八咫烏はとある暗号を複合神社三角陣封印結界の中に潜めていました。
八咫烏の暗号と神社の暗号
八咫烏の暗号である複合神社三角陣封印結界を構成する神社には、さまざまな暗号が秘められています。
静岡浅間神社には、木之花咲耶姫命を祭る浅間神社と大国主命を祭る神部神社が相殿としてあります。通常相殿として祭られる神さまは、夫婦や親族であり非常に関係の深い神さまです。
また境内には、八千戈命を祭る八千戈神社があります。八千戈命は、神部神社の大己貴命(大国主命)の荒御魂神であるとされています。
八千戈神社
実際は、古代出雲王国の大国主さまを八千戈神社に祭り、出雲の英雄素戔嗚尊さまの時代の大国主さまを神部神社に祭っているのではないかと推測されるのです。
では、大国主さまと関係の深い木之花咲耶姫命さまとはいったい誰の事なのでしょうか?
木之花咲耶姫命さまは、瓊々杵命の妃神さまであるとされていますが、大国主さまと縁の深い別の木之花咲耶姫命さまを隠して祭っているように思えてならないのです。
大国主さまと木花咲耶姫さま
木花咲耶姫さまの正体
大国主さまが国譲りの後に、后として迎えたのが多紀理姫(たぎりひめ)さまです。
多紀理姫さまには、三穂津姫(みほつひめ)と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の別名があります。日向(ひむか)では木花咲耶姫と呼ばれ、出雲では三穂津姫と呼ばれていたのです。
多紀理姫さまは、出雲の素戔嗚尊さまと、大日霊女貴(おおひるめむち:日向の女王卑弥呼)さまの間に生まれた3人の女児のお一人とされています。
3人の女児の名は、多紀理姫(たぎりひめ)さま、市杵島姫(いちきしまひめ)さま、多岐津姫(たぎつひめ)さまでした。この3人の名は、古代出雲王朝時代の宗像三女人の名から付けられました。
この3人は三つ子であり、多紀理姫さまは0歳で病死し、多岐津姫さまは5歳で病死しています。成人したのが市杵島姫さまただお一人だったと云われています。(卑弥呼さまの転生者談)
では、大国主さまの妃となられた多紀理姫さまとはいったい誰だったのでしょうか?
天女伝説
静岡浅間神社では大己貴命(おおなむちのみこと:大国主)さまと木花咲耶姫さまが相殿で祀られています。相殿で祀られていることから、二神さまは夫婦神であると考えられます。
浅間神社に祀られている木花咲耶姫さまは、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)さまの妻神であるとしていますが、多紀理姫さまでもあるのです。こちらは隠されて密かに祀られているのです。
また、静岡県清水市にある御穂神社には、大己貴命さまと三穂津姫命(みほつひめのみこと)さまが、こちらも相殿で祀られています。こちらの三穂津姫命さまは、多紀理姫さまであり木花咲耶姫さまです。
御穂神社は、三保松原の「羽衣の松」に関係する神社として知られています。また、静岡浅間神社の本殿の天井画には天女の絵が描かれています。
この2つの暗号は、多紀理姫さまは渡来系の人物であることを示唆しているのです。
神社配列に隠された暗号
複合神社三角陣封印結界は8つの三角陣結界で構成されており、17の神社が配置されています。そして、幾つかの神社には暗号が秘められているのです。この暗号を読み解くことで、隠された歴史が浮かび上がってくる仕組みとなっているのです。
静岡市は秦氏が切り開いた街であり、徳川家康の居城駿府城がある土地です。何者かは、神社配置で作る三角陣結界により、将来この地が栄えるような仕組みを施していたのです。
三角陣結界には、「嘘」による「呪」が施されており、この「嘘」を見抜くことで三角陣結界本来の機能を取り戻すことが出来る仕掛けとなっていたのです。そして、この「呪」は、時が来るまで解けない仕様となっていたのです。
大国主さまと木花咲耶姫さまの暗号も、神社配列に仕掛けられた暗号の一つです。
瀬織津姫さまの暗号
静岡市清水区折戸にあるにある瀬織戸神社には、瀬織津姫さまが祭られているのですが、看板には天照大神さまの第二王女であり、別名弁財天さまであるとされているのです。
瀬織戸神社
瀬織戸神社の看板
天照大神さまは、大日霊女貴(おおひるめむち:日向の女王卑弥呼)さまのことです。
素戔嗚尊さまと天照大神さまの子である市杵島姫さまは、第二王女であったのですが、渡来系の弁財天さまではないのです。弁財天さまは、大国主さまと共に宝船に乗って海外からやってきた渡来系の神さまです。
市杵島姫さまは、その資質から磐長姫の称号を得ていたのですが、後に瀬織津姫の称号も得ることと成ります。ですから瀬織津姫であることには間違いはないのです。
市杵島姫さまとともに、ニギハヤヒさまの政務の補佐をしていた人物がいました。その資質から木之花咲耶姫命の称号を与えられていた弁財天さまです。
この方も後に、瀬織津姫の称号を得ることになるのです。ですから弁財天さまは瀬織津姫さまでもあるのです。整理すると次のようになります。
市杵島姫さま = 磐長姫 ⇒ 瀬織津姫
つまりこの神社には、2柱の瀬織津姫さまが混在して祭られていることになるのです。
瀬織津姫 = 市杵島姫さま & 弁財天さま
弁財天さまとは、大国主さまとともに渡来してきた渡来人であり、大国主さまと相殿で祭られている木之花咲耶姫命さまではないかと思えるのです。
この暗号は、第5の結界に隠されていました。磐長姫さまと木之花咲耶姫命さまは、瀬織津姫さまに昇格するという意味が込められている結界です。
雲見浅間神社:磐長姫さま
三四五の結界において、エネルギーの流れは次のようになります。
1:富士山頂浅間神社奥宮 --> 外心 --> 重心 --> 垂心(小坂熊野神社)
2:雲見浅間神社 --> 外心 --> 重心 --> 垂心(小坂熊野神社)
つまり、次のようになります。
「みやひ」の資質を持つ姫に与えられる称号が木之花咲耶姫命であり、「すなを」の資質を持つ姫に与えられた称号が磐長姫でした。そして双方の資質を持つ者に与えられた称号が瀬織津姫だったのです。
「みやひ」はカリスマ性と統治能力のことであり、「すなを」とは霊的能力のことであり、この2つの資質を極めんとする宮中官女たちの修行方法を「めのみち」と称していたのです。
第五の三四五の結界
イエスさまの空白の18年間
聖書にはイエスさまが12歳から30歳までの記録がありません。この間、一体何をしていたのかについての記述は、ルカによる福音書第2章52節のたったの一行しかないのです。
ルカによる福音書第2章42節から51節は、イエスがエルサレムの神殿で両親とはぐれて教師たちに神の教えを乞うというエピソードが書かれています。
イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
(略)そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。
(略)それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。
そして続く52節のこの1節です。この一行にイエスさまの空白の18年間が凝縮されているのです。
イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。
第3章で洗礼者ヨハネにより洗礼(バプテスマ)を受け、本格的に宣教を始めるのですがこの年齢が30歳であるとしています。第3章23節。
イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。
では12歳から30歳まで、イエスさまはどこで何をしていたのでしょうか?(注1)
注1:イエスさまの空白の18年間
イエス・キリスト来日説
「キリストは日本で死んでいる」の著者 中根キクは、イエスさまは若いころ日本に来て修行を積み、再びナザレの地に帰ったと書いています。(注1)
そして、イエスさまは日本を発つとき、時の帝(みかど)に再び日本に帰ってくるように諭されていたのだそうです。
磔刑に掛けられたのはイエスさまご本人ではなく、身代わりの者に差し替えられたと言われています。差し替えを行ったのは日本からやってきた使節団であったそうです。
身代わりの人物は、イエスさまの弟のイスキリだと言われています。
日本からやってきた使節団は、秦氏一族ではなかったかと推測しています。秦氏一族は月読尊さまの末裔であり、イエス様も月読尊さまの末裔だったからです。
ツキヨミ(月弓命)さまは、犯した罪故国外へ出奔します。このとき、一族と共に母のイサナミ(伊邪那美尊)さまを伴って黄泉の国(中東)へと赴いたのです。
日本神話における伊弉諾尊さまと伊邪那美尊さまの物語は、ツキヨミの罪を巡る諍いから、夫婦神が離別した状況を示唆しているのです。加具土命は、ツキヨミの象徴です。
この一族はその後聖書の民となり、三々五々日本へと回帰してきます。彼らは秦氏であり月弓氏でした。そして、古代イスラエル王国の失われた10士族として知られています。
中根キク 著
2組の聖家族
イエスさまの母である聖母マリアさまの子はイエスさまおひとりです。そしてマリアさまは若くして他界しています。
かりそめの妻である聖母マリアさまを若くして亡くしたイエスさまの父ヨセフは、同じく夫を亡くした親戚のマリアさまと婚姻を結びます。
こちらのマリアさまには幾人かの子供たちがいました。ですから、イスキリはイエスさまにとって義理の弟にあたるのです。
当時聖家族は2組いたのです。ナータン系の聖家族とソロモン系の聖家族です。ソロモン系のイエスさまは12歳の頃に亡くなります。そしてその霊はナザレのイエスさまの魂と融合したのです。(注1)
イエスさまが12歳の時のエルサレムの神殿でのエピソードは、ソロモン系のイエスさまの魂が融合した影響によるものです。
ソロモン系のイエスさまはゾロアスターの転生者でした。魔術に長けた魂だったのです。その後、イエスさまは、エジプトやインドに向かい修行を積んだとも言われています。そして、最後に日本に渡ったのかもしれません。
今回は、こうして再び日本に帰ってきたイエスさまの足どりを探ってゆきます。
注1:2組の聖家族
ルドルフ シュタイナー 著
西川 隆範 訳
日本での修行時代
このお話は、八咫烏が仕掛けた暗号である、複合神社三角陣封印結界の謎解きにあたっての考察に基ずく仮説です。
イエスさまが最初に来日して修行を行ったのは、畿内にある飛鳥宮(あすかのみや)であり、時の帝とは、この王朝の大王(おおきみ)である饒速日(にぎはやひ:世襲名)だったのです。
この王朝の名前は残されていません。地方豪族の扱いだったのかもしれません。ここでは、仮にニギハヤヒ王朝とか香久山(かぐやま)王朝と呼びます。
その昔、畿内の飛鳥宮にあった古代王朝は、渡来系民族に対応するために陣地の重層化を図りました。飛鳥宮に女系の血筋を残し、九州の筑紫宮(つくしのみや)に男系の血筋を移したのです。
宮中祭祀を行うにしても、神降ろしを行い神(先祖の霊人や霊団)から神託を受けるにしても、霊能力を有する巫女の存在が大事だったのです。
その血筋を絶やさないための処置でした。そして、この王朝の大王の世襲名が饒速日(ニギハヤヒ)だったのです。その后の世襲名は瀬織津姫(セオリツヒメ)でした。
男系の血筋は、渡来系民族との婚姻を結ぶことで彼らを恭順化し、和平への道を探っていたのです。
筑紫宮に移した王朝をウガヤフキアエズ王朝と呼びます。そして、73代目のウガヤフキアエズが神武天皇です。
古代出雲王国
古代にあった出雲王国はインドから回帰してきた回帰系の日本人と、古くから出雲の地を治めていた氏族による連合王国でした。
その昔、喜界カルデラが噴火して西日本一帯が居住に適さなくなったころ、多くの日本人たちが海を渡ったのです。およそ、7,300年ほど昔の事でした。
日本人の一部はシュメール地方に移り住み、ウバイド文化を築きます。この地での金の採取を行い、金の産出量が減少した頃に、他の民族にこの地を譲りインドに移り住みます。
ウバイド文化の後に興隆したのがシュメール文明です。なぜ、ウバイド文明ではないのか?このあたりに、文明を譲られた側の嫉妬心が垣間見えます。
インドに移った日本人たちは新たな文明を築きます。これがインダス文明です。その後、彼らは日本に回帰し、南下して出雲に定住したのです。これが古代出雲王国です。
当時の王朝は2人の世襲制の指導者によって治められていました。主王である大名持(おおなもち)と副王の少名彦(すくなひこ)です。
古代出雲王国には2つの氏族がいました。西出雲王家と東出雲王家です。それぞれの王家は交互に主王と副王を選出していたのです。
徐福の来襲と大国主さまの幽閉殺害
紀元前2世紀末に、徐福(じょふく)の一行が出雲の地に降り立ちます。徐福の忠実な部下のであった矛卑(ほひ)により時の主王と副王は幽閉殺害されてしまいます。
このとき殺害された主王が第八代主王、大名持の八千矛(やちほこ)王(大国主)です。副王八重波津身(やえなみつみ)は事代主(ことしろぬし)と書き換えられ、のちには恵比寿(えびす)さんと呼ばれるようになりました。
徐福の来襲により、古代出雲王国の皇子たちは大和の地に移り住みます。そのため、大和の地には、大国主や事代主を祭る神社が多数存在しているのです。
その後、古代出雲王国に代わる出雲の地の大王は世襲制の素戔嗚尊となりました。出雲の英雄素戔嗚尊さまが登場するのはさらに後の時代の事と成ります。
出雲の英雄素戔嗚尊さま
出雲の英雄素戔嗚尊さまは回帰系の日本人であり、古代王朝の帝の血筋を引く皇族の末裔でした。
素戔嗚尊さまは、当時の日本に深く入り込んでいた渡来系の侵略者たちを退け、東は現在の大宮付近まで統一したのです。
素盞鳴尊さまは、当時侵略者の圧政に苦しんでいた人々を解放し、善政を敷いた偉大な英雄だったのです。それゆえ、出雲の英雄と称されているのです。(注1)
渡来系民族の支配体制を打倒した素戔嗚尊さまは、在来の勢力の象徴である卑弥呼さまを国家的象徴とし、自らはそれを支える実質的支配者とする国家体制を築いたのです。
卑弥呼さまは、日向の女王であり後の時代の権力者によって天照大神と称されました。
素戔嗚尊さまとその一族は、この列島を征服した覇者であるのですが、自らの勢力は、この列島には後からやって来たのだと、あくまで先住勢力を上に称えたのです。
卑弥呼さまの前に素戔嗚尊さまの妻となられたのが秦氏一族の神大市比売(かむおおいちひめ)さまです。神大市比売さまは、瀬織津姫の称号を持たれていました。
秦一族は月読尊さまの末裔です。月読尊さまは犯した罪故国外に出奔されたのですが、女系の血筋は瀬織津姫として継承されていたのです。
それゆえ、素戔嗚尊さまと瀬織津姫尊さまが相殿で祀られる神社が残されているのです。静岡市内にある中島神社(中原)、水神社(中野新田)がその一例です。
しかし、卑弥呼さまが素戔嗚尊さまの新たな妻となると、末子相続の習慣故、統一国家の継承権が日向に移ったのです。
そのため、神大市比売さまは息子の大歳と娘の宇迦之御魂神を伴って秦氏一族の国へと還るのです。
この大歳さまこそが、素戔嗚尊さまと神大市比売さまの養子となられたイエス・キリスト(大国主)さまではなかったかと推測しています。
先ずは、出雲と日向を和合させ、その後に秦氏一族の国(ニギハヤヒ王朝)と出雲と日向の連合国とを融合させるための手はずだったのです。
後に、日向の王子 神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)と、素戔嗚尊さまと卑弥呼さまの娘 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)さまが機内入りするのです。この旅は、東征ではなく、婿入り嫁入りの旅だったのです。
この後、統一国家大和が誕生するのです。初代大王(おおきみ)には、神日本磐余彦天皇(神武天皇)が就任されたのです。しかし、本来の皇祖と呼べる人物はその前の大王であった、饒速日命(大国主:イエス・キリスト)だったのです。
それ故、秦氏の創建した伊勢神宮の内宮 皇大神宮に祭られている天照大御神さまの正体はイエス・キリストなのです。これが、今日まで隠され続けてきたこの国最大の秘密なのです。
天照御大神さまの名は幾通りかあります。これを次のように解釈しています。
天照御大神(あまてらすおおみかみ)
= アマテルヲヲンカミ(ホツマツタエ):男神
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
= イエス・キリスト = 饒速日命 = 大国主 = 天照御大神:男神
大日孁貴(おおひるめのむち)
= 卑弥呼:女神
天照大神(あまてらすおおかみ)
= 天照御大神 = 天照皇大神 = 大日孁貴
=マコトノ天照大神:豊雲之尊
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
和御魂 = ?
奇御魂 = 天照皇大神
荒御魂 = 瀬織津姫 (注2)
幸御魂 = 天照大御神
注1:善政を敷いた偉大な英雄素盞鳴命さま
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注2:天照坐皇大御神
tukishiro-art-lab.hatenablog.com
二人の大国主さま
最初の大国主さまとは古代出雲王国の主王の一人であり、BC3世紀頃にやってきた徐福の部下 矛卑(ほひ)に幽閉殺害された第八代主王の八千矛王の事だったのです。
AD1世紀頃の出雲の大国主さまは、素戔嗚尊さまと共に渡来系の侵略者たちを退け、全国を統一した後に、日向の女王卑弥呼さまと婚姻を結び、日向と和合したのです。
このように、大国主さまは2人いらっしゃるのです。記紀では、2人の大国主をごちゃ混ぜにして記しているので、その出自があやふやになってしまっているのです。
その後、素戔嗚尊さまは引退なされ、後継者として大国主さまが出雲と日向の連合国家の大王となられたのです。よほど優秀な人物だったのでしょう。
しかし、大国主さまの出自は謎です。一体、大国主さまはどこからやってきたのでしょうか?
七福神の乗る宝船には大国主(大黒)さまの姿を見ることが出来ます。大国主さまは、渡来系の人物だった可能性があるのです。
イエス・キリストさまとマグダラのマリアさま
素戔嗚尊さまの後を継ぎ、出雲と日向の連合国家の大王となられた大国主さまの正体は、イエス・キリストさまであると観ています。
そして、静岡浅間神社にお祭られている木之花咲耶姫命さまこそが、イエス・キリストさまの妻であるマグダラのマリアさまであると観ているのです。
八咫烏はとある暗号を複合神社三角陣封印結界の中に潜めていました。この暗号こそが、静岡浅間神社に隠されたイエス・キリストさまとマグダラのマリアさまに関する暗号だったのです。
次回は、このあたりのお話をもう少し掘り下げてみます。
奈良の大仏はイエス・キリストさま
2019年2月に発刊された歴史ミステリー小説『アマテラスの暗号』で、伊勢神宮に祀られている天照大神の正体はイエス・キリストであると公開されています。
また、天照大神は、本地垂迹説では密教の大日如来とされています。この事実を表現した重文があるのです。
そして奈良の大仏、盧遮那仏(るしゃなぶつ)は大日如来です。したがって、東大寺に鎮座まします大仏さまはイエス・キリストさまだったのです。(注1)
イエス・キリスト = 天照大神 = 大日如来 = 奈良の大仏
注1:大仏さまはイエスさま
tukishiro-art-lab.hatenablog.com
2025年7月9日再設定
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