グリモワール
第一巻 上つ巻 第一帖(一)
富士は晴れたり、日本晴れ。⦿(かみ)の国のまことの⦿の力をあらわす代(よ)となれる、仏もキリストも何も彼(か)もはっきり助けて、しち難しい御苦労のない代が来るから、身魂(みたま)を不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。
いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいておらぬと越せぬ、この世始まって二度とない苦労である。このむすびは⦿の力でないと何も出来ん、人間の算盤(そろばん)でははじけんことぞ。日本はお土が上がる、外国はお土が下がる。都(みやこ)の大洗濯、鄙(ひな:田舎)の大洗濯、人のお洗濯。今度はどうもこらえてくれというところまで、後へ引かぬから、そのつもりでかかって来い。⦿の⦿の力を、はっきりと見せてやる時が来た。
嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る。⦿は⦿の国、神の力でないと、何にも成就せん。人の力で何が出来たか、みな神がさしているのだ。いつでも⦿かかれるように、綺麗に洗濯しておりてくれよ。戦(いくさ)は今年中と言っているが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終わらぬ道理がわからぬか。臣民同士のいくさでない、神と神、あかとあか、人と人、ニクとニク、タマとタマの戦ぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うているとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越えて時を待つ。⦿が世界の王になる、てんし様が神とわからん臣民ばかり。口と心と行(おこない)と、三つ揃うたまことを命(みこと)というぞ。神の臣民みな命になれる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのか三。
第一巻 上つ巻 第十八帖(一八)
岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。一旦世界は言うに言われんことが出来るぞ、しっかり身魂磨いておいてくれよ、身魂磨き第一ぞ。この道開けて来ると、世の中の偉い人が出て来るから、どんな偉い人でもわからん⦿の道ざから、よくこの神示(ふで)読んでおいてどんなことでも教えてやれよ、何でもわからんこと無いように、この神示で知らしておくから、この神示よく読めと申すのぞ。この道はスメラが道ざ、スメル御魂(みたま)の道ぞ。禊(みそぎ)せよ、祓(はらえ)せよ、臣民早くせねば間に合わんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、⦿も卍(ほとけ)もこの世には居らんのざというところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心の鏡くぼんでいるから、善きこと悪く映り、悪きこと善く映るぞ。今の上に立つ人、一つも真(まこと)の善いこと致してはおらん、これで世が治まると思うてか、あまりと申せばあまりぞ。⦿は今まで見て見んふりしていたが、これからは厳しくどしどしと⦿の道に照らして⦿の世に致すぞ、そのつもりでいてくれよ。⦿の申すこと、ちっともちがわんぞ。今の世に落ちている臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでいるのざ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。六月二十六日、ひつくのか三。
第二巻 下つ巻 第十六帖 (五八)
知恵でも学問でも、今度は金積んでもどうにもならんことになるから、そうなりたら〇・を頼るより他に手はなくなるから、そうなってから助けてくれと申しても間に合わんぞ。
イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して卍(ぶつ)の精神や十(キリスト)の精神ばかりぞ。今度は神があるかないかを、ハッキリと神力みせて、イシヤも改心さすのぞ。⦿の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神渡りて来ているから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。⦿の国ざぞと口先ばかりで申しているが、心の内は外国(幽界)人、沢山あるぞ。
富士から流れ出た川には、それぞれ名前のついている石置いてあるから、縁ある人は一つづつ拾って来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾って来い、御魂(みたま)入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑う臣民あるが、嘘のことならこんなにくどうは申さんぞ。因縁の身魂には⦿から石与えて守護神の名つけてやるぞ。
江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てんし様を都(みやこ)に遷(うつ)さなならん時来たぞ。江戸には臣民住めんような時が一度は来るのぞ。前のような世が来ると思うていたら大間違いぞ。江戸の仕組済みたらカイの御用あるぞ。今にさびしくなりて来ると。この道栄えて、世界の臣民みな訪ねて来るようになるぞ。七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。
第二巻 下つ巻 第二十六帖(六八)
⦿の国を真中(まなか)にして世界分けると申してあるが、⦿祀るのと同じやり方ぞ。天(あめ)のひつくの家とは天のひつくの臣民の家ぞ。天のひつくと申すのは天の益人(ますひと)のことぞ、江戸の富士と申すのは、ひつくの家の中に富士の形作りて、その上に宮作りてもよいのぞ、仮でよいのぞ。こんなにこと分けてはこの後は申さんぞ。小さいことは審神(さにわ)で家来の神々様から知らすのであるから、そのこと忘れるなよ。仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、世界中まるめるのぞ。喧嘩(けんか)して大き声するところにはこの方鎮まらんぞ、このこと忘れるなよ。七月の三十一日、一二⦿。
第四巻 天つ巻 第四帖(一一一)
この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、あちこちに人身(じんしん)の肉体かりて予言する⦿が沢山出ているなれど、九分九厘は分りておれども、とどめの最後はわからんから、この方に従いて御用せよと申しているのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。
百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイことではないのざぞ。ぶち壊し出来ても立て直しわかるまいがな。火と水で岩戸開くぞ、知恵や学でやると、グレンとひっくり返ると申しておいたが、そう言えば智慧や学は要らんと臣民早合点するが、智慧や学も要るのざぞ。悪も御役であるぞ、この道理よく肝(はら)に入れて下されよ。
天の⦿様、地に御降(おんお)りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、国々の⦿⦿(かみがみ)様、産土(うぶすな)様、力ある⦿⦿様にも御苦労になっているのざぞ。天照皇太神宮(てんしょうこうたいじんぐう)様初め神々様、篤(あつ)く祀りてくれと申してきかしてあろがな、⦿も仏(ほとけ)もキリストも元は一つぞよ。八月三十一日、ひつ九の⦿。
第五巻 地の巻 第三十五帖(一七二)
日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土拝(くにつちおろが)めと申してあろうがな、日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして喰うつもりで攻めて来ているなれど、この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて勘忍してくれというように、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願いと申してあろうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来ておらぬ臣民は、苦しくて日本のお土の上におれんようになってくるのぞ、自分から外国行となるのざぞ、魂(たま)のままの国に住むようになるのぞ。
南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。お土の上り下りある時近づいたぞ。人の手柄で栄耀(えいよう)している臣民、もはや借銭なしの時となりたのぞ、改心第一ぞ。世界に変わりたことは皆この方の仕組の節々ざから、身魂磨いたらわかるから、早う身魂磨いて下されよ。身魂磨くにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつろうことぞと申して説いてきかすと、⦿祀りはしないでいる臣民おるが、⦿祀り元ぞ、⦿迎えねばならんぞ取り違いと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷えポンと落ちるぞ。
⦿の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ、借銭なしで裁きの時になっているのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済なしが始まっているのぞ、済すましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、晦日は闇と決まっているであろうがな。借り返すとき辛いなれど、返したあとの晴れた気持良いであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらえて⦿の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返してくれよ、番頭殿、下(しも)にいる臣民殿、国々の守護神殿、外国の神々さま、臣民殿、卍(仏)も十(キリスト)も九(何もかも?)もみな聞いてくれよ、その国その民のやり方伝えてあろうがな、九十に気つけて用意してくれよ。十月十日、ひつ九のか三。
第八巻 磐戸の巻 第十三帖(二四九)
コト違うから、精神違うから、違うことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。⦿(ニホン)の国は⦿(モト)の⦿(カミ)の血筋の混じり気のないミタマで、末代(まつだい)世治めるのぞ。何事も末代のことであるから、末代動かん世に定めるのざから、大望であるぞ。上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思うているが、その心我(わ)れ善(よ)しざぞ。今度は手合わして拝むばかりでは駄目ざと申してあろが、今度は規則決まりたら、昔より難しくなるのざぞ、曲げられんことになるのざぞ、⦿魂(かみたましい)の臣民でないと⦿の国には住めんことになるのざぞ。この世治めるのは地(ち)の先祖の生⦿(いきがみ)の光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでも混じり気ありたら、先になりて また大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう申しているのぞ。
⦿は一時は菩薩(ぼさつ)とも現われていたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現わしてバタバタに埒(らち)つけるのざぞ、今の学ある者、大き取り違い致しているぞ。大国常立尊大神(おおくにとこたちのみことおおかみ)と現われて、一時は天も構い、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降(くだ)りして、⦿ (モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光りクッキリ現わさなならんと仰せあるぞ。
早う洗濯せんと間に合わんぞ。この道の役員、吾(われ)は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我(が)出して吾のこと思うているとグレンざぞ。神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのぞ、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔の因縁ざぞ。この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。逃げ道つくってはならんぞ、二つ三つ道つくってはならんぞ。まっすぐに⦿の道に進めよ。⦿の道は一筋ざと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ。
世界の片端浜辺(かたはしはまべ)から愈々(いよいよ)が始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくれよ、⦿の国は⦿のやり方でないと治まらんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今まではやりかた違っていたから、⦿のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのざぞ、この苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申しているのざぞ。
何もか彼も⦿に捧げよ、てんし様に捧げよと申してあろがな、それが⦿国の民の心得ぞ、否(いや)でも応でもそうなって来るのざぞ。⦿国の政治経済は一つざと申してあろうがな、今の臣民にわかるように申すならば、臣民働いてとれたものは、何でも⦿様に捧げるのぞ、⦿の御社(みやしろ)は幸(さち)で埋(うず)もれるのざぞ、御光(みひかり)輝くのざぞ、光の町となるのざぞ。⦿から分けて下さるのざぞ、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝、徳相当に集まるのざぞ、金(きん)は要らんと申してあろがな、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトの⦿の世になるのざ。⦿の世はマツリあるだけぞ、それまでにお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札(さつ)のようなものざぞ。わかるように申すなら、⦿の御社と臣民のお役所と市場と合わしたようなものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、真(まこと)のマツリの一(はじめ)ざぞ。
このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早う上(うえ)の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮すようにしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな。一月十三日、⦿の一二か三。
第十三巻 雨の巻 第八帖 (三四二)
大難小難にと祈れと申してくどう知らしてあろうがな、いかようにでも受け入れて、善きようにしてやるよう仕組みてある神の心わからんか、天災待つは悪の心ぢゃと知らしてあろうが、まだわからんのか、国敗(ま)けて大変待ちいる臣民沢山あるが、そんな守護神に使われていると気の毒になって来るぞ、よく神示読んで下されよ。今の守護神、悪の血筋、眷属(けんぞく)であるぞ、悪も御(おん)役ながら、奥(悪?)表に出ては誠おさまらんぞ、悪結構な世は済みて、善結構、悪結構、仏結構、キリスト結構、ことごとく(?)結構の世となり、鳴門(なると)の仕組近くなって来たぞ。世の元からの仕組、中行く仕組、天晴(あっぱ)れ三千世界結構であるぞ、心の富士も晴れ晴れとなるぞ、結構々々。
甘くてもならんぞ、辛(から)くてもならんぞ、甘さには辛さいるぞ、天の⦿様ばかりではならんのざ、くどう申してここまで知らしているにまだわからんのか、心さっぱり大河(おおかわ)に流して神示読んで下されよ、いつまでも⦿待たれんぞ、辛さには甘さ陰(かげ)にあるのざぞ、この道理よくわるであろうがな。水の味 火の味、結構ぞ、恐い味ないような結構な恐さであるぞ、喜びであるぞ、(苦しみであるぞ、) この道理よくわかりたか。(神の御恵み神の御心わかりたか、) 御心(みこころ)とは三つの御心ぞ、一と十と「 ・ 」とであるぞ、御心結構ぞ、世の元の⦿の仕組の現われて三千世界光り輝く、あなさやけ。十一月二十七日、ひつくの⦿。
第十四巻 風の巻 第一帖(三五二)
用意なされよ。いよいよざぞ、いよいよくるぞ。⦿(かみ)の御言(みこと)知らすぞ。知らすぞ。
眼覚めたら起き上がるのざぞ。起きたらその日の命頂いたのざぞ。感謝せよ、大親(おおおや)に感謝、親に感謝せよ、感謝すればその日の仕事与えられるぞ。仕事とは嘉事(よごと)であるぞ、持ち切れぬほどの仕事与えられるぞ。仕事は命ざぞ。仕事喜んで仕え奉(まつ)れ。我(が)出すと曇り出るぞ。曇ると仕事わからなくなるぞ。
腹減ったら食(お)せよ。二分は大親に、臣民腹八分でよいぞ。人民食べるだけは与えてあるぞ。貪(むさぶ)るから足らなくなるのざぞ。減らんのに食べるでないぞ。食(お)せよ。食せよ。一日一度からやり直せよ。ほんのしばらくでよいぞ。⦿の道、無理ないと申してあろうが。水流れるように楽し楽しで暮せるのざぞ、どんな時、どんな所でも楽に暮せるのざぞ。穴埋めるでないぞ、穴要るのざぞ。苦しいという声この方(ほう)嫌いぞ。苦と楽、共に見てよ、苦の動くのが楽ざぞ。生れ赤児(あかご)見よ。子見よ、⦿は親であるから人民護(まも)っているのざぞ。大きなれば旅にも出すぞ、旅の苦楽しめよ、楽しいものざぞ。眠くなったら眠れよ、それが⦿の道ぞ。⦿のコト聞く道ざぞ。無理することは曲ることざぞ。無理と申して我が儘(まま)無理ではないぞ、逆(ぎゃく)行くこと無理と申すのざ。無理することは曲ることぞ、曲っては⦿の御言聞こえんぞ。素直になれ。火降るぞ。
相手七と出たら三と受けよ、四と出たら六とつぐなえよ、九と出たら一と受けよ、二と出たら八と足して、それぞれに十となるように和せよ。まつりの一つの道ざぞ。
〇-(おう)の世、⦿-(おう)の世にせなならんのざぞ、今は-〇の世ざぞ、-〇の世〇-の世となりて、〇-(おう)の世に ・ 入れて⦿-(おう)の世となるのざぞ。タマなくなっていると申してあろがな、タマの中に仮の奥山遷(うつ)せよ、急がいでもよいぞ、臣民の肉体、⦿の宮となる時ざぞ、当分宮なくてもよいぞ。やがては富士に木(こ)の花咲くのざぞ、見事富士にこの方鎮まって、世界治めるのざぞ、それまでは仮でよいぞ、臣民の肉体に一時は鎮まって、この世の経綸(しごと)仕組みて、天地(てんち)でんぐり返して光の世と致すのぢゃ。花咲く御代(みよ)近づいたぞ。用意なされよ、用意の時しばし与えるから、⦿の申すうち用意しておかんと、とんでもないことになるのざぞ。〇-の世輝くと、☸となるのざぞ、☸と申して知らしてあろがな。役員それぞれの集団(まどい)作れよ、いずれも長(おさ)になる身魂(みたま)でないか。我(われ)軽しめる事は⦿軽くすることざ、わかりたか。おのもおのも頭領であるぞ、釈迦ざぞ。キリストざぞ。その上に⦿坐(ま)すのざぞ、その上 神また一束(ひとたば)にするのざぞ、その上にまた「 ・ 」でくくるぞ、その上にも「 ・ 」あるのざぞ、上も下も限りないのざぞ。
奥山何処(どこ)に変ってもよいぞ、当分肉体えおさまるから、何処へ行ってもこの方の国ぞ、肉体ぞ。心配せずにグングンとやれよ、動くところ、⦿力(ちから)加わるのざぞ、人民の集団(まどい)は⦿無き集団ぞ、⦿無き集団つくるでないぞ、⦿上に真中(まなか)に集まれよ。騒動待つ心悪と申してあること忘れるなよ、⦿の申したことちっとも間違いないこと、少しはわかりたであろうがな。
同じ名の⦿二柱(ふたはしら)あるのざぞ、善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、神示(ふで)読めば見分けられるように、よく細かに解いてあるのざぞ、善と悪、取り違いしていると、くどう気つけてあろうがな、岩戸開く一つの鍵ざぞ、名同じでも裏表ざぞ、裏、表と思うなよ、頭と尻 、違うのざぞ。千引(ちびき)の岩戸開けるぞ。十二月二十五日、ひつぐのか三。
第十五巻 岩の巻 第一帖(三六六)
「岩の巻」書き知らすぞ。一八(イワ)は弥栄(いやさか)。⦿は「 ・ 」と〇、@、「 ・ 」が神ざぞ。@が神ざと申してあろう。
悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。人民悪いこと好きでするでないぞ、知らず知らずに致しているのであるぞ。⦿にも見の誤り、聞きの誤りあるのざぞ。元の神には無いなれど、下々(しもじも)の⦿にはあるのざぞ。それで見直し、聞き直しと申してあるのざぞ。元の⦿には見直し聞き直しはないのざぞ、スサナルの大(おお)⦿様、鼻の神様ぞ、かぎ直しないぞ、かぎの誤りはないのざぞ。人民でも、かぎの間違いないのざぞ。鼻の誤りないのざぞ。スサナルの大神様、この世の大神様ぞと申してあろうがな。間違いの⦿⦿(かみがみ)様、この世の罪穢(けが)れを、この⦿様に着せて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ。それでこの地の上を極悪⦿が我(われ)の好き候(そうろう)に持ち荒らしたのぞ。それで人皇(じんのう)の世と曇り汚して造り変え、仏(ほとけ)の世となりて、さらにまぜこぜにしてしもうて、わからんことになりて、キリストの世に致して、さらにさらにわからんことに致してしもうて、悪の仕組通りに致しているのぢゃぞ、わかりたか。
釈迦もキリストも立派な⦿で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は、偽の仏やキリストざぞ。同じ⦿二つあると申してあらうがな。
「 ・ 」なくなっているのざぞ、「 ・ 」ない@ざぞ、「 @・ 」でないと、まことできんのざぞ、わかりたか。「 ・ 」なきもの悪ざぞ、「 ・ 」は〇ぞ、火ぞ、一(はじめ)ざぞ。暗がりの世となっているのも、「 ・ 」ないからざぞ。この道理わかるであろらうがな。旧一月十五日、かのととりの日、一二⦿。
第十八巻 光の巻 第二帖(三九八)
天之日月(あめのひつく)の大神様は別として、雨の神様、風の神様、岩の神様、荒(あれ)の神様、地震の神様、釈迦、キリスト、マホメット様、百々(もも)の神様、皆同じ所に御神体(ごしんたい)集めてマツリゴトされよ、天(あめ)の奥山、地(くに)の奥山、皆同じぞ、御神土(おつち)皆に分け取らせよ。二月二十六日朝しるすぞ、ひつ九のか三。
第十八巻 光の巻 第八帖(四〇四)
何によらず不足ありたら、⦿の前に来て不足申して、心カラリと晴らされよ、どんなことでも聞くだけは聞いてやるぞ、不足あると曇り出るぞ、曇り出ると身魂曇るから、身魂苦しくなりて天地曇るから、遠慮いらん、この方(ほう)に不足申せよ、この方親であるから、不足一応は聞いてやるぞ。気晴らしてカラリとなって天地に働けよ、心の富士晴れるぞ、はじめの岩戸開けるぞ。
早呑(の)み込み大怪我の元、じっくりと繰り返し繰り返し神示(ふで)読めよ、神示肚(はら)の肚に入れよ、神示が元ざぞ、今度は昔からの苦労のかたまり、生き魂(たま)でないと御用難しいぞ。世のたとえ出て来るぞ。⦿が人の口使うて言わせてあるのぢゃぞ。⦿国(かみくに)は神力(しんりき)受けねば立ちては行けんぞ、⦿なくして神力ないぞ、⦿なくなれば丸潰(まるつぶ)れざぞ。
まわりに動く集団(まどい)早うつくれよ。数で決めようとするから数に引かれて悪となるのざ、数に引かれ困らんよう 気つけよ。この神示解くのはタマでないと、少しでも曇りあったら解けんぞ。悪に見せて善行わなならんことあるぞ。この行(ぎょう)なかなかざぞ。
この世の鬼平らげるぞよ。鬼なき世となりけるのざぞ。わかりたか。キリスト教の取次(とりつぎ)さん、仏(ぶつ)の取次さん、今の内に改心結構ぞ、丸潰れ近づいて御座(ござ)るに気つかんのか。
同じ名の⦿二つあるぞ。人民三つ四つにも拝んで御座るぞ、文(ふみ)出すもよいなれど、神示読むのが先ざぞ。⦿第一ざぞと申してあろうが。暫(しば)し待て。世界の文(ふみ)出す時来るぞ。アワのような今の文(ふみ)何にもならんぞ、時待てと申してあろうがな、この巻から謄写もならんぞ、時来るまで 写して皆に分け取らせよ。七月二十七日、ひつ九のか三。三年の立て替えぞ。
第二十一巻 空の巻 第九帖(四六四)
ミロク、世に出づには⦿の人民お手柄致さなならんぞ、お手柄結構結構、⦿の人民世界中にいるぞ。この中に早くから来ていて何も知りませんとはいわれん時来るぞ、神示よく読んでいてくれよ。時来たら説き出せよ、潮満ちているぞ、潮時誤るなよ。早う目覚めんと別の御用にわまらなならんぞ、ウシトラコンジン様、何事も聞き下さるぞ、マコトもってお願い申せよ、聞かんことは聞かんぞ、聞かれることは聞いてやるぞ。(神、仏、キリスト、ことごとく人民の世話もしてやるぞ。)時節到来しているにまだ気づかんか、人民の物という物何一つないぞ、まだ金(きん)や学で行けると思うているのか、いよいよの蓋(ふた)あいているにまだわからんか。奥山に参りて来ねばわからんことになり来るぞ。奥山、奥山ぞ、同じ奥山が、その時々により変って来るぞ、身魂磨けば磨いただけに光出来てお蔭あるぞ、この道理わかるであろうがな。三月三日、ひつ九のか三。しるすぞ。
第二十一巻 空の巻 第十四帖(四六九)
御光(みひかり)の輝く御代(みよ)となりにけり、嬉し嬉しの岩戸開けたり。あなさやけ、三千年の夜は明けて、人、⦿(かみ)、となる秋(とき)は来にけり。日月(ひつき)の大神、キリスト大神、釈迦大神、マホメット大神、黒住大神、天理大神、金光大神、大本大神、老子大神、孔子大神、すべて十柱(とはしら)の大神は、光の大神として斎(いつ)き祀り結構致しくれよ、富士晴れるぞ、岩戸開けるぞ。御神名書かすぞ、ひかり教会祝詞は、ひかりの大神、弥栄(やさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ、ひかりの大神守り給(たま)え、幸(さきは)え給えと申せよ。弥栄弥栄(やさかいやさか)。四月五日、ひつくの⦿。
第二十四巻 黄金の巻 第三十三帖(五四四)
神国、神の宮早うつくれ。今度此処(ここ)へ神が引寄せた者は、みなキリストぢゃ。釈迦ぢゃぞと申してあろう。磨けば今までの教祖にもなれるミタマばかりぞ。それだけに罪深いぞ。岩戸あけて、めぐり果たせたいのぢゃ。このこと肚によくわかるであろうが。かのととり。一二十
補巻 月光の巻 第十九帖(八〇六)
釈迦、キリスト、マホメット、その他世界の生命ある教祖及びその指導神を、御光(みひかり)の大神様と讃えまつれと申してあろが。〇ー⦿⦿ー〇+大神様の一つの現われぞと申してあろうが。何故に御光の大神様として斎(いつ)き祀らんのぢゃ。宗教せぬのぢゃ。そこにひかり教会としての力が出ないのぢゃ。人民の浮瀬に悩むを救うのはオホカムツミの神であるぞ。この能(はたらき)の神名わすれてはならん。この方(ほう)はオホカムツミの神とも現われるぞと知らしてあること忘れたのか。
五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第十三帖
称言太祝詞(たたえごとふとのりと)こと今ぞ高らに。木でも草でも皆、中から大きくなるのざと申してあろう、つけ焼刃や膏薬(こうやく)貼りで大きくなるのでないぞ、三千年に一度と言う、またとない結構な時がめぐりて来ているのであるぞ、為せば為るぞ、難しいこと申しているのではない、自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、磨けば神と同列のミタマぞ、釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう。内にあるものを磨けば外から響くものも、磨かれた穢れのないものとなるのぢゃ、中の自分を掃除しないで居るといつまでたっても、岩戸が開けていても岩戸は開けん。
五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第十六帖
太陽は十の星を従えるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変るのであるぞ、人民の学問や智ではわからんことであるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝(かむだから)に ・ を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、成り成りあまるナルトの仕組。富士と鳴門の仕組いよいよぞ、これがわかりたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でモノを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完うできん、九分九厘で厘止まりぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。成り成りて十と開き、二十二となるぞ、富士晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。
五十黙示録 第七巻 五葉之巻 第十帖
悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかっているなれど、もう悪の世は済んで岩戸が開けているのざから、何とやらのように前から外れてアフンぢゃ、七重(ななえ)の花が八重(やえ)に、八重が九重(ここのえ)、十重に(とえ)開くのであるぞ、七重はキリストぢゃ、八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、今までの教えは潰れると申してあろうがな。とやかく申さず掴(つか)めるところから神をつかんでついて御座れよ、水は流れるところへ流れているであろうがな、あの姿。
五十黙示録 補巻 紫金之巻 第四帖
豊栄に栄り出(い)でます大地(くに)の太神。大掃除はげしくなると世界の人民皆、仮死の状態となるのぢゃ、掃除が終ってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて、息吹きかえしてミロクの世の人民と致すのぢゃ、因縁のミタマには⦿(かみ)のしるしがつけてあるぞ、仏教によるもののみ救われると思ってはならんぞ、キリストによるもののみ救われると思ってはならん、神道によるもののみ救われると思ってはならん、アラーの神によるもののみ救われるのでないぞ、その他諸々の神、それぞれの神によるもののみ救われるのではないぞ、何もかも皆救われるのぢゃ、生かすことが救うこととなる場合と、殺すことが救うことになる場合はあるなれど。
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