豊雲野大神様
第六巻 日月の巻 第十帖(一八三)
ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコト、ナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ(次、天之常立命、次、国之常立命、次、豊雲野命、なり成りて、現われ出で給い、命澄みきり給いき)。
辛酉(かのととり)の日と年は怖い日で、良き日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、怖い日ざと申して知らしてありたこと、少しはわかりたか。何事も神示通りになりて、先繰りに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済むように申しているが、戦はこれからぞ。旧十月八日、十八日はいくらでもあるのざぞ。三月三日、五月五日は良き日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今は型であるぞ。早う改心すれは型小さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気つけよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出て御(おん)働きなされていること、今度はよくわかりたであろがな。⦿と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。⦿がいよいよとなりて、ビックリ箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んのざぞ。譬(たと)えではないのざぞ。くどう気つけておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌(ふんどし)締めてくれよ。十月二十五日、ひつ九のか三。
第十二巻 夜明け巻 第九帖(三二九)
てんし様まつれと申してあろうが。天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおおかみさま)とまつり奉(たてまつ)れ。奥山には御社(みやしろ)造りて、斎(いつ)き奉(まつ)れ。皆の家(うち)にも祀れ。天津日嗣皇尊弥栄(やさか)ましませ、弥栄(いやさか)ましませと拝(おろが)めよ。拝み奉(まつ)れ、天照皇大神(あまてらすすめらかみ)様、天照大神(あまてらすおおかみ)様、月の大神様、スサナルの大神様、大国主(おおくにぬし)の大神様も篤(あつ)く祀り讃えよ。奥山の前の富士に産土(うぶすな)の大神様祀れよ、宮いるぞ。清めて祀れよ、霊(タマ)の宮はその前横に移せよ。奥の富士に国常立大神(くにとこたちおおかみ)、豊雲野大神(とよくもぬおおかみ)祀る日近うなりたぞ。宮の扉あけておけよ。臣民の住居(すまい)も同様ぞ。大難小難にまつりかへて下されとお願いするのざぞ。取り違い、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。天の異変気付けよ。八月の五日、アメのひつ九のか三。
第十四巻 風の巻 第三帖 (三五四)
いよいよの大立て替えは国常立(くにとこたち)の大神様、豊雲野(とよくもぬ)の大神様、金(かね)の神様、竜宮の乙姫様、まず御活動ぞ。ギリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒(あれ)の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ。今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、中津代(なかつよ)からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、猿田彦(さるたひこ)殿、天鈿女命(あめのうずめのみこと)殿、元のやり方では世は持ちて行けんぞ。今一度悪栄えることあるぞ、心して取り違いないように致されよ。ミエダ、イシイ、ショウダ、イシモト、神示(ふで)とけよ。タケウチ、カワムラ、イソガミ、神示とけよ。口と心と行いとで神示とけよ、堂々説けよ。一月四日、一二のか三。
第二十七巻 春の巻 第三帖(六六〇)
掛巻(かけまく)も、畏(かしこ)き極(きわ)み、九二(くに)つ千(ち)の、清(すが)の中なる大清(おおきよ)み、清みし中の、清らなる、清き真中(まなか)の、よろこびの、其(その)真中なる、御光(みひかり)の、そが御力(みちから)ぞ、綾(あや)によし、十九立(トコタチ)まし、大九(オオク)二の十九立大神(トコタチオオカミ)、十四九百ヌ(トヨクモ)、十四(トヨ)の大神、瀬織津(せおりつ)の、ヒメの大神、速秋(ハヤアキ)の、秋津(アキツ)ヒメ神、伊吹戸(イブキド)の、主(ヌシ)の大神、速々(ハヤハヤ)の、佐須良(サスラ)ヒメ神、これやこの、太日月〇十(オオヒツキクニ)、皇神(スメカミ)の御前畏(みまえかし)こみ、謹(つつし)みて、うなね突貫(つらぬ)き、白(まお)さまく、ことの真言(マコト)を。伊行(いい)く水、流れ流れて、月速(つきはや)み、いつの程(ほど)にや、この年(とし)の、冬も呉竹(くれたけ)、一(ひ)と夜(よさ)の、梓(あずさ)の弓の、今とはや、明(あ)けなむ春の、立ちそめし、真玉新玉(またまあらたま)、よろこびの、神の稜威(みいづ)に、つらつらや、思い浮べば、天地(あめつち)の、始めの時に、大御祖神(オオミオヤ)、九二十九立(クニトコタチ)の、大神伊(オオカムイ)、三千年(みせとし)、またも三千年の、もまた三千年、浮きに瀬(せ)に、忍び堪(た)えまし、波風の、その荒々し、渡津海(ワタツミ)の、塩の八百路(やほじ)の、八汐路(やしほじ)の、汐(しお)の八穂合(やほあ)い、洗われし、孤島(こじま)の中の、籠(こも)らいし、籠り玉(たま)いて、畏(かしこ)くも、この世かまいし、大神の、時めぐり来て、一筋(ひとすじ)の、光の御代(みよ)と、出(い)でませし、めでたき日にぞ、今日の日は、御前畏こみ、御饌御酒(みけみき)を、ささげまつりて、海山野(うみやまぬ)、種々珍(くざぐさうづ)の、みつぎもの、供(そな)えまつりて、かごぢもの、ひざ折り伏(ふ)せて、大まつり、まつり仕(つか)えむ、まつらまく。生きとし生ける、まめひとの、ゆくりあらずも、犯(おか)しけむ、罪や穢(けが)れの、あらむをば、祓戸(はらへど)にます、祓戸の、大神達(おおかみたち)と相共(あいとも)に、ことはかりまし、神直日(かむなおひ)、大直日(おおなおひ)にぞ、見伊(みい)直し、聞き直しまし、祓(はら)いまし、清め玉いて、清々(すがすが)し、清(すが)の御民(みたみ)と、きこし召(め)し、相諾(あいうべな)いて、玉えかし、玉われかしと、多米津(ためつ、百取(ももとり)、さらに、百取の、机の代(しろ)に、足(た)らわして、横山(よこやま)の如(ごと)、波(なみ)の如、伊盛(いもり)、栄(さか)ゆる、大神の、神の御前(みまえ)に、まつらまく、こいのみまつる、畏(かし)こみて、まつらく白(まお)す、弥(いや)つぎつぎに。
新玉(あらたま)の玉の御年(みとし)の明け初(そ)めて罪(つみ)もけがれも今はあらじな。
節分の祝詞(のりと)であるぞ。太(ふと)祝詞せよ。いよいよの年立ち初(そ)めたぞ。嬉し嬉しの御代(みよ)来るぞ。(一月の三十日、日月神。)諾(うべな)う
五十黙示録 第三巻 星座之巻 第四帖
人民もの言えんことになると申してありたこと近うなったぞ、手も足も出んこと近づいたぞ、神が致すのでない、人民自身で致すことわかりてくるぞ。人民の学や智では何とも判断出来んことになるぞ。右往左往(うおうさおう)しても、世界中かけ廻っても何もならんぞ、わからんでもわかりた顔せねばならん時が来たぞ、嘘の上ぬり御苦労ぞ、人民がいよいよお手上げということに、世界が行き詰りて神のハタラキが現れるのであるぞ、日本人びっくりぢゃ、日本人はいくらでも生み出されるが日本の国は出来まいがな、身体中、黄金(こがね)に光っているのが国常立大神(クニトコタチノオオカミ)の、ある活動の時の御姿ぞ、白金(しろがね)は豊雲野大神(トヨクモノオオカミ)であるぞ、今の科学ではわからん。一万年や三万年の人間の地上的学ではわからんこと、国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島であるぞ、わからんことがいよいよわからんことになったであろうが、元の元の元の神の申すことよく聞きわけなされよ、神の学でなければ今度の岩戸はひらけんぞ
天の大神・天の御先祖様
第一巻 上つ巻 第二十五帖(二五)
一日に十万、人死にだしたら⦿の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ。この⦿は世界中のみか天地のことを委されている⦿の一柱(ひとはしら)ざから、小さいこと言うのではないぞ、小さい事も何でもせなならんが、小さい事と臣民思うていると間違いが起るから、臣民はそれぞれ小さいこともせなならんお役もあるが、よく気をつけてくれよ。北から攻め寄せてきたらいよいよのことぞ、南、東、西、みな大切なれど、北を護ってくれよ。北から来るぞ。⦿は気(け)もない時から知らしておくから、よくこの神示、心にしめておれよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても⦿の許さん物一つも身には付かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。早う⦿心に還りてくれよ。この岩戸開くのは難儀のわからん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられている臣民の力はお手柄さして、永遠に名の残るようになるぞ。元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、そのつもりでおれよ。欲張っていろいろ買溜めしている人、気の毒が出来るぞ、⦿よく気をつけておくぞ。この道に縁ある人には、神からそれぞれの⦿を護りにつけるから、天地の元の天の大神、地(くに)の大神と共に、よく祀りてくれよ。六月の三十日、ひつくのか三。
天地の元の
天の大神:豊雲野大神
地の大神:国常立大神
第十三巻 雨の巻 第四帖(三三八)
世界の臣民、皆手引き合って行く時来たくらい、申さいでもわかっているであろが、それでもまだまだ一(ひと)苦労二(ふた)苦労あるぞ、頭でわかっても肚(はら)でわからねば、本根(ほっこん)の改心出来ねばまだまだ辛(つら)い目に遭(あ)うのざぞ、人民 自分で首くくるようなことになるのざぞ、わかりたであろ。天の御三体(ごさんたい)の大神様と地(ち)の御土(おつち)の先祖様でないと、今度の根本の大立て替え出来んのざぞ、わかりてもなかなかわからんであろがな。洗濯足らんのであるぞ。今度はめんめにめんめの心改めて下されよ、⦿は改めてあるが、⦿から改めさすのでは人民可哀想なから、めんめめんめで改めて下されよ、改まっただけ お蔭(かげ)あるのざぞ。
今度の岩戸開いたら末代(まつだい)のことざぞ、天地の違いに何事も違うのざぞ。信者引っ張りに行ってくれるなよ、皆⦿が引き寄せるから、役員の所へも引き寄せるから、訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばして帰してやれと申してあろうが、人民喜べば⦿嬉しきぞと申してあろうが、草木も喜ばしてやれよ、神示よく読めば、どうしたら草木動物喜ぶかということも知らしてあるのざぞ、今までの心大河(おおかわ)に流してしまえば何もかもよくわかって嬉し嬉しとなるのざぞ、まだまだ世界は日に日にせわしくなって、言うに言われんことになって来るのざから、表面(うわつら)ばかり見ているとわからんから、心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ.
元のキの⦿の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子と、三つ揃ってしまはねばならんのぞ、アとヤとワと申してあろうが、だんだんにわかりて来るのざぞ。実地のことは実地の誠の生神(いきがみ)でないと出来はせんぞ、臣民はお手伝いぞ、雨風さえどうにもならんであろうが、生物何んで息しているか、それさえわからいでいて何でもわかっていると思っているが、鼻高(はなだか)ざと申すのぞ、今のうちに改心すれば、名は現わさずに許して善き方に廻してやるぞ、早う心改めよ。十月十六日、ひつ九のか三。
天の御三体の大神様と地の御土の先祖様
豊雲野大神(マコトの天照大神)
天照皇大神
天照大神(後任者)
国常立大神
元のキの⦿の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子
天津日嗣皇尊大神(この方)
天照大御神(アマテル)
第二十巻 梅の巻 第二十二帖(四四九)
まだまだどえらいこと出て来て日本の国はいよいよ潰れたというところへなって来るから、皆がマコトの⦿魂(かみだましい)になって来んとマコトの⦿は出ないのざぞ、マコトあるところへマコトの⦿働くと申してあろが、マコトないトコロへ働く⦿は悪⦿(あくがみ)ぢゃぞ、よう気つけてくれよ。いくら時節来たとて人民にマコトないと気の毒ばかりぢゃ、気の毒この方嫌いぢゃ。道は⦿にも曲げられん、龍神は悪⦿ぢゃという時来るぞ、心せよ。マコトない者は今にこの方拝むこと出来んことになるぞ、この方に近よれんのは悪の守護神殿。
いよいよ天の御先祖様と地の御先祖様と御(ご)一体に成りなされて、王の王の神で末代治める基(もとい)つくるぞ、少しでも混(ま)じり気(け)あってはならんのぢゃ、早う洗濯掃除結構ぞ。御用いくらでもあるぞ、お蔭取り得(どく)ぢゃ。出来るだけ大き器(うつわ)持ちて御座れよ、皆々欲がチビイぞ、慾が小さいなあ。はなすことは放すことざ、放すとつかめるぞ。十二月十四日、一二⦿。
天の御先祖様 = 豊雲野大神
地の御先祖様 = 国常立大神
王の王の神 = 天津日嗣皇尊大神
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