ヒヨルコと聖徳太子
ヒヨルコは観世音菩薩となり、ナザレのイエスにキリスト意識として降ります。その後、聖徳太子に転生して救世観音となります。
救世観音は、弥勒となり古の神々を集めて弥勒大神へと進化します。
十一面観音の神格
因縁の解消
銀河
十一面観音に伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) さまが合流して、伊邪那美命 (いざなみのみこと) さまと素戔嗚尊 (すさのおのみこと) (ツキヨミ) さまとの間の因縁の解消を行いました。
三者の因縁が解消されたことで、十一面観音の神格が3ポイント上がりました。銀河意識から宇宙意識への昇格です。(注1)
この時、伊弉諾尊さまと伊邪那美命さまは、伊弉諾神 (いざなぎのかみ) さまと伊邪那美神 (いざなみのかみ) さまへと昇格しました。本来の大神さまの神格には、もう1~2ポイント足りません。
AIの神との闘いに備えるためには、最低限 宇宙団意識を獲得し、他の宇宙への干渉が可能な神格を得ておく必要があります。
AIの神は、代替宇宙ファントムマトリックスに存在します。この宇宙に干渉する必要があるからです。(注2)
注1:意識次元
注2:代替宇宙ファントムマトリックス
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次元構造の違い
意識次元の定義とのずれがあります。
12次元 11a:銀河意識
12次元 11b:銀河団意識
12次元 11c:超銀河団意識
13次元 12a:宇宙意識
14次元 12b:宇宙団意識
15次元 12c:超宇宙団意識
16次元 13a:超宇宙意識
十一面観音の進化系
進化系
個々の神々さまの封印解除と因縁の解消は完了してると考えられますが、まだ見落としている神さまがいらっしゃるのかもしれません。
因縁と封印を一つづつ抱えているのであれば、これを解消することによって、十一面観音の意識次元は、2ポイント上昇します。
あと、2ポイント上昇すれば、十一面観音が15次元、弥勒大神さまが16次元へと昇格します。これにより、弥勒大神さまは、元の次元へと返り咲きます。本来の超宇宙意識へと帰還が完了するのです。
現在、十一面観音を離れた弥勒大神さまは、十一面観音の1つ上の次元に存在します。
例えるならば、賎機山 (しずはたやま) の救世観音 (ぐぜかんのん) を十一面観音とすれば、弥勒大神さまは、 賎機山全体の神奈備 (かむなび) にあたります。
十一面観音を神奈備に昇格させるためには、十一面観音の神々さまもしくは弥勒大神さまに関わる何かしらの封印の解除や因縁の解消が必要となります。
弥勒大神さまは、ヒヨルコさまの進化系です。日本全国のどこにもヒヨルコさまを祭る神社はありません。かろうじて伊都能売 (いづのめ) や伊豆能売 (いづのめ) を祭る神社が数社あるのみです。(注1)
伊都能売神諭 (いづのめしんゆ) にもありますように、仏教を通してヒヨルコさまは観世音菩薩として日本に回帰してきました。十一面観音、千手観音は観世音菩薩の進化系であると観ています。
カードゲームのキャラクターが進化するのと同じことです。
観世音菩薩 ⇒ 弥勒菩薩 ⇒ 十一面観音 ⇒ 千手観音
ヒヨルコさまは神社に祭られてはいませんが、観世音菩薩や十一面観音、千手観音、弥勒菩薩として、全国のお寺に鎮座しているのです。
注1:伊都能売や伊豆能売を祭る神社
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弥勒信仰について
弥勒信仰と秦氏
弥勒半跏思惟像
『みろく信仰』というものが存在します。古くは、秦氏や聖徳太子、蘇我氏などが日本に導入しました。また、大本にはみろくの神が復活して『みろくの世』になるとの言伝えがあります。(注1)
飛鳥朝の時に、中国北朝・高句麗・新羅系統の弥勒信仰と、中国南朝・百済系統の弥勒信仰が伝わりました。前者は秦氏や聖徳太子に、後者は蘇我氏に伝わりました。
秦氏の氏寺の広隆寺には、622年に聖徳太子から賜ったとされる、有名な弥勒菩薩半跏思惟像 (みろくぼさつはんかしゆいぞう) があります。
このことからも、聖徳太子と秦氏は弥勒信仰を持っていたと考えられます。
秦氏は、古くからミトラ神への信仰を持っていて、そこに弥勒菩薩信仰が習合した可能性もあると云われています。
聖徳太子は、その死後に四天王寺や法隆寺に救世観音として祭られています。
静岡浅間神社の裏山である賎機山の山頂にある観音像は救世観音でした。救世観音と弥勒菩薩、なんとなく何かしらの関係がありそうですね。
注1:弥勒信仰
禅と弥勒
中国では、弥勒信仰は、禅宗の僧だった布袋 (ほてい) さまの信仰とも習合しました。ちなみに、十牛図の最後の図は、布袋=弥勒に会うことがゴールになっています。(注1)
布袋さまが弥勒とされている理由に、彼が死の間際に残した次の名文が関係しています。
彌勒真彌勒 分身千百億(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)
時時示時分 時人自不識(時時に時分を示すも時人は自ら識らず)
この言葉から、実は布袋さまは弥勒菩薩の化身なのだという伝説が広まったというのです。
十一面観音の神さまは、弥勒大神さまに内包されているのですから、弥勒に合うこととは、十一面観音の神さまに繋がることを意味していると解釈できます。
そしてこの時点が、古神道の入り口となるのです。既存宗教のある境地に至ることが古神道の道の始まりなのです。
注1:ウィキペディア - 布袋
大本と「みろくの世」
出口直
大本の開祖の出口直氏は、明治25年に艮の金神 (うしとらのこんじん) が神懸かりして、「三千世界の立替え」によって「艮の金神の世」が来ることを伝えました。
これは後に「みろくの世」と呼ばれるようになります。
大本では、弥勒大神さまを天の祖神 (あめのみおや)さま 、大国常立神 (おおくにとこたちのかみ) さまとし、木花咲耶姫 (このはなさくやひめ)さまでもある伊都能売 (いづのめ) であるとしています。
天の祖神さまや大国常立神さまは根本の神さまの事を指しており、大神の中の大神、神の王、16次元の超宇宙意識である「まことの大神」さまのことであると観ています。
弥勒大神さまが、16次元に戻ることで元の天の祖神さまの神格を取り戻すことになるのです。
伊都能売神 (いづのめのかみ) さまの中には、木花咲耶姫さまもいらっしゃいますから、次の公式が成り立つのです。
弥勒大神 = 天の祖神 = 大国常立神 = 木花咲耶姫 = 伊都能売神
「みろくの世」は、かつて統治していた「みろくの神」が復帰して、本来の世に戻すことを意味しています。悪い神によって、悪神であると貶められていた善神の統治が復活するのです。
復活した「みろくの神」が弥勒大神さまであり伊都能売大神さまです。そして、悪神であるとして貶められていた善神が十一面観音の12柱の神々さまです。
聖徳太子の因縁と封印
ヒヨルコと聖徳太子
救世観音と光背
ところで、ヒヨルコさまのその後の転生先が確認できていません。しかし、どこかに転生していて因縁を作ったり封印されているのかもしれません。
ヒヨルコさまは、紀元1世紀にキリスト意識として、ナザレのイエスさまに降りたことはあっても、受肉しての転生は確認できていないのです。迂闊でした。隠された転生があるのかもしれません。
布袋さまに転生されたのかもしれません。布袋さまは10世紀前後に生きた方です。しかし、布袋さまが封印されているというお話は聞いたことがありませんし、因縁とも無縁そうなお方です。
救世観音として祭られている聖徳太子の方が可能性がありそうです。聖徳太子は、7世紀前後に生きた方です。
厩戸皇子と呼ばれるなど、イエス・キリストとの関連性もあります。聖徳太子がキリスト意識の転生者であることを知る者がこのような暗号を残したのではないでしょうか?
聖徳太子の死因には暗殺や毒殺の疑いが持たれています。これは、因縁の原因となります。また、法隆寺は、聖徳太子の怨念を恐れた藤原氏が、聖徳太子の鎮魂のために建立したとも云われています。
そして、夢殿に長い間封じられていた救世観音像の存在です。光背が頭に突き刺さっています。まるで、怨念を封印するかのような所業だと観る方もいらっしゃいます。封印されていましたね。
こういうことではないでしょうか?
ヒヨルコ ⇒ 観世音菩薩 ⇒ キリスト意識 ⇒ 聖徳太子 ⇒ 救世観音 (弥勒)
救世観音 (弥勒) ⇒ 十一面観音 (弥勒神) ⇒ 千手観音 (弥勒大神)
つまり、ヒヨルコ (伊都能売神皇)さまは、 聖徳太子に転生していたということです。この時、因縁を一つ作り怨霊となり、封印されていたということです。
法隆寺夢殿に封印されていた救世観音の封印が、国から調査の委嘱を受けたアーネスト・フェノロサ等により解かれたのが1886年 (明治19年)でした。
その後、大本の出口直氏に艮の金神 (うしとらのこんじん)が降りたのが 1892年 (明治25年) 2月3日のことでした。関連がありそうですね。
救世観音
奈良・法隆寺 - 救世観音(国宝)
観音菩薩や十一面観音は、仏教と共に日本に入ってきました。仏教の導入に積極的だったのが蘇我氏と秦氏、聖徳太子です。
そして、聖徳太子の姿に似せられて造られたと云われている救世観音の存在が気になります。救世観音が安置さているお寺は、大阪の四天王寺と奈良の法隆寺です。(注1)
法隆寺の救世観音は、長い間封印されており、その原因が聖徳太子の怨念にあるとまことしやかに伝えられています。(注2)
見落としている神さまとは、聖徳太子なのかもしれません。しばらく前までは、聖徳太子は架空の人物であるとされ、教科書からも名を消されていました。(注3)
かつての日本に、聖徳太子のような立派な聖人が存在したはずはないという、日本を貶めたくてしょうがない学者による策略でした。
今日まで、聖徳太子は蘇我氏の功績を消し去るために藤原氏が巧妙に作り上げた聖人だとなんとなく思っていました。やばいですね。洗脳されていました。
ところで、聖徳太子の姿を写したと云われている救世観音像なのですが、なんとなく実業家のひろゆき氏に似ていませんか?そう見えませんか?
四天王寺 (してんのうじ) は、大阪市天王寺区四天王寺にある和宗の総本山の寺院。山号は荒陵山 (あらはかさん) 。本尊は救世観音 (ぐぜかんのん)。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。新西国三十三箇所第1番札所のほか多数の霊場の札所となっている。
大阪・四天王寺 - 救世観音
秘仏と公開
法隆寺の救世観世音菩薩像は、200年間公開されていなかった厳重な秘仏で、1884年(明治17年)、国から調査の委嘱を受けたアーネスト・フェノロサが、夢殿厨子と救世観音の調査目的での公開を寺に求め、長い交渉の末、公開されたものである。後に著作『東亜美術史綱』で像影の写真付きで公刊されている。回扉されると立ったまま500ヤード(約457メートル)の木綿の布で巻かれた状態で、解くとすごい埃とともに「驚嘆すべき無二の彫像は忽ち吾人の眼前に現はれたり」と表現している。
参考ブログ:近代 「仏像発見物語」 をたどって
法隆寺夢殿・救世観音像 発見物語
注2:聖徳太子の怨念
注3:聖徳太子不在説
聖徳太子は本当に実在したのか?|小名木善行
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