞ。⦿が人の口使うて言わせてあるのぢゃぞ。⦿国(かみくに)は神力(しんりき)受けねば立ちては行けんぞ、⦿なくして神力ないぞ、⦿なくなれば丸潰(まるつぶ)れざぞ。

 まわりに動く集団(まどい)早うつくれよ。数で決めようとするから数に引かれて悪となるのざ、数に引かれ困らんよう 気つけよ。この神示解くのはタマでないと、少しでも曇りあったら解けんぞ。悪に見せて善行わなならんことあるぞ。この行(ぎょう)なかなかざぞ。

 この世の鬼平らげるぞよ。鬼なき世となりけるのざぞ。わかりたか。キリスト教の取次(とりつぎ)さん、仏(ぶつ)の取次さん、今の内に改心結構ぞ、丸潰れ近づいて御座(ござ)るに気つかんのか。

 同じ名の⦿二つあるぞ。人民三つ四つにも拝んで御座るぞ、文(ふみ)出すもよいなれど、神示読むのが先ざぞ。⦿第一ざぞと申してあろうが。暫(しば)し待て。世界の文(ふみ)出す時来るぞ。アワのような今の文(ふみ)何にもならんぞ、時待てと申してあろうがな、この巻から謄写もならんぞ、時来るまで 写して皆に分け取らせよ。七月二十七日、ひつ九のか三。三年の立て替えぞ。

2026年 令和8年 午:正念場1年目:「三四五の御用」

2027年 令和9年 未:正念場2年目:「三四五の御用」

2028年 令和10年 申:正念場3年目:「三四五の御用」

第十九巻 まつりの巻 第二十一帖(四二五)

 

 立て替えが十年延びたと知らしてあろうが、立て替え遅くなりて、それから立て直しにかかりたのでは人民丸潰(まるつぶ)れとなるから、立て直し早う早うかかるからと聞かしてあろが、人民にはなかなかわからんなれど、世界の動きよく見て御用(ごよう)結構ぞ。世の立て替えは水の守護、火の守護と知らしてあること忘れずに神示(ふで)読めよ、所々の氏神(うじがみ)様は日本の内(うち)で御用なさるのぢゃ。どんな集団(まどい)も神示元(もと)ぢゃ、神示で開かなならんぞ、智や学も要るなれど、智や学では開けんぞ、マコトで開いて下されよ。八月三十日、一二⦿。

 

第二十巻 梅の巻 第一帖(四二八)

 

 今度の立て替えは敵(てき)と手握らねばならんのぢゃ、敵役(かたきやく)の⦿⦿(かみがみ)様、人民よ、早う訪ねて御座れよ、この方待ちに待っているぞ。引張ったのでは、心からでないと役に立たんのぢゃ、この神示(ふで)十三の巻からは、肚(はら)の中の奥まで見抜かんでは、見届けんでは、見せて下さるなよ、今にいろいろと身魂(みたま)集まって来るから、十二の巻も申しつけてあるようにちゃんとしておいて下されよ。御剣(みつるぎ)の大神、黄金(こがね)の大神、白銀(しろがね)の大神と唱えまつり結構結構ぞ、結構致しまつりくれよ、大蛇(おろち)、九尾(きゅうび)、邪鬼(じや)、の三大将殿の御力(おんちから)まつりて、弥栄(いやさか)よく善きに動くぞ、ひらけ輝くぞ、光の御代(みよ)となるぞ。九月二十八日、ひつ九の⦿。

大蛇(おろち):盤古大神(ばんこおおかみ)

 外見は竜の首に蛇の体、あるいは人の顔に蛇の体を持っていたとされる。

九尾(きゅうび):金毛九尾(きんもうきゅうび)

邪鬼(じや):大自在天(だいじざいてん)

第二十巻 梅の巻 第九帖(四三六)

 

 肉体がこの世では大切であるから、肉体を傷つけたら苦しめたら、その守護神は、それだけのメグリ負うのざぞ、霊々と申して肉体苦しめてはならんぞ、今の人民とっておきのマコトの智ないから、持っている智を皆出してしまうから、上面(うわべ)ばかり飾りて立派に見せようとしているから、いざと言う時には間に合わんのぢゃ、上面しか見えんから、マコトのことわからんから、⦿の言うことわからんのも道理ぢゃなあ。

 立て直しの仕組、立派に出来ているから心配いたすでないぞ、立て替え延ばしに延ばしている⦿の心わからんから、あまり延ばしては丸潰れに、悪のワナに落ちるから、艮(とど)めの一厘の蓋(ふた)開けるから、目開けておれんことになるぞ、早う知らせる人民には知らしてやれよ、まず七人に知らせと申してあろがな。ひつ九のか三。

 

第二十巻 梅の巻 第十帖(四三七)

 

 悪い事は陰口(かげぐち)せずに、親切に気つけ合って仲良う結構ぞ、陰口世を汚し、己汚すのざぞ、聞かん人民は時待ちて気つけくれよ、縁ある人民 、皆親同胞(おやはらから)ざぞ、慢心、取り違い、疑いと我(が)が、この道の大き邪魔となるぞ、くどいようなれど繰り返し繰り返し気つけおくぞ。

 時来たら説き出すものぢゃ、親の心察して子から進んでするものぢゃぞ、その心よきに幸(さき)わうぞ、もの聞くもよいが、聞かんではわからんようでは幽国(がいこく)身魂ぞ、⦿の臣民、親の心うつして言われん先にするものぢゃぞ。世は神界から乱れたのであるぞ、人間界から世立て直して、地(くに)の岩戸人間が開いて見せると言うほどの気魄(きはく)なくてならんのざぞ、その気魄幸(さき)わうのざぞ、岩戸開けるぞ。十一月十六日、ひつ九の⦿。

 

第二十巻 梅の巻 第十八帖(四四五)

 

 自分で自分のしていることわかるまいがな、⦿がさしているのざから、人間の頭ではわからん、仕組通りに使われて身魂の掃除の程度に使われて、使い分けられているのぢゃぞ、早う人間心捨ててしもうて⦿の申す通りに従いて下されよ、それがお主の得と申すものぢゃぞ、一家の為(ため)ぞ、国のためぞ、世界の民の為ざぞ、天地の御(おん)為ざぞ。今までになかったこと今度はするのぢゃから合点(がってん)出来んも道理ぢゃ道理ぢゃ、始めは戦いで、戦(いくさ)で世の立て替えするつもりであったが、あまりに曇りひどいから、戦ばかりでは、隅々(すみずみ)までは掃除出来んから、世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、その掃除中々ぢゃから、戦ばかりでないぞ、家の中キチンと食べ物大切がカイの御用と申してあろうがな、今度の岩戸は、あけっぱなしぢゃ、褌(ふんどし)いらんと申してあろう。十二月四日、一二⦿。

 

第二十一巻 空の巻 第四帖(四五九)

 

 立て直しの道つづき、結び、展く、日月出で、よろづのもの、一二三(ひふみ)とみち、つづき鳴り成り、ひらく大道、真理の出で初む中心に、マコト動きて、元津神栄ゆ、元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、うづぞ、神々のうづぞ、ナルトぞ、人のよろこびぞ、代々の大道ぞ、真理、真愛、大歓喜は、中心にひか光り、ひらき極まる道ぞ、展き極まる世ぞ、鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、生れ出づる世、うごき更にひらき、次々に栄え極みて、新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、つづき睦びて、富士晴れ極み、鳴門は殊にひかり出でて、大道は日神の中心に還り、また出でて、ひらき、大道いよいよ満つ、焼く神々、早くせよ。一月六日、一二⦿。

 

第二十二巻 青葉の巻 第十五帖(四八四)

 

 世の立て替えと申すのは、ミタマの立て替えざから取り違えせんよう致されよ、ミタマとは身と魂であるぞ、今の学ある人民、身ばかりで立て替えするつもりでいるから、魂(たま)がわからんから、いくら焦っても汗流しても立て替え出来んのざぞ。天地(てんち)の秋(とき)来ていることは大方(おおかた)の人民にはわかっておりて、さあ立て替えぢゃと申しても、肝腎の魂がわからんから成就せんのざぞ、神示読んで魂早う掃除せよ、世界から見るから日本が日本ぞ、も一つ上の世界から見れば世界は日本ぞ、⦿国(かみぐに)ざぞ、今までは大地の先祖の大⦿様の血筋を落してしもうて、途中からの代りの神でありたから、まぜこぜしたから世が乱れに乱れてしもうたのぢゃぞ、知らしてあらうがな、よく納得してくれよ、人民も皆その通りになっているのぢゃ。八月四日、一二⦿。 

 

第二十二巻 青葉の巻 第十七帖(四八六)

 

 悪く言われるとメグリ取ってもらえるぞ、悪く言うとメグリつくるのぢゃ。今度の立て替えは人間知恵の立て替えとは大分違う大層ざぞ、見当とれんのざぞ。日の⦿ばかりでは世は持ちては行かれんなり。月の⦿ばかりでもならず、そこで月の⦿、日の⦿が御一体となりなさるなり、日月の神と現われなさるなり。「みろく様」が日月の大神様なり、日月の大神様が「みろく」の大神様なり、地の御先祖様、国の御先祖様と御一体となりなされて大日月の大神様と現われなさるなり、旧九月八日からは大日月の大神様と拝(おろが)みまつれよ。八月五日、十二⦿

 

第二十三巻 海の巻 第一帖(四九三)

 

 海の巻、書きしらすぞ、五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、皆始めは結構であったが、だんだんと時経(ふ)るに従って、役員が集まってワヤに致したのぢゃ、気の毒ぞ、⦿の名汚しておるぞ。大日月と現われたら、何かのこと厳しくなって来て、立て替えの守護と立て直しの守護にまわるから、その覚悟よいか。間違った心で信心すれば、信心せんより、も一つ厳しくえらいことが満ち始め、満つようになるぞ。

 今にここの悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、悪口言われ出したら結構近づいたのざと申してあろう、悪口は悪の白旗ざぞ。飛んで来て上にとまっている小鳥、風吹く度にビクビクぢゃ、大嵐の来ん前にねぐらに帰って下されよ、大嵐目の前。

 ここはまず苦労、その苦労に勝ちたら、己(おのれ)に克ちたら魂(たま)磨けるぞ、だんだんと楽になって嬉し嬉しとなるぞ、結構な仕組、知らしたら邪魔入るなり、知らさんのでわからんなり、心で取りてくれよ、世界の民(たみ)の会、為せば成る、為さねば後悔ぞ。八月十三日、一二⦿。

 

第二十三巻 海の巻 第十三帖(五〇五)

 

 表に出て居る⦿⦿(かみがみ)様に和合してもろうて世の立て替えにかかりて下されよ、苦労なしには何事も成就せんぞ、苦を楽しめよ。この世を乱したのは神界から、この世乱した者が、この世を直さねばならんのざぞ、この道理わかるであろうがな、立て直しの御用に使う身魂は、この世乱した⦿⦿様であるぞよ。秘密は秘密でないぞ、火水(ひみつ)であるぞ、明らかな光であるぞ、火水のマコトを悪⦿にたぶらかされてわからなくなったから、秘密となったのであるぞ、秘密は必ず現われて来るぞ。あと七つの集団(まどい)が出来るぞ、一には@のしるしつけよ、この世一切のことを立て替えるのぢゃ、⦿の道も変えるぞ、心の置き所も変えるぞ。八月二十三日、一二⦿。

 

第二十三巻 海の巻 第十七帖(五〇九)

 

 天地(てんち)引っ繰り返るということは、身魂が引っ繰り返るということぞ。神示読みて聞かせよ、目も鼻も開けておられんことが、立て替えの真最中になると出て来るぞ、信仰の人と、無信仰の人と、いよいよ立て分けの時ぢゃぞ、マコト一つで生⦿(いきがみ)に仕え奉(まつ)れよ。八月二十三日、ひつ九⦿。

 

第二十四巻 黄金の巻 第十一帖(五二二)

 

 今度のイワトびらき、神と人との九十運動ぞ。立て替えの守護が大切ぞ。まず一筋の天地の道から変えるのぢゃ。次に人の道つくるのぢゃ。経と緯であるぞ。人の道と天地の道と間違えているぞ。人の道は花色々と咲き乱れ、織(お)り交(ま)ぜて、楽し楽しのそれぞれであるぞ。自分で自分のことしているのであるが、またさせられているのであるぞ。大き自分に融(と)け入ったとて小さい自分無くなってしまうのでないぞ。神人(かみひと)ぞ。天地(あめつち)ぞと申してあろうが。善も仮ぞ。悪も仮ぞ。よく心得なされよ。かのととりの日。一二十(ヒツキノカミ)

 

第二十四巻 黄金の巻 第七十五帖(五八六)

 

 戦(いくさ)や天災では改心出来ん。三千世界の立て直しであるから、誰によらん。下(しも)の神々様もアフンの仕組で、見事成就さすのであるが、よく神示読めば、心で読めば、仕組九分通りはわかるのであるぞ。死ぬ時の想念がそのまま続くのであるから、その想念のままの世界に住むのであるぞ。この世を天国として暮す人、天国へ行くぞ。地獄の想念、地獄生むぞ。真理を知ればよくなるぞ。そんなこと迷信と申すが、求めて見なされ。百日一生懸命求めて見なされ。必ずおかげあるぞ。神があるから光がさして嬉し嬉しとなるのであるぞ。(一月三日)一二十

 

第二十四巻 黄金の巻 第七十七帖(五八八)

 

 不二の仕組とは動かん真理、@(ウズウミ)の鳴門の仕組とは、弥栄の限りなき愛のことであるぞ。神の道に入り、道をふんで居れば、やり方一つで何でもよく、嬉し嬉しとなるぞ。世の元から出来ているミタマの立て直しであるから、一人の改心でも中々であると申しているのに、ぐずぐずしていると間に合わん。気の毒出来るぞ。めぐりと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。めぐりは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん。美の門から神を知るのが、誰にでもわかる一番の道であるぞ。芸術から神の道に入るのは誰にでも出来る。この道理わかるであろうが。審判(さばき)の廷(にわ)に出たならば、世界は一人の王となるぞ。御出まし近うなったぞ。自分よくしてくれと申しているが、それは神を小使(こづかい)に思うているからぞ。大きくなれよ。(一月三日)一二十

 

第二十四巻 黄金の巻 第八十五帖(五九六)

 

 裏の仕組に「 ・ 」入れると表の仕組となり、表の仕組に〇入れると裏の御役となるなり。「 ・ 」抜けば悪のやり方となるのぢゃ。どの仕組もわかりて居らんと、三千世界の先々までわかりて居らんと、何事も成就せんぞ。神界の乱れ、イロからぢゃと申してあろう。男女関係が世の乱れの因(もと)であるぞ。お互に魂のとりやりであるぞ。この世ばかりでなく、あの世まで続くのであるから、くどう気つけておくぞ。コトはモノになる。悪いことすれば悪いもの生れて来て、生れ故郷に喰付いて悪くする。善いことも同様ぞ。因縁のあるみたまが集まって来て人のようせん辛棒して、世界の立て替え立て直しの御用致すのであるから、浮いた心で参りて来ても御役に立たん。邪魔ばかりぢゃ。因縁のみたまはどんなに苦しくても心は春ぢゃ。心勇まんものは、神示(ふで)読んで馬鹿らしいと思うものは、遠慮いらんから、さっさと帰りて下されよ。神はもう、気嫌(きげん)とりは御免ぢゃ。(一月三日)

 

五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第一帖

 

 東は扶桑(ふそう)なり、日(⦿)出(い)づる秋(とき)は来にけり。この巻、扶桑の巻、続く六の巻を合せて七の巻、一百四十四帖の黙示を五十黙示(いせもくじ)と申せよ。
 イシもの言うぞと申してありたが、イセにはモノ言うイシがあると昔から知らしてあろうがな、五のイシがもの言うのであるぞ、開けば五十となり、五百となり、五千となる。握れば元の五となる、五本の指のように一と四であるぞ、この方(ほう)を五千の山に祀れと申してあろうが、これがイチラ(五千連)ぞ、五十連(イツラ)ぞ、わかりたか、五十連 世に出るぞ。

 天に神の座あるように、地には人民の座があるぞ、天にも人民の座があるぞ、地に神の座があるぞ。七の印(しるし)と申してあるぞ、七とはモノのなることぞ、天は三であり、地は四であると今までは説かせてあったなれど、いよいよ時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐(イザナギ)三となり、伊邪那美(イザナミ)二となりなりて、ミトノマグワイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出(い)づる時となったぞ、天は数ぞと申してあろう、地はイロハであるぞ。わからん者が上に立つこととなるぞ、大グレン目の前、日本のみのことでないぞ、世界中のことであるぞ、今度は三千世界が変るのであるから今までのような立て替えではないのであるぞ。何もかも鏡にうつるのであるぞ。鏡が御神体であるぞ。何も写らん御神体のカガミは何もならんぞ。

 

五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第九帖

 

 九分行ったら一休みせよ、始めから終りまで休まずに行くと、今の人民では息切れ致すぞ、一休みして自分の来た道をふり返れよ。この世の世話をさすために、人民には肉体を与えてあるのぞ、活神(いきがみ)がしたのでは堪(こば)れんものが沢山に出て来るからぢゃ、立て替え、立て直し、一時に来ているから、我れ善しの人民にはわからんことになるぞ、この世の動きがわからんのは我れ善しざからぞ、今度の岩戸開きは五度の岩戸閉めを一度に開くのであるから、人民にはなかなかに理解出来んことに折り重なってくるから、何事も神の申す通りハイハイと素直にきくのが一等であるぞ。

 

五十黙示録 第三巻 星座之巻 第六帖

 

 人民と申すものは生命(いのち)が短いから、気が短いから、仕組少しでも遅れると、この神は駄目ぢゃと、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立て替えであるから少しくらいの遅し早しはあるぞ、それも皆人民一人でも多く助けたい神の心からぢゃ。遅れても文句申すが早くなってもまた文句を申すぞ、わからんと申すものは恐ろしいものであるぞ。

 

五十黙示録 第三巻 星座之巻 第十帖

 

 世の元は〇であるぞ、世の末も〇であるぞ、〇から〇に弥栄するが、その動きは左廻りと右廻りであるぞ、( と )と申してあろう、その中心に動かぬ動きあるぞ、何もかも、人民まで変るのが今度の大立て替え、食物も、衣類も、住居も皆変わるぞと申している時が来ているのぞ、いつまでチョンマゲを頭に乗せているのか、ケンビキ今一度痛くなるぞ、そのケンビキ今度は東の方ぢゃ。

 

五十黙示録 第五巻 極め之巻 第十一帖

 

 陽(ひ)あたりのことと、陽かげのことと一時に出て来るのぢゃ、立て壊しと立て直しが一時にくるのぢゃ、神の申した通りになって居ろうがな、学で説くと学の鬼に囚われるぞ、智で説くと智の、理で解くと理の鬼に囚われる、このままに伝えて下されよ。天の世界も潰してはならん、地の世界も潰すわけには参らんが、地上のことは立て直し難しいなれど、見て御座れよ、一厘の火水(ひみつ)でデングリ返して、見ことなことを御目(おめ)にかけるぞ。

 

参考図書

完訳 日月神示

岡本 天明 著 中矢 伸一 監修

ヒカルランド

 

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