ののの備忘録

『日月神示』の解読から始まる古の神々さまの封印解除と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。

日月神示用語集:富士の仕組み・鳴門の仕組み

 グリモワール

 

第二巻 下つ巻 第二十七帖(六九)

 

 この方は祓戸(はらえど)の⦿(かみ)とも現われるぞ。この方祀るのは富士に三(み)と所、@海(うずうみ)に三と所、江戸にも三と所ぞ、奥山、中山、一の宮ぞ。富士は、榛名(はるな)に祀りてくれて御苦労でありたが、これは中山ぞ、一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、@海の仕組も急ぐなれど、甲斐(かい)の仕組、早うさせるぞ。江戸にも三と所、天明の住んでいるところ奥山ぞ。あめのひつくの家、中山ぞ、富士が一の宮ざから気つけて置くぞ。

 この方祀るのは、真中に神の石鎮め、そのあとにひもろぎ、前の右左にひもろぎ、それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、そのあとに三つ、七五三とひもろぎ立てさすぞ。少しはなれて四隅(すみ)にイウエオの言霊石(ことたまいし)置いてくれよ。鳥居(とりい)も注連(しめ)もいらぬと申してあろがな、このことぞ。この方祀るのも、役員の仕事も、この世の組立(くみたて)も、みな七七七七と申して聞かしてあるのには気がまだつかんのか。

 臣民の家に祀るのは神の石だけでよいぞ、天のひつくの家には、どこでも前に言うたようにして祀りてくれよ。江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りてくれよ、中山九日、一の宮には十日に祀りてくれよ。気つけてあるのに⦿の神示読まぬからわからんのぞ、このことよく読めばわかるぞ。今のようなことでは⦿の御用つとまらんぞ、正直だけでは⦿の御用つとまらんぞ。裏と表とあると申して気つけてあろがな、シッカリ神示(ふで)読んで、スキリと肝に入れてくれよ、読むたびごとに⦿が気つけるように声出して読めば、読むだけお蔭あるのぞ。七月の三十一日、一二⦿。

 

第四巻 天つ巻 第三十帖(一三七)

 

 富士とは火の仕組ぞ、渦海(うづうみ)とは水の仕組ぞ、今にわかりて来るのざぞ。⦿の国には政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけぞ。まつろうことによって何もかも嬉し嬉しになるのざぞ。これは政治ぞ、これは経済ぞと申しているから鰻つかみになるのぞ、分ければ分けるほどわからなくなって、手に負えぬことになるぞ。

 手足は沢山は要らぬのざぞ、左の臣(おみ)と右(みぎり)の臣とあればよいのざぞ。ヤとワと申してあろうがな、その下に七七ゝゝゝゝと申してあろうがな。今の臣民、自分で自分の首くくるようにしているのぞ、手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ。

 神示は印刷することならんぞ、この神示解いて、臣民の文字で臣民に読めるようにしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。一二三は印刷してよいのざぞ。印刷結構ぞ。この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時により、その国によりて、それぞれに説いて聞かせよ。日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱(かみばしら)つくりてあるから、今にビックリすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。

 ミロクの世近づいて来たぞ。富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。善一筋とは⦿一筋のことぞ。この巻 を「天つ巻 」と申す。すっかり写してくれよ、すっかり伝えてくれ。九月十四日、ひつ九のか三。

 

第六巻 日月の巻 第十七帖(一九〇)

 

 ココニアマツカミ、モロモロノミコトモチテ、イザナギノミコト、イザナミノミコトニ、コレノタダヨヘルクニ、ツクリカタメナセト、ノリゴチテ、アメノヌホコヲタマヒテ、コトヨサシタマイキ(ここに天津神、諸々の命もちて、伊弉諾命、伊邪那美命に、是の漂える地、修理固成なせと詔て、天の沼矛を賜いて、言依さし賜ひき)。

 ⦿の国にも善と悪とあると申してあろがな。この神示見せてよい人と悪い人とあるのざぞ。神示見せてくれるなよ。まことの⦿の臣民とわかりたら、この神示写してやりてくれよ。神示は出ませぬと申せよ。時節よく見るのざぞ。型してくれたのざからもう一(はじめ)の仕組よいぞ。この神示、表に出すでないぞ。天明は蔭の御用と申してあろが。神示しまっておいてくれよ、一二三(ひふみ)として聞かしてやってくれよ。この方の仕組、日に日に変るのざから、臣民わからなくなると申してあろが。日に日に烈しく変りて来るのざぞ。⦿の子には神示伝えてくれよ。⦿急けるのざぞ。⦿海(うづうみ)の御用結構。十一月四日、一二⦿。

 

第十三巻 雨の巻 第八帖 (三四二)

 

 大難小難にと祈れと申してくどう知らしてあろうがな、いかようにでも受け入れて、善きようにしてやるよう仕組みてある神の心わからんか、天災待つは悪の心ぢゃと知らしてあろうが、まだわからんのか、国敗(ま)けて大変待ちいる臣民沢山あるが、そんな守護神に使われていると気の毒になって来るぞ、よく神示読んで下されよ。今の守護神、悪の血筋、眷属(けんぞく)であるぞ、悪も御(おん)役ながら、奥(悪?)表に出ては誠おさまらんぞ、悪結構な世は済みて、善結構、悪結構、仏結構、キリスト結構、ことごとく(?)結構の世となり、鳴門(なると)の仕組近くなって来たぞ。世の元からの仕組、中行く仕組、天晴(あっぱ)れ三千世界結構であるぞ、心の富士も晴れ晴れとなるぞ、結構々々。

 甘くてもならんぞ、辛(から)くてもならんぞ、甘さには辛さいるぞ、天の⦿様ばかりではならんのざ、くどう申してここまで知らしているにまだわからんのか、心さっぱり大河(おおかわ)に流して神示読んで下されよ、いつまでも⦿待たれんぞ、辛さには甘さ陰(かげ)にあるのざぞ、この道理よくわるであろうがな。水の味 火の味、結構ぞ、恐い味ないような結構な恐さであるぞ、喜びであるぞ、(苦しみであるぞ、) この道理よくわかりたか。(神の御恵み神の御心わかりたか、) 御心(みこころ)とは三つの御心ぞ、一と十と「 ・ 」とであるぞ、御心結構ぞ、世の元の⦿の仕組の現われて三千世界光り輝く、あなさやけ。十一月二十七日、ひつくの⦿。

 

第八巻 磐戸の巻 第九帖(二四五)

 

 富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それまでに⦿の国の臣民改心しておらぬと気の毒出来るぞ。天狗や狐は誰にでも憑かりてモノ言うなれど、⦿は中々にチョコラサとは憑からんぞ、善き代になりたら⦿はモノ言わんぞ。人が⦿となるのざぞ、この⦿は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)には憑からんぞ、⦿が誰にでも憑かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神憑かりに凝(こ)るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。この道は中行く道と申してあろがな。

 戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下ろしもならず、人民の智や学や算盤(そろばん)では、どうとも出来んことになるのが目の前に見えているのざから、早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのざぞ。長引くほど、国はヂリヂリに無くなるぞ。米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。命あると申して油断するでないぞ。この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、辰(たつ)の年は善き年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ。一月十一日、⦿のひつ九⦿。

 

第二十一巻 空の巻 第四帖(四五九)

 

 立て直しの道つづき、結び、展く、日月出で、よろづのもの、一二三(ひふみ)とみち、つづき鳴り成り、ひらく大道、真理の出で初む中心に、マコト動きて、元津神栄ゆ、元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、うづぞ、神々のうづぞ、ナルトぞ、人のよろこびぞ、代々の大道ぞ、真理、真愛、大歓喜は、中心にひか光り、ひらき極まる道ぞ、展き極まる世ぞ、鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、生れ出づる世、うごき更にひらき、次々に栄え極みて、新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、つづき睦びて、富士晴れ極み、鳴門は殊にひかり出でて、大道は日神の中心に還り、また出でて、ひらき、大道いよいよ満つ、焼く神々、早くせよ。一月六日、一二⦿。

 

第二十二巻 青葉の巻 第十帖(四七九)

 

 善き⦿(かみ)には善き御用、悪き⦿には悪き御用、自分で自分がつとめ上げるのぢゃ、人になんと言われても腹の立つようでは御用難しいぞ、腹立つのは慢心からぢゃと申してあろうがな。仕組途中でグレンと変り、カラリと変る仕組してあるのぢゃ、そこに一厘の仕組、火水(かみ)の仕組、富士と鳴門の仕組、結構々々大切致してあるのぢゃ。仕組変わり変わりて人民にはわからんなり、善き世と致すのぢゃ、いくら智あっても人間心では出来ん仕組ぞ、智捨てて⦿にすがりて来ねばわからん仕組ぢゃ、と言うて人間世界は人間の智いるのぢゃ、智でない智を⦿が与えるぞ、⦿人共にと申してあろうがな、つとめ上げたら他にない結構な御用。八月三日、ひつ九⦿。

 

第二十四巻 黄金の巻 第七十七帖(五八八)

 

 不二の仕組とは動かん真理、@(ウズウミ)の鳴門の仕組とは、弥栄の限りなき愛のことであるぞ。神の道に入り、道をふんで居れば、やり方一つで何でもよく、嬉し嬉しとなるぞ。世の元から出来ているミタマの立て直しであるから、一人の改心でも中々であると申しているのに、ぐずぐずしていると間に合わん。気の毒出来るぞ。めぐりと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。めぐりは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん。美の門から神を知るのが、誰にでもわかる一番の道であるぞ。芸術から神の道に入るのは誰にでも出来る。この道理わかるであろうが。審判(さばき)の廷(にわ)に出たならば、世界は一人の王となるぞ。御出まし近うなったぞ。自分よくしてくれと申しているが、それは神を小使(こづかい)に思うているからぞ。大きくなれよ。(一月三日)一二十

 

五十黙示録 第三巻 星座之巻 第二帖

 

 ナルの仕組(しくみ)とは鳴戸(なると:七@十)の経綸であるぞ、八が十になる仕組、岩戸開く仕組、今まではなかなかにわからなんだのであるが、時節が来て、岩戸が開けて来たから、見当つくであろう、富士(二二)と鳴門(七@十)の仕組、結構致しくれよ。

 

五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第十六帖

 

 太陽は十の星を従えるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変るのであるぞ、人民の学問や智ではわからんことであるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝(かむだから)に「 ・ 」を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、成り成りあまるナルトの仕組。富士と鳴門の仕組いよいよぞ、これがわかりたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でモノを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完うできん、九分九厘で厘止まりぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。成り成りて十と開き、二十二となるぞ、富士晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。

 

 

参考図書

完訳 日月神示

岡本 天明 著 中矢 伸一 監修

ヒカルランド

 

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