二組の宗像三女人
古事記のアマテラスとスサノオの誓約の段に、「アマテラスがスサノオの十束剣を口に含み、三つにかみ砕き吐き出した霧から宗像三女神を生み、スサノオの物実から生まれたのでスサノオの子であると宣言された」とあります。
アマテラスとスサノオの誓約
本来の宗像三女人と呼ばれる田心姫神(たごりひめ)さまと湍津姫神(たぎつひめ)さま、市杵島姫神(いちきしまひめ)さまは古代出雲王朝時代の人物です。
出雲の英雄素戔嗚尊さまと日向の女王天照大神(卑弥呼:神大市比売)さまの時代とは2世紀ほど離れているのです。
古代出雲王朝第八代主王、八千矛(やちほこ)王(大国主)の奥方さまは、多岐津姫(たぎつひめ)さまでした。下記の系図にある通りです。
出典ブログ記事
三つ子の女児
実際は、出雲の英雄素戔嗚尊さまと天照大神(日向の女王卑弥呼:神大市比売)さまの間に生まれた三つ子の女児に、宗像三女人から名前をもらい受けて名付けられているのです。
もしくは、記紀編纂事業の際に、そのように名前を変えたのかもしれません。こちらの可能性の方が高そうです。
素戔嗚尊さまと天照大神さまの三つ子である田心姫(多紀理毘売)さまは死産でした。そして、湍津姫さまは5歳で夭折しています。成人にまで成長したのは市杵島姫さまただお一人だったのです。
このお話は、神大市比売さまの転生者ご本人さまから伺いました。
市杵島姫さまは、卑弥呼さまの子供でもあり、霊的能力に優れていたのです。そのため磐長姫の称号を持っていたのです。宗像三女人の市杵島姫さまとは、まったくの別人だったのです。
市杵島姫さまは、美貌と聡明さを変え備えていましたから、「みやひ」の資質を磨くことも出来たのですが、霊的能力である「すなを」の資質の方が勝っていた故に、磐長姫の称号を与えられていたのです。
以前の記事で、「みやひ」とは、「民衆の掌握能力と政治的手腕」を意味すると書きましたが、それは、美貌と聡明さから湧き出るカリスマ性が元の資質となっているのです。
この磐長姫さまは、後に卑弥呼の子であるイワレヒコ(のちの神武天皇)さまと共に、畿内にあったニギハヤヒ(香久山)王朝を訪れます。(注1)
注1:卑弥呼の子であるイワレヒコ
伊勢谷 武 著
神武東征の真実
イワレヒコさまのご一行は、瀬戸内海から畿内を目指して行きます。この時、畿内の豪族の一人であったスエナガヒコとの戦闘がありましたが、無事畿内入りを果たしています。
日向と出雲を和合させたのが素戔嗚尊さまです。その後を継いで日向と出雲の連合国の大王となられたのが大国主さまです。
大国主さま
その後、大国主さまは畿内入りをして、飛鳥宮(あすかのみや)のニギハヤヒ(香久山)王朝の大王であるニギハヤヒに就任します。これで、出雲と日向、香久山の和合が成されたのです。これがの後の倭王権の礎となったのです。
畿内入りしたイワレヒコさまは、ニギハヤヒさまの末子である御年神(みとし)さまを娶ります。これは、時のニギハヤヒ(香久山)王朝の帝であるニギハヤヒさまから、国譲りされたことを意味しているのです。
一方で、磐長姫さまはニギハヤヒさまの元に嫁ぎ、霊能巫女として王政の補助を果たします。
神武東征とは、戦闘行動を主目的とした勇ましい旅路ではなく、磐長姫さまの嫁入りと、イワレヒコさまの婿入りの旅だったのです。
神武東征とは、2つの王朝を和合させるための婚姻と和平の旅路だったのです。
アマ族とウガヤフキアエズ朝
イワレヒコさまは、日向族とウガヤフキアエズ朝の血筋を引いています。日向族とは、回帰系の日本人であるアマ族の事を指しています。アマ族はこの地のウガヤフキアエズ朝と和合していたのです。
アマ族は、古代の日本から続く司祭系の血筋を受け継ぐ種族でした。それゆえ、霊能力の高い皇女を排出していたのです。
アマ族の血を引く卑弥呼さまと72代目のウガヤフキアエズ朝の大王との間に生まれた子がイワレヒコさまです。イワレヒコさまは73代目のウガヤフキアエズでした。
日向の女王である卑弥呼さまと、出雲の英雄である素戔嗚尊さまの間に生まれた市杵島姫さまには優れた霊的能力が宿っていました。それゆえ、磐長姫さまと称されていたのです。
アマ族は、同じ時期に2つのグループがパミール高原から日本を目指して、海路と陸路で回帰してきます。
陸路を使ったアマ族がいち早く日本に到着して、日向に拠点を築いていたのです。このアマ族の先発隊を日向族と呼ぶのです。その後少し遅れて出雲に到着したアマ族が出雲族です。(注1)
注1:アマ族
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イワレヒコさまと御年神さま
畿内入りしたイワレヒコさまは、ニギハヤヒさまの末子である御年神(みとし)さまを娶ります。
御年神(みとし)さまは、ニギハヤヒさまと瀬織津姫さまの血を引いていました。瀬織津姫さまとは、古代王朝から続く女系の皇族の血筋です。
これで、渡来系の民族に対応するために畿内の飛鳥宮と九州のと筑紫宮とに分断されていた2つの王朝が再び合一したのです。
この時のニギハヤヒさまこそが、出雲から姿を消していた、日向と出雲の大王である大国主さまだったのです。
神武東征の実際の姿は、筑紫宮のウガヤフキアエズ朝と飛鳥宮のニギハヤヒ(香久山)王朝との和合のための旅だったのです。
ニギハヤヒさまがイワレヒコさまを後継者としたのは、古代王朝から続く正当な血筋の皇子だったからです。
これは、素戔嗚尊さまが出雲族に先んじて日本に到着していた日向族の卑弥呼さまを国家的象徴としたのと同じことでした。
ニギハヤヒさまの国譲り
ニギハヤヒさまは、日向と出雲、香久山の連合国家の大王でした。
素戔嗚尊さまとその一族の働きにより、渡来系の民族を退け、民衆をその圧制から解放することが出来たから可能となった2つの王朝の統一事業でした。
全国を統一した素戔嗚尊さまは、卑弥呼さまを国家的な象徴とすることにより、日向と出雲の和合を遂げました。その後を継いだ大国主さまが、日向と香久山の2つの王朝を和合させたのです。
この後、神武天皇を初代の大王とする葛城王朝が誕生するのです。しかし、実際の実権を握っていたのは、出雲の英雄素戔嗚尊さまであり、その後を継いだニギハヤヒさまだったのです。
ここに、国家の象徴としての権威と権力が分かれたのです。その後に、大陸国家への牽制として国家の象徴としての帝を、回帰系の皇族である騎馬系の民族に挿げ替えます。
これが、半島系の騎馬民族の血筋を引く10代目の崇神天皇であり、大陸系の騎馬民族の血筋を引く15代目の応神天皇だったのです。
ニギハヤヒさまの3人のお妃さま
ニギハヤヒさまには3人のお妃さまがおりました。古代王朝から連綿と受け継がれてきた巫女の血筋を引く瀬織津姫さまと、磐長姫(市杵島姫)さまともう一方です。
この方こそが弁財天さまだったのです。この方はその資質から木花咲耶姫と称されていたのです。
静岡浅間神社の大拝殿は神部浅間両神社の拝殿です。天井は十間の合天井となり、その各間に狩野栄信・狩野寛信の「八方睨みの龍」「迦陵頻伽」「天人」の天井絵が飾られています。
静岡浅間神社の大拝殿
「迦陵頻伽」「天人」
天女さまは渡来系の神さまを表しています。この天井画は、木花咲耶姫さまが渡来系の神さまである事の暗喩かと思われます。
また、静岡市清水区にある御穂神社には、大国主さまと三穂津姫命(みほつひめのみこと)さまが相殿に祭られています。
御穂神社
三穂津姫命さまは、三保松原の「羽衣の松」伝説で知られている天女さまのことです。三穂津姫命さまは、浅間神社に祭られている木花咲耶姫さまさまと同一神ではないかと推測されます。
三保松原
羽衣の松
イエスさまとマグダラのマリアさま
磔刑を免れたイエスさまは、その妻であるマグダラのマリアさまと共に日本に渡ります。その後、イエスさまは素戔嗚尊さまと共に、全国統一の偉業を成し遂げるのです。
つまり、出雲の英雄に仕えた大国主さまとはイエス・キリストさまのことであり、共に渡来してきた弁財天さまがマグダラのマリアさまだったのです。
マグダラのマリアさまは、記紀神話では天鈿女命 (あめのうずめのみこと)さまとも称されているのです。イエス・キリストさまは猿田彦大神さまとして登場します。
飛鳥の宮でニギハヤヒさまの補佐を行ったのが、瀬織津姫さまと磐長姫(市杵島姫命)さま、そして木花咲耶姫(マグダラのマリア)さまだったのです。
三者が共に「すなを」と「みやひ」を磨く「めのみち:女の道」を歩まれることで、市杵島姫命とマグダラのマリアさまも、やがて瀬織津姫の称号を得ることになるのです。
しかし、実際は市杵島姫命さまが「すなを」を担当し、マグダラのマリアさまが「みやひ」を担当されていたのです。二人が協働することで瀬織津姫の役割を演じていたのです。
マグダラのマリアさまはイシス神殿の巫女でしたから、霊的能力にも長けていたのです。ですから、霊的能力を意味する「すなを」の資質を多少は兼ね備えていたのです。
この関係性を暗喩する暗号が、八咫烏の暗号である複合神社三角陣封印結界の第五の三四五の結界です。
第五の三四五の結界
この結界を構成する3つの神社には、それぞれ、木花咲耶姫さまと磐長姫さま、そして瀬織津姫さまが祭られているのです。
雲見浅間神社:磐長姫さま
この結界の意味するところは、「みやひ」担当の木之花咲耶姫命さまと「すなを」担当の磐長姫さまが協働して瀬織津姫の役割を演じているということです。(注1)
また、木花咲耶姫さまと磐長姫さまもやがて瀬織津姫に至るという暗示を秘めた結界だったのです。
つまり3つのお社全てが、瀬織津姫を祭っていると観ることも出来るのです。これは、清水区折戸にある瀬織戸神社を観ることで分かるようになっているのです。
瀬織戸神社
瀬織戸神社の看板
この神社に秘められた暗号は次の通りです。
市杵島姫さま = 磐長姫 ⇒ 瀬織津姫
この神社には、二柱の瀬織津姫さまが混在して祭られていることになるのです。
瀬織津姫 = 市杵島姫さま + 弁財天さま
注1:三柱の女神さまに共通する関係性
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素戔嗚尊さまと饒速日尊さま
素戔嗚尊さまと饒速日尊さまは、国内に入り込み、人々を被支配下に置いて圧制を強いていた渡来系民族を駆逐しました。
その後、再び国内に入り込んだ渡来系の勢力により、素戔嗚尊さまと饒速日尊さまの霊は、複合神社三角陣封印結界の奥深くに封印されてしまったのです。
しかし、素戔嗚尊さまと饒速日尊さまの封印が解かれた時、現在の日本において圧制を強いている渡来系の民族である日本DSたちの駆逐が始まったのです。
これが、鳴門の仕組みである浄化の仕組みの発動だったのです。この浄化の仕組みが完了すると、いよいよ富士の仕組みである覚醒の仕組みが起動します。
覚醒の仕組みの起動は、EBS(全世界同時緊急放送システム)から始まるのではないかと観ています。
浄化の三女神さま
今の時代に、浄化の三柱の女神さまがお働きになられていると言われています。菊理姫尊さまと木花咲耶姫尊さま、そして瀬織津姫尊さまの三柱の女神さまです。
(注1)
浄化の三柱の女神さまは、素戔嗚尊さまと饒速日尊さまと同様に、それぞれがその分け御魂を現世に転生させているのです。
この三柱の女神さまたちは、ガイア(地球)を弥勒の世につなげる女神さまたちです。そして、ガイアアセンションの水面下にこの女神たちのサポートがあるのです。
ガイアの地表については皆さんが動いていかなくてはなりませんが、わたし達は見えない世界から、様々なサポートを常に受けているのです。
ガイアのアセンション計画を統括し管理している神さまが菊理姫尊さまになります。菊理姫尊さまは、聖母マリアさまに当たります。
木花咲耶姫尊さまはマグダラのマリアさまであり、天鈿女命さまです。そして、饒速日尊さまが、猿田彦大神さまでありイエス・キリストさまに当たるのです。
今回のガイアアセンション計画には、聖母マリアさまを筆頭に、イエス・キリストさまとマグダラのマリアさまが大いに関わっているということです。
注1:浄化の三柱の女神さま
世に落ちておいでなされた神々さまの引き上げ
日の出の巻 第二十帖 (二三三)より
この度は世に落ちておいでなされた
⦿⦿(かみがみ)様をあげねばならぬのであるぞ、
臣民もその通りざぞ、
世に落ちておいでなされた神々さまとは、素戔嗚尊さまと饒速日尊さま、菊理姫尊さまと瀬織津姫尊さま、そして木花咲耶姫尊さまと磐長姫尊さまの事を示唆しています。
磐長姫尊さまも、他の五柱の神々さまと同様に現世にその分け御魂を送り込んでいたのです。
世に落ちておいでなされた神々さまを上げる作業とは、神々さまの封印の解除と、その転生者の過去生に仕掛けられていた因縁の解消を示唆していたのです。(注1)
この因縁の解消の作業は、瀬織津姫(神大市比売)さまの転生者さまがが中心となられて行われました。
このように周到な準備を行いながら、覚醒の仕組みである富士の仕組みの起動条件を満たしてきたのです。
注1:因縁の解消
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