ののの備忘録

『日月神示』の解読と来るべき『ミロクの世』に向けた提言。「神一厘の仕組み」と「テンバガー投資法」

上つ巻 第一帖(一)

解読 日月神示
上つ巻 第一帖(一)
 富士は晴れたり、日本晴れ。
 f:id:tukishiro_art_lab:20190714080557j:plain(かみ)の国のまことのf:id:tukishiro_art_lab:20190714080557j:plainの力を
あわす代(よ)となれる、
仏もキリストも何も彼(か)も
はっきり助けて、
しち難しい御苦労のない代が来るから、
身魂(みたま)を不断に磨いて
一筋の誠を通してくれよ。
 いま一苦労あるが、この苦労は
身魂をみがいておらぬと越せぬ、
この世始まって二度とない苦労である。
このむすびはf:id:tukishiro_art_lab:20190714080557j:plainの力でないと何も出来ん、
人間の算盤(そろばん)では
はじけんことぞ。
日本はお土が上がる、
外国はお土が下がる。
都(みやこ)の大洗濯、
鄙(ひな:田舎)の大洗濯、
人のお洗濯。
今度はどうもこらえてくれという
ところまで、後へ引かぬから、
そのつもりでかかって来い。
f:id:tukishiro_art_lab:20190714080557j:plainf:id:tukishiro_art_lab:20190714080557j:plainの力を、
はっきりと見せてやる時が来た。
 嬉しくて苦しむ者と、
苦しくて喜ぶ者と出て来る。
f:id:tukishiro_art_lab:20190714080557j:plainf:id:tukishiro_art_lab:20190714080557j:plainの国、神の力でないと、
何にも成就せん。
人の力で何が出来たか、
みな神がさしているのだ。
いつでもf:id:tukishiro_art_lab:20190714080557j:plainかかれるように、
綺麗に洗濯しておりてくれよ。
戦(いくさ)は今年中と言っているが、
そんなちょこい戦ではない、
世界中の洗濯ざから、
いらぬものが無くなるまでは、
終わらぬ道理がわからぬか。
臣民同士のいくさでない、
神と神、あかとあか、
人と人、ニクとニク、
タマとタマの戦ぞ。
己の心を見よ、
戦が済んでいないであろ、
それで戦が済むと思うているとは、
あきれたものぞ、
早く掃除せぬと間に合わん、
何より掃除が第一。
さびしさは人のみかは、
神は幾万倍ぞ、
さびしさ越えて時を待つ。
f:id:tukishiro_art_lab:20190714080557j:plainが世界の王になる、
てんし様が神とわからん臣民ばかり。
口と心と行(おこない)と、
三つ揃うたまことを命(みこと)というぞ。
神の臣民みな命になれる身魂、
掃除身魂結構。
六月の十日、ひつくのか三。

解読
>富士は晴れたり、日本晴れ。
古の神々の封印解除の作業は「冨士の仕組み」にかかわる神社三角陣封印結界の解除作業から始まりました。

封印に関わる神社は、富士浅間神社奥宮(富士山山頂)と雲見浅間神社(烏帽子山:御嶽山:雲見ケ嶽)小坂熊野神社(小坂)でした。

この三つの神社は、小坂熊野神社を直角三角系の頂点とした三四五(さしご)の結界を構成していました。

木花開耶姫と磐長姫の故事に隠された『嘘』を見抜きことが鍵でした。

雲見浅間神社には次のような由来が伝えられています。

烏帽子山が晴れる時には富士山が雲に隠れ、逆に富士山が晴れる時には烏帽子山付近の天候が悪くなる」とか、「烏帽子山に登って富士山を誉め賛えると海中に振り落とされる」といった伝説があるため、地元の人は富士登山を忌み、また「富士」という言葉は永く禁句であったという。(Wikipedia

「富士は晴れたり、日本晴れ」は、この最初の封印が解けた状態を表してもいます。

しかし、最後の「一厘の仕組み」が解けると、真の「富士は晴れたり、日本晴れ」になります。

この三角陣結界の封印を解除することによって、龍脈のエネルギーの流れが生じます。

エネルギーは、富士浅間神社奥宮と雲見浅間神社の二点から外心に向かい、オイラー線上を重心、垂心へと向い流れ行きます。

直角三角系における垂心は、直角を構成する点ですから、この場合は小坂熊野神社にあたります。

>仏もキリストも何もかもはっきり助けて、
全ては万教帰一(ばんきょうきいつ)であり、仏教とキリスト教のその目的を明らかにすることによって、宗教観の対立を消し去ろうということを言っています。

 

>己おのれの心を見よ、戦が済んでいないであろう

これは、現在の天明さんに対するメッセージのようです。


神力と学力のとどめの戦が終わって、戦が終わったと考えるのは早計であると言っています。

ここで言う掃除とは、なぜ神力が学力に負けてしまったかをよくよく思い起こして自省せよということです。心に曇りがあるから、負けてしまったのだよということを示唆しています。

神様から教えを頂いている霊能者の方々は、その内容を文献資料にあたって裏付け調査することは少ないかと存じます。

神様の言ったことだから正しいのだとの考えは早計です。神様は、貴方の認識力に応じて教えを降ろしているのです。

貴方の認知し得ぬ概念を使って教えを降ろすことはありません。

ですから、常日頃からの地道な読書が大切であると言っているのです。

ミロクの世の御神事にかかわるのならば、最低でも「日月神示」くらいは読んでおきなさいよという事です。

神人氏の「大日月地神示」は当然目を通していてしかるべきです。

出口王仁三郎氏の「霊界物語」についても、その概要くらいは知っておくべきではないでしょうか?

同じ天明のお役を引き継ぐ者として、前任者へのリスペクトは大事です。
 
審神(さにわ)に必要なのは、豊富な知識です。知識や認識力がなければ、神様からもそれ相応の知見しか得られません。

知見が低いと揶揄されたのは、神様ではなくてあなたさまご本人のことなのです。
おわかりくださいませ。

神示引用元

[完訳]日月神示 岡本天明著 中谷伸一校訂 ヒカルランド

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