ののの備忘録

『日月神示』の解読と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。「神一厘の仕組み」と「テンバガー投資法」

イエス・キリストさまと大国主さま 1

八咫烏はとある暗号を複合神社三角陣封印結界の中に潜めていました。

静岡浅間神社 浅間神社

 御祭神:木之花咲耶姫命さま = マグダラのマリアさま

神部神社

 御祭神:大国主命さま = イエス・キリストさま

八咫烏の暗号と神社の暗号

 八咫烏の暗号である複合神社三角陣封印結界を構成する神社には、さまざまな暗号が秘められています。

 

 静岡浅間神社には、木之花咲耶姫命を祭る浅間神社大国主命を祭る神部神社が相殿としてあります。通常相殿として祭られる神さまは、夫婦や親族であり非常に関係の深い神さまです。

 

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 静岡浅間神社浅間神社神部神社

 

 また境内には、八千戈命を祭る八千戈神社があります。八千戈命は、神部神社大己貴命(大国主命)の荒御魂神であるとされています。

 

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 八千戈神社

 

 実際は、古代出雲王国の大国主さまを八千戈神社に祭り、出雲の英雄素戔嗚尊さまの時代の大国主さまを神部神社に祭っているのではないかと推測されるのです。

 

 では、大国主さまと関係の深い木之花咲耶姫命さまとはいったい誰の事なのでしょうか?

 

 木之花咲耶姫命さまは、瓊々杵命の妃神さまであるとされていますが、大国主さまと縁の深い別の木之花咲耶姫命さまを隠して祭っているように思えてならないのです。

 

瀬織津姫さまの暗号

 静岡市清水区折戸にあるにある瀬織戸神社には、瀬織津姫さまが祭られているのですが、看板には天照大神さまの第二王女であり、別名弁財天さまであるとされているのです。

 

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 瀬織戸神社

 

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 瀬織戸神社の看板

 

 素戔嗚尊さまと天照大神さまの子である市杵島姫さまは、第二王女であったのですが、渡来系の弁財天さまではないのです。弁財天さまは、大国主さまと共に宝船に乗って海外からやってきた渡来系の神さまです。

 

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 アマテラスとスサノオの誓約と宗像三女神

 

 市杵島姫さまは、その資質から磐長姫の称号を得ていたのですが、後に瀬織津姫の称号も得ることと成ります。ですから瀬織津姫であることには間違いはないのです。

 

 市杵島姫さまとともに、ニギハヤヒさまの政務の補佐をしていた人物がいました。その資質から木之花咲耶姫命の称号を与えられていた弁財天さまです。

 

 この方も後に、瀬織津姫の称号を得ることになるのです。ですから弁財天さまは瀬織津姫さまでもあるのです。整理すると次のようになります。

 

市杵島姫さま = 磐長姫     ⇒ 瀬織津姫

弁財天 さま = 木之花咲耶姫命 ⇒ 瀬織津姫

 

 つまりこの神社には、2柱の瀬織津姫さまが混在して祭られていることになるのです。

 

瀬織津姫 = 市杵島姫さま & 弁財天さま

 

 弁財天さまとは、大国主さまとともに渡来してきた渡来人であり、大国主さまと相殿で祭られている木之花咲耶姫命さまではないかと思えるのです。

 

  この暗号は、第5の結界に隠されていました。磐長姫さまと木之花咲耶姫命さまは、瀬織津姫さまに昇格するという意味が込められている結界です。

 

 小坂熊野神社瀬織津姫伊邪那美尊)さま

 富士山頂浅間神社奥宮:木之花咲耶姫命さま

 雲見浅間神社:磐長姫さま

 

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 第五の三四五の結界

 

エスさまの空白の18年間

 聖書にはイエスさまが12歳から30歳までの記録がありません。この間、一体何をしていたのかについての記述は、ルカによる福音書第2章52節のたったの一行しかないのです。

 

 ルカによる福音書第2章42節から51節は、イエスエルサレムの神殿で両親とはぐれて教師たちに神の教えを乞うというエピソードが書かれています。

 

 

エスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。

 

(略)そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。

 

聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。

 

(略)それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。

 

 そして続く52節のこの1節です。この一行にイエスさまの空白の18年間が凝縮されているのです。

 

 

エスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。

 

 第3章で洗礼者ヨハネにより洗礼(バプテスマ)を受け、本格的に宣教を始めるのですがこの年齢が30歳であるとしています。第3章23節。

 

 

エスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。

 

では12歳から30歳まで、イエスさまはどこで何をしていたのでしょうか?(注1)

 

注1:イエスさまの空白の18年間

reki.hatenablog.com

 

イエス・キリスト来日説

 「キリストは日本で死んでいる」の著者中根キクは、イエスさまは若いころ日本に来て修行を積み、再びナザレの地に帰ったと書いています。(注1)


 そして、イエスさまは日本を発つとき、時の帝(みかど)に再び日本に帰ってくるように諭されていたのだそうです。

 

 磔刑に掛けられたのはイエスさまご本人ではなく、身代わりの者に差し替えられたと言われています。差し替えを行ったのは日本からやってきた使節団であったそうです。

 

 身代わりの人物は、イエスさまの弟のイスキリだと言われています。

 

注1:キリストは日本で死んでいる

 中根キク 著

 

2組の聖家族

 イエスさまの母である聖母マリアさまの子はイエスさまおひとりです。そしてマリアさまは若くして他界しています。

 

 かりそめの妻である聖母マリアさまを若くして亡くしたイエスさまの父ヨセフは、同じく夫を亡くした親戚のマリアさまと婚姻を結びます。

 

 こちらのマリアさまには幾人かの子供たちがいました。ですから、イスキリはイエスさまにとって義理の弟にあたるのです。

 

 当時聖家族は2組いたのです。ナータン系の聖家族とソロモン系の聖家族です。ソロモン系のイエスさまは12歳の頃に亡くなります。そしてその霊はナザレのイエスさまの魂と融合したのです。(注1)

 

 イエスさまが12歳の時のエルサレムの神殿でのエピソードは、ソロモン系のイエスさまの魂が融合した影響によるものです。

 

 ソロモン系のイエスさまはゾロアスターの転生者でした。魔術に長けた魂だったのです。その後、イエスさまは、エジプトやインドに向かい修行を積んだとも言われています。そして、最後に日本に渡ったのかもしれません。

 

 今回は、こうして再び日本に帰ってきたイエスさまの足どりを探ってゆきます。

 

注1:2組の聖家族

仏陀からキリストへ

ルドルフ シュタイナー 著 

西川 隆範 訳

 

日本での修行時代

 このお話は、八咫烏が仕掛けた暗号である、複合神社三角陣封印結界の謎解きにあたっての考察に基ずく仮説です。

 

 イエスさまが最初に来日して修行を行ったのは、畿内にある飛鳥宮(あすかのみや)であり、時の帝とは、この王朝の大王(おおきみ)である饒速日(にぎはやひ:世襲名)だったのです。

 

 この王朝の名前は残されていません。地方豪族の扱いだったのかもしれません。ここでは、仮にニギハヤヒ王朝とか香久山(かぐやま)王朝と呼びます。

 

 その昔、畿内飛鳥宮にあった古代王朝は、渡来系民族に対応するために陣地の重層化を図りました。飛鳥宮に女系の血筋を残し、九州の筑紫宮(つくしのみや)に男系の血筋を移したのです。

 

 宮中祭祀を行うにしても、神降ろしを行い神(先祖の霊人や霊団)から神託を受けるにしても、霊能力を有する巫女の存在が大事だったのです。

 

 その血筋を絶やさないための処置でした。そして、この王朝の大王の世襲名が饒速日(ニギハヤヒ)だったのです。その后の世襲名は瀬織津姫(セオリツヒメ)でした。

 

 男系の血筋は、渡来系民族との婚姻を結ぶことで彼らを恭順化し、和平への道を探っていたのです。

 

 筑紫宮に移した王朝をウガヤフキアエズ王朝と呼びます。そして、73代目のウガヤフキアエズ神武天皇です。

 

古代出雲王国

 古代にあった出雲王国はインドから回帰してきた回帰系の日本人と、古くから出雲の地を治めていた氏族による連合王国でした。

 

 その昔、喜界カルデラが噴火して西日本一帯が居住に適さなくなったころ、多くの日本人たちが海を渡ったのです。およそ、7,300年ほど昔の事でした。

 

 日本人の一部はシュメール地方に移り住み、ウバイド文化を築きます。この地での金の採取を行い、金の産出量が減少した頃に、他の民族にこの地を譲りインドに移り住みます。

 

 ウバイド文化の後に交流したのがシュメール文明です。なぜ、ウバイド文明ではないのか?このあたりに、文明を譲られた側の嫉妬心が垣間見えます。

 

 インドに移った日本人たちは新たな文明を築きます。これがインダス文明です。その後、彼らは日本に回帰し、南下して出雲に定住したのです。これが古代出雲王国です。

 

 当時の王朝は2人の世襲制の指導者によって治められていました。主王である大名持(おおなもち)と副王の少彦(すくなひこ)です。

 

 古代出雲王国には2つの氏族がいました。西出雲王家と東出雲王家です。それぞれの王家は交互に主王と副王を選出していたのです。

 

徐福の来襲と大国主さまの幽閉殺害

 紀元前2世紀末に、徐福(じょふく)の一行が出雲の地に降り立ちます。徐福の忠実な部下のであった矛卑(ほひ:今の出雲大社宮司家の祖先)により時の主王と副王は幽閉殺害されてしまいます。

 

 このとき殺害された主王が第八代主王、大名持の八千矛(やちほこ)王(大国主)です。副王八重波津身(やえなみつみ)は事代主(ことしろぬし)と書き換えられ、のちには恵比寿(えびす)さんと呼ばれるようになりました。

 

 徐福の来襲により、古代出雲王国の皇子たちは大和の地に移り住みます。そのため、大和の地には、大国主や事代主を祭る神社が多数存在しているのです。

 

 その後、古代出雲王国に代わる出雲の地の大王は世襲制素戔嗚尊となりました。出雲の英雄素戔嗚尊さまが登場するのはさらに後の時代の事と成ります。

 

出雲の英雄素戔嗚尊さま

 出雲の英雄素戔嗚尊さまは回帰系の日本人であり、古代王朝の帝の血筋を引く皇族の末裔でした。

 

 素戔嗚尊さまは、当時の日本に深く入り込んでいた渡来系の侵略者たちを退け、東は現在の大宮付近まで統一したのです。

 

 素盞鳴尊さまは、当時侵略者の圧政に苦しんでいた人々を解放し、善政を敷いた偉大な英雄だったのです。それゆえ、出雲の英雄と称されているのです。(注1)

 

 渡来系民族の支配体制を打倒した素戔嗚尊さまは、在来の勢力の象徴である卑弥呼さまを国家的象徴とし、自らはそれを支える実質的支配者とする国家体制を築いたのです。

 

 卑弥呼さまは、日向の女王である神大市比売(かむおおいちひめ)さまのことであり、後に天照大神と称されました。

 

 素戔嗚尊さまとその一族は、この列島を征服した覇者であるのですが、自らの勢力は、この列島には後からやって来たのだと、あくまで先住勢力を上に称えたのです。

 

注1:善政を敷いた偉大な英雄素盞鳴命さま

tukishiro-art-lab.hatenablog.com

 

二人の大国主さま

 大国主とは古代出雲王国の主王の一人であり、今の出雲大社宮司家の祖先である矛卑(ほひ)に幽閉殺害された第八代主の八千矛王の事だったのです。

 

 つまり、出雲大社に祭られている大国主さまは、記紀神話に出てくる、素戔嗚尊さまの元で修行をしていた、因幡の白兎の故事にある大国主さまとは全くの別人だったのです。

 

 素戔嗚尊さまは、大国主さまと共に渡来系の侵略者たちを退け、全国を統一した後に、日向の女王卑弥呼さまと婚姻を結び、日向と和合したのです。

 

 その後、素戔嗚尊さまは引退なされ、後継者として大国主さまが出雲と日向の連合国家の大王となられたのです。よほど、優秀な人物だったのでしょう。

 

 しかし、大国主さまの出自は謎であるとされています。一体、大国主さまはどこからやってきたのでしょうか?

 

 七福神の乗る宝船には大国主(大黒)さまの姿を見ることが出来ます。大国主さまは、渡来系の人物だった可能性があるのです。

 

イエス・キリストさまとマグダラのマリアさま

 素戔嗚尊さまの後を継ぎ、出雲と日向の連合国家の大王となられた大国主さまの正体は、イエス・キリストさまであると観ています。

 

 そして、静岡浅間神社にお祭られている木之花咲耶姫命さまこそが、イエス・キリストさまの妻であるマグダラのマリアさまであると観ているのです。

 

 八咫烏はとある暗号を複合神社三角陣封印結界の中に潜めていました。この暗号こそが、静岡浅間神社に隠されたイエス・キリストさまとマグダラのマリアさまに関する暗号だったのです。

 

 静岡浅間神社

 浅間神社 御祭神:木之花咲耶姫命さま=マグダラのマリアさま

 神部神社 御祭神:大国主命さま=イエス・キリストさま

 

 次回は、このあたりのお話をもう少し掘り下げてみます。

 

奈良の大仏イエス・キリストさま

 2019年2月に発刊された歴史ミステリー小説『アマテラスの暗号』で、伊勢神宮に祀られている天照大神の正体はイエス・キリストであると公開されています。

 

 イエス・キリスト天照大神

 

 また、天照大神は、本地垂迹説では密教大日如来とされています。この事実を表現した重文があるのです。

 

 イエス・キリスト天照大神大日如来

 

 そして奈良の大仏、盧遮那仏(るしゃなぶつ)は大日如来です。したがって、東大寺に鎮座まします大仏さまはイエス・キリストさまだったのです。(注1)

 

 イエス・キリスト天照大神大日如来奈良の大仏

 

注1:大仏さまはイエスさま

tukishiro-art-lab.hatenablog.com

 

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