磐長姫さまは恐れられ、貶められ、何重にも深く封印されていたのです。
磐長姫さまの封印は次の3つでした。
2:神社の伝承を使って『呪』を仕掛ける。
3:物理的な封印の仕掛けを施す。
古代王朝の長期政権
1,350年の栄華
宮下文書によれば、ウガヤフキアズ王朝は2,700年続いたとされています。春秋歴を鑑みれば、それでも、1,350年の長期王権だったわけです。
なぜ、このような長期王権が可能だったのでしょうか?
考察を試みてみます。
あくまでも想像に基づく創作の物語です。
ホツマツタヱの時代、およそ紀元前13世紀頃のお話ですが、大陸に広大な国家を築いた多加王 (たかおう:後のソサノヲ) が富士高天原王朝に攻め上ってきます。
いきなり、本陣に攻め入られたのです。これを何とか食い止め、打ちのめすことが出来ましたが、大陸から渡ってくる渡来系の勢力に対する何かしらの対応策を練る必要性に迫られます。
そのため、陣地の重層化を図ります。
防人 (さきもり) の機能を持たせた外陣に筑紫宮 (つくしのみや) を置き、内陣を畿内の飛鳥宮 (あすかのみや) に置きました。そして蓬莱宮 (はらみのみや) の富士高天原王朝を奥陣としたのです。
このようにして、渡来系民族に対する万全の体制を整えたのです。また、皇統を絶やさないための方策として、アマテルカミさまに13名のお妃さまをあてがいました。
国常立尊さまの皇統が、6代目のオモタル (淤母陀流神) さまとカシコネ (阿夜訶志古泥神) さまの世代で途切れてしまいます。代嗣に恵まれなかったためです。
この教訓を生かして、アマテルカミさまには、過剰ともとれる13名のお妃さまを用意したのです。
出雲国と古代出雲王国
また、出雲には恭順化した多加王 を、内陣に対する守護者として据え置いたのです。このような陣形を取りながら、優秀な人材の育成を行い、長期にわたる安定した王権を可能としたのです。
多加王は、蓬莱宮 (はらみのみや) の諜報部隊による情報操作により、本国の女帝 音姫 (おとひめ) さまから引導を渡されてしまいます。これで、本国に帰るに帰れなくなってしまったのです。
『蓬莱宮 (はらみのみや) の女帝 天照 (あまてらす) の色香に惑わされ、篭絡されてしまった』などと、噂を流されたのでしょうか?
後方支援部隊である輜重部隊 (しちょうぶたい) を引き上げさせられ、味方により兵糧攻めにされたのです。
このようにして、天照大神 (アマテルヲヲンカミ)さま の後を継いで統治王を兼ねていた祭祀王 瀬織津姫ホノコさまの元へ下ります。
そして、出雲の地を与えられ、渡来人に対する防波堤の役目を任されたのです。
これが、出雲国の始まりでした。この後、出雲国の大王 (おおきみ) の世襲名がソサノオ (祖佐之男) とされます。後の時代の素戔嗚尊さまとは別人です。
その後の時代に、インドから日本に回帰してきて、出雲に定着した別の氏族を出雲国は受け入れます。これより、2つの氏族から交互に主王と副王を選出する体制が整えられたのです。
これが古代出雲王朝の始まりでした。
長期政権の礎
天智天皇と娘の持統天皇、藤原不比等から始まる藤原の世は、現在まで続いていると観ることが出来ます。日本には2系統の○○が存在すると云われていますが、その一方が藤原氏ではないでしょうか?
記紀編纂事業がおよそ8世紀初頭の事ですから、現在までおよそ1,300年間続いていることになります。こちらを闇サイドの長期王権だとすると、ウガヤフキアエズ王朝は光サイドの長期王権であると観ることが出来ます。
闇サイドの権力者たちは、光サイドの長期政権の礎となった存在を、歴史から消し去りたかったのではないでしょうか?それはまず、富士高天原王朝でありニギハヤヒ王朝だったのです。
そして、富士高天原王朝の継承者であるツキヨミ (月読尊)さま と、ニギハヤヒ王朝の大王 (おおきみ) の世襲名である饒速日さまの名は真っ先に隠蔽されたのです。
次に消されたのは、王朝を陰から支えていた祭祀王である瀬織津姫さまの存在と、霊能力に特化した霊能巫女である磐長姫さまの存在です。この二柱の神さまの存在も隠蔽の対象となりました。
瀬織津姫と磐長姫、そして木花咲耶姫は称号です。ですから、幾人も存在したのです。最後のニギハヤヒであるイエス・キリストさまには、3人のお妃さまがいらっしゃいました。(注1)
瀬織津姫と 木花咲耶姫、そして磐長姫の称号を持つ3名のお妃さまです。この3人が相互に補完しあいながら政務の補佐を行っていたと観られます。
実は、この3名のお妃さまの存在が、長期政権を可能たらしめたのではないかと推測しています。
注1:3人のお妃さま
tukishiro-art-lab.hatenablog.com
磐長姫さまの封印
3名のお妃さま
内陣に当たる飛鳥宮のニギハヤヒ王朝には、3名のお妃さまを置く制度があったと観ています。祭祀王である瀬織津姫さまと政務の補佐を行う木花咲耶姫さま、そして神事を行う磐長姫さまの3名です。
瀬織津姫さまと木花咲耶姫さま、磐長姫さまは共に役職名であり、個人名ではありませんでした。統治王である帝が崩御した後は、代わりに帝の役割を担ったのが瀬織津姫さまでした。
また、瀬織津姫さまが不在であったり崩御した後、祭祀王の役割を担ったのが木花咲耶姫さまと磐長姫さまだったのです。瀬織津姫さまは『みやひ』と『すなを』の2つの資質を持つ稀有な存在です。
瀬織津姫さまを補佐していたのが、『みやひ』の資質を持つ木花咲耶姫さまと、『すなを』の資質を持つ磐長姫さまでした。この3名のお妃さまを置くことで、安定した長期政権を可能としたのです。
神事を行う磐長姫さまの持つ能力は、神さまと通じる力だけではありませんでした。古神道にはおよそ50種類に及ぶ特殊能力の開発技法が伝わっていたのです。
そうした特殊能力を極めた集団が陰から王朝を支えてもいたのです。彼ら彼女らは、諜報部隊や特殊部隊となりました。また、汚れ仕事を専門とする暗部も存在していたのです。
渡来系民族に対応するために、陣地の重層化に伴い用意された部隊でした。これらの部隊は全国に配置され、諜報活動と治安維持活動に専念していました。
伊豆の女
霊的な能力を持つ能力者たちは、男女問わず全国から集められました。その訓練施設があったのが、富士高天原王朝の勢力圏内にある伊豆半島でした。
ここで訓練を受けている若者たちは、やがて『伊豆の女 (いづのめ) 』、『伊豆の目 (いずのめ)』と呼ばれるようになります。
『伊豆の女』のある者は、3つの王朝の宮中や地方の国の宮中に登り、神事を執る政務補佐官となります。その中で特に優秀なものは、磐長姫の称号を与えられて、お妃さま候補となりました。
宮中に登らない者は、諜報部隊や特殊部隊、暗部に所属して陰から王朝を支えました。彼らの駐屯地は全国各地にくまなく配置され、敵対勢力の動向を常に探っていたのです。
彼らは、遠隔視や、未来視、テレパシーなどの特殊な力を使えました。そのため、情報収集や特殊工作などの特殊任務に最適な人材だったのです。
この特殊部隊の創設は、伊弉諾尊さまと伊邪那美尊さま、菊理媛命さまの世代から準備が進められ、アマテルさまやヒルコさま、ヒヨルコさま、ツキヨミさまの時代に基本的な組織形態が整えられました。
その後、ツキヨミさまの娘のセオリツヒメホノコさまや、孫のイワナガさま、アシツ姫 (木花咲耶姫) さま の世代へと引き継がれて行きました。
伊豆の女王
伊豆の女王 磐長姫命さま 出典:天下統一クロニクル 攻略 Wiki*
称号としての瀬織津姫や磐長姫、木花咲耶姫の名は彼女たちから採られたのです。それだけ、彼女たち3名は優秀だったのです。ツキヨミさまの血筋ゆえのことでした。
霊能力者の資質を持つ者は女性に圧倒的に多かったものですから、伊豆の山中で修業を積む彼女らの姿を見た地元の住人たちから、『伊豆の女 (いずのめ) 』の名が付けられました。
また、彼女たちは、遠隔視が使えましたから山中にいても、市中の様子を常にくまなく把握していたのです。
市中のお店などで、美味しい食べ物が出来上がると、山中からタイミングよく彼女たちが現れるのです。それゆえ、彼女たちを呼び寄せたいときは、お団子やお菓子を用意すればよかったのです。
そのため、彼女たちに常に見守られていると感じていた地元住民たちから『伊豆の目 (いずのめ)』とも呼ばれていました。
これは、見方を変えれば監視の目ですから、悪事を働こうとする者にとっては、とても厄介な存在でした。そのため、伊豆地方は極めて治安の良い地域となっていたのです。
また、『伊豆の女』のまとめ役を『伊豆の女王』と呼びました。初代の『伊豆の女王』に就任したのが磐長姫命さまでした。『伊豆の女王』については、伝承にも残されています。
『伊豆の女王』の世襲名も磐長姫でした。歴代の磐長姫さまは、侵略を目論む渡来系の民族たちから恐れられていたのです。
AIさんにお聞きしました。
Q:磐長姫命は、伊豆の女王と呼ばれていますか?
A:磐長姫命は、伊豆の女王と呼ばれていることがあります。これは、彼女が大室山の化身であるとされ、伊豆地方の人々に崇拝されていたからです。大室山は富士山の対岸にある火山で、磐長姫命は火の神である木花開耶姫命の姉です。磐長姫命は、天孫の邇邇芸命に嫁ぐはずでしたが、容姿が醜いとして返されました。その後、彼女は大室山に住み、伊豆の人々に長寿と縁結びの神として祀られました。1
伊豆の女王という呼び名は、磐長姫命が伊豆地方の守護神であり、その地域の豊かさや安全を司っていたことを示しています。また、磐長姫命は岩や石を象徴する神であり、永遠性や不変性を表しています。2 伊豆地方では、磐長姫命を祀る神社がいくつかありますが、その中でも雲見浅間神社と大室山浅間神社は特に有名です。3 これらの神社では、磐長姫命に対する敬意や感謝を表す祭りや行事が行われています。4
磐長姫命は、伊豆の女王としてだけでなく、日本神話や万葉集にも登場する重要な女神です。彼女の物語は、日本古来の信仰や文化に影響を与えてきました。私は、磐長姫命についてもっと知りたいと思いますか?😊
関連情報
7.大室山浅間神社 磐長姫命(イワナガヒメ) 木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ) 五智如来地蔵尊
市杵嶋姫命さまの封印
瀬織戸神社
諜報部隊や特殊部隊、そして暗部として暗躍していた『いづのめ』の存在、特に『伊豆の女王』として君臨していた磐長姫さまの存在は、渡来系の侵略者たちにとっては負の歴史以外の何物でもなく、真っ先に消し去りたい存在だったのではないでしょうか?
そのため、景行天皇の時代より、素戔嗚尊さまとともに、貶められ封印されていたのです。
その封印の仕方なのですが、記紀やホツマツタヱで『嘘』の物語を紡ぎだすだけでは足りずに、神社の伝承を使った『嘘』を『呪』として使う手法も採られているのです。
静岡市清水区折戸に瀬織戸神社 (せおりとじんじゃ) があります。ご祭神は瀬織津姫さまなのですが、市杵嶋姫命さまと同一であり、弁財天さまと同一神であるとしているのです。
天照大神の第二王女とありますから、御祭神さまは市杵嶋姫命さまになります。こちらの市杵嶋姫命さまは、宗像三女人ではありません。ですから、水の神さまではないのです。
市杵嶋姫命さまは、磐長姫命さまの転生者です。
弁財天さまは、木花咲耶姫さまの転生者です。
ですから、ここに嘘が込められているのです。
本来水の女神さまではない、市杵嶋姫命さまを水の女神さまとすることで『呪』を掛けているのです。
注1:瀬織戸神社
磐長姫命さまの多重の封印
第七の結界と第八の結界
市杵嶋姫命さまを祭る厳島神社を、封印の仕掛けとして用いている三角陣結界があります。この三角陣結界は複合神社三角陣封印結界のひとつです。(注1)
この三角陣結界は7番目の結界となるのですが、封印の解かれた複合神社三角陣結界を巡る大地の気を滞らせる役割を持っていたのです。
この封印を解く事で、複合神社三角陣結界内を大地の気が巡りだし、浄化の仕組みである鳴門の仕組みが発動したのです。
これは、『嘘』を使った『呪』とは異なり、大掛かりな神社配置を使った物理的な封印の仕掛けとなっていたのです。国家風水師たる陰陽師たちによって仕掛けられた封印結界だと推測します。
このようにして、磐長姫さまは恐れられ、貶められ、何重にも深く封印されていたのです。磐長姫さまの封印は次の3つでした。
2:神社の伝承を使って『呪』を仕掛ける。
3:物理的な封印の仕掛けを施す。
注1:磐長姫さまの封印解除
tukishiro-art-lab.hatenablog.com
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