公式の解説
先の記事で、一の結界は籠目の封印結界であり、そこに封じられていた神々さまは、熊野三神である、瀬織津姫とニギハヤヒ、スサノオであると結論づけました。
この課題を解くに当たり使った公式がありました。今日の記事では、これらの公式についての解説をします。
3:素戔嗚尊=速玉男命
熊野三神
熊野神社に祀られている熊野三神は、伊邪那美命・速玉男命・黄泉事解男命とされています。
これを、小椋一葉氏は『消された覇王』の中でそれぞれ、瀬織津姫・ニギハヤヒ・スサノオであると指摘しています。
この説を元に、先の公式を立てたのです。
3:素戔嗚尊=速玉男命
また、原田常治氏は『古代日本正史』の中で「スサノオの子の大歳神(大歳尊)は饒速日(ニギハヤヒ)と同神である」という説を唱えています。
参考図書
消された覇王―伝承が語るスサノオとニギハヤヒ (伝承が語る古代史 1)
小椋 一葉 著 河出書房新社
瀬織津姫の称号
瀬織津姫は、「すなを」と「みやひ」の資質を備えた王妃に与えられた称号です。
「すなを」は、司祭としての資質を表し、「みやひ」は美と才能、カリスマ性を合わせ持った女性に与えられた称号でした。
ホツマツタエの時代の王妃たちは、二つの資質を磨いていたのです。これを女の道(めのみち)と呼びました。(注1)
伊邪那美さま、アマテルカミの正妃となったホノコさま、そして日向の神大市比売さまも、二つの資質を備え持った瀬織津姫でした。
それ故、次の公式が成り立つのです。
注1:参考図書
この国の乱れを整える トノヲシテ《瀬織津姫さま》言霊リメンバリング
大江幸久, アマノコトネ他 ヒカルランド
大歳神と大歳御祖皇大神
大歳神(おおとしかみ)は西日本各地で祭られていて、大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)、大歳御祖皇大神(おおとしみおやすめおおかみ)という名で祭られているところも多いのです。
そして、大歳神の母・神大市比売を大歳御祖神とする場合もあるのです。これが、静岡浅間神社の大歳御祖神社になります。
「御祖」とか「皇大神」は、他に「天照皇大神」と「豊受皇大神」しかなく、ともに伊勢神宮の神さまです。この尊称はこの人物が皇祖であることを意味しているのです。
大歳は、古代葛城王朝の初代大王(おおきみ)であり、皇祖となったニギハヤヒのことです。次代が神武天皇であり、後の時代にこちらを皇祖として、ニギハヤヒの名は消されたのです。
二人の大歳と二人のニギハヤヒ
神大市比売さまと素戔嗚尊さまの子である大歳さまと、市杵嶋姫命さまと先代のニギハヤヒ(世襲名)さまの子である大歳さま。大歳さまは二人いました。
神大市比売さまと素戔嗚尊さまの子である大歳さまが、出雲と日向、畿内にあったニギハヤヒ朝を統一し、大王の世襲名であるニギハヤヒを名乗ります。
日向は、ウガヤフキアエズ朝とアマ族が統合された王朝でした。神大市比売さまは、ウガヤフキアエズ朝とアマ族の血を引いていたのです。
先代のニギハヤヒさまの元へ嫁いだのが、神大市比売さまと素戔嗚尊さまの子である市杵嶋姫命さまです。その子供が大歳さまです。
大歳さまの誕生により、出雲族とアマ族、ウガヤフキアエズ朝とニギハヤヒ朝の統合が成されたのです。
しかし、市杵嶋姫命さまの子である大歳さまは幼くして亡くなります。そのため、ニギハヤヒを襲名することは出来ませんでした。
イエス・キリストとニギハヤヒ
このため、次代のニギハヤヒを襲名したのは、畿内に回帰してきた元日本人の一族であり、戦闘力に長けた武人の一族である物部氏の王の大物主でした。
この王の正体は、磔刑を逃れて日本に渡来してきたイエス・キリストさまです。物部氏は、彼と共に渡来してきた弟子たちと追随者でした。
そのため、ニギハヤヒは別名大物主とも呼ばれているのです。イエス・キリストさまは、若いころ日本に渡り修行をしていたのです。
イエス・キリストさまは、日本から送られてきた使節団の策略により、図らずも磔刑を逃れる事となりました。
身代わりとなったのは、彼の従兄弟のイスキリでした。イエス・キリストさまは、日本で果たす使命があるからと、使節団により生き延びさせられたのです。(注1)
注1:参考図書
「キリストは日本で死んでいる」
山根 キク 著 たま出版
古代出雲王朝と大国主
出雲にあった古代出雲王朝は、徐福の侵略により二分されていました。古代出雲王朝の大王の名前は世襲名大国主でした。
出雲に残った出雲王朝は、大王の名を素戔嗚尊に変えます。ですから、素戔嗚尊の名も世襲名でした。
二分された古代出雲王朝の一方は畿内に移り住みます。この地の大王の名はニギハヤヒでした。しかし、彼らにとっての大王の名はあくまでも大国主でした。
実際に、彼らの大王である大国主が、畿内のニギハヤヒ王朝のニギハヤヒを襲名したことがあったのかもしれません。
そのため、ニギハヤヒは大国主という構図も成り立つのです。ここで、一度ニギハヤヒに関する情報を整理しておきます。
ニギハヤヒ=大歳
ニギハヤヒ=大物主
稲荷神=イエス・キリスト説
日本古来より、稲荷神がウケモチを起源とする「五幸稲荷信仰」がありました。
これを基にして、8世紀初頭に秦氏の起した伏見稲荷を起源とする「稲荷信仰」が始まったのです。
秦氏は原始キリスト教徒ですから、イエス・キリスト(INRI)を自分たちの五穀豊穣の神として祭ったのです。
INRIと は、イエス・キリストさまが磔刑に掛けられた際の十字架の上に掲げられた罪状書きの頭字語(ラテン語:IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM:)です。
ですから、ここでは次の公式が成り立つのです。
イエス・キリスト=宇迦之御魂神
先に挙げた次の公式、ニギハヤヒ=イエス・キリストと合わせると次の公式がなりたつのです。
しかし、この説はどうやら間違いであるようです。
実際は、マグダラのマリアさまの指導神として来日してきた、大地母神イシスの分け御霊が宇迦之御魂神さまだったようです。
この件に付きましては、宇迦之御魂神さまご本人に確かめました。
大国主の子だもたち
大国主には180人の子供たちがいたとされています。国造りのための政略結婚によるものと考えられますが、それにしても多いですね。
大国主さまの子孫は、現在の日本にどれ程いるのでしょうか?想像もつきませんね。
もし、イエス・キリストさまが大国主さまだったら、大変なことになります。日本には、イエス・キリストさまの子孫がとても沢山いることになるのですから。
この事実は、日本を侵略する意図を持った者たちにとっては、最大のタブーであったことでしょう。
それゆえに、この国を手中に収めた侵略者たちによって、ニギハヤヒ(イエス・キリスト)に関する情報は封印され続けて来たのです。
宇迦之御魂神さまを大歳さまの弟としたのも、隠蔽工作の1つだったのではないでしょうか?
実のところ、兄の大歳さまも実在していなかったのではないかと疑っているのです。
葛城王朝の初代大王(おおきみ)であるイエス・キリストさまを隠し、出雲の大歳にすり替えたのではないでしょうか?
大国主の正体はイエス・キリストであり、その子供たちが日本には沢山いたという仮説につきましては後日詳しく解説いたします。
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