ののの備忘録

『日月神示』の解読から始まる古の神々さまの封印解除と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。

日月神示用語集:素盞鳴大神

 グリモワール

 

第五巻 地つ巻 第十五帖(一五二)

 

 ⦿の国の上(かみ)の役員にわかりかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、学や智恵が邪魔してなかなかにわからんから、くどう申しているのざぞ。臣民物言わなくなるぞ、この世の終り近づいた時ぞ。石物言う時ぞ。神の目には外国も日本(やまと)もないのざぞ。みなが⦿の国ぞ。七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。てんし様が世界みそなはすのざぞ。世界中の罪負いておはしますスサノオの大神様に気づかんか、盲、聾ばかりと申してもあまりでないか。九月の二十三日、ひつ九のか三。

 

第六巻 日月の巻 第二十八帖(二〇一)

 

 岩戸あけたり日本晴れ、富士光るぞ。この巻役員読むものぞ。世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。くも出てクニとなったぞ。出雲とはこの地(くに)のことぞ。スサナルの神はこの世の大神ぞ。始めは@(ウヅ)であるなり、@(うご)いて月となり地となりたのざぞ。

 アは@(ヒツキクニ)の神様なり、〇ワヤ(ヨ)は月の神様ぞ、クニの神様はスサナルの神様ぞ。このこと始めに心に入れれば掃除他愛(たあい)ないぞ、グレンとは上下(うえした)かえることと申してあろうがな、言うてならぬことぞ。言わねばならぬことぞ。アメの⦿つ九の⦿。

 

第六巻 日月の巻 第二十九帖(二〇二)

 

 一日(ひとひ)一日ミコトの世となるぞ。⦿のこと言うよりミコトないぞ。もの言うなよ。ミコト言うのざぞ。ミコト⦿ぞ。道ぞ。アぞ。世、変るのぞ。何も烈(はげ)しく引き上げぞ。戦(いくさ)も引き上げぞ。役に不足申すでないぞ。光食えよ。息ざぞ。素盞鳴尊(すさなるのみこと)祀りくれよ。急ぐぞ。海原(うなばら)とはこのクニぞ。十一月二十五日、一二⦿。

 

第六巻 日月の巻 第三十二帖(二〇五)

 

 表ばかり見ていては何もわかりはせんぞ。月の神様祀りてくれよ。この世の罪穢(けが)れ負いて夜となく昼となく護り下さるスサノオの神様、篤く祀りくれよ。火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。火と水と申しておいたが、水のほかに隠れた火と水あるぞ。それを一二三(ヒフミ)と言うぞ、一二三とは一二三ということぞ、言葉ぞ。言霊(ことたま)ぞ、祓いぞ、禊(みそぎ)ぞ。@(うづ)ぞ、スサナルの仕組ぞ。成り成る言葉ぞ、今の三位(さんみ)一体は三位三体ぞ。一(ヒ)とあらわれて二三(フミ)かくれよ。二(フ)と三(ミ)の神様の御恩忘れるでないぞ。御(おん)働き近づいたぞ。十一月二十七日、ひつ九かみ。

 

第六巻 日月の巻 第三十七帖(二一〇)

 

 天にも天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)様、天照大神(あまてらすおおかみ)様あるように、地にも天照皇大神様、天照大神様あるのざぞ。地にも月読(つきよみの)大神様、隠れてござるのざぞ。素盞鳴(すさなるの)大神様、 罪穢れ祓いて隠れてござるのざぞ。結構な尊い神様の御働きで、何不自由なく暮しておりながら、その神様あることさえ知らぬ臣民ばかり。これでこの世が治まると思うてか。⦿⦿(かみがみ)祀りて⦿⦿にまつわりて⦿国(ぐに)のまつりごと致してくれよ。つまらぬこと申していると、いよいよつまらぬことになりて来るぞ。十一月三十日、ひつ九神 しらすぞ。

 

第七巻 日の出の巻 第五帖(二一八)

 

 右(みぎり)に行かんとする者と、左に行かんとする者と結ぶのが@(うづ)の神様ぞ、@の神様とは素盞鳴の大神様ざぞ、この御用(おんはたらき)によりて生命(いのち)あれるのぞ、力生れるのざぞ、@がまつりであるぞ、⦿国の祀り@であるぞ、⦿はその全き姿ぞ、神の姿ぞ。男の魂(たま)は女(おみな)、女の魂は男と申して知らしてあろがな。十二月三日、ひつ九のか三。

 

第七巻 日の出の巻 第九帖(二二二)

 

 人、⦿とまつわれば喜し喜しぞ、まつわれば人でなく⦿となるのぞ、それがマコトの神の世ぞ、⦿は人にまつわるのざぞ、「 ・ 」と〇と申してあろが、戦も「 ・ 」と〇と壊し合うのではないぞ、「 ・ 」と〇とまつろうことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、⦿国真中(かみぐにまなか)に和すことぞ。それには〇(身)掃除せなならんぞ、それがこの度の戦ぞ、戦の大将が⦿祀らねばならんぞ。二四(西?)は剣(つるぎ)ざぞ。⦿まつりは神主ばかりするのではないぞ、剣と鏡とまつらなならんぞ、まつわれば魂(たま)となるのざぞ。魂なくなっていると申して知らせてあろがな、政治も教育も経済の大将も、⦿祀らねばならんのぞ。天(てん)の天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)様はさらなり、天の大神様、地(くに)の天照(あまてらす)大神様、天照皇大神様、月の⦿様、とくに篤(あつ)く祀りくれよ、月の大神様 御出でまして闇の世は月の世となるのざぞ。素盞鳴の大神様も篤く祀りてくれよ、この⦿様には毎夜毎日(まいよまいにち)お詑びせなならんのざぞ、この世の罪穢(つみけがれ)負われて陰から守護されて御座(ござ)る尊い御(おん)神様ぞ、地(ち)の御神様ぞ、土(つち)の神様ぞ、祓い清めの御神様ぞ、国々の産土(うぶすな)の神様祀りくれよ、遅くなればなるほど苦しくなるのざぞ、人ばかりでないぞ。十二月八日、ひつ九のか三。

 

第十二巻 夜明けの巻 第九帖(三二九)

 

 てんし様まつれと申してあろうが。天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおおかみさま)とまつり奉(たてまつ)れ。奥山には御社(みやしろ)造りて、斎(いつ)き奉(まつ)れ。皆の家(うち)にも祀れ。天津日嗣皇尊弥栄(やさか)ましませ、弥栄(いやさか)ましませと拝(おろが)めよ。拝み奉(まつ)れ、天照皇大神(あまてらすすめらかみ)様、天照大神(あまてらすおおかみ)様、月の大神様、スサナルの大神様、大国主(おおくにぬし)の大神様も篤(あつ)く祀り讃えよ。奥山の前の富士に産土(うぶすな)の大神様祀れよ、宮いるぞ。清めて祀れよ、霊(タマ)の宮はその前横に移せよ。奥の富士に国常立大神(くにとこたちおおかみ)、豊雲野大神(とよくもぬおおかみ)祀る日近うなりたぞ。宮の扉あけておけよ。臣民の住居(すまい)も同様ぞ。大難小難にまつりかえて下されとお願いするのざぞ。取り違い、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。天の異変気つけよ。八月の五日、アメのひつ九のか三。

 

第十五巻 岩の巻 第一帖(三六六)

 

 「岩の巻」書き知らすぞ。一八(イワ)は弥栄(いやさか)。⦿は「 ・ 」と〇、@、「 ・ 」が神ざぞ。@が神ざと申してあろう。

 悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。人民悪いこと好きでするでないぞ、知らず知らずに致しているのであるぞ。⦿にも見の誤り、聞きの誤りあるのざぞ。元の神には無いなれど、下々(しもじも)の⦿にはあるのざぞ。それで見直し、聞き直しと申してあるのざぞ。元の⦿には見直し聞き直しはないのざぞ、スサナルの大(おお)⦿様、鼻の神様ぞ、かぎ直しないぞ、かぎの誤りはないのざぞ。人民でも、かぎの間違いないのざぞ。鼻の誤りないのざぞ。

 スサナルの大神様、この世の大神様ぞと申してあろうがな。間違いの⦿⦿(かみがみ)様、この世の罪穢(けが)れを、この⦿様に着せて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ。それでこの地の上を極悪⦿が我(われ)の好き候(そうろう)に持ち荒らしたのぞ。それで人皇(じんのう)の世と曇り汚して造り変え、仏(ほとけ)の世となりて、さらにまぜこぜにしてしもうて、わからんことになりて、キリストの世に致して、さらにさらにわからんことに致してしもうて、悪の仕組通りに致しているのぢゃぞ、わかりたか。

 釈迦もキリストも立派な⦿で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は、偽の仏やキリストざぞ。同じ⦿二つあると申してあらうがな。

 「 ・ 」なくなっているのざぞ、「 ・ 」ない@ざぞ、「 @・ 」でないと、まことできんのざぞ、わかりたか。「 ・ 」なきもの悪ざぞ、「 ・ 」は〇ぞ、火ぞ、一(はじめ)ざぞ。暗がりの世となっているのも、「 ・ 」ないからざぞ。この道理わかるであろらうがな。旧一月十五日、かのととりの日、一二⦿。

 

第二十四巻 黄金の巻 第三十四帖(五四五)

 

 世界平(ひら)とう、胸の掃除からハラの掃除ぞ。理智がまことの愛ぞ。ア九(ク)も神の御子。絶対の責任は神、相対の責任は人民。親よりも師よりも神愛せよ。その親、師は神からさらに愛されるぞ。〇ー九二十九十千(オークニトコタチ)の⦿〇I〇ー⦿三@(カミガオースサナル)の⦿三〇(カミサマ)なり。かのととりの日。一二十

大国常立神が大素戔嗚神さまなり

第二十四巻 黄金の巻 第四十八帖(五五九)

 

 神の御用と申してまだまだ自分の目的立てる用意しているぞ。自分に自分がだまされんように致しくれよ。自分の中に善の仮面を被(かぶ)った悪が住んでいるに気つかんか。祓い清めの神が⦿三@(スサナル)の神様なり。サニワの神は―曰十@の九ん二ん(ウシトラのコンジン)様なり。それぞれにお願いしてから、それぞれのこと行ぜよ。

 この道に入って始めの間は、かえって損したり馬鹿みたりするぞ。それはめぐり取って戴いているのぞ。それが済めば苦しくても何処(どこ)かに光見出すぞ。おかげのはじめ。次に自信ついて来るぞ。胴がすわって来るぞ。心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。悪の霊はみぞおちに止まりがちぞ。霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従うもの。このことわかれば、この世のこと、この世とあの世の関係がはっきりするぞ。足には足袋、手には手袋。(十一月裏四日)―曰十@(ウシトラ)

 

五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十帖

 

  岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐:イザナギ)ナミ(伊邪那美:イザナミ)の命(ミコト)の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国(よみのくに)に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのであるぞ。一(ひと)ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思えばだんだんにわかりてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのである道理、わかるであろうがな。その後、独(ひと)り神(がみ)となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申すまでもないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給うたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引(ちび)きの岩戸をひらかれて相抱(あいいだ)き給う時節来たのであるぞ、嬉(うれ)し嬉しの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現われて来るのざぞ、名は同じでも、働きは逆なのであるぞ、この二つが揃うて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を共に開かんと申してあろうがな。

 次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、騙(だま)した岩戸からは騙した神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃(そろ)うてお出まし近うなって来たぞ。

 次の岩戸閉めは素盞鳴命(スサナルノミコト)にすべての罪をきせて根(ね)の国に追いやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治(しろ)しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天ヶ下は重きものの積もりて固まりたものであるから罪と見えるのであって、よろづの天の神々が積(つ)もる(という)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ、命(ミコト)を荒ぶる神なりと申して伝えているなれど、荒ぶる神とは粗暴な神ではないぞ、暴れ廻り、壊し廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取り違いしていて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治(し)らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命(ミコト)にも二通りあるぞ、一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、間違えてはならんことぞ。

 神武天皇の岩戸閉めは、御自(おんみずか)ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸に隠して神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレヒコノミコト)として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

 仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が射していたのであるなれど、仏教と共に仏魔渡り来て、完全に岩戸が閉められて、暗闇の世となったのであるぞ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。

 

五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十一帖

 

 宇宙のすべてが高天原(たかあまはら)であるぞ。天照大神は高天原を治(しら)し、また高天原を御(しら)し、また高天原を知らす御役(おんやく)、月読(つきよみ)大神は天照大神と並びて天のことを知らし、また【あほうなはら】の汐(しほ)の八百路(やほじ)を治し、また夜の食(お)す国を知らす御役、素盞鳴の大神は【あほうなはら】を治し、また滄海之原(あおうなのはら)を御(しら)し、また、天ヶ下(あまがした)を知(し)らす御役であるぞ。

 

五十黙示録 第三巻 星座之巻 第十七帖

 

 土のまんじゅうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、土から人民を生んだと申してあろう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、土に生きよと申してあろう、地は血であるぞ、素盞鳴命(スサナルノミコト)様であるぞ、その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、それが地変であるぞ。

 

五十黙示録 第四巻 龍音之巻 第一帖

 

 この巻「龍音の巻」、つづく巻五は「極(きわみ)の巻」、巻六は「至恩の巻」、巻七は「五葉の巻」ぞ。この五十(イセ)黙示の七巻は神、人共に与えたもの、一巻から続いたものぞ。同じ意を持つものが天国にもあるのであるぞ。合せて三十巻、これで岩戸までの神示の終りぞ、前に出した「黄金の巻」からの七巻は、人民に与えたものであるぞ。

 言(こと)やめて草の片葉(かきは)も陽にのび行かな。八十隈手(やそくまで)ゆ行きにし神は今かえります。素盞鳴(スサナル)の命(ミコト)しらせる海原(うなばら)ぞやよ。天ヶ下おつるくまなく照らす大神。高低(たかひき)の伊百理(いほり)かきわけきこし召(め)すらむ。罪という罪はあらじな神の子なれば。ひふみ百千万(ももちよろず)と咲(ゑ)ます元津(もとつ)太神。八十伴男百足(やそとものをももた)り足りて仕へまつらむ。行く水に清めて仕う極みの宮殿(みあらか)。言霊(ことたま)の栄(さか)ゆる御歌にはらひてましを。みそぎして祝う生命(いのち)ぞ弥栄ましませ。安国(やすくに)の瑞穂(みづほ)の国と御(しら)し給いぬ。八重雲(やえぐも)の十重(とえ)雲千別(ちわ)き天降(あも)りぬ。千木高知(ちぎたかし)り美頭(みづ)の御殿咲(みあらかゑ)み仕えなむ。許々太久(ここたく)の罪はあらじな大岩戸あく。四方(よも)の国咲(ゑ)み集(つど)うらし真中の国に。よきあしき皆はらいませ科戸(しなど)の風に。

 

五十黙示録 第四巻 龍音之巻 第十九帖

 

 霊の発動を止めて、静かにする法は「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)守(まも)り給え幸(さき)はえ給え」と三回繰り返すこと。また、「素盞鳴大神(すさなるのおおかみ)、守り給え幸はえ給え」と三回くり返すこと、または「太日月地大神(おおひつきくにおおかみ)、守り給え幸はえ給え」と三回くり返すこと。世界そのものの霊かかり、日本の霊かかり、早う鎮(しず)めんと手におえんこととなるが、見て御座れよ、見事なことを致して御目(おんめ)にかけるぞ。

 

五十黙示録 第五巻 極め之巻 第二十帖

 

 今の学者には今の学しかわからん、それでは今度の岩戸開きの役には立たん、三千世界の岩戸開きであるから、少しでもフトマニに違ってはならんぞ。廻りくどいようなれど【とつぎ】の道から改めなされよ、出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、ミトノマグワヒでなければ正しき秩序は生まれんぞ、素盞鳴命(スサナルノミコト)が、荒ぶる神、悪神ではなく、人民の罪を背負って下さる救い主の大神であることがわからねば、岩戸は開けんぞ。新しき世界の宮は土地であるぞ、住所(すまい)であるぞ、永遠に在(おわ)す神は住む土地であるぞ、下には永遠の腕があるぞ。

 

五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第十帖

 

 国常立(クニトコタチ)神も素盞鳴(スサナル)命も大国主(オオクニヌシ)命も、総て地に縁(ゆかり)のある神々は皆、九と十の世界に居られて時の来るのをお待ちになっていたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運正にめぐり来て、千引の岩戸は開かれて、これら地に縁のある大神たちが現れなされたのであるぞ、これが岩戸開きの真相であり、誠(マコト)を知る鍵であるぞ。

 

五十黙示録 補巻 紫金之巻 第十帖

 

 この巻、五葉(ごよう)の巻と申せよ、四つの花が五つに咲くのであるぞ、女松の五葉、男松の五葉、合わせて十葉と成り成り成りて笑(え)み栄(さか)ゆる仕組、十と一の実り、二二(ふじ)と輝くぞ、日本晴れ近づいたぞ、あな爽々(すがすが)し、岩戸あけたり。国土をつくり固める為に、根本大神が何故にヌホコのみを与えたまいしか? を知らねば、岩戸開きの秘密は解けんぞ。千引(ちびき)岩戸を開くことについて、神は今まで何も申さないでいたのであるなれど、時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのであるぞ、素盞鳴(スサナル)の命(ミコト)のまことの御姿がわからねば次の世のことはわからんぞ、神示(ふで)をいくら読んでも肝心要(かんじんかなめ)のことがわからねば何にもならんぞ。

 

参考図書

完訳 日月神示

岡本 天明 著 中矢 伸一 監修

ヒカルランド

 

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