日月神示のいう「マコトの天照大神さま」とは、豊雲野神さまです。
国常立尊さまが「艮の金神」と呼ばれているのに対し、豊雲野神さまは「坤の金神」といわれています。
この世界は「囚われた太陽の輝く世界」だったのです。
第三の結界
マコトの天照大神さま
第三の結界の三つの神社の御祭神で、関係性の深い神さまは次の通りです。
小坂熊野神社:饒速日さま
伊勢神明社:天照大神さま
日月神社:天照大神さま
小坂熊野神社に祭られている饒速日さまは、伊勢神宮の内宮に天照大神さまとして祭られています(注1)
天照大神(あまてらすおおかみ)さま
= 豊雲野神(とよくものかみ)さま
天照大御神(あまてらすおおみかみ)さま
= アマテルヲヲンカミさま
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)さま
= イエス・キリストさま
(饒速日:大国主:大物主)
大日孁貴神(おおひるめむちのみこと)さま
= 日向の女王卑弥呼(神大市比売)さま
このなかで、日月神示のいう「マコトの天照大神さま」とは、豊雲野神さまです。豊雲野神さまは、国常立尊さまの妻神さまです。
豊雲野神さまは、国常立尊さまの妻神さまであり、国常立尊さまが艮の金神(うしとらのこんじん)と呼ばれているのに対し坤の金神(ひつじさるのこんじん)といわれています。(ウィキペディア 大本神諭の項 参照)
「マコトの天照大神さま」である豊雲野神さまの本来の神格である天照大神を、日向の女王卑弥呼(神大市比売)さまに差し替えることで封じていたのです。
これが、坤の金神さまの封印です。
この世界は「囚われた太陽の輝く世界」だったのです。
祭祀王と統治王
古代王朝の統治者には、祭祀王(さいしおう)と統治王(とうちおう)のお二人がいました。古代出雲王朝に主王と副王がいたのと同様です。
祭祀王の方が身分が高く、祭祀王が主王で統治王が副王といったところでした。そして祭祀王には女性がなることが多かったので、古代王朝時代は女神信仰の国だったと言えるのです。
これは、日向の主王が女王 卑弥呼さまであったのと同様です。日向の統治王は72代目のウガヤフキアエズさまです。ですから、天照大神さまは本来は女神さまでよいのです。
男神さまである、天照大御神(あまてらすおおみかみ:アマテルヲヲンカミ)さまも、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ:イエス・キリスト)さまも、中継ぎの太陽神だったというわけです。
二朝分裂時代の筑紫の宮のウガヤフキアエズ王朝と、飛鳥の宮の香久山(ニギハヤヒ)王朝は、それまでの王朝の統治王と祭祀王を分けたと考えられるのです。
女系の皇族である祭祀王の血筋を守るために設けられた、仮の統治王がニギハヤヒだったというわけです。
2つの国譲りの物語
日向と出雲の和合は、全国を統一した統治王である素戔嗚尊さまが、祭祀王である日向の女王 卑弥呼さまに国譲りをしたと観ることが出来るのです。
そして日向と出雲の連合国家と、畿内の香久山(ニギハヤヒ)王朝との和合は、最後の仮の統治王であるニギハヤヒさまが、本来の統治王の末裔であるイワレヒコさまと入れ替わり、イワレヒコさまが本来の祭祀王の末裔である瀬織津姫(称号)さまの元へと嫁いだことを意味するのです。
葛城王朝における祭祀王の家系は、ニギハヤヒ系の三輪氏と出雲系の加茂氏です。つまり、葛城王朝の実権は、素戔嗚尊さまと饒速日さまの末裔が握っていたということになるのです。
女系の祭祀王の血筋の方が重要でしたから、10代統治王に半島系の騎馬民族の血を引く回帰系の皇族であるミマキイリヒコ(崇神天皇)を起用することも可能だったのです。
これは、農耕民族の統治王を騎馬民族の統治王に挿げ替えたことを意味するのです。騎馬民族系の大陸国家に対する一種の牽制だったのです。
邪馬台国仮説
邪馬台国には、九州説と畿内説がありますが、日向の卑弥呼さまは、その後葛城王朝の祭祀王へと転生します。この方が、畿内の卑弥呼さまになるのです。
しかし、畿内の卑弥呼さまが祭祀王に就任した当時は、北九州にいて日向を攻略していたのです。その後、大和に東遷しているのです。
第8代目の孝元天皇の妹の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)さまが、葛城王朝の8代目祭祀王になります。この方が畿内の卑弥呼さまに当たります。
この時、葛城王朝の卑弥呼さまは、日向に残存するかつての王朝を滅ぼしてしまわれたのです。これが、卑弥呼さまの因縁となってしまわれたのです。
豊雲野神さまが天照大神さまであるということは、豊雲野神さまの転生者ご本人からと、霊能者である神大市比売(卑弥呼)さまの転生者さまからお聞きしています。
また、2つの邪馬台国と卑弥呼さまの因縁のお話も、卑弥呼さまの転生者さまからお聞きしました。
新たな天照大神さま
新たな時代、弥勒の世ともなれば、次代の天照大神さまに代替わりすることになっているのです。
次代の天照大神さまには、聖母マリアさまが就任するとお聞きしています。聖母マリアさまは、菊理媛大神さまの霊系統に属する女神さまです。
これは、今回のガイア アセンション計画において、菊理媛大神さまのお働きが評価された故の起用だということです。
「聖母マリアの戴冠」をテーマにした一連の絵画作品は、新たな太陽の女神へと昇格する聖母マリアさまを暗示していたのかもしれません。
「聖母マリアの戴冠」 ピーテル・パウル・ルーベンス (ベルギー王立美術館蔵)
伊勢神宮外宮
伊勢神宮の荒魂社には瀬織津姫(セオリツヒメ・ホノコ)さまが祭られています。また、外宮には、男神のトヨケさまが祭られています。(注3)
外宮に祭られている神さまが男神さまであることは、そのお社の造りから分かります。千木は外削ぎで、鰹木が5本の奇数なのです。(注4)
トヨケさまは、ホツマツタヱに出てくるアマテルさまの祖父である、日高見国(ひたかみのくに)のトヨケさまです。トヨケさまはアマテルさま幼少時代の教育係でした。
しかしトヨケさまは、豊穣の女神である豊受大神(とようけのおおかみ)さまであるとされてもいるのです。
これは、天照皇大神(イエス・キリスト)さまの相方としての宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)さまを意味しているのではないでしょうか?
注1:天照大神さま
伊勢谷 武 (著)
注2:天照大神
tukishiro-art-lab.hatenablog.com
注3:トヨケ
注4:伊勢神宮外宮
伊勢神宮外宮 千木が外削ぎ 鰹木が奇数
菊理媛さまの霊系統
次世代の太陽神
今回のガイア センションの統括管理責任者は、日の大神 菊理媛大神さまであると、以前の記事で書きました。
そして、次世代の天照大神さまには、菊理媛大神さまの霊系統に属する聖母マリアさまが就任するとお聞きしています。(注1)
また、次世代の月読尊さまには、月の大神 弥勒大神さまの御分霊が就任されると聞いています。
では、この計画においての菊理媛大神さまの役割について少し書いてみます。
瑞の御魂と厳の御魂
神さまには人の魂と同じく、一霊四魂があります。一霊とは、直霊(なおひ)のことであり、顕在意識を指しています。四魂とは、さしずめ潜在意識の事になります。
四魂は、瑞の御魂(みずのみたま)と厳の御魂(いずのみたま)に分かれます。
さらに、瑞の御魂(みずのみたま)は、和魂(にぎみたま)と奇魂(くしみたま)に分かれます。厳の御魂(いずのみたま)は、荒魂(あらみたま)と幸魂(さちみたま)に分かれます。
四魂
瑞の御魂(和魂 奇魂)
厳の御魂(荒魂 幸魂)
複数の転生者
神さまは、これらの魂を同時代に転生させることが出来るのです。ですから、同時代に同じ神さまの転生者が複数いらっしゃることになるのです。
現在、ナザレのイエスさまの転生者は三名いらっしゃるとお聞きしたことがあります。いづれ、日本に転生されている方がメシアとして登場してくるのではないでしょうか?
ホツマツタヱの時代、菊理媛大神さまは、転生者を地上に送り込んでいました。イサナギさまの妹のシラヤマヒメ(キクキリヒメ:厳の御魂)さまです。
同じ時代に、弥勒大神さまは、その分霊をヒヨルコとして地上に送り込んでいます。(注2)
菊理媛大神さま
厳の御魂(荒魂 幸魂)
シラヤマヒメさま
弥勒大神さま
瑞の御魂(和魂 奇魂)
ヒヨルコさま
ヒヨルコさま
ホツマツタヱには、ヒヨルコさまの記述はありません。しかし、ヒヨルコさまはアマテルさまの兄に当たり、ヒルコさまの弟に当たる存在であり、アマテルさまの前にアマカミに就任された方だったのです。
ヒヨルコさまは、別名 伊豆能売(いづのめ)さまと申し上げます。
男女2柱の神さまが対になられているのです。速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)さま(瑞の御魂)と、神速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)さま(厳の御魂)の2柱の神さまです。
速秋津比古神さまが地上に出らて、神速秋津比売神さまが神界から補佐するという役割分担をされているのです。
このお話は、大本の出口王仁三郎氏により伊都能売神諭(注3)として描かれています。また、この件について書いた過去記事があります。(注4)
注1:霊系統
注2:ヒヨルコ
イザナギ、イザナミの半身半霊の皇子 《ヒヨルコさま》言霊サンクチュアリ
アマノコトネ (著)
注3:伊都能売神諭
注4:過去記事
tukishiro-art-lab.hatenablog.com
tukishiro-art-lab.hatenablog.com
伊都能売さま
観世音菩薩さまと観自在菩薩さま
伊都能売(いづのめ)さまは、イサナギさまに続く八代目のアマカミに就任したのですが、オトヒメさまに篭絡されたソサノヲさまに命を狙われて大陸に逃れます。
大陸に渡った伊都能売さまは、悪女であるオトヒメさまの治世を観察し、彼女のやり方を学ぶのです。この時の「音姫さまの世を観る」という意味から、観世音菩薩の名が付けられたのです。
伊都能売さまは、後にインドに渡り、シッタ(後の仏陀)を悟りの道へと誘われた観自在菩薩としても知られているのです。
この時は、当時のインドの最高神であった、邪神 大自在天の世を観るということから、観自在菩薩さまと呼ばれていたのです。
聖母マリアさま
後に、菊理媛大神(白山媛大神)さまの厳の御魂は、聖母マリアさまに転生します。この時、シッタ(仏陀)は、マグダラのマリアさまへと転生し、ナザレのイエスさまの補佐をすることになるのです。
またこの時、仏陀の残した第三身体(アストラル体)は、ナザレのイエスさまの魂に融合したと伝えられています。(注1)
その後、菊理媛大神さまの厳の御魂である聖母マリアさまの魂は、マグダラのマリアさまの指導神となり、同じく指導神となられた宇迦之御魂神(大地母神イシス)さまと共に来日します。
多岐都比売命さまと北条政子さま
来日したとき、菊理媛大神さまの瑞の御霊は、素戔嗚尊さまと神大市比売さまの皇女として転生します。五歳で夭折された第三王女 多岐都比売命(たぎつひめのみこと)さまです。
また、後に菊理媛さまの厳の御魂は、鎌倉時代の政治家 北条政子へと転生されるのです。
菊理媛大神さまの霊系統に属する霊人をまとめると、次のようになります。
菊理媛大神さま
厳の御魂(荒魂 幸魂)
菊理媛命さま
聖母マリアさま
北条政子さま
瑞の御魂(和魂 奇魂)
多岐都比売命さま
十一面観音の11柱の神々さまと菊理媛大神さまとの関係
現在、神界では観音菩薩さまの元に11柱の神々さまが集められています。それぞれの神々さまは菊理媛大神(白山媛大神)さまと、弥勒大神さまの過去生の魂に所縁(ゆかり)の深い神さまたちです。
1:伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)さま
弥勒大神さまの瑞の御魂であるヒヨルコさまの母
菊理媛大神さまの厳の御魂であるシラヤマヒメさまの義理の姉
2:天照大神(イエス・キリスト:神大市比売:アマテルカミ)さま
菊理媛大神さまの厳の御魂である聖母マリアさまの息子
菊理媛大神さまの瑞の御魂である多岐都比売命さまの母
弥勒大神さまの瑞の御魂であるヒヨルコさまの弟
3:菊理媛大神(くくりひめおおかみ)さま
ご本人さま
4:瀬織津姫尊(神大市比売:伊邪那美大神:セオリツヒメ・ホノコ)さま
菊理媛さまの瑞の御魂である多岐都比売命さまの母
弥勒大神さまの瑞の御魂であるヒヨルコさまの母
弥勒大神さまの瑞の御魂であるヒヨルコさまの義理の妹
菊理媛大神さまの厳の御魂であるシラヤマヒメさまの義理の姪
5:宇迦之御魂神(大地母神イシス)さま
菊理媛大神さまの厳の御魂である聖母マリアさまと共に、
マグダラのマリアさまの指導神を担っていた。
菊理媛大神さまの厳の御魂である聖母マリアさまの義理の娘
7:月読尊(つくよみのみこと:ツキヨミ)さま
弥勒大神さまの瑞の御魂であるヒヨルコさまの弟
菊理媛大神さまの厳の御魂であるシラヤマヒメさまの義理の甥
弥勒大神さまの瑞の御魂であるヒヨルコさまの妹
菊理媛大神さまの厳の御魂であるシラヤマヒメさまの義理の姪
9:磐長姫尊(市杵島姫命)さま
菊理媛大神さまの瑞の御魂である多岐都比売命さまの姉妹
菊理媛大神さまの厳の御魂である聖母マリアさまの息子
11:素戔嗚尊さま
菊理媛大神さまの瑞の御魂である多岐都比売命さまの父
ルドルフ シュタイナー (著) 西川 隆範 (著)
神武天皇の即位年代について
長寿の天皇問題
日本書紀には、神武天皇はおよそ50歳のころの紀元前660年1月1日に即位し、神武天皇76年3月11日に崩御したと書かれています。(注1)つまり50歳位で即位して、在位が76年、127歳で崩御しているのです。
日本書紀の記述では、神武天皇を含む9代の内の実に6人が100歳を越える年齢で崩御しており殆んどの人間が40歳程度で死亡していた弥生時代においては極めて非現実的な数字となっているのです。
こうした超常的寿命は実在が有力視される15代応神天皇や16代仁徳天皇、21代雄略天皇にも見られるのです。
実際の即位年代
これは、古代の日本社会においては春から夏までの半年間と、秋から冬までの半年をそれぞれ1年と数えていたとする春秋二倍暦を用いていたための現象だとされています。(注2)
しかし、ことはそれほど単純ではないようです。記紀の編集者たちは、さまざまな手法を使って、歴代の天皇の在位期間を操作しているのです。(注3)
これは、国の歴史をより長く重厚にして、大陸国家を牽制するためになされた改ざんであろうと推測されます。
第73世武内宿禰(たけのうちのすく)こと故 竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏によると、神武天皇は西暦57年に橿原の宮(かしはらのみや:奈良県橿原市)で大王(おおきみ)に即位したのだそうです。
神武天皇は、天照大神(日向の女王 卑弥呼:神大市比売)さまの5代孫であるとされていますが、実際は、72代目ウガヤフキアエズと天照大神さまの子供だったのです。
間に入れられた4代は、ホツマツタヱのアマテルヲヲンカミさまの系図を拝借しているのです。これは偽物であると「天照の暗号」で看破されています。(注4)
火折尊
鸕鶿草葺不合尊
カンタケの系図(ホツマツタエ)(注5)
アマテル
オシホミミ
ニニキネ
ホオテミ
ウガヤフキアワセズ
カンタケ(カンヤマトイハレヒコ)
ホツマツタエの改ざん
ホツマツタエの系図でも、ウガヤフキアワセズは一代であり、次がカンヤマトイハレヒコ(神武天皇)とされています。これは、オホタタネコによる改ざんではないかと推測されます。
ホツマツタヱのアマテルさまの時代は、今からおよそ3,300年ほどの昔です。天照大神(日向の女王 卑弥呼:神大市比売)さまの時代は、紀元1世紀頃です。
ホツマツタヱの1アヤから28アヤまでが前編で、第6代オオモノヌシのクシミカタマの編集であり、神武東征から始まる29アヤから40アヤは後編で、オホタタネコ(大田田根)の編著です。
ホツマツタヱが、崇神朝の12代景行天皇にオホタタネコが献上したとされていますから、朝廷側の要請によりウガヤフキアエズ王朝の存在を消し去ったとみられるのです。
紀元1世紀
これらが、いままでの論考で、日向の女王卑弥呼(神大市比売)さまと、出雲の英雄素戔嗚尊さま、大国主(イエス・キリスト)さまとイワレヒコ(神武天皇)さまを、1世紀頃に生きた同時代人として語ってきた理由なのです。
イエス・キリストさまとマグダラのマリアさまが日本の古代史に残した痕跡を紹介し、概略を簡潔に述べるために、今まではこうした細かい論証を先送りにしてきたのです。
ご了承有れ。
注1:神武天皇
注2:春秋二倍暦説
注3:歴代の天皇の在位期間を操作
伊勢谷 武 (著) Kindle版
注5:カンヤマトイハレヒコ
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