「日月神示」には岩戸閉めが五度行われたという記述がでてきます。
すでに岩戸開きは完了しているのですが、それぞれの岩戸開きがどのように行われたのかについての説明を公開ブログではしてきませんでした。
今回は、5度の岩戸開きのお話です。
五度の岩戸閉め
天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌画、明治20年(1887年))
「日月神示」には岩戸閉めが五度行われたという記述がでてきます。整理すると、五度の岩戸閉めは次のようになります。
2:天照大神の時
3:素盞鳴命の時
4:神武天皇の時
5:仏魔が渡り来た時
すでに岩戸開きは完了しているのですが、それぞれの岩戸開きがどのように行われたのかについての説明を公開ブログではしてきませんでした。
今回は、5度の岩戸開きのお話です。実際の岩戸開きは順不同で行われました。
最初に、八咫烏の暗号である複合神社三角陣封印結界に秘められた謎を解く事によって5番の岩戸が開かれました。その後、1番、3番、4番、2番と続いたのです。
2番目の岩戸開きは、イザナギとイザナミに関わる案件でした。これは、菊理姫大神さまと素戔嗚大神さまより与えられた課題に回答することにより行われたのです。
この件につきましては未だ語ることは許されていませんが、現時点で出来得る限りのご説明をしておきたいと思います。
その後、伊弉諾さまと伊邪那美さまの和合が成されたのです。二神さまの和合は、2021年の11月に行われました。(注1)
注1:岩戸開き完了のお知らせ
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岩戸開きの概要
日月神示における記述は次の通りです。
五十黙示録 第二巻 碧玉(あおたま)の巻 第十帖 より
岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐:イザナギ)ナミ(伊邪那美:イザナミ)の命(ミコト)の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国(よみのくに)に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのであるぞ。一(ひと)ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へばだんだんに判りてくるぞ。
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのである道理、わかるであろうがな。その後、独(ひと)り神(がみ)となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申すまでもないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引(ちび)きの岩戸をひらかれて相抱(あいいだ)き給う時節来たのであるぞ、嬉(うれ)し嬉しの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、働きは逆なのであるぞ、この二つが揃(そろ)うて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を共に開かんと申してあろうがな。
2:天照大神の時の岩戸閉め
次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、騙(だま)した岩戸からは騙した神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃(そろ)うてお出まし近うなって来たぞ。
3:素盞鳴命の時の岩戸閉め
次の岩戸閉めは素盞鳴命(スサナルノミコト)にすべての罪をきせて根(ね)の国に追いやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治(しろ)しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天ヶ下は重きものの積もりて固まりたものであるから罪と見えるのであって、よろづの天の神々が積(つ)もる(という)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ、命(ミコト)を荒ぶる神なりと申して伝えているなれど、荒ぶる神とは粗暴な神ではないぞ、暴れ廻り、壊し廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしていて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治(し)らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命(ミコヨ)にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。
4:神武天皇の時の岩戸閉め
神武天皇の岩戸閉めは、御自(おんみずか)ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸に隠して神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレヒコノミコト)として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。
5:仏魔が渡り来た時の岩戸閉め
仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が射していたのであるなれど、仏教と共に仏魔渡り来て、完全に岩戸が閉められて、暗闇の世となったのであるぞ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。
岩戸閉めを一度に開く
日月神示すには「今度の岩戸開きは五度の岩戸閉めを一度に開く」と書かれています。
五十黙示録 第二巻 碧玉(あおたま)の巻 第九帖 より
九分行ったら一休みせよ。始めから終りまで休まずに行くと、今の人民では息切れ致すぞ、一休みして自分の来た道をふり返れよ。
この世の世話をさすために、人民には肉体を与えてあるのぞ、活神(いきがみ)がしたのでは堪(こば)れんものが沢山に出て来るからぢゃ、立て替え、立て直し、一時に来ているから、我れ善しの人民にはわからんことになるぞ、この世の動きがわからんのは我れ善しざからぞ、今度の岩戸開きは五度の岩戸閉めを一度に開くのであるから、人民にはなかなかに理解出来んことに折り重なってくるから、何事も神の申す通りハイハイと素直にきくのが一等であるぞ。
大切なのは素戔嗚の神様に罪着せした時
日月神示には、岩戸開きで「大切なのは素戔嗚(すさなる)の神様に罪着せした時」であると書かれています。
日の出の巻 第一帖 (二一四) より
春とならば萌(も)え出(い)づるのざぞ、草木ばかりでないぞ、何もかも 萌え出(で)るのぞ、此の方(ほう)の申す事譬(たと)えでないと申してあろが、少しはわかりたか。石物言う時来たぞ、この道早く知らしてくれよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐(なぎ)・那美(なみ)の尊の時、天照大神(あまてらすおおかみ)の時、神武天皇の時、仏(ほとけ)来た時と、大切なのは素戔嗚(すさなる)の神様に罪着せした時、その五度(たび)の岩戸閉めであるから、この度の岩戸開きはなかなかに大層ぞと申すのぞ。いよいよきびしくなってきたが、これからが正念場ざぞ、否(いや)でも応でも裸にならなならんぞ、裸ほど結構なものないことだんだんわかりて来るぞ。十二月一日、一二 ⦿。
5:仏魔が渡り来た時の岩戸開き
藤原不比等さま
葛城王朝から崇神朝に代わった時から、宮中での祭祀がおろそかになってきました。そのため、崇神天皇は大物主に祟られてしまったのです。
その後、応神朝に代わり、物部氏と蘇我氏の対立を経て仏教が伝来してくると、ますます神道は廃れてゆきました。
そして、霊的能力を持たない、民間人(藤原氏)が妃として皇室に入り込むようになると、わずかながらも射していた神道の光が完全に途絶えてしまったのです。
藤原不比等による神道大編纂事業により、古の善の神さまたちは、深く封印されてしまったのです。この時、霊能力を有する巫女である、瀬織津姫尊さまや岩長姫尊さま、菊理姫尊さまの存在は、隠され貶められてしまったのです。
瀬織津姫さまは、その存在を隠され深く封印されていました。
岩長姫さまも封印され、記紀神話において貶められています。本来は「見にくい世界を見る能力を有する霊能巫女」でしたが、それを「醜い姫」としたのです。
また、江戸時代においては「お岩さん」として化け物扱いをされているのです。
同様に、菊理姫さまもその存在を隠され、さらに「お菊さん」として、こちらも化け物扱いされているのです。
この封印こそが、「仏魔が渡り来た時」以降に行われた岩戸閉めだったのです。
この岩戸開きは、善の神々さまに施された封印を解除することによってなされたのです。
つまり、八咫烏の暗号である複合神社三角陣封印結界に秘められた謎を解く事によって5番目の岩戸開きが成されたのです。
1:イザナギとイザナミの時の岩戸閉め
イザナギさまとイザナミさまの岩戸開きは、神大市比売さまの転生者から菊理大神さまと素戔嗚大神(すさなるのおおかみ)さまからの課題という形で降ろされてきました。
この課題に対して正確に回答することにより、光サイドの天帝である伊邪那美大神さまと、闇サイドの暗黒神である伊弉諾大神さまとの和合が成されたのです。
この課題に関する情報公開は、神界における禁足事項に当たるために未だ許されていません。いずれ明らかにできる時が来るまでの秘匿されています。
二柱の夫婦神の和合が成立したことで、2つに分かれていた世界線が融合し始めたのです。球体の地球とフラットアースの2つの世界とその歴史が融合し始めたのです。
球体の地球は天の川銀河の射手座椀の外縁部にあったのですが、現在のフラットアースの世界は天の川銀河のオリオン椀の銀河の中心部に近い位置にあるのです。
2つの世界の融合により、マッドフラッドという200年ほど前に大洪水があったとされる歴史や、高度に進歩したタルタリア帝国の歴史などが現れてきたのです。
数々のマンデラエフェクトと呼ばれる現象も、2つの世界が融合し始めたことにより起こり始めたのです。
これらの現象は、日月神示に次のように予言されています。
日月神示 第六巻 至恩の巻 第十一帖 より
いよいよ判らんことが更に判らんことになるぞと申してあるが、ナギの命(みこと)の治(し)らす国もナミの命の治らす国も、双方からお互に逆の力が押し寄せて交わりに交わるから、いよいよ判らんことになるのであるぞ。
日月神示 第六巻 至恩の巻 第十二帖 より
判らんと申すのは一面しか見えぬことであるぞ。
双方を見る目に、早う改心致してくれよ。
この白黒まだらな時は長くつづかん。
最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ。
死んでから又甦られるように死んで下されよ。
マコトを心に刻みつけておりて下されよ。
日月神示 第六巻 至恩の巻 第十六帖 より
富士(不二)と鳴門(ナルト)(成答)の仕組いよいよぞ。これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。
一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん。
これらの現象は、3年ほど続くと書かれています。そして、この現象が始まれば、浄化の仕組みである鳴門の仕組みや、覚醒の仕組みである富士の仕組みがいよいよ発動すると書かれているのです。
新たな弥勒の世を造るには、伊弉諾大神さまと伊邪那美大神さまの2柱の神さまの協力が必要だと書かれています。これは、新たな国生みの物語の始まりを示唆している言葉なのでしょう。
3:素盞鳴命の時の岩戸開き
素戔嗚尊さま
素戔嗚尊さまの真実を明らかにすることにより、この岩戸は開かれたのです。アマ族であり出雲族であった素戔嗚尊さまが、この国の民衆を被支配下に置いていた渡来系の民族を駆逐することにって、天下を統一されたのです。
これが、日月神示が素戔嗚尊さまは「天ヶ下、大国土を守り育て給う神」と呼ぶ理由なのです。
素戔嗚尊さまに関する情報は、イザナギさまとイザナミさまの和合が成された後に明らかとなりました。2つに分断されていた世界線が融合することにより表に出てきた新たな情報ではないかと推測しているのです。(注1)
いずれにしろ、素戔嗚尊さまの真の姿が明らかとなったことで、「4:神武天皇の時の岩戸開き」も滞りなく行うことが出来たのです。
注1:表に出てきた新たな情報
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4:神武天皇の時の岩戸開き
神武天皇さま
神武天皇を大和政権の最初の天皇であるとして、それまでの古代王朝の存在を消し去ったことが岩戸閉めとなっているのです。
ですから、神武天皇が葛城王朝の初代の天皇として立つまでの経緯を明らかにすることにより、この岩戸は開かれたのです。
葛城王朝の成立は、過去に分断された2つの王朝であるウガヤフキアエズ朝の存在、畿内の飛鳥の宮にあった古代王朝(香久山王朝:ニギハヤヒ王朝)を統合する試みでした。
2つの王朝を統合するために日本に回帰してきたアマ族である日向族と出雲族、そして出雲の英雄である素戔嗚尊さまと、日向の女王である卑弥呼さまの関係を明らかにすることが肝心でした。
また、古代出雲王朝の存在や、大国主さまと饒速日尊さまの存在、国譲りの真相などを明らかにすることが岩戸開きに繋がったのです。
これは、イザナギさまとイザナミさまの岩戸開きが行われ、素戔嗚尊さまに関する新たな情報が現れてきたことで可能になった岩戸開きなのです。
2:天照大神の時の岩戸閉め
天照大神さま
「騙(だま)した岩戸からは騙した神がお出ましぞ」とあるのは、記紀神話において日向の女王である卑弥呼さまを天照大神さまとしたことを意味しています。
「マコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃(そろ)うてお出まし近うなって来たぞ」とあります。
騙した神とは、記紀編纂事業で天照大神さまとされた、日向の女王卑弥呼(神大市比売)さまのことです。別名、大日孁(おおひるめ)、大日女尊(おおひるめのみこと)などがあります。
マコトの天照大神(あまてらすおおかみ)さまは、豊雲野神さまのことであり、ホツマツタエのアマテルヲヲンカミさまの事です。通常、アマテラスヲヲンカミさまは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまと書きます。
また、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)さまとは、饒速日さまのことであり、イエス・キリストさまのことです。そして、日の大神さまとは伊弉諾大神さまです。
天照大神さま = アマテルヲヲンカミさま
日の大神さま = 伊弉諾大神さま
伊勢神宮に祭られている天照皇大神さまの正体がイエス・キリストさまであり、この国を素戔嗚尊さまとともに統一し、分断されていた2つの王朝を統合して、大和政権の基礎を築いたのだということが明らかとされることで、この岩戸は開かれたのです。
このようにして、5つの岩戸開きは将棋倒しの様に次々と行われていったのです。
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