大山咋神と天知迦流美豆姫神
大山咋神の系譜
『古事記』や『先代旧事本紀』によれば、大山祇神の娘である神大市姫(かむおほいちひめ)は素戔嗚尊に嫁いで大年神(おほとしのかみ)を生み、この大年神は天知迦流美豆姫(あまのちかるみつひめ)を娶って大山咋神を生んだといいます。
出典:YaHoo!知恵袋
これを系図にすると、以下のようになります。
大山祇神┐
┌──┘
神大市姫
╟──大年神
素戔嗚尊 ╟─────大山咋神
天知迦流美豆姫
直系に着目してこれを整理すれば、以下のようになります。
修正版:大山咋神の系譜
大山咋神(おおやまくいのかみ)さまの系譜を書き換えると次のようになります。
大山祇神 ⇒ 月読尊(ツキヨミ)
天知迦流美豆姫 ⇒ 市杵嶋姫命(磐長姫尊)
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)さまは、日向の女王 卑弥呼(天照大神:大日孁貴)さまと素戔嗚尊(すさのおのみこと)さまの皇女(みこ)です。
大年神(おおとしのかみ)さまは、市杵嶋姫命さまと先代のニギハヤヒさまとの間に生まれた皇子ですが、アマテラスの義弟たちによる呪詛により5歳で夭折されたのです。
先代のニギハヤヒさま崩御の後に、最後のニギハヤヒを襲名した大国主(イエス・キリスト)さまは、大年(大歳)を幼名として、自身の功績を夭折された大年さまの功績として後世に残します。そのため、素戔嗚尊さまと神大市姫さまの子とされたのです。
香久山王朝(ニギハヤヒ王朝)の統治王の世襲名が饒速日ですが、その幼名を大歳(大年)としていたのかもしれません。
天照大神(卑弥呼:大日孁貴)
╟───市杵嶋姫命(磐長姫尊)
素戔嗚尊 ╟───大山咋神
饒速日尊(イエス・キリスト)
アマ族と月読尊
市杵嶋姫命さまは、日向の女王 卑弥呼と出雲の英雄素戔嗚尊さまの間に生まれた三つ子の一人です。卑弥呼さまも饒速日さまも、パミール高原より回帰してきたアマ族に属します。
統治王の系統と祭祀王の系統に分かれて、陸路と海路で回帰してきたのです。最初に日本にたどり着いたのが祭祀王系の一族でした。
ウガヤフキアエズ王朝の第72代目ウガヤフキアエズに后として嫁いだのが後の日向の女王卑弥呼でした。
遅れて出雲にたどり着いた統治王系の一族は、日本に入り込んでいた渡来系民族を蹴散らし統一国家への礎を築きます。そして、一族の長が出雲の大王に就任したのです。
この時の出雲の大王(おおきみ)の世襲名が素戔嗚尊だったのです。
このアマ族ですが、かつて日本を出奔した月読尊さまの一族ではなかったかと推測しています。
秦氏一族の功績
月読尊さまの一族は、海外にも拠点を持っており、本国の一族の要請に従い、三々五々、日本に回帰してきていたのです。
イエスさまも、この一族に属しており、本国からの秦氏一族の使節団により磔刑を免れ、日本に回帰してきたのです。
そして、秦氏一族は3つに分断されていた王朝を再び統合するための立役者として、イエスさまを抜擢したのです。それだけの潜在能力があることが分かっていたからです。
イエスさまは、最初に出雲の素戔嗚尊さまの元で修業を積み、やがて素戔嗚尊さまと共に日向と出雲の統合に成功します。
その後に、秦氏一族の王朝でもあった香久山王朝(ニギハヤヒ王朝)と日向と出雲の連合国家との統合に成功し、統一国家大和の礎を築いたのです。
天知迦流美豆比売神
天知迦流美豆比売神(あめしるかるみづひめのかみ)は、その名に、水姫神(みづひめのかみ)があります。
また、『しるかる』は、『しる・かる』で、古文の「はっきりわかる。明白である」という意味です。天(あめ)は、天神(あまつかみ、てんじん:天津神)であることを表しています。
天知迦流美豆比売神(あめ しるかる みづひめのかみ)は、『はっきりとした天津神系の水姫の神』さまという意味になるのです。
天津神系で、饒速日尊(にぎはやひのみこと:イエス・キリスト)さまと婚姻を結んだお妃さまは、磐長姫尊(いわながひめのみこと:市杵嶋姫命)さまになります。市杵嶋姫命さまは、水神さまであるとされています。
饒速日尊さまには、3人のお妃さまがいました。
マグダラのマリアさまは、天津神の月読尊(つくよみのみこと)さまの遠い子孫になります。
ニギハヤヒ王朝の正妃である瀬織津姫(せおりつひめ)さまは世襲名であり、必ずしも天津神系の血筋であるとは限りません。
月読尊さまの孫に当たる磐長姫尊さまは天津神系であり、月読尊さまの正妃である桜田媛(さくらだひめ)さまの系統ですから、水神さまでもあるのです。
市杵嶋姫命さまは、日向の女王 卑弥呼(ひみこ)さまの皇子であり第72代目ウガヤフキアエズの血を引いているのです。ですから、市杵嶋姫命さまも天津神系ということになります。
朝熊神社
伊勢にはその昔、こんな囃子歌が歌われてました。
「お伊勢参りは朝熊を駆けよ 朝熊駆けねば片参り」
ウィキペディア 朝熊神社 より
朝熊神社(あさくまじんじゃ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。内宮の摂社としては第1位である。
御祭神
大歳神(おおとしのかみ)
苔虫神(こけむしのかみ)
朝熊水神(あさくまのみずのかみ)
苔虫神さまは、磐長姫尊さまの別名です。『苔むす』からきていると考えられます。
『苔むす』は、君が代の歌詞にあります。
「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いはほ)となりて苔のむすまで」
また、磐長姫尊さまについては、ウィキペディアに次のようにあります。
石長比売は岩の永遠性を表すものとされる。名義は「岩のように長久に変わることのない女性」と考えられる。(ウィキペディアより)
朝熊水神は、熊野本宮大社の水神さまの意であり、瀬織津姫さまの事ではないでしょうか?
以上の事から、朝熊神社の御祭神さまは、次の三柱の神さまになるのではないかと推測しました。
御祭神
磐長姫尊(市杵嶋姫命)さま
瀬織津姫尊さま
瀬織津姫尊さまは、月読尊さまの皇女であり、磐長姫尊さまは、月読尊さまの孫に当たります。
かぐや姫と瀬織津姫
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命
畿内のアスカ宮(あすかのみや)にあった、アスカ国の統治王は、アスカ皇君(ヲキミ)でした。初代カグヤマ皇君であるテルヒコは、「橘山」を模した「香久山」を造ります。この時、アスカ宮からカグヤマ宮に改め、アスカ皇君をカグヤマ皇君に改めています。
ホツマツタヱでは、カグヤマ宮のアスカ国は二代しか記録されていません。それゆえ、カグヤマ皇君も二人しかいません。
カグヤマ皇君
初 代:テルヒコ(クシタマホノアカリ)
二代目:クニテル(ニギハヤヒ)
この後、長い二朝分裂時代に入ります。畿内に残る王朝の礎となられたこの二人に敬意を表して、王朝の統治王に対する世襲名 饒速日の例の長い名前になっているのです。
国照彦天火明櫛玉饒速日
どのように、王朝が始まったのか分かるように世襲名に2人の名を残したのです。
その後、二朝分裂時代に入ると、アスカ国は内陣としての王朝となります。しかし、この王朝に関する記録がどこにもありません。
便宜上、この王朝をニギハヤヒ王朝(香久山王朝)としています。また、カグヤマ皇君を 世襲名 饒速日とし、その正妃の世襲名を瀬織津姫としています。
饒速日と瀬織津姫は、ニギハヤヒ王朝(香久山王朝)の統治王と祭祀王の世襲名であるとしたのです。
また、カグヤマ宮も2代しか記録がないので、これを飛鳥宮(あすかのみや)に改めたのです。
祭祀王:瀬織津姫
その後、最後の饒速日(イエス・キリスト)さまが現れるのですが、この方がアマテルさまの転生者であったがために、天照の名を頭に冠して次の名前になるのです。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
これが、ニギハヤヒ王朝(香久山王朝)最後の饒速日尊さまの名前の由来に関する仮説です。
かぐや姫
かぐや姫は香久山姫(かぐやまひめ)の意であり、瀬織津姫を意味しています。月は、富士高天原王朝のメタファーであり、かぐや姫は、正当な王朝の末裔であることを示唆しているのです。
饒速日尊(イエス・キリスト)さまは、市杵嶋姫命(磐長姫尊)さまの他に香用比売(かぐよひめ)さまを娶ります。この香用比売さまが、香久山姫さまであり、瀬織津姫さまなのです。
饒速日尊さまと、香用比売さまの間に出来た皇女に御年神(みとし)さまがいます。饒速日尊さまの末子です。この御年神さまを娶ったのが、イワレヒコ(神武天皇)さまだったのです。
これで、神武天皇は、正当な富士高天原王朝の祭祀王の末裔を娶ることが出来たのです。
正妃は、事代主神(大物主神)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)とされています。(ウィキペディア 大年神より)
「正統竹内文書」には猿田彦神(さるたひこのかみ)、五十鈴彦(いすずひこ)、伊勢津彦(いせつひこ)はイエス・キリストである。と伝えられているそうです。(注1)
媛蹈鞴五十鈴媛命の名に、『五十鈴』の文字が入っていることから、媛蹈鞴五十鈴媛命は五十鈴彦の娘であると観ることが出来ます。
つまり、事代主神(大物主神)は、五十鈴彦であり、饒速日尊(イエス・キリスト)さまなのです。神武天皇の正妃とされる媛蹈鞴五十鈴媛命さまは、饒速日尊さまの末子である御年神さまです。
注1:五十鈴彦はイエス・キリスト
出典ブログ:この世は謎だらけ
ameblo.jp一部抜粋
正当竹内文書では神武天皇が来る前に伊勢一体を治めていたのは、イスズヒコ(五十鈴彦)であり、またの名をイセツヒコ(伊勢津彦)というが、なんとイエス・キリストだという。
イスズヒコは伊勢の磯部家を支配していた。
竹内氏によるとキリストは日本に2回来ており、出雲族と仲が良かったらしい。
また、別途にイシキリヒコ(石切彦)という弟も来ていて、最期は日本で亡くなったとされている。(竹内睦秦氏)
伊怒比売
大年神さまのお妃さまにもう一柱の神さまの名があります。伊怒比売(いのひめ)さまです。いのひめの名は、一の姫であり、最初に娶ったお妃さまであることを暗示しています。
つまり、伊怒比売さまはマグダラのマリアさまの別名だったのです。大年神さまと伊怒比売さまの間に生まれた皇子の中に、渡来系の神とされる皇子や、渡来人が信仰した皇子がいます。
これは、伊怒比売さまが渡来系であることを示唆しているのではないでしょうか?
大年神さまのお妃さまの名として、伊怒比売(いのひめ)さまと、香用比売(かぐよひめ)さま、天知迦流美豆比売神(あめしるかるみづひめのかみ)さまの名が順に挙げられています。これは、娶った順であると観て良いのではないでしょうか?
大年神さまは、饒速日尊 (イエス・キリスト) さまのことです。饒速日尊さまのお妃さまは、次の三柱の神さまということになります。
伊怒比売 (いのひめ)
香用比売 (かぐよひめ)
= 瀬織津姫さま
天知迦流美豆比売神(あめしるかるみづひめのかみ)
= 磐長姫 (市杵嶋姫命) さま
大年神の皇子たち
(ウィキペディア 大年神より)
大国御魂神(おほくにみたま)
韓神(から) : 百済からの渡来氏族が信仰した神
曾富理神(そふり):新羅からの渡来神ともされる
白日神(しらひ)
聖神(ひじり)
大香山戸臣神(おほかぐやまとみ)
御年神(みとし)
大年神さまと天知迦流美豆比売神(あめしるかるみづひめのかみ)さまとの間の子。
奥津日子神(おきつひこ)
奥津比売命(おきつひめ)
大山咋神(おほやまくひ)
庭津日神(にはつひ)
阿須波神(あすは)
波比岐神(はひき)
香山戸臣神(かぐやまとみ)
羽山戸神(はやまと)
庭高津日神(にはたかつひ)
大土神(おほつち)
別名 土之御祖神(つちのみおやのかみ)
第五の結界
五の結界
第五の結界を構成する3つの神社には、それぞれ次の神さまが祭られています。
雲見浅間神社:磐長姫尊さま
この三柱の神さまに共通する関係性は次の2つになります。
1:饒速日尊さまのお妃さま
木花之佐久夜毘売命(マグダラノマリア)さま
磐長姫(市杵嶋姫命)さま
2:月読尊さまの末裔
皇女:瀬織津姫 さま
孫 :木花之佐久夜毘売命さま
磐長姫尊さま
かぐや姫さまの正体
宇迦之御魂神
香用比売(瀬織津姫)さまの正体は、素戔嗚尊さまと神大市比売さまとの間に生まれた宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)さまです。
神大市比売さまは、香久山王朝(ニギハヤヒ王朝)の祭祀王 瀬織津姫さまでした。出雲王朝と香久山王朝の和合のため、統治王である出雲の素戔嗚尊さまの元へ嫁いだのです。
しかし、後に日向の女王 卑弥呼さまと素戔嗚尊さまの間に三つ子の女児が生まれると、統合王朝の継承権が、宇迦之御魂神さまから市杵嶋姫命さまに移りました。
三つ子の中で成人できたのは市杵嶋姫命さまお一人でした。多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)さまは0歳で夭折され、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)さまは5歳で神上がりされているのです。(卑弥呼さまの転生者談)
この三つ子の名の由来は古代出雲王朝の宗像氏の宗像三女人から採られたのです。ですから、卑弥呼さまと素戔嗚尊さまの皇女である市杵嶋姫命さまは、水の神さまではないのです。
日向には、アマテラスの義弟たちと呼ばれる権力欲の強い一族が従属していましたから、日向に統合王朝の主権を渡すわけにはいかなかったのです。
このため神大市比売さまは、次代の祭祀王 瀬織津姫である宇迦之御魂神さまと共に本国に戻られたのです。
素戔嗚尊さまの後を継いだ大国主さまは、日向の卑弥呼さまと素戔嗚尊さまの間に生まれたとされる多紀理毘売命さまを娶ります。
しかし、本来の多紀理毘売命さまは0歳で夭折されているのです。
この方の正体は、日向と出雲の統一のために回帰してきた秦氏一族の祭祀系の女性でした。そして、素戔嗚尊さまと卑弥呼さまの養女となられたのです。
この方が後の伊怒比売さまであり、イエスさまと共に日本に回帰してきた秦氏一族の末裔であるマグダラのマリアさまだったのです。
この方は、イシス神殿の神殿巫女でした。イシス神殿の神殿巫女であるマグダラのマリアさまが娼婦とされているのは、高級娼婦として各国の重鎮と寝屋を共にし、情報収集の任務を遂行されていたからなのだそうです。
マグダラのマリアさまは、後にイエスさまの高弟となられ伝道の旅に付き従うのです。(注1)
カレン・L・キング (著), 山形 孝夫 (翻訳), 新免 貢 (翻訳)
イシスと伊邪那美尊
大地母神イシスさまは、伊邪那美尊さまであるとの説があります。(注1)
ツキヨミ(月弓命)さまの犯した罪(当時の農業大臣であるウケモチ(保食神)さまの殺害)を重く受け止めたイサナギ(伊弉諾尊)さまとアマテルカミ(天照大御神)さまはツキヨミ(月弓命)さまを国外へと追放します。このとき、ツキヨミ(月弓命)さまの一族と共にイサナミ(伊邪那美尊)さまも国外へと出奔されているのです。
この様子は、伊弉諾さまと加具土命さまの神話や、黄泉の国へと降った伊弉諾さまの神話に描かれています。これらの神話は、意図的に暗号化されています。
ツキヨミ(月弓命)さまの一族と黄泉の国(中東)へと赴いたイサナミ(伊邪那美尊)さまは、神上がりすると一族の繁栄を約束する豊穣の女神、大地母神イシスとなります。
注1:イシスと伊邪那美尊
菊理媛と聖母マリア
ツキヨミ(月弓命)さまとイサナミ(伊邪那美尊)さまと一緒に、ツキヨミ(月弓命)さまの叔母でありイサナミ(伊邪那美尊)さまの義理の姉であったココリヒメ(菊理媛)さまも共に海外へと旅立ったと推測されます。この方がやがて聖母マリアさまへと転生されるのです。(注1)
ツキヨミ(月弓命)さまに殺されたウケモチ(保食神)さまは神上がりして稲荷神(イナルカミ)になります。稲荷神は、ウケモチ(保食神)さまとウケミタマ(宇迦之御魂神)さまです。
このとき、ウケモチ(保食神)さまの替わりにウケミタマ(宇迦之御魂神)さまがイサナミ(伊邪那美尊)さまに付き従い、共に海外へと出奔されたのです。
イサナミ(伊邪那美尊)さまとイサナギ(伊弉諾尊)さまの千引の岩戸のシーンに出てくるのが、ココリヒメ(菊理媛)さまです。神話ではイサナギ(伊弉諾尊)さまとイサナミ(伊邪那美尊)さまが言い争いをしているところへ仲裁に入り、その場を上手にとりなしたと記されています。
イサナミ(伊邪那美尊)さまとココリヒメ(菊理媛)さま、そしてウケタミタマ(宇迦之御魂神)さまが共に海外へと出奔されたのは、彼の地における神の経綸のためだったのです。
後に、アマテルカミ(天照大御神)さまとアシツヒメ(木花咲耶姫)さまの御魂も神の経綸にしたが、彼の地へと降りられたのです。
イエス(天照大御神)さまとマグダラのマリア(木花咲耶姫)さまが日本へと回帰する時、ウケミタマ(宇迦之御魂神)さまとココリヒメ(菊理媛:聖母マリア)さまの御魂はマグダラのマリアさまの守護神として付いてきたのだそうです。
始めて卑弥呼さまがマグダラのマリアさまと合われた時の第一印象が「デカッ!」だったそうです。(卑弥呼さまの転生者談)
それだけ魂が大きかったというわけです。なにしろ、イサナミ(伊邪那美尊)さまとココリヒメ(菊理媛)さまの御魂を伴って日本に回帰してきたのですから無理もありません。
注1:菊理媛と聖母マリア
かぐや姫と宇迦之御魂神
かぐや姫の物語で、月に還るかぐや姫とは、月読尊の末裔の秦氏一族の治める豊かな国 香久山王朝(ニギハヤヒ王朝)へと還ってしまう瀬織津姫である宇迦之御魂神さまを娶らんとする権力者たちの姿を元にして描いた物語なのかもしれません。
素戔嗚尊さまの元を離れたということは、この姫さまを娶れば自身が香久山王朝の統治王となれると、権力を求める者たちは考えたからです。
しかし、彼らの奮闘も空しく、かぐや姫さまは月(月読尊さまの国)へと還ってしまわれたのです。
この仮説、突拍子もない飛んでも仮説でしょうか?
月読尊さまの末裔
日本神話には、女神 宇迦之御魂神さまの夫となる神さまの名が記されていません。意図的に隠されているのです。宇迦之御魂神さまについて整理すると次のようになります。
夫:饒速日命 = イエス・キリスト = 大国主 = 大物主 = 天照皇大神
宇迦之御魂神さまも饒速日命さまも天神系の神さまであり、月読尊さまの末裔であり秦氏一族です。饒速日命さまは、アマテルカミ(天照大御神)さまの転生者です。
また、出雲の英雄 素戔嗚尊さまと日向の女王 卑弥呼(天照大神:大日孁貴)さまも月読尊さまの末裔であり秦氏一族となります。
素戔嗚尊さまはツキヨミ(月弓命)さまの転生者であり、卑弥呼さまはセオリツヒメ・ホノコ(瀬織津姫)さまの転生者です。
千引の岩戸開きの要
罪に問われ、国外追放となったツキヨミ(月弓命)さまの一族は、秦氏として続々と日本に回帰してきます。そして、統一王朝 ヤマト王権の礎となられたのです。
ヤマト王権成立の背景には、素戔嗚尊さま、卑弥呼(天照大神:大日孁貴)さま、饒速日(イエス・キリスト:大国主:大物主)さまが関与しています。いづれも月読尊さまの末裔であり、秦氏一族だったのです。
神武天皇を初代とするヤマト王権は、葛城王朝と云われるように葛城氏が実権を握っていました。葛城氏は祭祀王としての后を輩出し、閨閥として王朝を牛耳っていたのです。葛城氏は月読尊さまの末裔でした。(注1)
15代応神天皇から始まる王朝は、物部王朝と云われているように、饒速日の末裔が築いた王朝です。秦氏一族が大いに関わっているのです。ここでも、后は葛城氏から輩出されていたのです。(注2)
しかし、秦氏一族も光サイド一辺倒ではないようです。物部氏が蘇我氏に敗れると、物部神道が衰退し仏教が台頭してきます。
やがて、蘇我氏を退けた藤原氏が朝堂を牛耳るようになると、秦氏は藤原氏に近づきます。このとき、記紀編纂事業に関わったのでしょう。ツキヨミ(月読尊)さまの罪をソサノヲ(素戔嗚尊)さまの罪にすり替えているのです。
これが、日月神示の5度の岩戸締めの一つだったのです。素戔嗚尊さまに罪を被せたことによる岩戸締めです。
やがて、秦氏一族は藤原氏と共に聖徳太子(蘇我善徳)の殺害に関与します。その後、権力闘争に嫌気がさしたのでしょうか?秦氏は藤原氏から距離を置くようになったのです。
秦氏一族の功罪を明らかにすること、これが千引の岩戸開きの要だったのです。秦氏一族には、光と闇、陰の存在がいるようです。
いままで、この事実を明らかにすることが出来なかったのは、次期尚早だったのでしょう。神界における禁則事項の一つだったのです。地上における浄化の仕組みが完了に近づいたことで、ようやくこの記事を追加することが許されたのです。
注2:アラカン社長の徒然草:第71話 物部王朝と葛城氏<起編>
饒速日さまと瀬織津姫さまが夫婦神であったことは、物部王朝の衰退により歴史から消されていきます。同時に、香久山王朝の存在も、本来の皇祖である饒速日命さまの存在も消されていったのです。
物部王朝の大王(統治王)の称号が饒速日であり、その后(祭祀王)の称号が瀬織津姫だったのです。
素戔嗚尊さまと瀬織津姫(神大市比売)さまを祀る神社は存在しますが、饒速日さまと瀬織津姫さまを祀る神社は見当たりません。しかし、名を変えて二神を祀る神社は存在しているのです。(注1)
熊野神社の御祭神は、素戔嗚尊さまと饒速日さま、そして瀬織津姫さまだと云われています。(注2)
伊勢神宮の内宮、皇大神宮に祀られている天照大御神さまはニギハヤヒ(イエス・キリスト)さまであると云われています。(注3)
また、皇大神宮の境内別宮である荒祭宮(あらまつりのみや)の御祭神、天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)は、瀬織津姫さまだと云われています。(注4)
そして、伏見稲荷大社に祀られている三柱の神々さまは、瀬織津姫さまとニギハヤヒさま、そしてマグダラのマリアさまです。
tukishiro-art-lab.hatenablog.com
注2:参考図書
消された覇王 ー伝承が語るスサノオとニギハヤヒー
小椋 一葉 著
注3:アマテラスの暗号 〈歴史ミステリー小説〉 Kindle版
アマテラスの暗号 〈歴史ミステリー小説〉 Kindle版
伊勢谷 武 (著)
神護景雲2年(768)撰録と伝えられている「大和姫命世紀」には、荒祭宮に瀬織津姫が鎮座と記されています。
「荒祭宮一座 皇太神宮荒魂 伊弉那伎大神の生める神 名は八十枉津日神なり 一名 瀬織津比咩神 是也 御形は鏡に座す」
出典:愛知県図書館 貴重和本デジタルライブラリー
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