伊都能売と出雲
仏陀の時代
観自在菩薩
先の記事で、伊都能売さまがインドに赴き観自在菩薩となり、シッタ(後の仏陀)を教導したというお話をしました。
しかし、伊都能売さまは3,300年ほど前の人であり、仏陀は2,500年ほど前の人ですから、時代が合いません。
ところが、「キリストは日本で死んでいる」の著者 山根キク氏は、仏陀は3,000年ほど前の人だと指摘しています。通説の2,500年前は間違いであると言うのです。
また、宮下文書は、当時の皇族の寿命が非常に長かったと記しています。国常立尊さまは、齢16万600日、およそ412歳まで生きたと云います。これで、伊都能売さまと仏陀の時代が合います。
3,300年ほど前に日本を離れた伊都能売さまは、中原からインドに赴き、邪神となった大自在天の世を観察します。インドには、国常立尊さまの皇子が派遣された王朝がありました。
彼らの身を案じ、日本に連れ帰る手はずを整えます。およそ、3,000年ほど前の事です。後に彼らは出雲に定着し、祖佐男命さまの末裔たちと和合します。ここに、古代出雲王国が誕生するのです。
古代出雲王国には2つの氏族がいて、主王と副王を交互に出していたという背景には、こうした事情があったからです。
今回は、このあたりのお話をしながら伊都能売さまの正体に迫ります。あくまでも、想像に基ずく仮説です。
宮下文書の蛭子命
恵比寿さま
宮下文書では、伊弉諾尊さまと伊邪那美尊さまの皇子を、長女の天照大御神(あまてらすおおみかみ)、長男の月峰命(つきみねのみこと)、次男の蛭子命(ひるこのみこと)、別名栄日子命(えびすのみこと)としています。
蛭子命が伊都能売さまなのですが、宮下文書は「蛭子命は、海を司るだけではなく、漁業を広めた」と記しています。
祖佐男命さまが出雲に納まった後、天照大御神さまは弟の蛭子命さまに、「津々浦々の漁民に釣り竿、釣り糸などの漁具を広めるよう」に命じます。
このため蛭子命さまは、「漁民の尊崇を受けて大海津見尊(おおわたつみのみこと)と呼ばれた」と記されています。
しかし、国常立尊さまの八皇子がそれぞれ八方向の国に赴き統治王となられたように、皇子には、もっと別の仕事があるのではないでしょうか?
「漁民に釣り竿、釣り糸などの漁具を...」などと、どうしても、無理やり恵比寿さまのイメージに近づけたいという創作の意図が見え隠れしています。
せめて、「外洋に漁に出る事の出来る大型船舶や定置網を各村々に広め...」とあれば、なるほど、皇族の仕事ではあるなと納得できるのですが...
このように、無理やり恵比寿さまのイメージを植え付けることで、伊都能売さまの真の姿を隠しているのではないでしょうか?
恵比寿さま
現在の筏釣り
ではなぜ、伊都能売さまには恵比寿さまのイメージが付きまとうのでしょうか?宝船に乗る七福神の中で釣り竿と魚籠(びく)を持っているのは恵比寿さまただお一人です。
宝船は、七福神が海を渡ってきた渡来系の神さまであることの暗喩ですが、大洋を渡る大型船舶から釣り糸を垂れるのは現実的ではありません。そもそも、恵比寿さまの釣り道具では無理がありそうです。
これは、恵比寿さまが海だけではなく大河を流れ下り、日本に回帰してきたことを表しているのではないでしょうか?
伊都能売さまは、インドから同胞を連れ帰るにあたり、他民族との要らぬ戦闘を避けるため、北部の山岳地帯を超え、砂漠を通り、広い湖の近くから、長い川を流れ下って来たと、出雲の古い伝承にあります。
砂漠とはゴビ砂漠であり、広い湖とはバイカル湖。長い川とはアムール川で、数千キロに及ぶ大河を筏(いかだ)を組んで流れ下ったそうです。(注1)
大河の流れはゆったりとしており、日がな一日釣り糸を垂れるにはちょうどいい環境ではないですか?食料調達のために、皆で釣り糸を垂れていたであろうことは容易に想像がつきます。
ここから、伊都能売さまに恵比寿さまのイメージが出来上がったのではないでしょうか?
富士林 雅樹 (著)
クナ国の日本移住計画
神武天皇の即位:西暦57年
出雲の旧家の伝承に、およそ4,000年前にインドから移住してきて出雲王国を造った集団がいたとあります。紀元前には、春秋歴が使われていたことから鑑みると、およそ3,000年前になります。
宮下文書には、ウガヤフキアエズ朝が2,700年続いたとあります。これも春秋歴換算で1,350年になります。春秋歴は1年を2年と数えます。
第73世武内宿禰(たけのうちのすくね)こと故 竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏によると、神武天皇は西暦57年に橿原の宮(かしはらのみや:奈良県橿原市)で大王(おおきみ)に即位したのだそうですから、時代が合うのです。
この集団は、インドのクナ国という小国に住んでいました。クナ国の王は、クナト王と呼ばれていました。この集団をクナ族と呼びます。クナ国とは、狗奴国を連想させる名前ですね。
クナト王は、「大陸の東の海中に、住民の少ない温暖な島がある」とバイカル湖周辺に住む商人から聞き及び、移住を決意したとあります。
移住集団には、数千人の応募があり、クナト王と移住集団は、数千キロに及ぶ長い移住の旅に出たのです。
古代出雲王国の誕生
砂漠の旅
移住集団は、北部山岳地帯を超え、砂漠を超え、広い湖から数千キロに及ぶ大河を下り、間宮海峡を越え、樺太に島に着きました。
そこから、海岸沿いに南に進み、渡島と呼ばれていた北海道を通り、最後に津軽半島に上陸したのです。
移住計画の動機ですが、「大陸の東の海中に、住民の少ない温暖な島がある」との曖昧な情報だけで、命を賭した数千キロに及ぶ移住計画に、数千人もの住民が参加するでしょうか?
そこには、何らかの強い動機がなければならないと思うのです。それが、伊都能売さま主導による、日本回帰計画だったのではないでしょうか?
住民が少ない土地とは、出雲のことであり、陣地の重層化を図るに先立ち、渡来人に対する防波堤としての役割を持つ国を早急に整える必要があったのです。
畿内の飛鳥宮と日向の筑紫宮に2つの王朝を置き、その間に新たに出雲王国の創建を企てていたのです。
そのため、祖佐男命さまとその眷属たちを生け捕りにし、恭順化した後に出雲の守り手としたのです。また、彼らが本国に帰ることが出来ぬよう、周到に手が打たれていました。
クナト王は国常立尊さまの血筋ですから、国常立尊さまに反旗を翻した大自在天を頂点とする反乱勢力から命を狙われていたのです。
それゆえ、クナト王の日本への帰国に伴い、移住集団を募ったのです。これが真相ではないでしょうか?そうして、古代出雲王国が誕生したのです。
伊都能売の役割
岩戸隠れ神話
多加王(たかおう:後のスサノオ)の目的は、祭祀王である伊都能売さまを被支配下に置き、富士高天原王朝の実権を握ることでした。
しかし、伊都能売さまは皇位を弟のアマテルさまに譲り姿を隠してしまいます。アマテルさまが継いだのは統治王だけであり、祭祀王の位は継いでいませんでした。霊能力がなかったためです。
そのため、一時的に王朝から祭祀王が不在となったのです。祭祀王がいなければ、富士高天原王朝を攻める意味が無くなってしまいます。
多加王は伊都能売さまの行方を捜すのですが、情報が錯乱していて一向に足取りがつかめません。
無駄に時間だけが過ぎてゆきます。また、偽情報に騙されて、捜索部隊を各地に送り込んだため戦力も分散してしまいます。
そのうち、何故か後方からの物資の供給が途絶えてしまいます。そうこうしているうちに、分散した部隊は各個撃破され、全ての眷属たちが捕縛され、部隊が壊滅してしまいます。
食料を得る代わりに、皆敵側に寝返ってしまったのです。敵とはいえ、多加王とその眷属たちは親戚筋に当たるのです。説得して、味方に引き入れてしまったのです。
彼らは後に出雲に送り込まれ、渡来系民族に対する防波堤の役目を引き受けることになります。しかし、彼らだけでは人数が足りません。
中原の王朝は、渡来系民族を牽制するために残しておく必要があります。そのため、伊都能売さまは、人員確保のために中原からさらに遠くインドにまで足を運ぶのです。
諜報部隊
実際の武力による戦闘行動の前には情報戦があります。伊都能売さまは、情報戦専門の諜報部隊を、霊能者たちを中心に整えていたのです。
伊都能売さまは、古神道に伝わる50の秘奥義すべてを習得していました。イエスさまは、このうちの20だけを習得して帰国されたのです。
遠隔視、未来視、テレパシー、幻影術、瞬間移動、複製魔法、蘇生術、等々...
伊都能売さまは、祭祀王として政の表に立つことのない、霊能力を持つ者たちを全国各地から募り鍛え、情報戦のエキスパートとして育て上げたのです。
多加王の襲撃は、諜報部隊が実践に初めて投入された事件でした。ここで充分な成果を上げることが出来たのです。
内陣に当たる飛鳥宮(あすかのみや)では、各国から霊能者たちが集められて教育されていたのです。畿内には飛鳥宮の他に香久山宮(かぐやまのみや)がありました。
香久山宮は、内陣の本拠地であるとされていたのですが、実際は偽の宮として渡来系の諜報部隊や襲撃者を引き付ける役割を果たしていたのです。
ここで、霊能者集団による実地の戦闘訓練が行われていたのです。
アマテルさまに13人のお妃さまがいたのは、各国から祭祀王の資質を持つ霊能巫女たちを急遽集めたからでした。その中から、瀬織津姫ホノコさまが次代の祭祀王に抜擢されたのです。
これが、霊能巫女たちが集められた最初の出来事になります。この時、霊能力を持つ霊能巫女たちの重要性が再認識されたのです。
これ以降、各国は霊能巫女の血筋を絶やさぬよう、細心の注意を払い育成に努めることとなります。
最高神の降誕
日の大神:菊理姫大神さま
月の大神:弥勒大神さま
伊都能売さまは、祭祀王と統治王の両方の資質を持つ特別な存在でした。国常立尊さまが特別な祈りを捧げ降ろされた存在だったのです。
天神6代目のオモタル・カシコネの後、代嗣が無いため中央政府は空洞化し大きく世は乱れます。そのため、ヒタカミ(日高見国)のトヨケ(国常立尊)さまが暫定的に日本を総括していました。(注1)
実際のところ、天神6代目までは国常立尊さまが実権を握られていたのではないでしょうか?国常立尊さまの時代は祭祀王が軽視されていたのです。
次に、天神7代目にイサナキさまとイサナギさまが就任されたのですが、傍流であるため本家本流の持つ威信を継承していませんでした。
諡号(しごう)に、神皇産霊尊と高皇産霊尊の名が送られていないことが、傍流であることを示唆しているのです。
祭祀王を軽視するという自身の行いが、6代目にして国常立の皇統を途絶えさせてしまったと理解し、国常立の皇統に代わる新たな皇統の本流を、最高神の降誕によって創始したいと願ったのです。
トヨケ(国常立尊)さまが、八千回の禊をしてまで二尊(イサナギ・イサナミ)の代嗣に日月の神霊の降誕を祈ったのは、ここに理由があったのです。
国常立尊さまにとって、祭祀王を兼ねる事の出来る、霊的能力を有する統治王が理想形だったのです。そのため、日月の神霊の降誕を望んだのです。
日月の神霊とは、日の大神と月の大神の両方の資質を兼ね備えた神霊を意味します。祈りの結果降ろされたのが、ヒヨルコ(伊都能売)さまでした。これはアマテルさまの事ではないのです。
伊都能売さまは、月の大神さまである弥勒大神さまと、日の大神さまである菊理媛大神さまの両方の魂を持って生まれた存在でした。後に伊都能売さまは、伊都能売神皇と称されることとなります。
注1:アマテルカミ
伊都能売を祭る神社
神魂伊豆乃売神社
伊努神社
伊都能売さまは、島根県の伊努神社(いぬじんじゃ)の境内社、神魂伊豆乃売神社(かんたまいつのめじんじゃ)に祭られています。(注1)(注2)(注3)
神魂伊豆乃売神社に伊豆能売の名前はありませんが、速秋津比賣命(はやあきつひめのみこと)と神皇産霊命(かみむすびのみこと)の名があります。
神魂伊豆乃売神社
住所
御祭神
速秋津比賣命(はやあきつひめのみこと)
神皇産霊命(かみむすびのみこと)
伊都能売は、速秋津比古神と速秋津比売神の二神から成るハイブリッドの神さまです。神皇産霊命は、日高見国では祭祀王に贈られる諡号でした。また「神魂」とは、「神皇産霊命」の意です。
この他には、伊豆能売(伊都能売)の名を冠する神社はありませんが、伊豆能売の名を冠しない式内社は現存しています。
注1:伊豆能売
注2:伊努神社
注3:神魂伊豆乃売神社
加良比乃神社
加良比乃神社
三重県津市の元伊勢伝承地の一つである「加良比乃神社」は倭姫命が天照大御神を奉戴して「片樋宮」を建立した跡地に「御倉板舉神」と「伊豆能賣神」を祭祀したのが起源とされているのです。(注1)
加良比乃神社
住所
三重県津市藤方字森目335番
御祭神
御倉板挙神
伊豆能売神
水波能売神
宇迦之御魂神
配神
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊
天之穂日命
市杵島比売命
注1:加良比乃神社
神魂伊能知比売神社
神魂伊能知比売神社
出雲大社の境内社に神魂伊能知比売神社(かみむすび いのちひめの かみのやしろ)というお社があります。(注1)
御祭神は、蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)と蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)の二柱の神さまです。
この二柱の神さまは、大国主大神が兄神たちからひどい扱いを受け、大火傷をされたときに治療をして助けた、二枚貝の女神さまです。
神魂伊能知比売神社の名には、「神魂」と「伊能」が入っています。「神魂」は、「神皇産霊命」を意味し、「伊能」は、「伊都能売」の意味ではないでしょうか?
そして、二枚貝とは一柱の神さまに二柱の神さまの魂が入っていることを象徴的に表しているのではないでしょうか?
この二枚貝の神さまは、それぞれ速秋津比古神さまと速秋津比売神さまを表しているのかもしれません。二神さまが対となり、伊都能売さまとなられるのです。
二枚貝の神さまは、二柱の神さまの魂がハイブリッドであることを示し、二つのお社は、対になる二柱の神さまの存在を表しているのです。
どうも、こういうことらしいです。
速秋津比古神さま
菊理姫大神(厳の御魂)+ 六六六の大神(瑞の御魂)
速秋津比売神さま
菊理姫大神(瑞の御魂)+ 六六六の大神(厳の御魂)
伊都能売さま
速秋津比古神さまが地上に降り、速秋津比売神さまが神界からサポートするという関係らしいです。
神魂伊能知比売神社
住所
御祭神
蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)
蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)
注1:神魂伊能知比売神社
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