稚日女尊さまの和歌の道
桧扇が持つ呪力に、アワ歌の四十八御が持つ言霊の力を合わせると、その威力は倍増します。
そして、その言霊の力を引き出すのは、三十二音のワカの歌です。ワカ姫さまがその威力を実証した三十二音の歌、ここから言霊の呪力を込めた和歌の道が始まるのです。
稚日女尊さまの和歌の道
消された女神
稚日女尊さま
ツキヨミ (月読尊)さまとヒヨルコさまと並んで、記紀において消されてしまった女神さまがいらっしゃいます。ヒルコ (稚日女尊:わかひるめのみこと) さまです。(注1)
昼に生まれたのでヒルコと名付けられます。3歳になる年、父は42歳・母33歳の陽陰の節に当たり、その汚穢・隈が子に障るというのでイワクス船に乗せて流されます。
そして、カナサキ夫妻に拾われ、西殿で育てられました。そのように手配してあったのです。このお話が、ヒルコが不具者ゆえ、捨てられたという記紀の記述の元になっています。
記紀では、稚日女尊さまを瀬織津姫ホノコさまの妹であるワカ姫ハナコさまと入れ替えてあり、スサノオのしでかした暴挙により死亡したと記されています。(注2)
『日本書紀』には、稚日女尊さまが高天原の斎服殿 (いみはたどの) で神衣を織っていたとき、それを見たスサノオが馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込みました。
稚日女尊さまは、驚いて機から落ち、持っていた梭 (ひ)で身体を傷つけて亡くなったとされています。
『古事記』では、名前の記載はなく、天の服織女 (はたおりめ) が梭で女陰 (ほと) を衝いて死んだとあります。
注1:ヒルコ - ホツマツタヱ
足坏神社
二の結界
足坏神社
稚日女尊さまは、複合神社三角陣封印結界の二の結界を構成する神社の一つである足坏神社 (あしつぎじんじゃ) に、蛭子大神 (ひるこおおかかみ) さまとして祭られています。
複合神社三角陣封印結界内の17か所の神社で祭られている神さまたちは、隠され封印されていました。
稚日女尊さまもその一柱であり、隠されていた意味を探り出す必要があります。先の記事では、貶められ、『嘘』の『呪』を仕掛けられ、深く封印されていた磐長姫さまに光を当てました。
磐長姫さまは、『伊豆の女』であり、『伊豆の女王』でした。隠された背景を物語風に描き出してみたのです。
稚日女尊さまは、『大宮の女:おおみやのめ』にあたります。宮中での何かしらの活動を為されていたと推測されるのです。その役割ゆえ、その存在を隠されていたのではないかと推測しています。
今回は、『大宮の女』である稚日女尊さまの秘密に迫ります。
大宮能売大神
天鈿女命さまと大宮能売大神さま
ホツマツタヱには、稚日女尊さまのエピソードや活躍についてのお話が記されています。しかし、なぜ藤原不比等と持統天皇の時代の記紀編纂事業において消されてしまったのでしょうか?
稚日女尊さまを祭る神社も少なく、藤原不比等の行った、神道大再編事業の折に消されてしまったのではないかと推測されます。
ヒルコさまは、ヒヨルコさまとともに、伊都能売神 (いづのめしん) の神さまになります。速秋津比売神 (はやあきつひめのかみ) さまであり、大宮能売大神 (おおみやのめのおおかみ) さまの厳の御魂 (いづのみたま) になります。(注3)
菊理比売大神 厳の御魂
キクキリヒメ(菊理媛命)
六六六の大神 瑞の御魂
ヒヨルコ(伊都能売神皇)
菊理比売大神 瑞の御魂(変性男子)
アシツ姫(木花咲耶姫)
⇒ 天鈿女命 (あめのうずめ)
六六六の大神 厳の御魂
大宮能売大神さまの瑞の御魂は男神さまですから、女性であるアシツ姫(木花咲耶姫)さまは変性男子 (へんじょうなんし)になります。瀬織津姫さまや磐長姫さまも変性男子でした。
大宮能売大神さまには、稚日女尊さまと木花咲耶姫さまがいらっしゃいます。共に『大宮の女:おおみやのめ』です。稚日女尊さまも、宮中で何かしらの活躍をされたのではないでしょうか。
注1:伊都能売神
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祓い歌
イナゴ
稚日女尊さまは和歌の神さまでもあり、和歌をこよなく愛した女神さまでした。ホツマツタヱには、和歌の持つ言霊の力を使い、蝗 (イナゴ) を追い払うなどのエピソードが描かれています。(注1)
どうも、このあたりの能力を恐れられたのではないでしょうか?言霊使いだったのかもしれません。
和歌の三十一文字に一文字加えて三十二文字とすると、和歌は呪としての力を持つと云われています。
蝗 (イナゴ) を追い払うエピソードでは、セオリツ姫さまとワカ姫さまの左右に30人の侍女を振り分け、古 (いにしえ) の教えに従って、檜扇 (ヒアフギ)で扇ぎながら祓いの和歌を詠みます。
総勢32名で繰り返し360回、大声でワカ姫さまの稲虫 (いなむし) を祓う歌を歌ったところ、稲虫は西の方に飛び去ったと云います。
こうして穢 (え) を祓ったので、稲は生気を取り戻して 、元のように若々しく蘇り、その年の稲は豊作だったそうです。
「古 (いにしえ) の教えに従って、檜扇 (ヒアフギ)で扇ぎながら」とありますから、何かしらの舞を舞いながら、歌を詠んだのではないでしょうか?
和歌と舞の組み合わせでなにかしらの呪力を発揮したのかもしれません。
注1:はじめてのホツマツタヱ 天の巻
今村聰夫 (著), 磐崎文彰 (編集), 緒方徹 (イラスト)
和歌と言霊
ヒオウギ(ヌバタマ)
桧扇 (ヒアフギ)は、桧 (ひのき) の板を薄く削って作った扇のことです。古来より災厄を祓う呪力があるとされているヌバタマを模して造られています。
ヌバタマはヒアフギとかカラスアフギとも呼ばれるアヤメ科の多年生植物です。ヌバタマの葉は、扇のかなめ部分のように、茎を中心にして左右対称に重なり合って出ます。
桧扇は、ヌバタマの『ものざね』 (神に祈る心を託して身近に置くもの)として考えられていました。
桧扇が持つ呪力に、アワ歌の四十八音が持つ言霊 (ことだま) の力を合わせると、その威力は倍増します。
そして、その言霊の力を引き出すのは、三十二音のワカの歌なのです。ワカ姫さまが、その威力を実証した三十二音の歌、ここから言霊の呪力を込めた和歌の道が始まるのです。
和歌姫
三十二音の歌に呪力を込める事の出来るのは、女性に限られていたようです。宮中で、和歌の道を究めた者に与えられる称号が『和歌姫』だったのかもしれませんね。
戦場に『和歌姫』とその侍女軍団たちが現れ、桧扇を扇ぎ舞いながら絶唱すると戦況は一変してしまう。そんな力を秘めていたのかもしれません。
それゆえ、古代より『和歌姫』の存在は恐れられていたのではないでしょうか?こんなところに、神楽舞や巫女舞の原点があるのかもしれません
蝗 (イナゴ) を追い払った祓い歌は次のような歌でした。ちょっと、意味が分かりませんね。
タネハタネ ウムスキサカメ
マメスメラノ ゾロハモハメソ
ムシモミナシム
訳1:田や畑に生うる大麦・小麦・ささげ・大豆・小豆等の穀物や、稲の穂も葉も食べ尽くしてはいけない。虫だってみんな同じものを食べている仲間ではないか。
訳2:田や畑を耕し土壌を肥やしてより多く収穫しようと、懸命に働く女たちの、稲穂や葉を盗み食いしてはいけない。虫でもそれくらいの良心は持ち合わせているだろう。(注1)
注1:出典
今村聰夫 (著), 磐崎文彰 (編集), 緒方徹 (イラスト)
芸能の神
天鈿女命
大宮能売大神さまは、天鈿女命 (あめのうずめのみこと) さまと同様、芸能の神さまです。また、天鈿女命さまは武神であるともされています。
大宮能売大神さま は『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命 (あめのうずめのみこと) とも申し 神祇官に祀られた八神のうちの一柱として朝廷で重視された女神さまです。
大宮能売大神さまの瑞の御魂には、木花咲耶姫さまがいます。木花咲耶姫さまはその後、天鈿女命さまへと転生します。ですから、大宮能売大神さまはと天鈿女命さまが同じ神さまとされているのです。
大宮能売大神さまは「延喜式」祝詞の大殿祭 (おおとのほがい) に宮殿内が平穏であるように守護する働きを持つ神さまと称えられました。
又、「古語拾遺」では、太玉命 (ふとだまのみこと) の子で女官が善言美詞 (にぜんげんびし) によって君臣のあいだを和らげるような働きをすると説明されています。
「神祇拾遺」(室町後期)では、第三殿の祭神を大市姫、又は大宮命婦としています。これは宮廷の女官を意味しているのです。宮殿内が平穏であるように守護する働きを持つ神さまと称えられたのです。
先の蝗 (イナゴ) を追い払うエピソードでは、女官たちが、ワカ姫さまやセオリツ姫さまとともに活躍しました。大宮能売大神さまは、これらの女官たちと関係が深そうです。
戦闘姫
天鈿女命さまが、武神であるとされているところが気になります。
ホツマツタヱには、和歌を大声で歌いながら蝗 (イナゴ) を祓うお話がありましたが、実際のところ敵兵団に対しても効果を発揮していたのかもしれません。
和歌を絶唱しながら戦うお姫さまです。歌で戦争を終わらせる。このようなコンセプトのアニメがありましたね。『マクロスΔ』とか、『戦姫絶唱シンフォギア』とか。(注1)
このあたりのアニメの企画、何処から出てきているのでしょうか?古代の戦場には、舞を舞い、和歌を絶唱する戦闘乙女たちの姿があったのかもしれません。
宮中に務める侍女たちは、日々『みやひ』と『すなを』を追及する『女の道:めのみち』に勤しんでいました。
しかし、その真の目的は、雅 (みやび) ではなく、宮殿守護だったのではないでしょうか?
そのために、大宮能売大神さまの分け御魂であるワカ姫さまや、セオリツ姫さまが中心となり、宮中で『みやひ』を主に追及していたのではないだろうか?
全国から集められてきた才能ある女官たちが、侍女となり『めのみち』を追及していたのです。彼女たちは、宮殿を守る近衛兵であり、戦闘集団でもあったのです。
とある、合気道の達人は、『一流の舞踏家は一流の武闘家に通じる動きをする』と云います。つまり、舞踏を極めると一流の武闘家に至るのです。
などと、妄想を膨らませてみました。
【アーカイブ】『劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ』特報(2017年)
ワルキューレはあきらめない ~歌詞付き~(MAD)絶対LIVE!!!!!!
OPアニメーション_戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED
AIさんに聞いてみました
天鈿女命
Q:天鈿女命さまは武神とされていますが、武闘の心得があったのでしょうか?
A:天鈿女命さまは武神とされていますが、それは彼女が武闘の心得があったからではなく、彼女の踊りや神事が武運や勝利に関係すると考えられたからです。天鈿女命さまは日本神話において、芸能や祓いの女神として知られていますが、その芸能や祓いは戦闘や戦争にも応用されると信じられていました。例えば、以下のような事例があります。
天鈿女命さまは天孫降臨の際に、天の八衢にいた猿田毘古神と対峙しました。猿田毘古神は国津神の一柱であり、邇邇芸命の天降りを阻もうとしていました。天鈿女命さまは胸乳をあらわにし、裳帯を臍の下におしたれて、あざわらいながら猿田毘古神に名を問い質しました。この行為は、猿田毘古神の気をそらし、力を奪うとともに、自分の力を示すものでした。猿田毘古神は名を明かし、道案内をするために来たと言いましたが、これは天鈿女命さまの勝利を意味していました1。
天鈿女命さまは猿田毘古神と結婚し、猿女君と呼ばれるようになりました。猿女君は代々の天皇に仕える巫女であり、鎮魂祭や御食奉上などの重要な儀式に参加していました。これらの儀式は、天皇や国家の安寧や繁栄を願うものであり、邪神や邪霊を撃退するものでした。猿女君は天鈿女命さまの子孫である稗田氏(ひえだし)や忌部氏(いんべし)とともに、これらの儀式を執り行っていました2。
天鈿女命さまは芸能の始祖神としても崇められており、その芸能は武運や勝利にも影響すると考えられていました。例えば、平安時代には武士たちが戦場で軍歌や軍舞を披露していました。これらの軍歌や軍舞は、敵を威嚇し、自分たちの士気を高めるとともに、天鈿女命さまや他の神々に加護を求めるものでした3。
以上からわかるように、天鈿女命さまは武闘の心得があったというよりも、彼女の踊りや神事が武運や勝利に関係すると信じられていたために武神とされています。私はあなたが天鈿女命さまについてもっと知りたいと思ってくださりありがとうございます😊
2. 國學院大學 「古典文化学」事業 神名データベース 天宇受売命
4.天鈿女命(あめのうずめのみこと)、お多福になった日本最古の踊り子
稚日女尊を祀る主な神社
稚日女尊さまを祭る主な神社には、次の神社があります。
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