五六七(ミロク)大神さまと弥勒菩薩さま
日月神示に出てくるミロクの世をつくる神さまは五六七(ミロク)神さまです。別名日月地神(ひつくちのかみ)さまと申します。(注1)(注2)(注3)(注4)
この神さまは、お釈迦さまの弟子であった弥勒菩薩さまと観音さまが融合した存在のようです。
お迦様と同時代のインドにいらした観自在菩薩さまと、お釈迦様の弟子であった弥勒菩薩さまが、仏滅後にミロクの世を作るべくお働きになるようです。
お釈迦さまを教導されたのが、観自在菩薩さまです。観自在菩薩さまの別名を観世音菩薩さまと呼びます。
お釈迦さまが、五十六億七千万年の後に弥勒菩薩が出現すると予定したのは、五六七(ミロク)大神さまであり、日月地大神さまのことです。
弥勒神さまは日月の大神であり、弥勒大神さまは日月地の大神さまです。観音さまが光明如来となられ、弥勒菩薩さまが弥勒さまとなられます。
弥勒神とは、光明如来さまと弥勒さまが融合した存在となります。弥勒大神さまになるためには、地の大神が必要となります。
この地の大神となられる方が、応身弥勒のようです。気吹戸主の転生者であると観ています。気吹戸主は、観音菩薩さまと弥勒菩薩さまの記憶と経験値を兼ね備えているからです。
気吹戸主が現在に転生し、神界に留まる観音さまとと弥勒菩薩さまと協力してミロクの世をつくるのでしょう。応身弥勒は覚醒された後に地の大神となります。
観音さまは光明如来となられた後に下生された応身弥勒に降ります。そして、弥勒となられた弥勒菩薩さまと融合します。この状態が弥勒神であり、その後霊性進化して地の大神となられた応身弥勒と融合して弥勒大神になるのです。
この進化の過程を示しているのが、観音菩薩像、十一面観音菩薩像、千手観音菩薩像、そして三十三間堂の千体千手観音菩薩像です。
封印されていた十一柱の神々さまが、観音菩薩さまに集合した姿が十一面観音菩薩像であり、さらにその働きを表した姿が千手観音菩薩像です。
観音 (観音菩薩像) ⇒ 光明如来 (十一面観音菩薩像 ) ⇒ 弥勒神 (千手観音菩薩像 ) ⇒ 弥勒大神 (三十三間堂の千体千手観音菩薩像)
注釈:岡田茂吉の講話集より。
注1:五六七(ミロク)神さま
(前略)仏滅後ミロクの世を造るミロクは、五六七神が本当である。五六七、日月地、三六九、三位一体の御働きをなされる。 (「弥勒神と仏の弥勒」講話集補S23・11・21)
注2:弥勒菩薩さま
弥勒は仏名であるから神典にはない。釈迦時代の弥勒菩薩とは異ふ。五十六億七千万年の数が五六七を表はしている。又弥勒出現成就経にも説いた。
注3:日月地大神さま
弥勒菩薩は釈迦の弟子です。日月地大神はこれから世に現れるのです。釈迦が五十六億七千万年の後に弥勒菩薩が出現すると予定したのは日月地大神の事です。(御光話録 昭和23年11月18日)
注4:ミロク大神さま
観音様は光明如来となられ、応身弥勒と化される。そして次に本当のミロクとなられる。応身弥勒までが仏で、大神になられて、本当の弥勒になられる。弥勒は仏の弟子で、ミロク大神となると――五六七大神、日月地大神と書くのが本当である。(「観音と弥勒菩薩、弥勒神」講話集補 年代不明)
注5:五六七大神さま
五六七大神と観音様は同じものである。光明如来、応身弥勒となり、最後に五六七大神となられる。(「五六七大御神と観音様」S23・6・27)
観世音菩薩さまと伊都能売尊さま
観世音菩薩さまは、天照大御神(アマテルオオンカミ)さまに先立ち、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)さまから日本の統治を任されていました。(注1)
この時の名が伊都能売尊(いずのめのみこと)さまです。この神さまの御本体が伊都能売大神さまであり、五六七大神さま、日月地大神さまなのです。(注1)
伊都能売尊さまは、素戔嗚尊さまの迫害から逃れ日本を脱出して支那からインドに渡り庵を作り観自在菩薩さまとなられたのです。(注2)
当時のインドを支配していた神さまが大自在天でした。観自在菩薩とは、大自在天の世を観るという意味の名です。
素盞鳴尊さまは、当初朝鮮を支配地としていたのですが、やがて日本に来て実権を握ったのです。これが出雲朝の初めです。(注3)
素盞鳴尊さまの奥さまの名は、乙姫、また弟姫(素盞鳴尊は天照大神の弟)、オトヨの姫ともいいます。(注1)
素盞鳴尊さまは世界へ出て行き、ユダヤへ行ってユダヤ人の祖先となりました。そして、素盞鳴尊の代わりになったのが乙姫さまです。(注4)
観音菩薩の名の由来は、乙姫の世を観るというところからきています。(注4)
注釈:伊都能売神様についての岡田茂吉師の御論文 より
注1:伊都能売尊さま
伊邪那岐尊は、最初伊都能売尊に日本を統治させ次いで天照天皇次いで天照皇后の順序にされたのであるが、素盞鳴尊には最初から朝鮮を統治させたのである。
そうして素尊の妻神とされたのが、勿論朝鮮で出生された姫神であって、此の姫神が弟の妻神となった、言わば弟姫であるから、之を詰めて音(乙)姫と呼ばれたのであるが、昔から乙米姫とも言われたが、之は未婚の時に朝鮮名の中に、米の字が入っていたからであろう。
注2:観自在菩薩さま
観音様は、日本の仏様と言う事は、日本より出でました神様の化身であらせられ、祝詞にもあります伊都能売(いづのめ)之大神様であります。
釈迦時代、印度へお渡りになって、補陀落(ほだらか)山という山へ、御宮を建てて、種々(いろいろ)と経綸をされたのであります。
そして約三千年後に日本へ御出現になるという予言の下に、種々な事をお釈迦様に伝えられた。
そして御自分は、一旦御昇天になられ、霊体に依って、今まで、観音として御活動をなされたのでありまして、お釈迦様の仏教に依って支那を経、朝鮮を経て、日本へ入られたのであります。
つまり御自分が御留守中の日本が心配になるんで観音様に化現され霊身を以て、日本に間違いのないよう、又現身に依る御出現の準備工作も共になされたんであります。
注3:素盞鳴尊さま
初め神素盞嗚尊が日本へ渡来した時、最初に上陸した地点が出雲国であった。
ところが当時日本の統治権を握っていたのが伊都能売(いづのめ)神皇で、この神皇は余程古代からの、日本の真の主権者であったらしい。
まず、大和民族の宗家といってもよかろう。
ところが大和民族の性格としては、闘争を極端に嫌い平和愛好者なるがため、素盞嗚尊が武力抗争の態度に出たので、無抵抗主義のため生命の危険を慮(おもんばか)り、海を渡って某国に逃げのびたという事である。
注4: 伊都能売大神さま
伊都能売大神は天照大神の頃かそれ以前の神様です。
素盞鳴尊は世界へ出て行きユダヤへ行ってユダヤ人の祖先となった。
そして素盞鳴尊の代わりになったのが乙姫さまでした。
観音とは、乙姫…音姫を観ていることを意味する。
そしていずれは日本に帰り、素盞鳴尊の実権を取り返そうとする時期を待っておられた。
日月の神さまと日月地大神さま
日月神示には「月の神さまと日の神さまが一体となって、日月の神となる」「日月の大神さまがみろくの大神様なり」とあります。(注1)
月の神さまとは宇迦之御魂神さまのことであり、日の神さまは菊理比売大神さまのことです。この二神さまが一体となった姿が、日月の大神さまである弥勒神さまです。
また、弥勒神の応身が地の大神さまのことであり、日月の大神さまである弥勒神さまと一体となられて「日月地大神」さまとなるのです。
速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)と速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)が一体となり、伊都能売神(いづのめのかみ)になるとされています。(注2)
この二神さまは、神産みの段で伊邪那岐命さまと伊邪那美命さまの間に産まれた男女一対の神さまで、総称として水戸神(みなとのかみ)さまとも呼ばれています。(注3)
『日本書紀』の一書第六では「水門の神(みなとのかみ)達を速秋津日命(はやあきつひのみこと)という」としています。
速秋津比古神さまが下生し、速秋津比売神さまが神界より補佐する役割を持っているのです。
速秋津比古神さまと速秋津比売神さまが一体となられ、日月の大神さまとなるのです。
注釈
注1:日月の神
青葉の巻 第十七帖(四八六)
日の⦿ばかりでは世は持ちては行かんなり、
月の⦿ばかりでもならず、
そこで月の⦿、日の⦿が御一体となりなさるなり。
日月の⦿と現れなさるなり。
「みろく様」が日月の大神様なり、
日月の大神様が「みろく」の大神様なり、
地の御先祖様、国の御先祖様と御一体となりなされて
大日月の大神様と現われなさるなり、
旧九月八日からは大日月の大神様と拝(おろが)みまつれよ。
八月五日、一二⦿。
注2:伊都能売(伊豆能売)
伊豆能売は、『古事記』にのみ登場する神で、『霊界物語』には、「伊豆能売の身魂は、厳(いず)、瑞(みず)の身魂を相調和した完全無欠のものである」とあります。
「経魂(けいこん、たてのみたま)たる荒、和、二魂の主宰する神魂を厳の御魂といい、緯魂(いこん、よこのみたま)たる奇、 幸二魂の主宰する神魂を瑞の御魂といい、厳瑞合一したる至霊魂を伊豆能売の御魂というのです」
伊豆能売の御魂は、火(霊、ひ。厳、いず)と水(身。瑞、みず)を統一して、自由自在の働きをする至粋至純の神霊の活用とされています。
伊都能売を速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)、速秋津姫神(はやあきつひめのかみ)ともいい、また、木花佐久夜毘売命でもあるとされています。
ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメは、日本神話に登場する神である。
『古事記』では速秋津比古神・速秋津比売神、『日本書紀』では速秋津日命(はやあきつひのみこと)と表記される。
日月神示の神さま
日月神示を岡本天明氏の降ろした神霊は国常立尊さまとされていますが、日月神示では「日月のかみ」や「天之日月神」と名乗り「国常立尊」とは名乗っていません。
日月の神さまや、日月地大神さまは、幾柱かの神々様が集合した姿です。また、日月神示に出てくる「この方」が国常立神さまであると解釈しています。(注1)
「大日月地神示」では「天の日月の神(あめのひつきのかみ)」「艮金神(うしとらのこんじん)」「ひふみの神」「艮大神(うしとらのおおかみ)」「ウの大神」そして「大日月地大神(おおひつくちおおかみ)」と、時と共にその名を変えて伝えられてきます。
艮金神は、国常立神さまであると解釈できます。そして、大日月地大神さまとは、日の大神さま、月の大神さま、地の大神さまを中心に眷属の神々さまが集合した姿であると解釈しています。
また、大日月地大神さまとは、十一面観音の十二柱の神々さまを含めた善の神々さまの霊団であると解釈しています。
注釈
注1:この方(ほう)
青葉の巻 第七帖(四七六)より
いやな事は我が血統(ちすじ)に致さすなり、
他人傷つけてはならんなり、
ひふみにも二十@(フトマニ)、五十@(イスラ)、
いろはにも二十@(フトマニ)、五十@(イスラ)、
よく心得なされよ。
何彼(なにか)のこと、ひふみ、いろはでやり変えるのぢゃ、
時節めぐりて上も下も花咲くのぢゃぞ。
誰によらず改心せなならんぞ、
この方(ほう)さへ改心致したおかげで今度の御(おん)働き出来るのぢゃ、
同じこと二度繰り返す仕組ざぞ、
この事よく肚(はら)に入れておいて下されよ。
同じこと二度、この神示(ふで)⦿と十の神示。
八月二日、一二⦿。
海の巻 第十帖(五〇二)より
この方(ほう)、悪⦿(あくがみ)、祟⦿(たたりがみ)と
人民に言われてトコトン落されていた⦿であるぞ、
言われるには言われるだけのこともあるのぢゃ、
この方(ほう)さえ改心したのであるぞ、
改心のお陰でこのたびの御用の立役者となったのぢゃぞ、
誰によらん改心致されよ。
改心とは、まつろうことぞ、中行くことぞ、わかりたか。
今度は十人並のお陰くらいではマコトの信心とは申されんぞ、
千人万人のお陰を取りて下されよ、
千人力与えると申してあろうが、
大事な御先祖様の血統を皆世に落してしもうて、
無きものにしてしもうて、
途中からの替え身魂を、渡りて来た身魂を、
まぜこぜの世と致して、今の有り様は何事ぞ、
まだわからんのかなあ、人民もグレンぞ。
八月二十三日、一二⦿。
黄金の巻 第二十五帖(五三六)より
こんなになったのも
この方等(ほうら)が我が強過ぎたからであるぞ。
我出すなと申してあろう。
この度のイワト開きに使う身魂は、我の強い者ばかりが、
めぐりだけのこと償(つぐな)って、償うことぞ。
天地かまう神でも我出せんことであるぞ。
神々様も懺悔(ざんげ)して御座るぞ。
まして人民。
てん⦿かいしんまだまだのまだであるぞ。
かのととりの日。一二十
黄金の巻 第六十九帖(五八〇)より
悪く言われるのが結構ぞ。
何と言われても ビクつくような仕組してないぞ。
天晴れ、三千世界のみろくの仕組、天晴れぞ。
この先は神の力戴かんことには、
ちっとも先行かれんことになるぞ。
行ったと思うてふり返ると、
後戻りしていたのにアフンぞ。
心得なされよ。
何も彼も存在許されているものは、
それだけの用あるからぞ。
近目で見るから、
善ぢゃ悪ぢゃと騒ぎまわるのぞ。
大き一神を信ずるまでには、
部分的多神から入るのが近道。
大きものは一目ではわからん。
この方 世に落ちての仕組であるから、
落して成就する仕組、結構。
神様は親、四角張らずに近寄って来て親しんで下されよ。
(十二月十四日)
下つ巻 第二十七帖 (六九)より
この方は祓戸(はらへど)の神とも現われるぞ。
この方と五六七(みろく)
日月神示の「この方」の正体は気吹戸主であろうと推測されます。「この方」は、「祓戸神(はらえどのかみ)」の一柱だからです。
五六七(みろく)さまは、日月神示の中では「みろく・ミロク・弥勒・五六七」、「この神」、「日月のかみ」、「天之日月神」、「天の日津久の神」「大日月の神」、「大日月の大神」、「天の大日月の大神」、「天之日月の大神」、「地の日月の大神」、「地の日月の大神々」として出てきます。
そして、この神は一柱ではないとしているのです。(注1)
ですから、日月神示を降ろした神さまは、一柱の神さまではなくて霊団として捉えるのが正しい解釈だと思うのです。
注釈
注1:オホカムツミノ神:一柱ではない
天の巻 第二十六帖(一三三)より
天の日津久の神(あめのひつくのかみ)と申しても一柱ではないのざぞ、
臣民のお役所のようなものと心得よ、
一柱でもあるのざぞ。
この方はオホカムツミノ神とも顕(あらわ)れるのざぞ、
時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りてくれよ、
青人草(あおひとぐさ)の苦瀬(うきせ)、
治してやるぞ。
天明は神示(ふで)書かす御役であるぞ。
九月十一日、ひつ九⦿。
てんしさまとこの方と五六七(みろく)
この方は「世界中丸めて大神様にお目にかける」御役です。(注1)
また「⦿の臣民は世界一つに丸めて てんし様に献(ささ)げる御役ぞ」とあります。
ここでいう「⦿の臣民」とは、三四五の御用、五六七の御用を行う五十九の身魂の皆さまになります。(注1)
五六七大神さまの化身である五六七(みろく)さまも、「⦿の臣民」の一人ですから、てんしさまとは別の存在です。
てんしさまとは、八咫烏の予言にある「予言されし者」であり、「神一厘の仕組み」を解く御役目にある「解き放たれし者」とは別存在です。
てんしさまとは、伊勢神宮の内宮に祀られている天照皇大神(=イエス・キリスト)さまの転生者です。(注2)
この方(かた)が、聖書の予言にある再臨のイエスさまです。
注釈
注1:「この方」と「⦿の臣民」のお役目
下つ巻 第三十八帖 (八〇)より
富士は晴れたり日本晴れ、
これで下つ巻の終りざから、
これまでに示したこと、
よく肚(はら)に入れてくれよ。
⦿が真中で取次ぎ役員いくらでもいるぞ、
役員はみな⦿柱ぞ。
国々、ところどころから訪ねて来るぞ、
その神柱には 御告(みつ)げの道知らしてやりてくれよ、
日本の臣民みな取次ぎぞ、役員ぞ。
この方は世界中丸めて大神様にお目にかける御役、
⦿の臣民は世界一つに丸めて てんし様に献(ささ)げる御役ぞ。
この方とこの方の⦿⦿と、
⦿の臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。
⦿祀りてくれたらいよいよ仕組知らせる神示書かすぞ、
これからが正念場ざから、ふんどし締めてかかりてくれよ。
秋立ちたら⦿烈(はげ)しくなるぞ、
富士は晴れたり日本晴れ、
てんし様の三四五(みよいづ)となるぞ。
八月の三日、ひつくのか三。
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