グリモワール
第一巻 上つ巻 第三帖(三)
善言(よごと)は神、なにも上下(うえした)、下ひっくり返っているから、わからんから、⦿の心になれば何事もわかるから、鏡を掃除してくれよ。今にこのおつげが一二三(ヒフミ)ばかりになるから、それまでに身魂をみがいておかんと、身魂の曇った人には何とも読めんから、早く⦿こころに替えておりてくれ、何も一度に出て来る。海が陸(おか)になり陸が海になる。六月十一日の朝のお告げ、みよみよみよ。ひつくの十。
第一巻 上つ巻 第十六帖(一六)
ひふみの火水とは結ぞ、中心の神、表面に世に満つことぞ、ひらき睦び、中心に火集い、ひらく水。神の名二つ、カミと神世に出づ。早く鳴り成り、世、新しき世と、国々の新しき世と栄え結び、成り展く秋来る。弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろい展き結ぶぞ。月出でて月なり、月ひらき弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。早く道ひらき、月と水のひらく大道、月の仕組、月神と日神二つ展き、地上弥栄みちみち、世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ。世はことごとに統一し、神世の礎極まる時代来る、神世の秘密と言う。六月二十四日、一二⦿文。
第一巻 上つ巻 第三十二帖(三二)
世の元からヒツグとミツグとあるぞ、ヒツグは⦿の系統ぞ、ミツグは〇の系統ぞ。ヒツグはマコトの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。⦿と〇と結びて一二三(ひふみ)となるのざから、外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあろがな。一二三唱えて岩戸開くぞ。神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベであるから、間違わんようにしてくれよ。ひみつの仕組とは一二三の仕組ざ、早う一二三唱えてくれよ、一二三唱えると岩戸開くぞ。七月の二の日、ひつくのか三。
第二巻 下つ巻 第七帖(四九)
この神示読んで嬉しかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引っ張ってくれるなよ。この⦿は信者集めて喜ぶような⦿でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のようなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する⦿ざから、小さいこと思うていると見当とれんことになるぞ。
一二三祝詞(ひふみのりと)する時は、⦿の息に合わして宣(の)れよ、⦿の息に合わすのは三五七・三五七に切って宣れよ。終(しま)いだけ節長くよめよ、それを三度よみて宣りあげよ。天津祝詞(あまつのりと)の神ともこの方申すぞ。七月十五日、一二。
第三巻 富士の巻 第十五帖(九五)
嵐の中の捨小舟(すてこぶね)ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにもわかかるまい、メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る、梶(かじ)も櫂(かい)さえ折れた舟、どうすることもなくなくに、苦しい時の⦿頼み、それでは神も手が出せぬ、腐りたものは腐らして、肥やしになりと思えども、肥やしにさえもならぬもの、沢山出来ておろうがな、北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思えかし、この世の終りは⦿国の、始めと思え臣民よ、⦿⦿(かみがみ)様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意を急ぐぞよ。八月二十四日、⦿の一二か三。
第五巻 地つ巻 第三十帖(一六七)
一度に立て替えすると世界が大変が起るから、延ばし延ばしているのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言うこと出来ず、同じ⦿の子でありながらあまりにもひどいやり方、ケダモノよりもむごいことになるのが、よくわかりているから、⦿が表に出て世界中救うのであるぞ、この神示肝に入れると⦿力(しんりき)出るのざぞ、疑う臣民沢山あるが気の毒ざぞ。一通りは嫌がる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むように、上(うえ)の人、してやりて下されよ。
生命(いのち)あるうちに⦿の国のこと知らずに、死んでから⦿の国に行くことは出来んぞ、⦿の力でないと、もう世の中はどうにも動かんようになっていること、上の番頭殿わかりておろうがな、どうにもならんと知りつつ まだ智や学に縋(すが)りておるようでは上の人とは申されんぞ、智や学越えて⦿の力にまつわれよ、飛行機でも飛行機にまつわれば命(いのち)通うのざぞ、お土拝みて米作る百姓さんが⦿のまことの民ぞ、カミ拝(おろが)みて神示取れよ、神のない世とだんだんなりておろがな。まつることは生かすことぞ。生かすことは能(はたら)かすことぞ。⦿の国には何でもないものないのざぞ、⦿の御用なら何でも出て来る結構な国ざぞ、何もなくなるのはやり方悪いのぞ、⦿の心に副(そ)はんのぞ。十月七日、一二⦿。
第五巻 地つ巻 第三十一帖(一六八)
この神示読ますようにするのが役員の務めでないか、役員さえ読んでいないではないか。神示に一二三(ひふみ)つけたもの、まず大番頭(おおばんとう)、中番頭、小番頭どのに読ましてくれよ、道さえつければ読むぞ、肝に入るものと入らぬものとはあるなれど、読ますだけは読ませてやるのが役員の務めでないか。旧九月になったら、忙しくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。いざとなりて地団駄(じたんだ)踏んでも間に合わんぞ。餅搗(もちつ)くには、搗く時あるのざぞ、それで縁ある人を引き寄せているのざぞ、⦿は急けるのぞ。十月の七日、ひつ九のか三、いそぐ。
第六巻 日月の巻 第十七帖(一九〇)
ココニアマツカミ、モロモロノミコトモチテ、イザナギノミコト、イザナミノミコトニ、コレノタダヨヘルクニ、ツクリカタメナセト、ノリゴチテ、アメノヌホコヲタマヒテ、コトヨサシタマイキ(ここに天津神、諸々の命もちて、伊弉諾命、伊邪那美命に、是の漂える地、修理固成なせと詔て、天の沼矛を賜いて、言依さし賜ひき)。
⦿の国にも善と悪とあると申してあろがな。この神示見せてよい人と悪い人とあるのざぞ。神示見せてくれるなよ。まことの⦿の臣民とわかりたら、この神示写してやりてくれよ。神示は出ませぬと申せよ。時節よく見るのざぞ。型してくれたのざからもう一(はじめ)の仕組よいぞ。この神示、表に出すでないぞ。天明は蔭の御用と申してあろが。神示しまっておいてくれよ、一二三(ひふみ)として聞かしてやってくれよ。この方の仕組、日に日に変るのざから、臣民わからなくなると申してあろが。日に日に烈しく変りて来るのざぞ。⦿の子には神示伝えてくれよ。⦿急けるのざぞ。⦿海(うづうみ)の御用結構。十一月四日、一二⦿。
第六巻 日月の巻 第二十二帖(一九五)
お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食う時来るぞ。味方同士が殺し合う時来ると申してあろがな。これからがいよいよざから、その覚悟していて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思うているようなことでないぞ。この神示よく肝に入れておけと申すのぞ。チリチリバラバラになるのざぞ。一人一人で何でも出来るようにしておけよ。十一月十一日、ひつ九か三。
第六巻 日月の巻 第三十二帖(二〇五)
表ばかり見ていては何もわかりはせんぞ。月の神様祀りてくれよ。この世の罪穢(けが)れ負いて夜となく昼となく護り下さるスサノオの神様、篤く祀りくれよ。火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。火と水と申しておいたが、水のほかに隠れた火と水あるぞ。それを一二三(ヒフミ)と言うぞ、一二三とは一二三ということぞ、言葉ぞ。言霊(ことたま)ぞ、祓いぞ、禊(みそぎ)ぞ。@(うづ)ぞ、スサナルの仕組ぞ。成り成る言葉ぞ、今の三位(さんみ)一体は三位三体ぞ。一(ヒ)とあらわれて二三(フミ)かくれよ。二(フ)と三(ミ)の神様の御恩忘れるでないぞ。御(おん)働き近づいたぞ。十一月二十七日、ひつ九かみ。
第七巻 日の出の巻 第八帖(二二一)
一二三(ヒフミ)の食物に病(やまい)無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱えながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑(の)むのざぞ、これが一二三の食べ方、頂き方ざぞ。⦿に供えてからこの一二三の食べ方すればどんな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱えることによりて治り、肉体の病は四十七回噛むことによりて治るのざぞ、心も身も分け隔(へだ)て無いのであるが、わかるように申して聞かしているのざぞ、取り違い致すでないぞ。
日本の国はこの方の肉体と申してあろがな、どんな宝も隠してあるのざぞ、⦿の御用なら、何時でも、何時でもどんなものでも与えるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりてくれよ。集団(まどい)作るなと申せばバラバラでいるが、裏には裏あると申してあろが、心配(こころくば)れよ。十二月七日、ひつ九のか三二で。
第七巻 日の出の巻 第十一帖(二二四)
江戸に道場作れよ、まず一二三(ひふみ)唱えさせよ、神示(ふで)読みて聞かせよ、身魂鎮(みたましず)めせよ、⦿鎮めせよ、十回で一通りわかるようにせよ、⦿祀りてその前でせよ⦿がさすのであるからどしどしと運ぶぞ。真(まこと)の益人(ますひと)作るのぞ、こんなこと申さんでもやらねばならぬことざぞ、⦿は一人でも多く救いたさに夜も昼も総活動していること わかるであろがな、
役員早う取りかかりくれよ。十二月十一日、一二⦿。
第七巻 日の出の巻 第十五帖(二二八)
十柱の⦿⦿(かみがみ)様、奥山に祀りてくれよ、九柱でよいぞ、いずれの⦿⦿様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合わして十柱となるのざぞ。御神体の石集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祀りしてくれよ。
病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかでわかると申してあろがな。届くとは注ぐことぞ、手首と息と腹の息と首の息とホの息と頭の息と足の息と胸と臍(へそ)の息と脊首の息と手の息と八所十所(やところとところ)の息合っていれば病無いのざぞ、災難見ないのざから、毎朝神拝(おろが)みてからよく合わしてみよ、合っていたらその日には災難無いのざぞ、殊に臍の息一番大切ざぞ、若しも息合っていない時には一二三唱えよ、唱え唱えて息合うまで祈れよ、どんな難儀も災難も無くしてやるぞ、この方、意富加牟豆美(おおかむつみ)の神であるぞ。神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命(いのち)助けてやるぞ、このことはこの方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、このこと早う皆に知らしてどしどしと安心して働くようにしてやれよ。飛行機の災難も地震、罪穢(つみけがれ)の禍(わざわい)も、大きい災難ある時には息乱れるのぞ、一二三祝詞と祓え祝詞と⦿の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりてくれよ。十二月十八日、ひつ九か三。
第七巻 日の出の巻 第二十一帖(二三四)
⦿憑(か)かりと申しても七つあるのであるぞ、その一つ一つがまた七つに分かれているのざぞ、⦿がかり、か三かかり、か三か ・ りぞ、 ・(カミ)か ・ リぞ、 ⦿か ・ り、か三か ・ り、か三 ・ かりざぞ、神憑かっていないと見える神憑かりが真(まこと)の⦿憑かりと申してあろが。そこらに御座る神憑かりは、皆四段目、五段目、六段目、七番目の神憑かりぞ。⦿憑かりとは、惟神(かむながら)のことぞ、これが神国の真の臣民の姿ぞ。惟神の国、惟神ぞ、⦿と人と融(と)け合った真の姿ぞ、今の臣民の言う惟神ではないぞ、この道理わかりたか、真の⦿にまつりあった姿ぞ。悪の大将の神憑かりは、神憑かりとわからんぞ、気つけてくれよ、これからは神憑かりでないと、何もわからんことになるのざぞ、早う⦿憑かりになるよう、掃除してくれよ、⦿の息吹に合ふと⦿憑かりになれるのぞ。一二三唱えよ、祓いのれよ、⦿讃(たた)えよ、人讃えよ、⦿は人誉(ほ)め 人は⦿讃えてまつりくれよ、まつわりくれよ、あなないくれよ。十二月二十七日、ひつ九か三。
第七巻 日の出の巻 第二十三帖(二三六)
この世の位もいざとなれば、宝も富も勲章も役には立たんのざぞ、この世去って役に立つのは身魂の徳だけぞ、身についた芸はそのまま役に立つぞ。人に知れぬように徳つめと申してあろがな、⦿の国に積む徳のみが光るのざぞ、マアカタの御用結構であったぞ、富士晴れるぞ、海晴れるぞ。天明ご苦労ぞ。ヤノご苦労ぞ。ササキ、イソカワ、カドタ、ご苦労ぞ。この巻、「日の出の巻」としてまとめて役員に読ませて、一二三として皆に知らせてくれよ、⦿急ぐぞ。十二月の二十九日、ひつ九ノか三。
第八巻 磐戸の巻 第十三帖(二四九)
コト違うから、精神違うから、違うことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。⦿(ニホン)の国は⦿(モト)の⦿(カミ)の血筋の混じり気のないミタマで、末代(まつだい)世治めるのぞ。何事も末代のことであるから、末代動かん世に定めるのざから、大望であるぞ。上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思うているが、その心我(わ)れ善(よ)しざぞ。今度は手合わして拝むばかりでは駄目ざと申してあろが、今度は規則決まりたら、昔より難しくなるのざぞ、曲げられんことになるのざぞ、⦿魂(かみたましい)の臣民でないと⦿の国には住めんことになるのざぞ。この世治めるのは地(ち)の先祖の生⦿(いきがみ)の光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでも混じり気ありたら、先になりて また大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう申しているのぞ。
⦿は一時は菩薩(ぼさつ)とも現われていたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現わしてバタバタに埒(らち)つけるのざぞ、今の学ある者、大き取り違い「致しているぞ。大国常立尊大神(おおくにとこたちのみことおおかみ)と現われて、一時は天も構い、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降(くだ)りして、⦿ (モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光りクッキリ現わさなならんと仰せあるぞ。
早う洗濯せんと間に合わんぞ。この道の役員、吾(われ)は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我(が)出して吾のこと思うているとグレンざぞ。神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのぞ、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔の因縁ざぞ。この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。逃げ道つくってはならんぞ、二つ三つ道つくってはならんぞ。まっすぐに⦿の道に進めよ。⦿の道は一筋ざと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ。
世界の片端浜辺(かたはしはまべ)から愈々(いよいよ)が始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくれよ、⦿の国は⦿のやり方でないと治まらんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今まではやりかた違っていたから、⦿のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのざぞ、この苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申しているのざぞ。
何もか彼も⦿に捧げよ、てんし様に捧げよと申してあろがな、それが⦿国の民の心得ぞ、否(いや)でも応でもそうなって来るのざぞ。⦿国の政治経済は一つざと申してあろうがな、今の臣民にわかるように申すならば、臣民働いてとれたものは、何でも⦿様に捧げるのぞ、⦿の御社(みやしろ)は幸(さち)で埋(うず)もれるのざぞ、御光(みひかり)輝くのざぞ、光の町となるのざぞ。⦿から分けて下さるのざぞ、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝、徳相当に集まるのざぞ、金(きん)は要らんと申してあろがな、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトの⦿の世になるのざ。⦿の世はマツリあるだけぞ、それまでにお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札(さつ)のようなものざぞ。わかるように申すなら、⦿の御社と臣民のお役所と市場と合わしたようなものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、真(まこと)のマツリの一(はじめ)ざぞ。
このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早う上(うえ)の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮すようにしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな。一月十三日、⦿の一二か三。
第八巻 磐戸の巻 第十五帖(二五一)
この方(ほう)の道、悪きと思うなら、出て御座れ、善きか悪きか、ハッキリと得心(とくしん)ゆくまで見せてやるぞ。何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、役員気つけてくれよ。皆和合してくれよ。悪き言葉、息吹がこの方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコトわからんぞ、欲は要らぬぞ、欲出したら曇るぞ。盲人になるぞ、お詫びすれば赦(ゆる)してやるぞ、天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。病治してやるぞ、⦿息吹つくりてやれよ、⦿息吹とは一二三書いた紙、神前に供えてから分けてやるもののことざぞ。腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、善も悪もわかからん世、闇の世と申すぞ。
天照皇太神宮(てんしょうこうたいじんぐう)様の岩戸開きは、騙(だま)した、間違いの岩戸開き(ぞ、無理にあけた岩戸開き)ざから、開いた⦿⦿(かみがみ)様に大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、⦿には分け隔(へだ)てないのざぞ、今度の岩戸開きはちっとも間違いない、混じり気のない、マコトの⦿の息吹で開くのざぞ。混じりありたら、濁り少しでもありたら、またやり直しせなならんから くどう気つけているのざぞ。いつまでも変わらんマコトで開くのざぞ。一月十四日、旧十一月三十日、⦿の一二⦿。
第九巻 キの巻 第十一帖(二六八)
一二三(ひふみ)とは限りなき⦿の弥栄であるぞ、一(ひ)は始めなき始であるぞ、ケは終りなき終りであるぞ、⦿の能(はたらき)が一二三であるぞ、始なく終なく弥栄の中今(なかいま)ぞ。一二三は⦿の息吹であるぞ、一二三唱えよ、⦿人共に一二三唱えて岩戸開(ひら)けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食(お)せよ、始め一二三あり、一二三は⦿ぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓ひ清めぞ、祓ひ清めとは弥栄ぞ、⦿の息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。一(ひ)であるぞ、二(ふ)であるぞ、三(み)であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、@であるぞ、@であるぞ。皆の者に一二三唱えさせよ、五柱御働きぞ、八柱 十柱(はちはしらとはしら)御働きぞ、五十連(いつら)ぞ、イロハぞ、わかりたか。三月十四日、ひつ九ノか三。
第九巻 キの巻 第十四帖(二七一)
三月三日から更に厳(きび)しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから、更に用意してどんなこと起こってもビクともせんように心しておいてくれよ、心違うているから、臣民の思うことの逆(さか)さばかりが出てくるのざぞ、九月八日の仕組、近づいたぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り、ことごとく弥栄え戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ。
一時はこの中も火の消えたように寂しくなってくるぞ、その時になっておかげ落とさんようにしてくれよ、⦿の仕組み愈々世に出るぞ、三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三(ひふみ)と咲くぞ。三月十七日 ひつ九か三。
第九巻 キの巻 第十五帖(二七二)
誠(まこと)申すと耳に逆ろうであろうが、その耳取り替えてしまうぞ、我(われ)にわからんメグリあるぞ、今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけには行かんのぞ、子が天国で親地獄というようにならんようにしてくれよ、一家揃うて天国身魂となってくれよ、国皆揃うて⦿国となるようつとめてくれよ、メグリは一家分け合って、国中分け合って借銭なしにして下されよ、天明代りに詫びしてくれよ、役員代りて詫びしてくれよ。
この神示肚に入れておれば、どんなことが出て来ても、胴すわるから心配ないぞ、あなない、元津神々人の世ひらき和し、ことごとくの神人密つ道、勇み出で、すべてはひふみひふみとなり、和し勇む大道、三月十九日、ひつ九のか三。
第九巻 キの巻 第十六帖(二七三)
元津神代の道は満つ、一時は闇の道、ひらき極み、富士の代々、鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、道は弥栄。ひふみ道出で睦び、月の神足り足りて成り、新しき大道満つ。神々満ち、えらぎ百千万のよきこと極む。いよいよとなり、何もかも百千とひらき、道栄え道極み進み、道極み真理の真理極む。元の光の神々えらぎ、更に進む世、和合まずなりて百(もも)の世極みなる。世に光る神々の大道、神々ことごとにえらぎて大道いよいよ展き進みて、大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて、まことの愛の代極み来る、弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝き、道は更に極みの極みに進み動き、ありとあることごとくの成り結び、更に新しく更に極むるの大道、神代歓喜の代々。三月二十日、ひつ九のか三。
第九巻 キの巻 第十七帖(二七四)
すり鉢に入れてコネ廻しているのざから、一人逃れようとて逃れること出来んのざぞ、逃れようとするのは我(わ)れ善(よ)しざぞ、今の仕事、五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、その御用済みたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが。身魂(みたま)相当の御用致しているのざぞ。
仕事しながら神示(ふで)肚に入れて行けば仕事段々変るのざぞ、神示声立てて読むのざと申してあること忘れるなよ、その上で人にこの道伝えてやれよ、無理するでないぞ。我(が)捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、⦿の息吹きにとけ入るのざぞ、御稜威(ごみいづ)にとけ入るのざぞ、愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、一二三とは息吹ぞ、ミミに知らすぞ、言わねばならぬから、一二三として、息吹きとして知らすぞ。神示よく読めばわかることぞ、神示読めよ、読むと神示出るぞ、この巻は「キの巻」と申せよ。富士は晴れたり〇+(せかい)晴れ、岩戸あけたり〇+晴れぞ。三月二十日、ひつ九のか三。
第十巻 水の巻 第二帖(二七六)
ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと)であるぞ。
たかあまはらに、かみつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおやかむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなの、おどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらひどのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらひたまへきよめたまへとまおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちともに、あめのふちこまのみみふりたててきこしめせと、かしこみかしこみもまおす。あめのひつくのかみ、まもりたまへさちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九十(ヒトフタミヨイツムユナナヤココノタリ)。旧三月十日、三のひつ九か三。
第十巻 水の巻 第七帖(二八一)
皆病気になりていることわからぬか。一二三祝詞(ひふみのりと)で治してやれよ。神示読みて治してやれよ。自分でもわからぬ病になっているぞ、早う治さぬとどうにもならんことになって来るぞ。この宮、仮であるぞ。真中に富士の山造り、そのまわりに七つの山造りてくれよ。拝殿(はいでん)造りくれよ。神示書かす所造りくれよ。天明休む所造りくれよ。いずれも仮でよいぞ。早ようなされよ。松の心にさえなりておれば、何事もすくすく行くぞ。五月四日、三のひつ九のか三。
第十一巻 松の巻 第二十三帖(三一四)
国々所々に、神人鳴り動く、道は世にひらき極む、日月地更に交わり結び、その神々ひらき弥栄え、大地固成、まことの神と現われ、正し、三神は世に出づ、ひふみと鳴り成るぞ。正しくひらけ弥栄えて更につきず、鳴る道に成り、交わる。永遠の世光ることは永遠の大道、息吹き大地に充ち満つ道。展きてつきず、極り成る神の道。苦しむ道をひらき、日月地に苦しむ喜び出で、神の国むつび、悉(ことごと)く歓喜弥栄ゆ。七月十日、アメのひ一二の⦿。
第十二巻 夜明けの巻 第十帖(三三〇)
元津大神(もとつおおかみ)、心の中で唱え奉(まつ)り、スメラミコト唱え、次に声高く天津日嗣皇尊大神(アマツヒツギスメラミコトオオカミ)唱え、天(アメ)の月(ツキ)の大神唱え奉れ。霊(タマ)の宮は、カムナガラ祝詞でよいぞ。(一二三(ひふみ)祝詞もよいぞ。)今までのシメはこの方等(ほうら)シメて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ。七五三は逆さぞ。三五七ざぞ。天地(てんち)の息吹ぞ。波の律(りつ)ぞ。風の律ぞ。神々様の御(おん)息吹の律(なみ)ざぞ。八月の六日、アメのひつ九のカ三。
第十三巻 雨の巻 第三帖(三三七)
草木は実(み)を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。種は残して育ててやらねばならんのざぞ、草木の身が動物虫けらの御身となるのざぞ、出世するのざから嬉しいのざぞ、草木から動物虫けら生れると申してあろがな、人の身、神に捧げるのざぞ、神の御身(みみ)となること嬉しいであろがな、惟神の御身とはそのことぞ、神示よく読めばわかるのざぞ。この道は先に行く程広く豊かに光り輝き、嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座(ござ)るぞ、神示よく読めよ、どんなことでも人に教えてやれる様に知らしてあるのざぞ。
いろはに戻すぞ、一二三(ひふみ)に返すぞ、一二三が元ぞ、天からミロク様は水の御守護遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、このこと魂までよくしみておらぬと御恩わからんのざぞ。悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。善も悪もないのざぞと申してあろがな、⦿の国真中に神国になると申してあろがな、日本も外国も⦿の目からは無いのざと申してあろうが、⦿の国あるのみざぞ、わかりたか。改心すれば ・ の入れ替え致してその場からよき方に廻してやるぞ、何事も我がしているなら自由になるのであるぞ。我の自由にならんのは、させられているからざぞ、このくらいのことわからんで神国の臣民と申されんぞ、国々所々に宮柱太敷(みやばしらふとし)キ立てよ、たかしれよ。この先は神示に出したこと用いんと、我の考えでは何事も一切成就せんのざぞ、まだ我(が)出している臣民ばかりであるぞ。従うところには従わなならんぞ、従えばその日から楽になって来るのざぞ、高い所から水流れるようにと申して知らしてあろうがな。十月の十五日、ひつ九のか三。
第十三巻 雨の巻 第六帖(三四〇)
神示よく読めと、神示よく肚に入れと申してあるが、神示肚に入れると胴すわるのざぞ、世界からどんな偉い人が出て来てどんなこと尋ねても教えてやれるようになるのざぞ、神示胴に入れて頭下げて天地(てんち)に働いて下されよ、祀りて下されよ、素直になればその場から、その場その場で何事も⦿が教えてやるから、力つけて導いてやるから、どんな神力でも授けてやるぞ。一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)授け申して神人(かみひと)となるぞ。
我(われ)さえ良けらよいとまだ思って御座る臣民まだで御座るぞ、自分一人で生きては行けんぞ、神ばかりでも生きて行けんぞ、爪の垢(あか)でもだてについているのではないのざぞ、わからんと申してあまりで御座るぞ、まつりせよ、地(つち)にまつろえよ、天(あめ)にまつろえよ、人にまつろえよ、草木動物にまつろえよと、くどう知らしてあるのにまだわからんのか、神拝(おろが)むばかりがまつりでないぞ。
待ちに待ちし日の出の御代(みよ)となりにけり、一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。身慾信心(みよくしんじん)している臣民人民、今に神示聞けぬように、いれもの聾になるのざぞ、厳しくなって来るぞ、毒にも薬にもならん人民、今度は役に立たんのざぞ、悪気ないばかりでは日月の御民(みたみ)とは申されんぞ。あら楽し、黒雲一つ払いけり、次の一つも払う日近し。淋しくなりたら神示尋ねて御座れ、神示読まねばますますわからんことになったであろうが、天国に底ないように、地獄にも底ないぞ、どこまでも落ちるぞ、鼻高(はなだか)の鼻折らな人民何と申しても⦿承知出来ん。十一月二十三日、ひつ九のか三。
第十三巻 雨の巻 第十五帖(三四九)
四八音(ヨハネ)世に出るぞ、五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現われるぞ、用意なされよ。それまでにさっぱり変ええてしもうぞ、天も変るぞ地(つち)も変るぞ。この方等(ほうら)が世立て直すと申しても、この方等が世に出て威張(いば)るのでないぞ、世立て直して世は臣民に任せてこの方等は隠居ぢゃ、隠れ身ぢゃぞ。地から世持ちて嬉し嬉しと申すこと楽しみぞ、(子供よ、)苦しい親の心よく汲み取りてくれよ。この神示読まいでやれるならやりてみよれ、彼方(あちら)でコツン、此方(こちら)でくずれぢゃ、大事な仕組早う申せば邪魔入るし、申さいではわからんし、何にしても素直に致すが一番の近道ざぞ、素直になれんのは小才(こさい)があるからざぞ。鼻高ぢゃからざぞ。
⦿の国は神の⦿のやり方あると申してあろうがな、善きは取り入れ、悪きは捨てて、皆気つけ合って⦿の国は⦿の国ぢゃぞ、金は金ぢゃ、銀は銀ぢゃぞと申してあろがな、盲ならんぞ、カイの御用もオワリの仕組も、何もかも裏表あるのざぞ、裏と表の外(ほか)に裏表あるぞ、ウオヱであるぞ、アとヤとワざぞ、三つあるから道ざぞ。
神前に向って大きく気を吸い、肚に入れて、下座(しもざ)に向って吐き出せよ、八度(やたび)繰り返せよ、⦿のキ頂くのざぞ、キとミとの合いの霊気頂くのざぞ。一二三(ヒフミ)がヨハネとなり五十連(イスラ)と成りなって十二の流れとなるのざぞ、ムがウになるぞ、ンになるぞ、ヤとワと掘り出して十二の流れ結構ざぞ。知らしてあろうがな、これまでの考え方やり方致すなら立て替えではないぞ、何も彼も上中下(うえなかしも)すっかりと立て替えるのざぞ、外国は龍宮の乙姫様、グレンと引っくり返しなさるのざぞ、龍宮の乙姫様、雨の神様の御(おん)活動烈(はげ)しきぞ。今度次の大層が出て来たらいよいよざぞ。最後のとどめざぞ、今度こそ猶予(ゆうよ)ならんのざぞ、キリキリであるから用意なされよ、三、四月気つけよ、キ切れるぞ。
信心なき者ドシドシ取り替えるぞ、この中、誠一つに清め下されよ、天明まだまだざぞ、世の元の型まだまだざぞ、⦿の仕組成就せんぞ、⦿人共にと申してあろがな、⦿厳しきぞ、ぬらりくらりぬるくって厳しきぞと申してあろうがな。役員多くなくても心揃えて胴すえておりて下されよ、⦿がするのであるから、この世に足場作りておりて下されよ、⦿無理申さんぞと申してあろうがな、けれどもちっとも気許しならんのざぞ。身魂相当に皆させてあろうがな、掃除早うせよ、己の戦まだ済んでいないであろうが、洗濯掃除早う結構ぞ。
この方の神示元とわかりながら他(た)の教えでこの道開かんとて開けはせんのざぞ、鏡曇っているから曲って写るのざぞ、一人の改心ではまだまだぞ、一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、外国人も日本人もないのざぞ、外国外国と隔(へだ)て心(ごころ)悪ぢゃぞ。十二月十九日、一二⦿。
第十三巻 雨の巻 第十七帖(三五一)
天地の先祖、元の神のてんし様が王の王と現われなさるぞ、王の王はタマで御(おん)現われなされるのだぞ。
礼拝の仕方書き知らすぞ、節分から始めて下されよ、
まず、気整えてしばし目つむり、心開きて一拝二拝八拍手(はくしゅ)せよ、また気整えて、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたり)と言(こと)高く宣(の)れよ、また気整えて、ひふみ三回宣れよ、これはこれは喜びの舞い、清めの舞い、祓の歌であるぞ。世界の臣民皆宣れよ、身も魂(たま)も一つになって、宣り歌い舞えよ、身魂全体で拍手(かしわで)するのざぞ、終りてまた気整えて、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたり)、一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)と言高く宣れよ。
神気整えて、天(あめ)の日月(ひつき)の大神様、弥栄(やさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませと祈れよ、これは祈るのざぞ、地(くに)の日月の神様、弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、終りて八拍手せよ。
次に雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、百々(もも)の神様、世の元からの生神様、産土(うぶすな)の神様に御礼申せよ、終りてから神々様の気頂けよ、気の頂き方前に知らしてあろうがな、何よりの臣民人民のイキの命の糧(かて)であるぞ、病なくなる元の元のキであるぞ、八度繰り返せと申してあろう、しばらくこのように拝めよ。
⦿(かみ)代になるまでにはまだ進むのざぞ、それまではそのようにせよ、この方の申すようにすればその通りになるのざぞ、さまで苦しみなくて大峠越せるぞ、大峠とは王統消す(?)のざぞ。新しき元の生命と成るのざぞ。神の心となれば誠わかるぞ。誠とはマとコトざぞ、神と人民同じになれば⦿代ざぞ、⦿は隠身(かくりみ)に、人民 表に立ちてこの世治まるのざぞ。雀の涙ほどのもの取り合いへし合い、何して御座るのぞ、自分のものざとまだ思っているのか。
御恩とは五つの恩のことざぞ、御恩返さなならんのざぞ、このことよく考えて間違わんようにして下されよ。この巻は「雨の巻」ぞ、次々に知らすから、身魂相当により分けて知らしてやれよ、言分けて一二三(ひふみ)として知らしてやるのもよいぞ。役員皆に手柄立てさしたいのぢゃ、臣民人民皆にそれぞれに手柄立てさしたいのぢゃ、待たれるだけ待っているのぢゃ、一人で手柄は悪ぢゃ、皆分けあってやれよ、手握りてやれよ。石もの言うぞ、十六の八の四の二の一目出度(めでた)や目出度やなあ。⦿の仕組の世に出(い)でにけり、あなさやけ、あな面白や、五つの色の七変わり八変わり、九の十々(ここのたりたり)て百千万(ももちよろず)の⦿の世弥栄。十二月十九日、ひつ九のかミ。
第十四巻 風の巻 第十二帖(三六三)
日本の人民 餌食(えじき)にしてもやり通すと、悪の⦿申している声 人民には聞こえんのか。よほどしっかりと腹帯(はらおび)締めおいて下されよ。⦿には何もかも仕組てあるから、心配ないぞ。改心出来ねば気の毒にするより方法ないなれど、待てるだけ待っているぞ。
月の大神様が水(み)の御守護、日の大神様が火の御守護、御土(おつち)つくり固めたのは、大国常立(おおくにとこたち)の大神様。この御三体(ごさんたい)の大神様、三日この世構いなさらねば、この世、くにゃくにゃぞ。実地を世界一度に見せて、世界の人民一度に改心さすぞ。
五十になっても六十になっても、いろは、一二三(ひふみ)から手習いさすぞ。出来ねばお出直しぞ。慢心、早合点大怪我のもと、今の人民、智が走り過ぎているぞ、気つけおくぞ。二月十六日、ひつ九のか三。
第十九巻 まつりの巻 第二帖 (四〇六)
これまでは「いろは」でありたが、いよいよ「一二三(ひふみ)」の力加わるぞ、「いろは」はやさしいが「一二三」は荒(あら)いから、荒事(あらごと)もするから その覚悟致されよ、その覚悟よいか、汚い心捨てていると、小さい心大きくなって自分でもびっくりするよう、結構が来るぞ。警察いらんと申してあるぞ。八月九日、一二⦿。
第二十巻 梅の巻 第十九帖(四四六)
四十九、天明 神示(ふで)書かす御(おん)役ぞ。一二三(ひふみ)となる日近づいたぞ、節分までに皆の守護神同じ宮に祀りくれよ、まつりまつりてまつり合わせ、和合して物事成就するのぞ。まつる心なき者マコトないぞ、マコトわからんぞ。靖国のミタマもそれまでに奥山に祀りくれよ、まつり替えてやりてくれよ。世界の⦿⦿(かみがみ)様、守護神様、人民の御霊(みたま)、祀りくれよ、まつり結構ぞ。
節分からの誓言(ちかい)変えさすぞ、大神様には御三体(ごさんたい)の大神様、御三体の大神様と七回繰り返せよ、それでよいぞ、⦿⦿様には弥栄(やさか)ましませと五回繰り返せよ、霊(たま)の宮には弥栄ましませと三回繰り返せよ、それでよいぞ、弥栄ざぞ。十二月四日、ひつ九の⦿。
第二十一巻 空の巻 第二帖(四五七)
ひふみゆらゆらと一回二回三回唱えまつれよ、甦(よみがえ)るぞ。次に人は道真中にして〇(ワ)となり、皆の者集まりてお互に拝(おろが)み、 ・ (かみ)にまつりまつり結構ぞ、節分からでよいぞ。
このお道の導きの親尊べよ、どんなことあっても上(かみ)に立てねばならんぞ、順乱しては⦿(かみ)の働きないと申してあろうがな。(直会(なほらい)には神の座上につくらなならんのざぞ、神人共にと申してあろがな、)まだわからんのか、順正しく礼儀正しく、⦿にも人にも仕えまつれよ。束(たば)ねの⦿は、束ねの人は後(あと)からぢゃ、後から出るぞ。一月一日、一二⦿。
第二十一巻 空の巻 第四帖(四五九)
立て直しの道つづき、結び、展く、日月出で、よろづのもの、一二三(ひふみ)とみち、つづき鳴り成り、ひらく大道、真理の出で初む中心に、マコト動きて、元津神栄ゆ、元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、うづぞ、神々のうづぞ、ナルトぞ、人のよろこびぞ、代々の大道ぞ、真理、真愛、大歓喜は、中心にひか光り、ひらき極まる道ぞ、展き極まる世ぞ、鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、生れ出づる世、うごき更にひらき、次々に栄え極みて、新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、つづき睦びて、富士晴れ極み、鳴門は殊にひかり出でて、大道は日神の中心に還り、また出でて、ひらき、大道いよいよ満つ、焼く神々、早くせよ。一月六日、一二⦿。
第二十二巻 青葉の巻 第七帖(四七六)
いやな事は我が血統(ちすじ)に致さすなり、他人傷つけてはならんなり、ひふみにも二十@五十@(フトマニイスラ)、いろはにも二十@五十@(フトマニイスラ)、よく心得なされよ。何彼(なにか)のこと、ひふみ、いろはでやり変えるのぢゃ、時節めぐりて上も下も花咲くのぢゃぞ。誰によらず改心せなならんぞ、この方(ほう)さへ改心致したお蔭で今度の御(おん)働き出来るのぢゃ、同じこと二度繰り返す仕組ざぞ、このことよく肚(はら)に入れておいて下されよ。同じこと二度、この神示(ふで)⦿と十の神示。八月二日、一二⦿。
第二十三巻 海の巻 第十九帖(五一一)
ミミに一二三(ひふみ)聞かするぞ、いよいよミミに聞かす時ざぞ。それぞれ人に応じて時によって、口から耳に、肚から肚に知らしてくれよ、あなさやけ、あなすがすがし、岩戸開けたり、二十三巻でこの方の神示(ふで)の折々(おりおり)の終りざぞ、後(あと)の七の巻(まき)は宝としてあるのざぞ、今にわかりて来るぞ、合わせて三十の巻、それが一つの節ざぞ、天明 御身(みみ)に聞かすぞ、よきにはからえ、この行なかなかぞ。八月二十三日、ひつ九の⦿の神示これまで。
第二十四巻 黄金の巻 第三十七帖(五四八)
集団(まどい)は天国の組織同様にせよ。横にはウクスツヌフムユルウの十柱(とはしら)ぞ。縦にはアイウエオの五柱(いつはしら)、結構ぢゃなあ。横だけでも片輪、縦だけでも片輪、この方(ほう)見えんアであるぞ。顕(あらわ)れは神示ぢゃ。よく相談し合って結構致しくれよ。弥栄えるぞ。秘文(ひふみ)読めばわかる。神業奉仕すれば自らめぐり取れるのぢゃ。めぐりないもの一人もこの世にはおらん。かのととり。一二十
第二十四巻 黄金の巻 第四十四帖(五五五)
奉(たてまつ)る歌書かしておいたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたい呉(く)れと申してある時来ているぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆歌え唄え。各(おの)も各も心の歌つくって奉(まつ)れよ。歌結構ぞ。
ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。
かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。
御まへに、歌たてまつる、弥栄(やさか)み歌を。
世を救う、大みゐわざぞ、みことかしこし。
まさに今、神のみことを、このみみに聞く。
三千世界、救ふみわざぞ、言(こと)ただし行かな。
大神の、しきます島の、八十島(やそしま)やさか。
天(あま)かけり、地(くに)かける神も、みひかりに伏す。
堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。
したたみも、いわひもとほり、神に仕へむ。
大稜威(おおみいづ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。
かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。
国原は、大波うちて、みふみを拝す。
天もなく、地もなく今を、みことに生きん。
大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。
天地(あめつち)の、光となりて、みふで湧き出づ。
一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。
大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(おや)の血。
すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。
高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。
吾れあらじ、神々にして、祈らせ給う。
天地も、極まり泣かん、この時にして。
かつてなき、大みつげなり、たたで止(や)むべき。
天地も、極まりここに、御代(みよ)生れ来ん。
大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。
みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。
宮柱(みやばしら)、太(ふと)しき建てて、神のまにまに。
抱き参らせ、大御心に、今ぞこたえむ。
言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。
ただ涙、せきあへず吾(あ)は、御(おん)まえに伏す。
ささげたる、生命ぞ今を、神と生(あ)れます。
大まえに、伏すもかしこし、祈る術(すべ)なし。
今はただ、いのちの限り、太道(おみち)伝へむを。
祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。
いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。
ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。
言霊(ことたま)の、言(こと)高らかに、太陽(おおひ)にとけな。
天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。
あらしとなり、天駆(あまか)けりなば、この心癒えむか。
走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。
みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(おや)さか。
神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。
みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。
あな爽(さや)け、みたみ栄(はえ)あり、神ともに行く。
さあれ吾の、生命尊し、吾(あ)を拝(おろが)みぬ。
みづくとも、苔(こけ)むすとても、生きて仕えん。
いゆくべし、曲(まが)の曲こと、断(た)たで止むべき。
かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。
追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。
追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。
みことなれば、天(あめ)の壁立つ、極み行かなん。
と心の、雄(お)たけび天も、高く鳴るべし。
まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。
たな肱(ひぢ)に、水泡(みなわ)かきたり、御稲(みとし)そだてんを。
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。
狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。
神々の、血潮とならん、ことに生き行く。
言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。
にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。
大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。
道端の、花の白きに、祈る人あり。
拍手(かしわで)の、ひびきて中今(いま)の、大きよろこび。
悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(のりと)申すも。
祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。
のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。
御まへに、額(ぬか)づきあれば、波の音きこゆ。
悔ゆるなき、一日(ひとひ)ありけり、夕月に歩す。
曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。
奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。
ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。
かのととりの日。
第二十五巻 白銀の巻 第三帖(六一四)
⦿の中の「 ・ 」の中の⦿は一であり、二とひらき、三と生命するぞ。理は一(ヒ)で二(フ)で、三(ミ)であると申してあろう。一(ヒ)も二(フ)も三(ミ)も同じであり、違って栄えるのざ。一二三(ヒフミ)であるぞ。このこと教えられてもわかるまい。ハラでわかる大切こと、ハラ大切ぞ。かたまってはならん。「 ・ 」に囚(とら)われると「 ・ 」はわからん。地の定規で測ってはならん。如何(いか)なる天国も自分でつくるのぞ。そろばん捨てよと申してあろうがな。よろこびは理(ミチ)ぞ。数ぞ。言ぞ。真理ぞ。愛善ぞ。生命のイキということわかるであろう。天国と申すのは一人の大きな人間であるぞ。天国は霊人のみの住む所でないぞ。そなたたちも今住んでいるでないか。霊人も現界に住んでいるでないか。現界を離れて天国のみの天国はないのであるぞ。故にこそ、現界で天国を生み出し、天国に住めんものが、死んで天国へ住める道理ないのぢゃ。アメツチと申してあろう。この道理よくわきまえよ。善とか悪とか真とか偽とか愛とか憎とか申すのは相対の天国ぞ。まことの天国には喜びのみが生きているのであるぞ。喜びの中に融け入って、喜びのものとなっているのであるぞ。喜び食し、喜び着、喜びを呼吸し、喜び語り合って嬉し嬉しとなるのぞ。要らんものは形が変って来る。新しき生命湧(わ)き出るのであるぞ。善が悪と、真が偽と変った時は死となるぞ。その死は新しき別の生命と現われて、新しき形の、新しき世界の善となり真となるのぞ。善も悪もないのざと申してあろう。善悪はあるが無いのざと申してあることわかりたか。自分自身、己の為の善は死し、善の為の善は弥栄えるぞ。死んだものは新しき形をとって生命するのであるぞ。弥栄の道、神の喜び人間の喜びの中にあるぞ。愛ざと申して愛に囚われて御座るぞ。真ざと申して真に囚われて御座るぞ。喜びに生きよ。宗教に囚われてはならん。道に囚われてはならん。喜びに生きて、喜びに囚われるなよ。お互に喜びの湧き出づることでなければ真の愛でないぞ。道でないぞ。天国に道あると申すが、今の人間の申したり、考えたりするような道でないぞ。道なき道と申してあろうが。喜びが道であるぞ。嬉し嬉しの道、早う合点せよ。生命栄えるもの皆喜びであるぞ。信仰とは、その喜びの中に融け入ることぞ。生も死もなくなるのざ。時間や空間を入れるから、血、通わなくなるのぞ。(一月二日)
第二十六巻 黒鉄の巻 第九帖(六二七)
神心には始めも終りも無いのぢゃ。すべてがあるのであるぞ。世界見よ。三千世界よく見よ。すべてが秘文(ひふみ)ぢゃ。他力の中に自力あるのぞ。自分ばかりでは成就せんぞ。足ふみばかり。愛は愛のみでは愛でないぞ。真は真のみでは真でないぞと申してあろうが。まつり合せて、「 ・ 」入れて愛となり真となるのぞ。愛のみ出ると悪となり、真のみ出ると偽(ぎとなることあるぞ。偽(いつわ)りと悪とまつりて善の働きすることあるぞ。心せよ。(一月二十二日)
第三十巻 冬の巻 補帖(七八七)
病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆己(おのれ)からぢゃ、と申してあろう。誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心(みこころ)ぢゃ。親心ぢゃ。悪くなるということないのぢゃ。迷いが迷い生むぞ。もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。毎日毎日、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。その日の仕事、与えられるぞ。仕事いのちと仕えまつれよ。朝寝するからチグハグとなるのぢゃ。不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気つけよ。戦(いくさ)起るのぢゃ。人間の病や、戦ばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。
一椀(ひとわん)をとって先づ神に供えよ。親に捧げよ。子に捧げよ。腹八分の二分は捧げよ。食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。神に捧げずにむさぶるからメグリ積むのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物慎(つつし)めばよい。言(こと)慎しめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。このわかりきったこと、何故にわからんのぢゃ。
捧げるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたら捧げると今の人民申しているが、それが裏腹(うらはら)と申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。預けられているのであるぞ。人民に与えられているものは食物だけぢゃ。日の恵み、月の恵み、地の恵みだけぢゃぞ。その食物節してこそ、捧げてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあろうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治って嬉し嬉しと輝くぞ。そんなことくらいで、病治ったり、運ひらけるくらいなら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理窟と申すもの。理窟悪と申してあるもの。低い学に囚われた盲、聾と申すものぞ。
理窟捨てよ。捨ててやって見なされ。みなみな気つかん道、気つかん病になっているぞ。憑きものがたらふく食べていることに気づかんのか。食物節すれば憑きもの改心するぞ。まず百日を目当てに、百日過ぎたら一年を、三年続けたら開運間違いなし。病もなくなって嬉し嬉しとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。六月九日、ひつくの神。 以上
五十黙示録 第五巻 極め之巻 第十九帖
天人天使の行為が、人民に写るのであるなれど、人民の自由、能力の範囲における行為はまた逆に、天界に反映するのであるぞ、日本と唐(中国)と土地が違うように、日本人と唐人とは違う、天界の写り方も違うのであるぞ。同じ日本人でも時と所によって違う。肌の細かい絹と、荒壁にうつる映画は、同じでも少しづつ違うようなもの、違ってうつるのがマコトであるぞ、同じ数でも123と一二三は違うのであるぞ、わかりて下されよ。新しき世界に進む大切ことぢゃ。
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