世の元の神・元の大神
上つ巻 第十三帖(十三)
元の人三人、その下に七人、その下に七七・四十九人、合わせて五十九の身魂あれば、この仕組みは成就するのざ、この五十九の身魂は神が護っているから、世の元の神がかかりて大手柄をさせるから、⦿の申すよう何事も、身魂磨いてくれよ、これが世の元の神の数ぞ、これだけの身魂が力合わして、善き世の礎(いしずえ)となるのざ。この身魂はいずれも落ちぶれているから、訪ねて来ても分からんから、よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、訪ねて来た人は、親切にして帰せよ。何事も時節が来たぞ。六月の二十一日 ひつくのか三
第一巻 上つ巻 第二十一帖(二一)
世の元の神の仕組というものは、神々にもわからん仕組であるぞ、この仕組わかりてはならず、わからねばならず、なかなかに難しい仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ギリギリになりたら⦿の元の⦿の神力出して、岩戸開いて一つの王で治める⦿の真の世に致すのであるから、⦿は心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除してくれと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すようしてくれよ。今度は永遠(とことわ)に変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないとわからん仕組ざ。洗濯できた臣民から手柄立てさして嬉し嬉しの世に致すから、⦿が臣民にお礼申すから、一切のゴモク捨てて、早う神の申すこと聞いてくれよ。因縁の身魂はどうしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、遅い改心なかなか難しぞ。神は帳面につけるように何事も見通しざから、神の帳面間違いないから、⦿の申す通りに、わからんことも⦿の申す通りに従いてくれよ。初めつらいなれど、だんだんわかりて来るから、よく言うこと聞いてくれよ、外国から攻めて来て⦿の国丸つぶれというところで、元の⦿の神力出して世を立てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のようになるぞ、神の身体から息出来ぬようにしているが、今に元のままにせなならんことになるぞ。富士から三十里より離れた所へ祀りてくれよ、富士にも祀りてくれよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いてくれよ。富士は⦿の山ざ、いつ⦿(ひ)を噴くかわからんぞ、⦿は噴かんつもりでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りてくれよ、神は構わねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、そうして祀りてくれ。まつりまつり結構。六月の二十八日、ひつ九のか三。
第一巻 上つ巻 第二十八帖(二八)
世界中丸めて⦿の一つの王で治めるのぞ。それが⦿の世のやり方ぞ、百姓は百姓、鍛冶 (かじ) は鍛冶と、今度は永遠に定まるのぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと決まって動かん⦿の世とするのぞ、茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、今の世は皆それでないか。これで世が治まったら⦿はこの世に無いものざ。⦿と悪との力較べぞ。今度は悪の王も⦿の力にはどうしても叶わんと心から申す所まで、とことんまで行くのざから、悪も改心すれば助けて、善(よ)き方にまわしてやるぞ。⦿の国を千切りにして膾(なます)にする悪の仕組みはわかりておる、悪の神も元の⦿の神の仕組みを九分九厘までは知っていて、天地引っくり返る大戦(おおたたかい)となるのざ。残る一厘は誰も知らぬ所に仕掛けてあるが、この仕組、心で取りてくれよ、⦿も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。臣民この世の神ぞ、と言うて鼻高になると、ポキンと折れるぞ。七月の一日 ひつ九のか三。
第二巻 下つ巻 第九帖(五一)
今度の戦は⦿と〇との大戦(おおいくさ)ぞ。⦿様にもわからん仕組が世の元の神がなされているのざから、下(しも)の神々様にもわからんぞ。何が何だか誰もわからんようになって、どちらも丸潰れというところになりた折、大神の命(みこと)によりてこの方(ほう)らが神徳出して、九分九厘という所で、⦿の力がどんなにえらいものかということ知らして、悪の⦿も改心せなならんように仕組みてあるから、⦿の国は⦿の力で世界の親国(おやぐに)になるのぞ。⦿と〇とは心の中に「 ・ 」があるか「 ・ 」がないかの違いであるぞ。この方は三四五(みよいづ)の⦿とも現われるぞ。
江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝めるようにしておいてくれよ、この方の神示書く役員、神示うつす役員、神示説いてきかす役員要るぞ、役員は人の後について便所を掃除するだけの心がけないとつとまらんぞ、役員づらしたら、すぐ替え身魂使うぞ。七月の十七日、一二のか三。
第二巻 下つ巻 第二十一帖(六三)
「 ・ 」ばかりでもならぬ〇ばかりでもならぬ。⦿がまことの⦿の元の国の姿ぞ。元の⦿の国の臣民は⦿であったが、「 ・ 」 が⦿国に残り、〇が外国で栄えて、どちらも片輪となったのぞ。「 ・ 」もかたわ、〇もかたわ、「 ・ 」と〇とを合わせてまことの⦿の世に致すぞ。今の戦は「 ・ 」と〇との戦ぞ。⦿の最後の仕組みと申すのは、〇に「 ・ 」入れる事ぞ。〇も五ざ、「 ・ 」も五ぞ、どちらもこのままでは立ちて行かんのぞ。一厘の仕組みとは〇に⦿の国の 「 ・ 」を入れることぞ。よく心にたたみておいてくれよ。⦿は十柱、五十九柱のからだ持ちているぞ。五十と九柱のみたまの⦿⦿(かみがみ)様お待ちかねであるから、早う参りてくれよ。今度の御役大層であるが、末代に残る結構なお役であるぞ。七月二十四日、一二のか三。
第三巻 富士の巻 第二十六帖(一〇六)
戦は一度おさまるように見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、向こうの悪神は、今度は⦿の元の⦿を根こそぎに無きものにしてしまう計画であるから、そのつもりでフンドシ締めてくれよ、誰も知れんように悪の仕組してあること、⦿にはよくわかりているから心配ないなれど、臣民助けたいから、⦿はじっと堪(こら)えているのざぞ。八月の三十日、⦿のひつ九の⦿。
第四巻 天つ巻 第十三帖(一二〇)
空に変りたこと現われたなれば、地に変わりたことがあると心得よ、いよいよとなりて来ているのざぞ。⦿は元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお願いしているのざが、もうおことわり申す術(すべ)なくなりたぞ。
玉串⦿に供えるのは衣(ころも)供えることぞ、衣とは⦿の衣のことぞ、⦿の衣とは人の肉体のことぞ。臣民を捧げることぞ、自分を捧げることぞ、この道理わかりたか。人に仕える時も同じことぞ、人を神として仕えねばならんぞ、神として仕えると神となるのぞ、ざからもてなしの物出す時は、祓い清めて⦿に仕えると同様にしてくれよ。
食べ物今の半分で足りると申してあるが、神に捧げたものか、祓い清めて神に捧げると同様にすれば半分で足りるのぞ、天の異変気つけておれよ。⦿くどう気つけておくぞ。⦿世近づいたぞ。九月六日、一二のか三。
第五巻 地つ巻 第十帖(一四七)
何事も方便と申して自分勝手なことばかり申しているが、方便と申すもの⦿の国には無いのざぞ。まことがことぞ、まのことぞ、言霊(ことだま)ぞ。これまでは方便と申して逃げられたが、もはや逃げること出来ないぞ、方便の人々、早う心洗いてくれよ、方便の世は済みたのざぞ、今でも仏の世と思うているとビックリがでるぞ、⦿の国、元の⦿がスッカリ現われて富士の高嶺(たかね)から天地(あめつち)へ祝詞するぞ、岩戸閉める御役になるなよ。九月の二十日、ひつ九のか三。
第六巻 日月の巻 第二十七帖(二〇〇)
⦿の国は生きているのざぞ、国土拝(くにつちおろが)めよ、⦿の肉体ぞ。⦿の魂(たま)ぞ。道は真直ぐとばかり思うなよ、曲って真っ直ぐであるぞ、人の道は無理に真っ直ぐにつけたがるなれど、曲っているのが⦿の道ぞ。曲って真っ直ぐいくのざぞ。人の道も同じであるぞ。足許から鳥立つぞ。いよいよが近づいたぞ。世の元と申すものは泥の海でありたぞ。その泥から⦿がいろいろのもの一二三で、息吹で生みたのぞ。人の智ではわからぬことざぞ。眼は丸いから丸く見えるのざぞ。この道理わかりたか。一度はドロドロにこね廻さなならんのざぞ。
臣民はどない申しても近慾(ちかよく)ざから、先見えんから欲ばかり申しているが、⦿は持ち切れないほどの物与えているでないか。いくら貧乏だとて犬猫とはケタ違うがな。それで何不足申しているのか。まだまだ天地へ取上げるぞ。日々(にちにち)取上げていることわからんか。⦿が大難を小難にして、神々様御活動になっていること目に見せてもわからんか。天地でんぐり返るぞ。やがては富士晴れるぞ。富士は晴れたり日本晴れ。元の⦿の世にかえるぞ。
「日の巻 」終りて「月の巻 」に移るぞ。いよいよ一二三が多くなるから、今までに出していた神示よく肝に入れておいてくれよ、知らせねばならず、知らしては仕組成就せず、臣民早よう洗濯して鏡に映るようにしてくれよ。今の世地獄とわかっているであろがな。今のやり方悪いとわかっているであろがな。⦿まつれと申すのぞ。外国には外国の神あると申してあろが。御戦(みいくさ)進めて外国に行った時は、まずその国の神まつらねばならんぞ、まつるとはまつろうことと申してあろが。鉄砲や智では悪くするばかりぞ。神まずまつれとくどう気つけてあるのは日本ばかりではないぞ。この方の申すこと、小さく取りては見当取れんと申してあろがな。三千世界のことぞ。世界のことぞ、日本ばかりが可愛いのではないぞ、世界の臣民皆わが子ぞ。分け隔(へだ)てないのざぞ。この神示読みて聞かしてくれよ。読めば読むほど明るくなるぞ。富士晴れるのざぞ。⦿の心晴れるのざぞ。あら楽(たぬ)し世ぞ。十一月二十三日、一二⦿。
第七巻 日の出の巻 第二十帖(二三三)
この度は世に落ちておいでなされた⦿⦿(かみがみ)様をあげねばならぬのであるぞ、臣民もその通りざぞ、⦿の申す通りにすれば何事も思う通りにスラスラと進むと申してあろがな。これからは⦿に逆らうものは一つも埓(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。⦿の国はどうしても助けなならんから、⦿が一日(ひとひ)一日と延ばしていることわからんか。皆の者が⦿を軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真(まこと)の力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの⦿でないと間に合わんのざぞ。何処(どこ)の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしているのぞ、今の様(さま)は何ごとぞ。
この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った⦿ざぞ、この世構う⦿でも我(が)出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すまいぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取違いが一等気障(きざわ)りざぞ。改心チグハグざから物事後先(あとさき)になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、⦿の道広めると申して我(われ)を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今までは⦿が世に落ちて人が⦿になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。吾(われ)が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざ。
十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、⦿は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、⦿、くどう気つけておくのざぞ。三四気つけてくれよ、⦿の国は⦿の力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取返しつかんぞ。見事なこと⦿がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。
この神は⦿の国の救われること一番願っているのざぞ、外国人も⦿の子ではあるが性来(しょうらい)が違うのざぞ、⦿の国の臣民が真(まこと)の⦿の子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ、同じ⦿の子でありながら⦿の国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も⦿の国から⦿の民(たみ)からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外(はず)したら、いつになりても取返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ、やり損ない出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺(おぼ)れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、この⦿はめったに間違いないぞ。三千年地に潜(もぐ)りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、⦿の申すよう素直に致して下されよ。
末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりていることざぞ。オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ、日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ、日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埓あくぞ。早う改心してくれよ。十二月二十六日、一二⦿。
第八巻 磐戸の巻 第十三帖(二四九)
コト違うから、精神違うから、違うことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。⦿(ニホン)の国は⦿(モト)の⦿(カミ)の血筋の混じり気のないミタマで、末代(まつだい)世治めるのぞ。何事も末代のことであるから、末代動かん世に定めるのざから、大望であるぞ。上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思うているが、その心我(わ)れ善(よ)しざぞ。今度は手合わして拝むばかりでは駄目ざと申してあろが、今度は規則決まりたら、昔より難しくなるのざぞ、曲げられんことになるのざぞ、⦿魂(かみたましい)の臣民でないと⦿の国には住めんことになるのざぞ。この世治めるのは地(ち)の先祖の生⦿(いきがみ)の光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでも混じり気ありたら、先になりて また大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう申しているのぞ。
⦿は一時は菩薩(ぼさつ)とも現われていたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現わしてバタバタに埒(らち)つけるのざぞ、今の学ある者、大き取り違い致しているぞ。大国常立尊大神(おおくにとこたちのみことおおかみ)と現われて、一時は天も構い、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降(くだ)りして、⦿ (モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光りクッキリ現わさなならんと仰せあるぞ。
早う洗濯せんと間に合わんぞ。この道の役員、吾(われ)は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我(が)出して吾のこと思うているとグレンざぞ。神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのぞ、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔の因縁ざぞ。この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。逃げ道つくってはならんぞ、二つ三つ道つくってはならんぞ。まっすぐに⦿の道に進めよ。⦿の道は一筋ざと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ。
世界の片端浜辺(かたはしはまべ)から愈々(いよいよ)が始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくれよ、⦿の国は⦿のやり方でないと治まらんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今まではやりかた違っていたから、⦿のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのざぞ、この苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申しているのざぞ。
何もか彼も⦿に捧げよ、てんし様に捧げよと申してあろがな、それが⦿国の民の心得ぞ、否(いや)でも応でもそうなって来るのざぞ。⦿国の政治経済は一つざと申してあろうがな、今の臣民にわかるように申すならば、臣民働いてとれたものは、何でも⦿様に捧げるのぞ、⦿の御社(みやしろ)は幸(さち)で埋(うず)もれるのざぞ、御光(みひかり)輝くのざぞ、光の町となるのざぞ。⦿から分けて下さるのざぞ、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝、徳相当に集まるのざぞ、金(きん)は要らんと申してあろがな、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトの⦿の世になるのざ。⦿の世はマツリあるだけぞ、それまでにお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札(さつ)のようなものざぞ。わかるように申すなら、⦿の御社と臣民のお役所と市場と合わしたようなものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、真(まこと)のマツリの一(はじめ)ざぞ。
このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早う上(うえ)の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮すようにしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな。一月十三日、⦿の一二か三。
第九巻 キの巻 第一帖(二五八)
節分からは手打ちながら、ひふみ祝詞 宣(の)りてくれよ、拍手(かしわで)は元の大神様の全(まった)き御(おん)働きぞ、タカミムスビ と カミムスビの御働きぞ、御音(おんおと)ぞ、和ぞ、大和(だいわ)のことぞ、言霊(ことたま)ぞ、喜びぞ、喜びの御音ぞ、悪祓う御音ぞ。イシモト、イソガミ、カドタ、ご苦労ぞ。ショウダ、ご苦労ぞ。サイトウ、ご苦労ぞ。カドタ、ご苦労ぞ。節分境に何もかも変りて来るのざぞ、何事も掃除一番ぞ。一月二十九日、⦿のひつ九のか三しるす。
第九巻 キの巻 第七帖 (二六四)
物、自分のものと思うは天の賊(ぞく)ぞ、皆てんし様の物ざと、くどう申してあるのにまだわからんか。行(おこな)い出来て、口静かにしてもらうと、何事もスラリと行くぞ、行(ぎょう)が出来ておらんと、何かのことが遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ。
⦿の国も、半分の所にはイヤなことあるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サア今ざというとこになりたら、臣民の知らん働きさして、悪では出来ん手柄さして、なした結構なことかとビックリ箱あくのざぞ。天と地との親の大⦿(おおかみ)様のミコトですることぞ、いくら悪神(あくがみ)ジタバタしたとて手も出せんぞ、この世 三角にしようと四角にしようと、元のこの方等(ほうら)の心のままぞ。後から来た守護神先になるから、今の役員そうならんように神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚(はら)に入れて、何一つわからんことないようにしてくれよ、今に恥ずかしいことになるぞ。
元の大和魂(やまとだましい)の誠の身魂(みたま)揃うたら、人は沢山なくてもこの仕組成就するのざと申してあろが、末代(まつだい)動かぬ世の元の礎(いしずえ)築くのざから、キマリつけるのざから、気つけおくぞ。キが元と申してあろがな、上(うえ)は上の行い、中(なか)は中、下(しも)は下の行い、作法、あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中(なか)からキチリキチリと礼儀正しくせよ。三月十一日、ひつ九か三。
第十巻 水の巻 第十二帖 (二八六)
人間心には我(が)があるぞ。⦿心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理わかりたか。神に融(と)け入れよ。てんし様に融け入れよ。我なくせ、我出せよ。
立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵(ちり)一つ残らぬように洗濯することざぞ。今度と言う今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。立て直しと申すのは、世の元の大神様の御心(みこころ)のままにすることぞ。御光(みひかり)の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいづ)輝く御代(みよ)とすることぞ。政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べる物も一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きいて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むすび、天地栄ゆ、はじめ和の道。
世界の臣民、てんし様拝(おろが)む時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人(ますひと)となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。六月十二日、三のひつ九ノ⦿。
第十三巻 雨の巻 第八帖 (三四二)
大難小難にと祈れと申してくどう知らしてあろうがな、いかようにでも受け入れて、善きようにしてやるよう仕組みてある神の心わからんか、天災待つは悪の心ぢゃと知らしてあろうが、まだわからんのか、国敗(ま)けて大変待ちいる臣民沢山あるが、そんな守護神に使われていると気の毒になって来るぞ、よく神示読んで下されよ。今の守護神、悪の血筋、眷属(けんぞく)であるぞ、悪も御(おん)役ながら、奥(悪?)表に出ては誠おさまらんぞ、悪結構な世は済みて、善結構、悪結構、仏結構、キリスト結構、ことごとく(?)結構の世となり、鳴門(なると)の仕組近くなって来たぞ。世の元からの仕組、中行く仕組、天晴(あっぱ)れ三千世界結構であるぞ、心の富士も晴れ晴れとなるぞ、結構々々。
甘くてもならんぞ、辛(から)くてもならんぞ、甘さには辛さいるぞ、天の⦿様ばかりではならんのざ、くどう申してここまで知らしているにまだわからんのか、心さっぱり大河(おおかわ)に流して神示読んで下されよ、いつまでも⦿待たれんぞ、辛さには甘さ陰(かげ)にあるのざぞ、この道理よくわるであろうがな。水の味 火の味、結構ぞ、恐い味ないような結構な恐さであるぞ、喜びであるぞ、(苦しみであるぞ、) この道理よくわかりたか。(神の御恵み神の御心わかりたか、) 御心(みこころ)とは三つの御心ぞ、一と十と「 ・ 」とであるぞ、御心結構ぞ、世の元の⦿の仕組の現われて三千世界光り輝く、あなさやけ。十一月二十七日、ひつくの⦿。
第十五巻 岩の巻 第一帖(三六六)
「岩の巻」書き知らすぞ。一八(イワ)は弥栄(いやさか)。⦿は「 ・ 」と〇、@、「 ・ 」が神ざぞ。@が神ざと申してあろう。
悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。人民悪いこと好きでするでないぞ、知らず知らずに致しているのであるぞ。⦿にも見の誤り、聞きの誤りあるのざぞ。元の神には無いなれど、下々(しもじも)の⦿にはあるのざぞ。それで見直し、聞き直しと申してあるのざぞ。元の⦿には見直し聞き直しはないのざぞ、スサナルの大(おお)⦿様、鼻の神様ぞ、かぎ直しないぞ、かぎの誤りはないのざぞ。人民でも、かぎの間違いないのざぞ。鼻の誤りないのざぞ。
スサナルの大神様、この世の大神様ぞと申してあろうがな。間違いの⦿⦿(かみがみ)様、この世の罪穢(けが)れを、この⦿様に着せて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ。それでこの地の上を極悪⦿が我(われ)の好き候(そうろう)に持ち荒らしたのぞ。それで人皇(じんのう)の世と曇り汚して造り変え、仏(ほとけ)の世となりて、さらにまぜこぜにしてしもうて、わからんことになりて、キリストの世に致して、さらにさらにわからんことに致してしもうて、悪の仕組通りに致しているのぢゃぞ、わかりたか。
釈迦もキリストも立派な⦿で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は、偽の仏やキリストざぞ。同じ⦿二つあると申してあらうがな。
「 ・ 」なくなっているのざぞ、「 ・ 」ない@ざぞ、「 @・ 」でないと、まことできんのざぞ、わかりたか。「 ・ 」なきもの悪ざぞ、「 ・ 」は〇ぞ、火ぞ、一(はじめ)ざぞ。暗がりの世となっているのも、「 ・ 」ないからざぞ。この道理わかるであろらうがな。旧一月十五日、かのととりの日、一二⦿。
第二十巻 梅の巻 第二十六帖(四五三)
金(きん)では治まらん、悪⦿(あくがみ)の悪では治まらん、ここまで申してもまだわからんか、金では治まらん、悪の総大将もそのこと知っていて、金で世潰す計画ざぞ、わかっている守護神殿早う改心結構ぞ、元の大神様に御無礼しているから病⦿(やまいがみ)に魅入(みい)られているのぢゃぞ、洗濯すれば治るぞ、病神は恐くて入って来られんのぢゃぞ、家も国も同様ざぞ。神示いくらでも説けるなれどマコト一つで説いて行(おこな)って下されよ、口で説くばかりではどうにもならん、魂(たま)なくなってはならん。十二月十四日、ひつ九のか三。
第二十九巻 春の巻 第七帖(六六四)
こと分けて書きおくから、迷わんように。人民の道歩んでくれよ。何もかも嬉し嬉しとなる仕組、人民に禍ないのぢゃ。不足ないのぢゃ。いつも楽し楽しの歌で暮せる仕組ぢゃぞ。と申しても、心でわかっても、今の人民にはわかるまいから、さらにこと分けて、細かに説いてきかすぞ。道しるべをつくりおくぞ。これがよろこびの道ぢゃ。人民のいのちを正しく育てることが一番のよろこび。人民と申すものは神の喜びの全(まった)き現われであるぞ。いくら穢れても元の神の根元神のキを受けているぞ。それを育てることぢゃ。導くことぢゃ。死なんとする人助けるのもその一つぢゃ。宿った子殺すことは、人民殺すことぢゃ。今の人民 九分九厘は死んでいるぞ。救え、救え、救え。おかげは取り得ぢゃ。生かせよ。生かせよ。生かす道は神示読むことぢゃ。
親の大神様
第九巻 キの巻 第七帖(二六四)
物、自分のものと思うは天の賊(ぞく)ぞ、皆てんし様の物ざと、くどう申してあるのにまだわからんか。行(おこな)い出来て、口静かにしてもらうと、何事もスラリと行くぞ、行(ぎょう)が出来ておらんと、何かのことが遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ。
⦿の国も、半分の所にはイヤなことあるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サア今ざというとこになりたら、臣民の知らん働きさして、悪では出来ん手柄さして、なした結構なことかとビックリ箱あくのざぞ。天と地との親の大⦿(おおかみ)様のミコトですることぞ、いくら悪神(あくがみ)ジタバタしたとて手も出せんぞ、この世 三角にしようと四角にしようと、元のこの方等(ほうら)の心のままぞ。後から来た守護神先になるから、今の役員そうならんように神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚(はら)に入れて、何一つわからんことないようにしてくれよ、今に恥ずかしいことになるぞ。
元の大和魂(やまとだましい)の誠の身魂(みたま)揃うたら、人は沢山なくてもこの仕組成就するのざと申してあろが、末代(まつだい)動かぬ世の元の礎(いしずえ)築くのざから、キマリつけるのざから、気つけおくぞ。キが元と申してあろがな、上(うえ)は上の行い、中(なか)は中、下(しも)は下の行い、作法、あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中(なか)からキチリキチリと礼儀正しくせよ。三月十一日、ひつ九か三。
太元の神・元の元の太元の神
第二十九巻 春の巻 第十六帖(六七三)
あなたまかせ、よい妻と申してあろうが。神まかせがよい人民であるぞ。この神とみとめたら理解して、まかせ切れよ。太元の神さまに惚(ほ)れ参らせよ。真の信仰の第一歩ぞ。雨降らば雨を、風ふけば風を、ひとまず甘受せよ。甘受した後、処理して行かなならん。受けいれずにハネ返すのは大怪我のもと。何回でも何回でも同じこと繰り返さねばならんことになるぞ。何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ。内にあるから外から迫るのぢゃ。自分で呼びよせているのぢゃ。苦しみの神、因果の神呼んでおいて、不足申している者多いのう。自分で呼びよせながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう。同じものでも表からと裏からとでは違うのぢゃ。同じ目で見ても、違ってうつるのぢゃ。心得よ。
第二十九巻 春の巻 第四帖(六六一)
〇|がよろこびであるぞ。〇ーもよろこびであるぞ。よろこびにも三つあるぞ。〇|は表、〇ーは裏、表裏合せて〇十ぞ。〇十は神であるぞ。神であるなれど現われの神であり、現われのよろこびであるぞ。〇十のもとが⦿であるぞ。キであるぞ。元の元の太元の神であるぞ。△(ム)であるぞ。△(ム)から▽(ウ)生れ、▽(ウ)から△(ム)生れるぞ。同じ名の神二つあると申してあろうが。表の喜びが「 ・ 」、愛、真、善、美となり現われ、裏の喜びからは、〇、憎、偽、悪、醜が現われるのぢゃ。喜びが神ぢゃと申して裏の喜びではならんぞ。今の人民の喜びと申すのは裏の喜びであるぞ。悲しみを喜びと取り違えているぞ。この巻、春の巻。こまかに説いてわかりやすく説いてきかすぞ。分ければそれだけ小さくなるなれど。
元の元の元の神
第二十四巻 黄金の巻 第一帖(五一二)
元の元の元の神は何(なに)も彼(か)も終っているのであるぞ。終わりなく始めなく弥栄(いやさか)えているのぞ。友つくれよ、友つくることは己(おのれ)つくることぞ。広めることぞ。己を友の心の中に入れることぞ。皆、我(われ)の目的立てに来ているぞ。それでは思惑(おもわく立たんぞ。御光(みひかり)が愛ぞ。真ぞ。愛はマぞ。真は言ぞ。これを誠と言うぞ。誠は生きているぞ。三千世界の生命ぞ。和つくれ。和はむすびぞ。何も彼も生れるぞ。息するぞ。自分で勝手にしておいて親神を怨(うら)んでいるぞ。この巻から人民の道しるべであるぞ。近いことから知らすぞ。この神示出たら、すぐ血としておいて下されよ。そなたの為(ため)であるぞ。そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為であるぞ。この巻、黄金の巻。心の眼開けよ。十一月十七日。ひつ九のか三
五十黙示録 第三巻 星座之巻 第四帖
人民もの言えんことになると申してありたこと近うなったぞ、手も足も出んこと近づいたぞ、神が致すのでない、人民自身で致すことわかりてくるぞ。人民の学や智では何とも判断出来んことになるぞ。右往左往(うおうさおう)しても、世界中かけ廻っても何もならんぞ、わからんでもわかりた顔せねばならん時が来たぞ、嘘の上ぬり御苦労ぞ、人民がいよいよお手上げということに、世界が行き詰りて神のハタラキが現れるのであるぞ、日本人びっくりぢゃ、日本人はいくらでも生み出されるが日本の国は出来まいがな、身体中、黄金(こがね)に光っているのが国常立大神(クニトコタチノオオカミ)の、ある活動の時の御姿ぞ、白金(しろがね)は豊雲野大神(トヨクモノオオカミ)であるぞ、今の科学ではわからん。一万年や三万年の人間の地上的学ではわからんこと、国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島であるぞ、わからんことがいよいよわからんことになったであろうが、元の元の元の神の申すことよく聞きわけなされよ、神の学でなければ今度の岩戸はひらけんぞ。
五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第七帖
根本の元の元の元の神は、〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ、別天津神五柱(ことあまつかみいつはしら)と申してあろうがな、五が天であるぞ。五は数(かず)であるぞ、転じて十となるなれど、動き栄えるには十と一の神が現われねばならん、これが中を取り持つ二柱(ふたはしら)の神ぞ。
五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第十四帖
八方的地上から十方的地上となるのであるから、すべての位置が転ずるのであるから、物質も念もすべてが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今までは時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸開きの為であるぞ。今までの岩戸開きと同様でない、末代に一度の大岩戸開きぢゃ。
世の元
第一巻 上つ巻 第二十七帖(二七)
何もかも世の元から仕組みてあるから、⦿の申すところへ行けよ。元の仕組は富士ぞ、次の仕組は丑寅三十里より、次の仕組の山に行きて開いてくれよ、今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて⦿祀りて開いてくれよ、細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして⦿から御礼申すぞ。行けば何もかも善くなるように、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。天地がうなるぞ、上下引っくり返るぞ。悪の仕組にみなの臣民だまされているが、もうすぐ目さめるぞ、目さめたら訪ねてござれ、この⦿のもとへ来て聞けば、何でもわかるように神示で知らしておくぞ。秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたら訪ねてござれ、我(が)を張っていると、いつまでもわからずに苦しむばかりぞ。この神示も身魂により、どんなにでも取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ、三柱と七柱揃うたら山に行けよ。七月一日、ひつくのか三。
第一巻 上つ巻 第三十二帖(三二)
世の元からヒツグとミツグとあるぞ、ヒツグは⦿の系統ぞ、ミツグは〇の系統ぞ。ヒツグはマコトの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。⦿と〇と結びて一二三(ひふみ)となるのざから、外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあろがな。一二三唱えて岩戸開くぞ。神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベであるから、間違わんようにしてくれよ。ひみつの仕組とは一二三の仕組ざ、早う一二三唱えてくれよ、一二三唱えると岩戸開くぞ。七月の二の日、ひつくのか三。
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