グリモワール
大国常立尊大神
第一巻 上つ巻 第二十五帖(二五)
一日に十万、人死にだしたら⦿の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ。この⦿は世界中のみか天地のことを委されている⦿の一柱(ひとはしら)ざから、小さいこと言うのではないぞ、小さい事も何でもせなならんが、小さい事と臣民思うていると間違いが起るから、臣民はそれぞれ小さいこともせなならんお役もあるが、よく気をつけてくれよ。北から攻め寄せてきたらいよいよのことぞ、南、東、西、みな大切なれど、北を護ってくれよ。北から来るぞ。⦿は気(け)もない時から知らしておくから、よくこの神示、心にしめておれよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても⦿の許さん物一つも身には付かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。早う⦿心に還りてくれよ。この岩戸開くのは難儀のわからん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられている臣民の力はお手柄さして、永遠に名の残るようになるぞ。元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、そのつもりでおれよ。欲張っていろいろ買溜めしている人、気の毒が出来るぞ、⦿よく気をつけておくぞ。この道に縁ある人には、神からそれぞれの⦿を護りにつけるから、天地の元の天の大神、地(くに)の大神と共に、よく祀りてくれよ。六月の三十日、ひつくのか三。
天地の元の
天の大神:豊雲野大神
地の大神:国常立大神
第八巻 磐戸の巻 第十三帖(二四九)
コト違うから、精神違うから、違うことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。⦿(ニホン)の国は⦿(モト)の⦿(カミ)の血筋の混じり気のないミタマで、末代(まつだい)世治めるのぞ。何事も末代のことであるから、末代動かん世に定めるのざから、大望であるぞ。上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思うているが、その心我(わ)れ善(よ)しざぞ。今度は手合わして拝むばかりでは駄目ざと申してあろが、今度は規則決まりたら、昔より難しくなるのざぞ、曲げられんことになるのざぞ、⦿魂(かみたましい)の臣民でないと⦿の国には住めんことになるのざぞ。この世治めるのは地(ち)の先祖の生⦿(いきがみ)の光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでも混じり気ありたら、先になりて また大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう申しているのぞ。
⦿は一時は菩薩(ぼさつ)とも現われていたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現わしてバタバタに埒(らち)つけるのざぞ、今の学ある者、大き取り違い致しているぞ。大国常立尊大神(おおくにとこたちのみことおおかみ)と現われて、一時は天も構い、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降(くだ)りして、⦿ (モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光りクッキリ現わさなならんと仰せあるぞ。
早う洗濯せんと間に合わんぞ。この道の役員、吾(われ)は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我(が)出して吾のこと思うているとグレンざぞ。神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのぞ、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔の因縁ざぞ。この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。逃げ道つくってはならんぞ、二つ三つ道つくってはならんぞ。まっすぐに⦿の道に進めよ。⦿の道は一筋ざと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ。
世界の片端浜辺(かたはしはまべ)から愈々(いよいよ)が始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくれよ、⦿の国は⦿のやり方でないと治まらんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今まではやりかた違っていたから、⦿のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのざぞ、この苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申しているのざぞ。
何もか彼も⦿に捧げよ、てんし様に捧げよと申してあろがな、それが⦿国の民の心得ぞ、否(いや)でも応でもそうなって来るのざぞ。⦿国の政治経済は一つざと申してあろうがな、今の臣民にわかるように申すならば、臣民働いてとれたものは、何でも⦿様に捧げるのぞ、⦿の御社(みやしろ)は幸(さち)で埋(うず)もれるのざぞ、御光(みひかり)輝くのざぞ、光の町となるのざぞ。⦿から分けて下さるのざぞ、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝、徳相当に集まるのざぞ、金(きん)は要らんと申してあろがな、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトの⦿の世になるのざ。⦿の世はマツリあるだけぞ、それまでにお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札(さつ)のようなものざぞ。わかるように申すなら、⦿の御社と臣民のお役所と市場と合わしたようなものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、真(まこと)のマツリの一(はじめ)ざぞ。
このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早う上(うえ)の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮すようにしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな。一月十三日、⦿の一二か三。
第九巻 キの巻 第九帖 (二六六)
悪いこと待つは悪魔ぞ、いつ立て替え、大峠が来るかと待つ心は、悪魔に使われているのざぞ。この神示世界中に知らすのざ、今までは大目に見ていたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、⦿の規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平(いったいら)に泥の海であったのを、修理個成(つくりかため)たのは国常立尊(くにとこたちのみこと)であるぞ、親様を泥の海にお住まい申さすはもったいないぞ、それで天にお昇りなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、この⦿⦿(かみがみ)様、御手伝いでこの世のかため致したのであるぞ。
元からの龍体持たれた荒神(あらがみ)様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、何も知らずに上に登りて、⦿を見おろしているようで、何でこの世が治まるものぞ。
天と地の御恩ということが⦿の国の守護神にわかりておらんから、難儀なことが、愈々(いよいよ)どうにもならんことになるのぞ、バタバタとなるのぞ。臣民生れ落ちたら、ウブの御(おん)水を火で暖めて産湯(うぶゆ)を浴びせてもろうであろが、その御水はお土から頂くのざぞ、焚(た)き火灯(びとも)しは皆日の大⦿様から頂くのぞ、御水と御火と御土で、この世のイキあるもの、生きているのざぞ、そんなことくらい誰でも知っていると申すであろが、その御恩ということ知るまいがな。(一厘のところわかるまいがな。)
守護神も曇りているから⦿⦿様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、世間話に花咲かすようでは誠の役員とは言われんぞ、桜に花咲かせよ。せわしくさしているのざぞ、せわしいのは神の恵みざぞ、今の世にせわしくなかったら臣民腐ってしまうぞ、せわしく働けよ。三月十一日、ひつ九のか三。
第十一巻 松の巻 第二十八帖 (三一九)
ウケ(保食:うけもち?)の神祀らずに、いくら野山拓(ひら)いたとて、物作ることは出来ないぞ。煎(い)り豆花咲く目出度(めでた)い時となっているのに何して御座るのぞ。いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても食物三分難しいぞ。神々祀れと申してあろが、野拓く時は野の神まつれ。(物作る時は保食の神まつれ。)産土(うぶすな)の神様にもお願いしてお取次願わな何事も成就せんぞ。
人民の学や智ばかりで何が出来たか。早う改心第一ぞ。山も川も野も人民も、草も木も動物虫けらも、何もかもこの方の徳であるぞ。それぞれの御役(おんやく)あるのざぞ。学や智捨てて天に向かえ、地に向かえ、草に向かえ、生物に向かえ、木に向かえ、石もの言うぞ。草もの言うぞ。七月十八日、アメのひつ九のか三。
アメのひつ九(ク)⦿(天之日月神) 三十二1日ト@九ん日ん(艮金神) 八
り九お十一Θ⦿(龍宮の乙姫神) 八
〇ーか六つ三の⦿(意富加牟豆美神) 八
第十二巻 夜明け巻 第九帖(三二九)
てんし様まつれと申してあろうが。天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおおかみさま)とまつり奉(たてまつ)れ。奥山には御社(みやしろ)造りて、斎(いつ)き奉(まつ)れ。皆の家(うち)にも祀れ。天津日嗣皇尊弥栄(やさか)ましませ、弥栄(いやさか)ましませと拝(おろが)めよ。拝み奉(まつ)れ、天照皇大神(あまてらすすめらかみ)様、天照大神(あまてらすおおかみ)様、月の大神様、スサナルの大神様、大国主(おおくにぬし)の大神様も篤(あつ)く祀り讃えよ。奥山の前の富士に産土(うぶすな)の大神様祀れよ、宮いるぞ。清めて祀れよ、霊(タマ)の宮はその前横に移せよ。奥の富士に国常立大神(くにとこたちおおかみ)、豊雲野大神(とよくもぬおおかみ)祀る日近うなりたぞ。宮の扉あけておけよ。臣民の住居(すまい)も同様ぞ。大難小難にまつりかへて下されとお願いするのざぞ。取り違い、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。天の異変気付けよ。八月の五日、アメのひつ九のか三。
第十四巻 風の巻 第三帖 (三五四)
いよいよの大立て替えは国常立(くにとこたち)の大神様、豊雲野(とよくもぬ)の大神様、金(かね)の神様、竜宮の乙姫様、まず御活動ぞ。ギリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒(あれ)の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ。今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、中津代(なかつよ)からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、猿田彦(さるたひこ)殿、天鈿女命(あめのうずめのみこと)殿、元のやり方では世は持ちて行けんぞ。今一度悪栄えることあるぞ、心して取り違いないように致されよ。ミエダ、イシイ、ショウダ、イシモト、神示(ふで)とけよ。タケウチ、カワムラ、イソガミ、神示とけよ。口と心と行いとで神示とけよ、堂々説けよ。一月四日、一二のか三。
第十四巻 風の巻 第十二帖 (三六三)
日本の人民 餌食(えじき)にしてもやり通すと、悪の⦿申している声 人民には聞こえんのか。よほどしっかりと腹帯(はらおび)締めおいて下されよ。⦿には何もかも仕組てあるから、心配ないぞ。改心出来ねば気の毒にするより方法ないなれど、待てるだけ待っているぞ。
月の大神様が水(み)の御守護、日の大神様が火の御守護、御土(おつち)つくり固めたのは、大国常立(おおくにとこたち)の大神様。この御三体(ごさんたい)の大神様、三日この世構いなさらねば、この世、くにゃくにゃぞ。実地を世界一度に見せて、世界の人民一度に改心さすぞ。
五十になっても六十になっても、いろは、一二三(ひふみ)から手習いさすぞ。出来ねばお出直しぞ。慢心、早合点大怪我のもと、今の人民、智が走り過ぎているぞ、気つけおくぞ。二月十六日、ひつ九のか三。
第二十四巻 黄金の巻 第三十四帖(五四五)
世界平(ひら)とう、胸の掃除からハラの掃除ぞ。理智がまことの愛ぞ。ア九(ク)も神の御子。絶対の責任は神、相対の責任は人民。親よりも師よりも神愛せよ。その親、師は神からさらに愛されるぞ。〇ー九二十九十千(オークニトコタチ)の⦿〇I〇ー⦿三@(カミガオースサナル)の⦿三〇(カミサマ)なり。かのととりの日。一二十
大国常立神が大素戔嗚神さまなり
第二十七巻 春の巻 第三帖(六六〇)
掛巻(かけまく)も、畏(かしこ)き極(きわ)み、九二(くに)つ千(ち)の、清(すが)の中なる大清(おおきよ)み、清みし中の、清らなる、清き真中(まなか)の、よろこびの、其(その)真中なる、御光(みひかり)の、そが御力(みちから)ぞ、綾(あや)によし、十九立(トコタチ)まし、大九(オオク)二の十九立大神(トコタチオオカミ)、十四九百ヌ(トヨクモ)、十四(トヨ)の大神、瀬織津(せおりつ)の、ヒメの大神、速秋(ハヤアキ)の、秋津(アキツ)ヒメ神、伊吹戸(イブキド)の、主(ヌシ)の大神、速々(ハヤハヤ)の、佐須良(サスラ)ヒメ神、これやこの、太日月〇十(オオヒツキクニ)、皇神(スメカミ)の御前畏(みまえかし)こみ、謹(つつし)みて、うなね突貫(つらぬ)き、白(まお)さまく、ことの真言(マコト)を。伊行(いい)く水、流れ流れて、月速(つきはや)み、いつの程(ほど)にや、この年(とし)の、冬も呉竹(くれたけ)、一(ひ)と夜(よさ)の、梓(あずさ)の弓の、今とはや、明(あ)けなむ春の、立ちそめし、真玉新玉(またまあらたま)、よろこびの、神の稜威(みいづ)に、つらつらや、思い浮べば、天地(あめつち)の、始めの時に、大御祖神(オオミオヤ)、九二十九立(クニトコタチ)の、大神伊(オオカムイ)、三千年(みせとし)、またも三千年の、もまた三千年、浮きに瀬(せ)に、忍び堪(た)えまし、波風の、その荒々し、渡津海(ワタツミ)の、塩の八百路(やほじ)の、八汐路(やしほじ)の、汐(しお)の八穂合(やほあ)い、洗われし、孤島(こじま)の中の、籠(こも)らいし、籠り玉(たま)いて、畏(かしこ)くも、この世かまいし、大神の、時めぐり来て、一筋(ひとすじ)の、光の御代(みよ)と、出(い)でませし、めでたき日にぞ、今日の日は、御前畏こみ、御饌御酒(みけみき)を、ささげまつりて、海山野(うみやまぬ)、種々珍(くざぐさうづ)の、みつぎもの、供(そな)えまつりて、かごぢもの、ひざ折り伏(ふ)せて、大まつり、まつり仕(つか)えむ、まつらまく。生きとし生ける、まめひとの、ゆくりあらずも、犯(おか)しけむ、罪や穢(けが)れの、あらむをば、祓戸(はらへど)にます、祓戸の、大神達(おおかみたち)と相共(あいとも)に、ことはかりまし、神直日(かむなおひ)、大直日(おおなおひ)にぞ、見伊(みい)直し、聞き直しまし、祓(はら)いまし、清め玉いて、清々(すがすが)し、清(すが)の御民(みたみ)と、きこし召(め)し、相諾(あいうべな)いて、玉えかし、玉われかしと、多米津(ためつ、百取(ももとり)、さらに、百取の、机の代(しろ)に、足(た)らわして、横山(よこやま)の如(ごと)、波(なみ)の如、伊盛(いもり)、栄(さか)ゆる、大神の、神の御前(みまえ)に、まつらまく、こいのみまつる、畏(かし)こみて、まつらく白(まお)す、弥(いや)つぎつぎに。
新玉(あらたま)の玉の御年(みとし)の明け初(そ)めて罪(つみ)もけがれも今はあらじな。
節分の祝詞(のりと)であるぞ。太(ふと)祝詞せよ。いよいよの年立ち初(そ)めたぞ。嬉し嬉しの御代(みよ)来るぞ。(一月の三十日、日月神。)諾(うべな)う
第二十七巻 春の巻 第五十八帖(七一五)
心の洗濯早ういたして 太〇・〇・・〇十(オオヒツキクニ)大神様に、ことに育ての、生みの親さま九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の御実体を理解せねば、自分でいくら頑張っても やりそこないぢゃ。我が我がと思うているなれど、皆この方(ほう)が陰からさしているのに気づかんのか。お詫びせよ。と申せば、そんな悪いことした覚えないと申すが、どこまで曇ったのぢゃ。神に捧げるには、自分に与えられたものの中から 捧げねばならんぞ。むさぶり取ったり横取りしたり、自分のものでないもの、儲けたカスを神に捧げて威張っているが、それは捧げ物にならん。神は受け給わんぞ。泥棒のお残りちょうだいは真(ま)っ平(ぴら)ぢゃ。自分のもの先づ捧げるから弥栄えるのぞ。おかげ万倍間違いなし。
五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第二帖
中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりとこと)ふとにのりあぐ。一はいくら集めても一であるぞ、わからんものいくら集めてもわからん道理、二は二、三は三であるぞ、一を二つ集めても二にはならんぞ、人民大変な取り違いを致して居るぞと申してあろうがな、〇(レイ)がもとぢゃ、@一(レイ)がもとぢゃ、結びぢゃ弥栄ぢゃ、よく心得なされよ。世の元、〇の始めから一と現われるまでは〇を十回も百回も千回も万回も、繰り返したのであるぞ、その時は、それはそれはでありたぞ、火と水のドロドロであったぞ、その中に五色五頭の竜神が御働きなされて、つくり固めなされたのぢゃ、今の人民は龍神と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、マコトのことを知らせねばならん時ざから、言分(ことわ)けて申しているのぞ。龍神とは@神あるぞ、五色の龍神とは国常立尊(クニトコタチノミコト)の御(おん)現われの一つであるぞ。
戒律をつくってはならん、戒律がなくてはグニャグニャになると思うであろうなれども、戒律は下(げ)の下の世界、今の人民には必要なれど、いつまでもそんな首輪はいらんぞ、戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。
五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第八帖
平坂の岩戸ひらけむ音のきこゆる。神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取り違い致してはならん。太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。またすべてが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、もし怒りが出た時は、神の座から外れてしまうのであるぞ。救いの手は東(ひむかし)より差し延べられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよくわかりて下されよ。今の方向では東北(うしとら)から救いの手が差し延べられるのぢゃ、ウシトラとは東北であるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地の元の、天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終わりの終わりぞ、弥栄の弥栄ぞ、礎(いしずえ)ぞ。
五十黙示録 第三巻 星座之巻 第四帖
人民もの言えんことになると申してありたこと近うなったぞ、手も足も出んこと近づいたぞ、神が致すのでない、人民自身で致すことわかりてくるぞ。人民の学や智では何とも判断出来んことになるぞ。右往左往(うおうさおう)しても、世界中かけ廻っても何もならんぞ、わからんでもわかりた顔せねばならん時が来たぞ、嘘の上ぬり御苦労ぞ、人民がいよいよお手上げということに、世界が行き詰りて神のハタラキが現れるのであるぞ、日本人びっくりぢゃ、日本人はいくらでも生み出されるが日本の国は出来まいがな、身体中、黄金(こがね)に光っているのが国常立大神(クニトコタチノオオカミ)の、ある活動の時の御姿ぞ、白金(しろがね)は豊雲野大神(トヨクモノオオカミ)であるぞ、今の科学ではわからん。一万年や三万年の人間の地上的学ではわからんこと、国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島であるぞ、わからんことがいよいよわからんことになったであろうが、元の元の元の神の申すことよく聞きわけなされよ、神の学でなければ今度の岩戸はひらけんぞ。
五十黙示録 第四巻 龍音之巻 第十九帖
霊の発動を止めて、静かにする法は「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)守(まも)り給え幸(さき)はえ給え」と三回繰り返すこと。また、「素盞鳴大神(すさなるのおおかみ)、守り給え幸はえ給え」と三回くり返すこと、または「太日月地大神(おおひつきくにおおかみ)、守り給え幸はえ給え」と三回くり返すこと。世界そのものの霊かかり、日本の霊かかり、早う鎮(しず)めんと手におえんこととなるが、見て御座れよ、見事なことを致して御目(おんめ)にかけるぞ。
五十黙示録 第五巻 極め之巻 第四帖
大空に向って腹の底から大きく呼吸してゴモクを吐き出し、大空を腹一杯吸ひ込んで下されよ。そなたの神を一応すてて心の洗濯を致してくれよ、神示(ふで)が肝に入ったら捨てて下されと申してあろうがな、神を信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。日本がヒの本の国、艮(うしとら)のかための国、 ⦿(ヒ)出づる国、国常立大神がウシトラの扉を開けて出づる国ということがわかりて来んと、今度の岩戸開きはわからんぞ、こんなことを申せば、今の偉い人々は、古くさい迷信ぢゃと鼻にもかけないなれど、国常立命がウシトラからお出ましになることが岩戸開きぞ、今の学ではわからんことばかり。善と悪とに、自分が勝手にわけて、善をやろうと申すのが、今の世界のあり方。天の王、地の王のこと、「 ・ 」のことがハッキリわからねば足場がないではないか、足場も、目当てもなくてメクラメッポウに歩んだとて目的には行きつけぬ道理。
五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第十帖
国常立(クニトコタチ)神も素盞鳴(スサナル)命も大国主(オオクニヌシ)命も、総て地に縁(ゆかり)のある神々は皆、九と十の世界に居られて時の来るのをお待ちになっていたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運正にめぐり来て、千引の岩戸は開かれて、これら地に縁のある大神たちが現れなされたのであるぞ、これが岩戸開きの真相であり、誠(マコト)を知る鍵であるぞ。
五十黙示録 補巻 紫金之巻 第十二帖
横の十(かみ)の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、縦の十の動きがウマシアシカビヒコジであるぞ、十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。過去も未来も霊界にはない、「今」があるのみ、これを中今(なかいま)と申すぞよ。龍宮(りゅうぐう)の乙姫殿(おとひめどの)、日の出の神殿、岩の神殿、荒(あれ)の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣(あんけん)殿、地震の神殿、金神(こんじん)殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、このことわかりて下されよ、教えはなくなるぞ、元の道が光り輝くぞ、これを惟神(かんながら)の道と申すぞ。
艮金神
第二十四巻 黄金の巻 第四十八帖(五五九)
神の御用と申してまだまだ自分の目的立てる用意しているぞ。自分に自分がだまされんように致しくれよ。自分の中に善の仮面を被(かぶ)った悪が住んでいるに気つかんか。祓い清めの神が⦿三@(スサナル)の神様なり。サニワの神は―曰十@の九ん二ん(ウシトラのコンジン)様なり。それぞれにお願いしてから、それぞれのこと行ぜよ。
この道に入って始めの間は、かえって損したり馬鹿みたりするぞ。それはめぐり取って戴いているのぞ。それが済めば苦しくても何処(どこ)かに光見出すぞ。おかげのはじめ。次に自信ついて来るぞ。胴がすわって来るぞ。心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。悪の霊はみぞおちに止まりがちぞ。霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従うもの。このことわかれば、この世のこと、この世とあの世の関係がはっきりするぞ。足には足袋、手には手袋。(十一月裏四日)―曰十@(ウシトラ)
第二十四巻 黄金の巻 第九十六帖(六〇七)
ウシトラコンジン様を先づ理解せよ。どんなことでも叶えてやるぞ。理解するには、理解する心、まず生まねばならん。我れ善しでは拝めんコンジンさまぞ。天地すべてのもの、生きとし生けるもの悉(ことごと)く、よりよくなるように働いているのであるぞ。それが神の心、稜威(みいづ)ぞ。弥栄と申すものぞ。その時、その人間のキに相応した神より拝めん。悪いキで拝めばどんな立派な神前でも悪神が感応するのぢゃ。悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、善き念が通ずるならば、悪神引っ込んで、それぞれの善き神現われるのぢゃ。この道理よく心得よ。(一月三日)
五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第八帖
平坂の岩戸ひらけむ音のきこゆる。神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取違い致してはならん。太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。またすべてが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、もし怒りが出た時は、神の座から外れてしまうのであるぞ。救いの手は東(ひむかし)より差し延べられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよわかりて下されよ。今の方向では東北(うしとら)から救いの手が差し延べられるのぢゃ、ウシトラとは東北であるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地の元の、天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終りの終りぞ、弥栄の弥栄ぞ、礎(いしずえ)ぞ。
五十黙示録 第三巻 星座之巻 第十七帖
土のまんじゅうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、土から人民を生んだと申してあろう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、土に生きよと申してあろう、地は血であるぞ、素盞鳴命(スサナルノミコト)様であるぞ、その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、それが地変であるぞ。
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