ののの備忘録

『日月神示』の解読と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。「神一厘の仕組み」と「テンバガー投資法」

自作のすすめ:メディウムや支持体

作ってみた

油彩用のメディウムや支持体を作ってみました。

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パース屋

管理人ののは、しばらく前までは、建築の完成予想図を3DCGで描くお仕事をしていました。建築関連業界でパース屋と呼ばれる職人的絵描きでした。

 

モデリングソフトに建築用の3Dモデラーであるform•Zを使い、レンダリングには3ds Max を使っていました。最後に、レタッチソフトのPhotoshopを使って仕上げていました。

 

CG屋はレンダリングマシン(計算用のPC)を自作するものなのですが、画材屋のおばちゃんに聞いたところ、油彩画をやる絵描きさんたちにはあまり自作派はいないということでした。

 

こんなところにニッチな需要があるのかもしれないので、メディウムや支持体の自作のお話を少ししてみたいと思うのです。

 

道具作り

実際のところ企業にお勤めのCG屋さんは冷房の聞いたサーバルームに、写真にあるような立派な3DCG用のレンダリングサーバが用意されていますから自作などしません。

 

しかし、個人経営や零細で弱小のCG屋は限りなくコスパの良いマシンを自作するものなのです。ののの零細デザイン事務所でも、20台ほどの自作マシンをつなげて計算用に使っていました。

 

パースの仕事を始めた頃は、建築パースの下図作成用のアプリケーションまで手作りで用意していたのです。仕事で使うアプリケーションは自分たちで作る。それが当然の時代があったのです。

 

パソコンの登場

その昔、パソコンが始めて世の中に出てきた頃、アプリケーションなどまだ何もなかった時代がありました。パソコンに入っているのは、BASICと呼ばれるOSを兼ねた開発言語だけでした。

 

しかし、このパソコンは当時としては画期的な存在でした。個人がコンピュータを独占できるというのは、衝撃的な出来事だったのです。

 

それまでは、コンピュータは計算センターの奥深くに鎮座まします尊い存在でした。当時はメインフレームとか汎用機とか呼ばれていました。

 

我々利用者(学生)はプログラムを紙テープやパンチカードに打ち込み、カードリーダやテープリーダに読み込ませ、計算結果が遠くの電算センターから送り戻されてくるのを永らく待つという時代だったのです。

 

そんな時代に、突如として現れたのがパーソナルコンピュータでした。それまでは、計算センターに行っても、キーボードとモニターの付いた端末に触れることができるのは、特権階級である計算センター職員さまのみでした。

 

その尊いホストマシンと端末(キーボードとモニター)を個人で専有できるのがパーソナルコンピュータでした。しかも、タイムシェアリングなしですから、計算結果はほぼリアルタイムで帰ってきたのです。

 

しかも、なんと!プログラム領域が32Kb、データ領域も32Kbあったのです。まさに、夢のようなマシンでした。当時、ありとあらゆる業種の人々がこのマシンを購入し、仕事に使うべくアプリケーションを開発していたのでした。

 

80年代初頭のお話です。個人でPCを持つことのできる時代の始まりでした。

 

BASIC

この頃、ののは建築パースの事務所で富士通のFM-7やNECPC-8801で透視図用の3Dアプリケーションを開発していました。パースの下図用の線画をプロッターに描き出すソフトでした。

 

当時、事務所にいた先輩のレンダラー(建築のイラストを描く人:パース屋さん)が下図を描くよりも、数倍早く描くことのできる画期的なアプリケーションでした。

 

のちに、このアプリケーションはPC-9801に移植され、業界の一部で約15年の長きに渡って使われつづけることとなりました。開発言語はN88-BASICコンパイラでした。

 

やはり自作派

アプリケーションの開発が終わった頃、ようやくパースを描く部署に移動させていただくこととなり、念願のパース屋としての仕事を始めたのでした。

 

以後、およそ25年間の間に手描きとCGで合わせて約3,000枚ほどの建築パースを描く仕事をしてきました。建築パースのデザイン事務所を経営していましたから、スタッフに描かせたパースの数を入れていない数字です。

 

最近、パースの仕事をやめて趣味で油彩画を始めました。フランク・フラゼッタシド・ミード、ボリス・バレホや森本草介、笹倉鉄平さんなどのリアルな絵が好きでしたので、パネルに地塗をして描いていました。最初は、ポピーオイルとテレピンだけで描いていたのです。

 

しかし、樹脂を加えたほうが絵は長持ちするらしいという話を聞きました。そのために、世の中にはペンティングオイルとかルソルバンと呼ばれる調合オイルがあるのだと知りました。

 

早速使ってみたのですが、どうもしっくり来ません。原因を探ろうにも、調合比はどうらや画材メーカーさんの企業秘密な様で、その配合比率は調べてもわかりませんでした。

 

調合オイルに使われているのは、乾性油と樹脂、精油であることは分かっていますから、この配合を適宜変えてやれば自分にあった調合オイルができるであろうことは素人ながらなんとなく理解できました。

 

そこから、メディウムの自作にはまり、ドツボにはまってしまったような気がします。添付の写真はこれまでに試行錯誤して調合したメディウムの一部です。手前にある小さな小瓶に入っているのがメギルプです。

 

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メギルプ

メギルプの良いところは、テレピンの匂いがしないところです。また、揮発油であるテレピンは、ジェル状のメギルプからは揮発しにくいようなのです。

 

絵画制作用のアトリエを持たないアマチュア画家の場合、テレピンの匂いはご家族のひんしゅくの的です。猫さんにも評判は宜しくないようです。

 

普段お使いの調合油をメギルプ化する事で、この匂いの問題を解決出来るのです。

 

ブラックオイル

メギルプを作るためには、ブラックオイルを用意しなければなりません。ブラックオイルは、いまでは国内メーカーからも発売されていますが、油彩画を始めた2015年当時では、まだ自作するしか選択肢はなかったのです。

 

次回は、このお話の続きをします。

 

目次:画材研究

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