ニギハヤヒ王朝の大王の世襲名は饒速日であり、正妃の名が瀬織津姫でした。
饒速日と瀬織津姫が夫婦とされるのは、ニギハヤヒ王朝の大王と正妃の関係だったからです。
ウガヤフキアエズ王朝と共に、ニギハヤヒ王朝の存在は隠蔽されます。
封印された理由
物理的な封印
瀬織津比売大神さまの封印の中で、物理的に最も深く封印されていた神様が、素戔嗚尊さまです。続いて瀬織津姫さま、饒速日さま、宇迦之御魂神さまになります。
深く封印された四柱の神さま
1:素戔嗚尊さま
2:瀬織津姫さま
3:饒速日さま
4:宇迦之御魂神さま
物理的な封印とは、神社の配置を使った大掛かりな封印の仕掛けです。飛鳥時代 (7世紀後半)に天武天皇により設置された陰陽寮に属する陰陽師たちによって全国各地に設置されました。(注1)
この仕掛けは、対抗勢力の信奉する神々の神力に制限を加えるためのものでした。古くは、紀元1世紀頃の日向と出雲の和合に反対する勢力により、日本全国に仕掛けられた封印があります。
注1:物理的な封印
アマテラスの義弟たち
日向と出雲の和合とは、日向の女王卑弥呼 (神大市比売:かむおおいちひめ) さまと、出雲の英雄 素戔嗚尊さまの婚姻により成立したのですが、これに反対した勢力が『アマテラスの義弟たち』でした。
日向において権力の座にあった『アマテラスの義弟たち』は、出雲との和合により、自分たちの影響力が脅かされることに危惧を覚えたのです。
婚姻が行われるたのを見届けると、怒りと怨恨 (えんこん) に身を任せたアマテラスの義弟たちは、出雲族の聖地とされる土地や、日本の重要なエネルギースポットを次々と封印して回ったのです。(注1)
『アマテラスの義弟たち』の呼び名は、8世紀初頭の記紀編纂事業において、皇祖 天照大神を日向の女王卑弥呼 (神大市比売) さまとしたことから採られました。
『アマテラスの義弟たち』とは、紀元前2世紀ころに出雲と日向にやってきた徐福の末裔たちでした。彼らの一部は、その後狗奴国と邪馬台国との戦いに敗れて半島に逃れます。
注1:アマテラスの義弟たち
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―来たるべき地球大変動の真相
アートラインプロジェクト (著)
2つの邪馬台国
この時の邪馬台国とは、葛城王朝の事を指しています。8代目祭祀王であった倭迹迹日百襲姫命 (やまとととひももそひめのみこと) さまも卑弥呼と呼ばれていたのです。
食糧事情の変化により、5代目孝昭天皇のころから吉備王国の侵略により葛城王朝は畿内から九州に拠点を移します。この頃から邪馬台国と狗奴国 (くなこく) の戦いが始まったのです。
この戦いの決着は8代目祭祀王 倭迹迹日百襲姫命さまの時代に付きました。
倭迹迹日百襲姫命さまは、神大市比売さまの転生者でした。かつて自身が日向に築いた、筑紫王権 (つくしおうけん)の後裔となる狗奴国を滅ぼしてしまったのです。これが、倭迹迹日百襲姫命 さまの因縁となっていたのです。
9代目祭祀王には、台与 (とよ) が就任します。この方は、かつて徐福と共に渡来してきた秦の始皇帝の皇女の末裔でした。宗像家に保護されていた血筋です。
10代目崇神天皇は、半島から呼び寄せた騎馬民族の血を引くミマキイリヒコでした。この頃から、再び『アマテラスの義弟たち』が倭王権に入り込むのです。
ホツマツタヱの献上
記紀原書と呼ばれているホツマツタヱですが、葛城王朝から崇神朝に代わり、12代目天皇の景行天皇の時代に、大田田根子(おおたたねこ)により献上されます。(注1)
ホツマツタヱが、神代文字で書かれているからと言って全て正しいとは限りません。また逆に、ホツマツタヱを全くの偽書であるとするのも暴論にすぎるかと思います。
これは、日月神示などの、神さまから降ろされた神示 (ふで) 全般を偽書だとする判断も同じことです。竹内文書や宮下文書、ウエツフミなどの古文書もしかりです。
大田田根子がホツマツタヱを景行天皇に献上したとき、かなりの改変が行われていると見受けられます。朝廷の意向に沿うように改変されたのでしょう。
特に古代出雲王国の歴史や72代続いたとされるウガヤフキアエズ王朝の歴史が消されています。また、ソサノヲとイワナガヒメは、かなり貶められています。
ホツマツタヱには、ヒルコ (稚日女尊:わかひるめのみこと) の元となったお話は出てきますが、ヒヨルコは、不具者として捨てられています。(注2)
『古事記』では、「ヒルコと次に生まれたアハシマは、不具の子に生まれたため、葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまう」とあります。(注3)ヒルコはヒヨルコで、アハシマはヒルコの事でしょう。
注1:記紀原書
定本〔ホツマツタエ〕―日本書紀・古事記との対比
池田 満 (著)
注2:ヒヨルコ
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注3:ヒルコ
ミカサフミ3文 一女三男の文:ヒルコがワカヒルメとなる【7】
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饒速日と瀬織津姫
ホツマツタヱでは、アマテルさまやセオリツヒメホノコさまの物語は原型を留めているように見受けられます。しかし、畿内にあったであろう王朝の記述は一切見当たりません。
畿内にあった王朝とは、陣地の重層化に伴い内陣に当たる畿内の飛鳥宮 (あすかのみや) に設けられたであろう王朝の事ですが、記録が一切見当たりませんので、仮にニギハヤヒ王朝と名付けています。
北九州の筑紫宮 (つくしのみや) に72代続いたとされるウガヤフキアエズ王朝の存在があります。こちらを防人 (さきもり) の役目を持った外陣とするならば、この王朝に対応する内陣の役割を持つ王朝が存在していたはずです。
内陣としてのニギハヤヒ王朝の大王 (おおきみ) の世襲名は、饒速日 (ニギハヤヒ)であり、正妃の世襲名が瀬織津姫であったと観ています。
饒速日と瀬織津姫が夫婦だとされるのは、ニギハヤヒ王朝の大王と正妃の関係だったからです。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
ホツマツタヱには、カグヤマ宮のアスカ国は、2代しか記録されていません。このアスカ国が後のニギハヤヒ王朝となったと推測しています。
ニギハヤヒの正式名称は、国照彦天火明櫛玉饒速日 (くにてるひこあめのほかりくしたまにぎはやひ)でした。これは、カグヤマ宮のアスカ国の二人のカグヤマ皇君 (ヲキミ) の名から付けられた世襲名です。(注1)
そして、最後のニギハヤヒを襲名したのが、アマテルさまの転生者でした。この方が、大国主さまであり、イエス・キリストさまだったのです。
そのため世襲目の頭に『天照』の名を付けて、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 (あまてるくにてるひこあめのほかりくしたまにぎはやひのみこと) と名付けられたのです。
伊勢神宮の内宮に祀られている天照大神さまの正体は、この最後のニギハヤヒであるイエス・キリストさまです。アマテルさまの転生者です。
それゆえ、伊勢神宮の内宮 (皇大神宮) の境内別宮の荒祭宮 (あらまつりのみや) のご祭神である、天照坐皇大御神荒御魂 (あまてらします すめおおみかみ のあらみたま) の正体は、セオリツヒメホノコさまであると観て良いかと思うのです。
アマテルさまとセオリツヒメホノコさまの組み合わせです。アマテルさまは、転生されて最後のニギハヤヒさまとなります。そして、伊勢神宮の内宮に祀られているのです。
注1:国照彦天火明櫛玉饒速日
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富士高天原王朝
月読尊
二朝分裂時代には、もう一つの王朝が確認できます。宮下文書の伝える富士山麓にあった蓬莱宮 (はらみのみや) の富士高天原王朝です。
こちらの王朝は、神社の外陣と内陣、奥宮に対応させると、奥陣とでも呼べば良いのでしょうか?この王朝も、二朝分裂時代において何かしらの機能を持っていたはずです。
奥陣としての富士高天原王朝を継承したのが月読尊さまの一族でした。ホツマツタヱには、蓬莱宮 (はらみのみや) の記述はありますが、ツキヨミ (月読尊) さまに関する記述が極めて少ないのです。
ツキヨミ (月読尊) さまの一族に関する歴史を消し去りたかったのでしょう。月読尊さまの正体は、大山祇神 (おおやまつみのかみ) さまです。その娘が瀬織津姫命 (ホノコ) さまであり、孫が木花咲耶姫命さまと磐長姫命さまになります。(注1)
ホツマツタヱでは月読尊さまは隠され、磐長姫命さまは貶められていました。景行天皇の時代においては、この二神さまが封印の対象となったのでしょう。
注1:月読尊さまの正体
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出雲の英雄 素戔嗚尊
ホツマツタヱにおいて、ソサノヲが貶められている理由としては、後の時代に出雲に現れて大王となった素戔嗚尊さまが、当時の日本を牛耳り圧制を行っていた渡来系民族を一掃したことにあるかと推測します。(注1)
崇神朝から、倭王権は半島系の天皇に代わっていますから、出雲の英雄である素戔嗚尊さまの存在は嫌が上でも消し去りたかったのでしょう。
ホツマツタヱでは、出雲に赴いたソサノヲのその後に関する記述がありません。都合の悪い歴史は消されているのです。古代出雲王国や出雲の英雄 素戔嗚尊に関する記述がないのです。
ソサノヲの末裔に、ホツマツタヱを編纂したとされる、クシミカタマとオオタタネコの名前を確認することが出来ます。オオタタネコはソサノヲの末裔だったのです。
ホツマツタヱのソサノヲ系図では、クシミカタマは一代限りですが、ホツマツタヱの前編の編纂に関わったのは6代目のクシミカタマだとされています。(注2)
このあたりに、ソサノヲの時代より長く続いていたであろう出雲国の存在が垣間見えるのです。出雲国は、その後回帰してきた別の氏族と和合して古代出雲王国となります。(注3)
注1:渡来系民族を一掃
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注2:ホツマツタヱのソサノヲ系図
注3:古代出雲王国の誕生
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磐長姫の真実
磐長姫
ホツマツタヱにおいてソサノヲと共に貶められているのが、磐長姫 (いわながひめ) さまです。実際、後の時代に、磐長姫さまも封印結界の中に深く封じ込められるのです。(注1)
では、なぜ磐長姫さまは、後の倭王権に恐れられ封じられたのでしょうか?これは、磐長姫さまが、伊豆の女王と呼ばれていることに理由がありそうです。
また、不具者として捨てられヒヨルコさまとの関係性から考察すると隠された意図が見え隠れしてくるのです。ヒヨルコさまは、日月の神霊として降ろされた日月皇子(ひつきのみこ)でした。
後に、統治王と祭祀王を兼ねた伊都能売神皇 (いずのめしんのう) となられ、伊弉諾尊さまと伊邪那美尊さまの跡を継ぎます。その後、王権を弟のアマテルに譲り出奔するのです。
伊都能売は、伊豆能売とも呼びます。伊豆能売には、伊豆の女の意味があります。『能』は助詞の『の』であり、『売』は『女』の意味があるからです。
伊豆の女の中の女王が、伊豆の女王である磐長姫尊さまです。伊豆には、磐長姫尊さまを祭る浅間神社が2か所あります。磐長姫尊さまを祭る神社は全国で3社あります。(注2)
伊豆の雲見浅間神社
大室山浅間神社
岐阜の伊豆神社
注1:磐長姫さまの封印解除
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『伊豆の女』
磐長姫
伊豆にある2つのお社は、伊都能売神皇 と『伊豆の女』に関係がありそうです。次回は、このあたりの考察を進めてみます。
前線基地である外陣と、統合指令本部のある内陣、そして後方支援部隊となる奥陣。このようにお3つの王朝の役割分担が成されていたのではないでしょうか?
この状況から鑑みるに、奥陣としての富士高天原王朝は、部隊育成のための教育機関が置かれていたであろうと推測されます。
その部隊とは、如何なる存在だったのでしょうか?直接の戦闘行動を嫌う伊都能売神皇が中心となり育成されていた戦闘集団の真の姿とはいったいどのような存在だったのでしょうか?
想像力を駆使して、考察を試みてみます。
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